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第2章:遠隔の地(11)

 アルテタと呼ばれるその街は、ヴァレロンと比較すると明らかに規模は小さい。

 しかし、街並みの美しさにおいては決して見劣りせず、石畳の道路は綺麗に舗装されていた。


 美観もよく、塵が落ちている様子もない。

 街頭には幾つもの花壇が設置されていて、そこには色とりどりの草花が植えられている。

 その植物が雨粒に叩かれて揺れる中、勇者一行を乗せた馬車はゆっくりと停留所に到着した。


「う~、ずぶずぶ~」


 両手を前に突き出してゆらゆらと降りるリオグランテの身体からは、止め処なく水が滴り落ちてくる。

 それは他の面々も同じで、一様に不快な顔を隠せずにいた。


「どうしましょう。先に宿へ向かいます?」


「もちろん現地直行……くしょん! って言いたいところだけど、その前に病気で倒れたら元も子もないから、宿に行きましょう」


 冷えた身体を摩るようにして、フランベルジュも馬車の荷台から降りる。

 そして料金の支払いを終え、宿へ――――


「……心当たりはあるんだよね? 宿の」


「以前泊まった所へ行ってみましょう。泊まれるといいんですが……」


 寒さに震えるフェイルは、そんな曖昧なファルシオンの言葉に不安を覚えると同時に、この不安は的中する類のものじゃないだろうかと妙な確信を持ちつつ三人の後を追った。


『勇者一行絶縁宣言 勇者と関わりのある者、一切の立ち入りを禁ずる』


 案の定だった。


「……一体何をしでかしたの」


「ぼ、僕じゃないですよ。あれはフランベルジュさんが……」


「私は単に、襲撃して来た盗賊を剣で迎え撃っただけよ。ファルの方が……」


「私は盗賊を魔術で迎え撃っただけです。数が多かったので、広範囲の魔術を選ぶのはやむを得ない判断でした」


 半眼でリオグランテを睨んでいたフェイルだったが、その時の情景を想像し、その目を同情へと変える。

 まさにトラブルの錬金術士。

 フェイルは自分の頭がどんどん重くなっていくのを、雨粒の所為だけには出来ないと感じていた。


「ま、違う宿を探せばいいだけの話よ。この街は観光が盛んみたいだから、宿なんて幾らでもあるでしょ」


 小刻みに身体を震わせつつ、フランベルジュは一人フラフラと歩き回る。

 明らかに体調不良だ。


「フランは寒さに弱いんです。あと乗り物にも弱いんです」


「弱点が多い人だね……」


 微笑ましく思う余裕もなく、フェイルもその覚束ない足取りを追って、見知らぬ地で宿を探した。


 結果――――全敗。


 すべての宿が『勇者お断り』を口々に掲げる異常事態が判明した。


「……なんか、想像してたよりもずっと凄い事しでかしてたみたいだね」


 フェイルは、雨宿りの為に訪れた諜報ギルド【ウエスト】アルテタ支部の中で、この街の出来事を綴った帳簿を眺めながら、やんわりと嘆息せざるを得なかった。


『勇者一行が何故悠々自適にトラブルを起こすのか我々は考えた。そして結論を得た。彼等は悪魔だ』


『勇者一行に自作自演疑惑! 一日一回は揉め事を起こすその目的は目立ちたいだけ!?』


『勇者一行を表現するのは簡単だ。一言「呪われている」それだけだ』


 殴り書きされたその数々の言葉に、当事者の三人は顔を見合わせ、全員で首を傾げる。

 余り自覚がなかったようだ。


「私達としては、何度もしつこく襲撃されただけなんですけど」


「その襲撃の度に周囲に損害を与えてたら、疫病神扱いされるのも無理ないよ」


「そんなの襲う側に問題があるに決まってるじゃない。何で私達が……くしょん!」


 フランベルジュは完全に風邪を引いたらしく、定期的にくしゃみをするようになっていた。


「うー……なんかボーっとする……」


「弱りましたねー。この雨じゃ野宿も出来ませんし、ここはいっそ、このギルドで一泊させて貰うようお願いして――――」

「お帰りはあちらです、勇者一行」


 妙案を思いついたといわんばかりのリオグランテの言葉を遮るように、受付の女性が笑顔で一喝。

 程なく全員追い出された。


「……仕方ありません。民家に泊めて貰えないか頼みに行きましょう」


「うー……なんかゴメンなさい……」


 殊勝に謝るフランベルジュに、いよいよ体調悪化が深刻になって来た事をフェイルが悟った、その刹那。

