表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/610

第2章:遠隔の地(9)

「そちらに書かれている物のいずれかを仕入れる事が出来る薬草店と証明して貰えれば、是非協力関係を築きたいとグロリア様は仰っています。無論、勇者御一行様の所望する隣国への贈呈品についても準備するとの事です。それでは御健闘をお祈りしています」


 使者として訪れた男は病院の関係者ではなかったらしく、謙譲語は使わずに最低限の説明のみを行い、そそくさと薬草店【ノート】を後にした。

 まるで、そこにいる事が時間の無駄とでも言わんばかりに。

 或いは、この伝言自体に嫌悪感を持っていたのかもしれない。


 いずれにせよ、使者の去った後のノートの店主はというと、目論見通りの展開になったにも拘らず、陰惨な空気に包まれ硬直していた。


「……っていうか、なんでこっちが渡す側になってるの? 向こうに何か寄越せって言ったのに」


「それは狙い通りです。こちらが先に物を要求すれば、格上であると示す為と皮肉も込めて『そっちが先に寄越せ』となるのは予想出来ました。『一定期間で売上を数倍にしろ』みたいな条件を出されるのは避けなければならなかったので」


「相変わらず、その手の誘導は上手いのね」


 半ば呆れ気味に、半ば感心した様子で呟いたフランベルジュに対し、ファルシオンは――――目を背け暫し押し黙った。


 そもそも資本的に同格でないので、本来ノート側が価値を示すのが正当な交渉。

 ファルシオンの言うように、この展開自体は予定通りでもある。


「ま、だったら良かったじゃない。全部じゃなくて、この中のどれか一つを持っていけば良いんでしょ? 楽勝じゃない」


「……」


「ちょっと、そんな濁った目で睨まないでよ! よくわからないけど簡単って言ったのは取り下げるから!」


 グロリアが提携の条件として出して来たのは――――特定の薬草の譲渡だった。


 定期的にではなく、一度その薬草を渡せばそれで終わり。

 実際、条件的には易しいように思える。


 が――――


「そんなに手に入れるのが難しい薬草なんですか?」


 無垢なリオグランテの言葉に、フェイルは表情だけで答える。

 グロリアが、薬草店【ノート】と提携する為の条件として課したのは――――





 ロイヤル・パルフェ


 マンドレイク


 グランゼ・モルト

 


 以上の3点のいずれかを献上せよ





 ――――という明快な内容だった。


 そして同時に、薬草士であるフェイルが絶望するような要求でもあった。


「まずロイヤル・パルフェ。別名『皇女の誘惑』。現在発見されている、あらゆる植物の中で最も強い究極の甘味を含んでいて、根は食すと強力な発汗作用を生むことから、媚薬としても有名な薬草だね」


「媚薬って……」


「究極の甘味……ですか」


 女性二名の注視点が真っ二つに別れる中、フェイルは条件として提示された三つの薬草の名前を薄い木の板に羽ペンで書き込む。

 そして、その一番上の『ロイヤル・パルフェ』の横に、数字を書き記した。

 先日この店の損失として算出された数字の、約三倍だ。


「……それって、まさかこの薬草の値段?」


 フランベルジュの素朴な疑問に、フェイルは大きく頷く。


「といっても、幻の薬草だからあくまでこれは市場推定価格。時価みたいなもので、実際にこの額で取引されてる訳じゃないんだ。実際はもっと出す金持ちの人がいるかもしれない」


「それだけあったら純金製のレイピアが買えそうね……草の分際で」


「薬草屋にケンカ売ってる?」


 多少憤りをこめかみの辺りの血管で表しつつ、フェイルはその下の『マンドレイク』の横にも数字を書き込んだ。


「マンドレイクは、どんな傷でも治す奇跡の薬『エリクシール』の原料の一つとも言われていて、一説では不老不死の秘密を握る植物とも目されてる。薬草単体としては幻覚作用が出る事で有名かな。あと強い鎮痛剤、麻酔薬として使用される例もある。ただ、一番の需要は呪いのアイテムとしてなんだよね」