 宙の雨粒が幾つか、不自然に弾けた。


「っ!」


 それまで死にそうな顔をしていたフランベルジュが直ぐに生気を取り戻し、抜剣する。

 そして――――リオグランテは自身の目の前まで迫っていたナイフに身を竦ませていた。


 尤も、そのナイフにもう推力はない。

 ファルシオンが瞬時に張った結界に遮られ、力なく地面に落ちた。


「雨の日は殺気が察知し難いのよね……」


 反応が一瞬遅れた事を自省しつつ、フランベルジュは視線をナイフの投擲先に向ける。


 雨脚は強まっており、その姿を視認するのは難しかった。


「ファル。貴女は二人をお願い」


 それでもフランベルジュは迷いなく剣を片手に、数多の建築物が溢れかえる街中を走って行った。


「行かなくて良いの?」


 残ったリオグランテに、フェイルは静かに問う。

 襲撃された狼狽は全くない。


「フランベルジュさんは基本的に一人で闘いたがるもので」


「魔術士と帯同してる意味あるのかな、それ」


 呆れつつフェイルが苦笑する中、ファルシオンは目を鋭くさせたまま、周囲の様子を伺っていた。


「います。気を抜かないで下さい」


 敵がいる――――そう判断したらしい。


「でも僕は無関係じゃないの? この襲撃、勇者一行に向けてのものだよね?」


「恐らく。でも、ここにいる以上は貴方もそう見做されます」


「えー……」


 当然、それは理解している――――フェイルは言葉とは裏腹にそう心中で呟きながら、その実しっかりと周囲を警戒していた。


 フランベルジュが駆けて行った方角には三名。

 そして、自分達の周囲には二名。

 それぞれ、襲撃者と思しき人物が殺気を放っている。


 まだ街を訪れてそれほど経っていないにも拘らず襲撃者が現れたのだから、馬車の御者か宿屋の何処か一つが情報を売ったのは間違いない。


 問題は動機だ。

 この街で数多のトラブルを起こした勇者への報復と言うには、この襲撃と殺気には余りに品がなさ過ぎる。

 間違いなく傭兵の類だとフェイルは確信していた。


 このリオグランテをはじめとした勇者一行という存在は、想像以上に敵が多いかもしれない――――そう認識を改めざるを得ない。

 そんな思案顔のフェイルに、リオグランテはいつも通りの無邪気な顔で微笑みかける。

 命を落としかねない危機的状況で不安を募らせる薬草士、そんな認識なのだろう。


「フェイルさん、大丈夫です。僕が必ず守りますから……勇者の名に賭けて」


 そしてその科白と共に、リオグランテは抜剣した。

 表情も全く別のものに変える。


 勇者候補。

 それは、勇者になれる才能を有した人間にのみ与えられる立場。

 幾らトラブルメーカーとしての素質はあっても、強者の素養がなければ、勇者の才能など認められる筈もない。


 フェイルはその点において、未だ懐疑的だった。

 彼の勇気は以前見張り台の上で見定めたが、強さに関しては一度も目撃していない。

 そういう意味では、いい機会だと思ってしまう。


 そんな心の余裕が表面に出たのか――――


「落ち着いていますね。意外です」


 指輪型の魔具を光らせて結界を保ち続けるファルシオンが、後ろを見る事なくフェイルにそう告げた。

 彼女が張っている結界は物理攻撃用の結界で、魔術に対しては無力。

 先程のナイフによる襲撃を考慮すれば、当然の選択だ。


「見てもいないのに、わかるの?」


「混乱していれば、悲鳴や泣き言の一つくらいはあがるでしょうから」


 納得し、フェイルは首筋辺りを軽く掻き、言い訳を考える。

 裏のお仕事の関係上、自分のありのままを他者に悟らせるのは好ましくない。


「職業柄、何度も野生の動物とかに襲われた事があるからね。それに比べれば」


 その『とか』には人間も多分に含まれている為、嘘ではない。

 そんなフェイルの発言に、特に返答はなかった。


 しかし、背後にいてもわかるほどファルシオンの集中力は凄みを増している。


 そして、リオグランテも。


 普段の気の抜けた顔とはまるで違う。

 勇者一行がようやく見せた『らしい』姿に、フェイルはこっそり安堵感すら覚えていた。


 そんな、場違いな心情が体内を支配した、その一瞬――――


「来ます! 一人です!」


 ファルシオンの咆哮に重なるように全てが動き出す。


 フェイルの隣にいたリオグランテが、遥か後方へ吹き飛んだ。

 結界が素通りされたのだから、疑うべくもなく魔術だった。

 人の顔くらいの大きさの氷の塊が、一度に何十個も量産され、推力を有して突き進んでくる。


【氷の雨塊】


 雨の降っている日にのみ使用可能とされる、青魔術の初歩【氷の弾雨】の強化版。

 ちょうどファルシオンの真後ろにいたフェイルには、その氷の塊は届かない。


 ただ、ファルシオンが現在どんな状態なのか――――それを窺い知る術もない。

 調べる余裕もなかった。

 フェイルの手は既に背中の弓と矢を手に取り、照準を定めている。


 今、最も倒すべき相手は――――


 そして矢は放たれる。

 雨粒を縫うように、静かに、粛々と放物線を描いて――――


「ぐああああああっ!?」


 雨中に響き渡る悲鳴は男のものだった。

 そして、フェイルの知らない声だった。


 次いで、何かが石畳を叩く音。

 重い物が倒れ込むような鈍い音。

 それが人体なのは容易に想像できた。


 フェイルは身体をずらしながら、睫についた水滴を擦り落とす。

 そして、その先の光景を確認した。


 そこには、肩をリング状の氷の刃で抉られた傭兵の横たわる姿が微かに見える。

 息は確認出来ないが、致命傷には見えない。

 それを視認したフェイルの前で、ファルシオンが少し大きい息を吐いた。


「幸い、オートルーリングを使用していない相手でした。まだこの国ではそこまで普及していないのかもしれません」


 そう呟き、小さい手で顔を拭う。

 青魔術を得意とする魔術士同士の刹那の決戦。

 ファルシオンは結界が無意味だと判断したのと同時に、新たな結界ではなく攻撃を選択していた。


【氷輪】


 氷を基調とした青魔術の中では殺傷力が高く、比較的高度な攻撃魔術だ。

 しかしそんなハイレベルの魔術でも、オートルーリングを持ってすれば一瞬で出力可能。

 もしこれが、過去のように手動によるルーリングなら、魔具と呼ばれる指輪等の道具から発せられた光で、宙に幾つもの文字を綴らなければならない。


 その手間の差が今の結果を生んだ。


 手動によるルーリングで次の攻撃を放とうとした敵の傭兵。

 一瞬で氷のリングを作り上げたファルシオン。

 どちらが勝つかは、火を見るより明らかだ。


「きゅ~」


 そしてリオグランテは遠くの方で失神していた。


「……もしかして、リオグランテって弱いの?」


 猛烈に嫌な予感を覚えて、フェイルは様々な出来事を経た今、何よりも優先してそれを聞く。


「彼の最大の長所は、将来性と明るい笑顔です」


「それって、現状の強さを皮肉ってるとしか思えない……」


 もしや、もしや……と思いつつも心中で否定していた衝撃の事実が今ここに。


 勇者候補リオグランテは――――ポンコツ!


 フェイルはどっと脱力した。


「他人の事言えるの? 明後日の方向に矢を飛ばした奴が」


 その耳に、嘆息交じりの女声が突き刺さる。

 剣を収めながら、フランベルジュは傷一つ負わずに戻って来た。


「悪かったね。雨で手が滑ったんだよ」


「やれやれ。ま、この状況で攻撃をしようって試みただけでも、素人にしては十分か」


 大げさに首を振りながらも、フランベルジュは言葉ほどは嫌味のない笑顔でリオグランテの介抱に向かった。


「で、そっちはどうだったの?」


「この五体満足の姿を見ればわかるでしょう? 何の事はない、ただの賞金稼ぎ。全員切り捨てるのに十秒も掛からなかったんじゃない? 急所を外す余裕付きでね」


 先程の体調不良など何処吹く風。

 フランベルジュは自信に溢れた顔で饒舌に自身の活躍を語った。


 しかし――――リオグランテを起こそうと屈んだ瞬間、その顔が再び変わる。


「これは……もしや、勇者一行の皆様では」


 その視線の先には、フェイル達をここまで連れてきた物とは違う馬車があった。

 そして、馬車の前に単独の馬が一頭。


「随分前に出て行かれた筈だったが……遣り残した事がおありだったか? それともこの街の魅力が、その前進を宿命付けられた足に一時の休息を命じたのか? いずれにしても――――」


 馬の上には、気品の良さそうな顔の青年が乗っていた。


「ようこそ、再びアルテタへ。今一度歓迎しよう」


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