 そこに書き込まれた数字は、上のものより一つ桁が多かった。


「……嘘でしょ? 結構な家が建つ金額じゃない」


「こっちは文字通り幻の薬草だからね。その希少価値は稀少な宝石以上だよ」


 世の中にある価値観の中で最も平等なものは『お金』である事は明白だが、そのお金を出す最大のモチベーションは希少価値だと言われている。

 数が少ない物、持っている人が少ない物――――それらが何よりも価値のあるものといった認識は、多くの人間が共有する価値観だ。


「そして、最後は……グランゼ・モルト。偉大なる死を意味する毒草」


 フェイルは淡々と、最後の名前の横に数字を書いた。


 グランゼ・モルト。

 世界最悪の毒。


 かつて『生物兵器』と呼ばれる隣国デ・ラ・ペーニャ発祥の兵器の一つとしてこの毒が用いられた際、どんな伝染病よりも多くの死者を生んだと言われている厄災級の代物だ。


 近年も、その僅かな残り物を使用した生物兵器によって、数多の人間が五感や身体に変調をきたし、人生に多大な影響を与える事件が世界各国で起こった。

 それくらい、凶悪な毒草だ。


「……ゼロ?」


 フェイルはその禍々しい名前の隣に、無を意味する数字を連ねた。


「これには価値はない。所持してるのがバレたら直ぐに憲兵がやってきて没収されて懲罰を与えられる。しかも家族まとめてね。グランゼ・モルトの所持は、死刑以上の厳罰をもって対処される大罪なんだ」


 つまり、絶対的な希少価値を有しているものの、金銭価値をそこに見出すのは不可能。

 言うなれば禁忌の一品だ。


「嘘でしょ……って、ちょっと待ってよ。その凄い毒は兎も角、他の二つのどれかを見つけたらもう提携の必要ないじゃない。それを売れば忽ち大金持ちだもの」


 カウンターに頬杖を付き、半眼でフランベルジュが呟く。

 しかし、それは必ずしも正解ではなかった。


「フラン。この金額はあくまで、購入者がいてこその数字なんです。薬草を購入する人間は、その薬草の価値を知る人だけ。恐らくそういう人は殆ど、あの院長の息が掛かっているんですよ」


「その通り。だから、売ろうとしても売れないだろうね」


「えっと、つまり……もうムチャクチャな要求をされちゃったんですか?」


 リオグランテの言葉に、フェイルは視線を動かす事なく首肯する。

 いずれも、薬草士であれば一度はその実物を目にしてみたいと願うのが当然の、いわば伝説の薬草。

 しかし実際には、その薬草を手にする薬草士はまずいない。


 巨万の富を得た者が大きな代償を支払って集める、若しくはサーガに名を残すような冒険者が苦心惨憺の末に手に入れる類の物ばかりだ。

 そして、実際に薬草として使用される事はない。

 稀少宝石や芸術品と同じで、存在だけでその価値は発揮される。


「それって要は馬鹿にされたって事じゃない。『我々と組む資格があるのは、これくらいの物を手に入れられる者だけなのだよ。君にそんな力はあるのかね、ン? どうなのかね、ン?』って感じ? うわーあのクソジジイ、ムカつく……っ!」


 いやに具体的な発言で、フランベルジュは勝手にヒートアップしていた。

 実際、そう解釈しても仕方がないラインナップではある。


「どうやら別の方法を考えないとダメって事みたいね。ま、仕方ないでしょ。出来ない事に執着していても時間の無駄だもの。ここは早めに切り替えるのが、貴方にも私達にも有益よね。ところで、私に一つ考えがあるんだけど、聞い――――」

「噂話くらい聞いた事ありませんか? これ等の薬草に関して」


 フランベルジュはわざとらしい棒読み口調で独自の案を出そうとしていたようだが、ファルシオンの声によって途中でかき消されてしまい、フェイルの耳に届く事はなかった。

 その妨害に対する憤慨の表情を無視しつつ、フェイルは薬草士としての経験と知識と記憶を探り、結論を得る。


「ない。一つもない」


 本日最も自信の伴う一言だった。


「よくそんな堂々と言えるものね」


「ならフランベルジュさんは、世界最高峰のレイピアや鎧を手に入れる方法に心当たりある?」


「……あの武道大会に出て勝つ」


 結局、先程言いたかったのはそれだったらしい。

 相当出たがっているのは伝わったが、結果的に陳腐な返答になってしまった為、フランベルジュは不機嫌な顔でそっぽを向いてしまった。


 そんな中、リオグランテは一人、じーっとフェイルの書いた紙を眺めている。


「どうかしたの? リオ」


「いやー。このマンドレイクって何か、惜しかったなーって思いまして」


「惜しい?」


 意味がわからず聞き返したフェイルとは対照的に、ファルシオンとフランベルジュは即座に納得したような空気を出した。


「あの、身内だけで意思の疎通をされても、この場合全く発展性がないんだけど」


「恐らく、私達が旅中初めて巻き込まれた騒動の際に入手した物の事を言っているんだと思います」


 ファルシオンの説明に、リオグランテが大げさなくらい大きく頷く。


「薬草じゃなくて干からびた人形だから関係ないと思うんですけど、名前似てましたよね。確か町長の家で訳のわからない怪奇現象が起こってて、それをどうにかして欲しいって言われて調べたら……その家の地下に呪いの人形があったんですよ。どうも元凶がそれだったみたいで。確か名前は……えっと……あれ……?」


「マンドラゴラよ」


 何度も首を傾げていたリオグランテの頭を軽く小突きながら、フランベルジュが懐かしそうに天井を見上げる。

 ファルシオンも心なしか表情を柔らかくし、回想に浸っていた。

 実際にはそれほどの時間は経っていない筈だが、勇者一行としての冒険の日々は彼らにとって特別なのだろう――――そう思わせる一幕だった。


 だが、フェイルはそんな空気に入り浸る余裕など一切なく、冷や汗を流して何度も何度も瞬きをしていた。


「……そ、その人形、結局どうしたの?」


「え? 直ぐ捨てましたよ。呪いの人形なんてずっと持ってたら僕達が危険ですし。幸い、家の外に出たら呪いの力も消えたみたいなんで、その場でポイしました」


「家の近くに捨てて大丈夫なのか不安だったけど、問題なかったみたいだしね。室内限定の呪いだったのかも」


 リオグランテは楽しそうに、フランベルジュは苦笑しながら当時の事を和気藹々と語っている。

 町長宅の異変の元凶をその直ぐ傍に捨てるのは明らかに外道な行為だが、それ以上に一秒でも早く呪いの人形を手放したい気持ちが勝ったらしい。


 しかしフェイルはその件に一切触れず、冷や汗の量を増やし微かに震えながら顔を引きつらせていた。


「ぐ、具体的には何処に捨てたのかな?」


「やけに興味津々じゃない。あ、もしかしてライバルの薬草店を呪いで全部ダメにしようとか考えてる? そんな後ろ向きな考えじゃいつまで経っても――――」

「そういうのいいから教えて」


 肩を竦めて笑うフランベルジュの悪態は、フェイルの目を円にした顔面によって吹き消された。


「な、何よ、ちょっとした冗談じゃない。そんなにキレなくても……リオ、覚えてる?」


「さあ……その辺に投げ捨てたのは覚えてますけど、場所まではちょっと。ファルさんは記憶してます?」


 二つの尻尾が小さく横に揺れる。

 フェイルは、それとほぼ同時に顔面蒼白で天井を仰いだ。


「補足。マンドレイクは別名『マンドラゴラ』とも呼ばれている」


 そして、まるで図鑑のト書きのようにポツリと呟く。

 同時にフランベルジュとファルシオンの顔もサッと蒼褪めた。


「う、嘘でしょ? 仕返しにからかってるのよね?」


「そう見える?」


 半笑いのフェイルに答えは返ってこない。

 ただ一人、未だに意味を理解できずにいるリオグランテが小鳥のように首を傾げる中、ファルシオンが表情だけは崩さずに額を手で覆った。


「一〇万ユロー以上の価値の物を、私達は道端に投げ捨てた……と?」


 くすんだ絶望感が充満する。

 ちなみに一〇万ユローという金額は、この薬草店【ノート】を取り壊して、更に両隣の家を立ち退かせて、そこにちょっとした屋敷を立てる事が出来るくらいの金額だったりする。


「バカ言わないでよ! なんであんな薄汚い人形がそんな金額になるのよ! っていうか私達は薬草の話をしてたんじゃなかったの!?」


「薬草なんだよ。正確には根っこが。マンドレイクの根は人形みたいな形をしてるんだ。さっき言ってた『干からびたミイラ』ってのがそれだよ」


「えええええええええええ!?」


 ようやく事の重大さに気が付いたリオグランテの絶叫に呼応するかのように、フランベルジュもまた錯乱状態で思い切り頭を掻き毟る。

 美しい金髪が台無しだ。


「どどどどどどどどうすんのよ! 一〇万ユローって一〇〇ユロー金貨一〇〇〇枚よね!? 金貨一〇〇〇枚って……それだけあればデ・ラ・ペーニャまでの交通費どころか三人とも最高峰の装備に新調出来るじゃない! アレってまだ落ちたまんまなんじゃないの!?」


「落ち着いて下さいフラン。守銭奴っぽいです」


「そんな事言ってる場合じゃないってば! ちょっとフェイル、ホントにホントなのよね!? あの干からびたゴミの搾りカスみたいな人形がホントに一〇万ユローで売れるのね!?」


 名前で呼ばれ、随分と気さくな間柄になった――――ものの、フェイルは一切喜ばしいとは思えず、ただただ自分の胸ぐらを掴んで揺さぶる女性にドン引きの目を向ける。

 それでも彼女は意に介さず、次の瞬間には旅支度を始めていた。


「さあ、心当たりのある場所まで戻りましょ! フェイル、貴方も来るのよ。じゃないと本物かどうか判定出来ないから!」


「えー……お店閉められないから無理だよ」


「やっかましい! 一〇万ユローよ一〇万ユロー! このボロキレのほつれ糸みたいな店で貴方が一日に売る薬草の金額なんて端数レベルじゃない! 休みなさいよっ!」


 錯乱状態にあるフランベルジュの発言は、普段にも増して過激だった。

 流石に反撃を試みようと口を開いたが――――


「移動に馬車が使えないのはキツいですよね。売れる物何かあります?」


「先日リオが買った勇者っぽい装備を全部売りましょう」


 すっかり旅支度を整えた勇者と魔術士の姿が視界に収まった為、その気力すら萎んで行った。


 そんな混沌の最中、店の扉がゆっくりと開く。


「すいません。今日はもうお店は……って、なんだアニスか」


「なんだ、で悪かったですねー。折角何か買ってあげようって思ってわざわざ来てやったのに」


 幼馴染ならではのカラッとした軽口。

 同じ言い争いでも人と精神状態が違えばこうも変わる。

 毒気を抜かれたフランベルジュが腕を組みながらフェイルから離れて行き、代わりにリオグランテがフェイルとアニスの間に入るように接近して来た。


「えっと。アニスさん、でしたよね」


「ええ。貴方はリオグランテ君、だったかしら?」


「覚えていてくれて光栄です! それで、実はお願いがあるんですけど」


 突然の懇願は勇者の特権。

 アニスはリオグランテの『勇者候補』という肩書きを知らないため、ほぼ他人の間柄でありながらいきなり頼み事をして来た彼に驚きを禁じえず、フェイルの方を見ながら狼狽を露にしていた。


「暫くこのお店の店主代理を勤めて貰えないですか?」


「……はい?」


 キョトンとした顔でアニスが漫然と小首を傾げる隣で、フェイルは自分の運命を理解し諦観の念を弄んでいた――――



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