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第2章:遠隔の地(8)

 暗雲など一つもない空に、翼を動かさず鳥が舞っている。

 その様子暫く見上げ、フェイルは大きく伸びをした。


「で……結局、何だったの? この訪問」


 満面の笑顔で手を振るファオを背中に、殆ど何もせずにいたフランベルジュはジト目でファルシオンを問い詰める。

 実際、彼女の目には理解不能な一幕にしか映らなかった。

 交渉と呼ぶには余りにも呆気ない幕切れだったし、フェイルもファルシオンも全く引き下がる様子を見せなかったからだ。


「そもそも提携する理由って、この病院で持て余してる患者を薬草店で面倒見るって話だったんでしょ? それなのに高い薬草を寄越せとか言い出すし、しかも間髪入れずに断られるし。何か無駄に心証悪くしただけとしか思えないんだけど」


 矢継ぎ早。

 しかしそのフランベルジュの発言は、全て正論だった。

 ただ、その発言をした当人は更にもう一つ腑に落ちない事があると前置きした上で、キッとその方向を睨んだ。


「……貴方も貴方よ。当事者なのに全然何も言ってなかったじゃない。やる気あるの?」


 その矛先となったフェイルは、静かに嘆息して後頭部の尻尾に手を当てる。

 詰られるのは予想済みだったが、それでも余り良い気分ではなかった。


「特に言う事はなかったから」


「何なの? その諦めムード。そんなんだから店が落ちぶれるのよ」


「いや、その落ちぶれの原因を作った人に言われる筋合いもないと思うんだけど」


「う……それはまあ……悪かったと思ってるけど」


 ただし、気分が良くないのはフランベルジュの発言が原因ではない。

 先程の"交渉"に対する一抹の不安によるものだった。


 それを払拭するかのようにもう一つ息を吐き、ファルシオンの方に視線を移す。

 彼女の普段と変わらない姿は、今は少し頼もしくもあった。


「反応してくるかな」


「恐らく。あの話の打ち切り方はやや過剰です。悪くない反応だと思います」


「なら良いけど」


 そんなやり取りに、フランベルジュは両者の顔を交互に見やり、訝しい顔を作る。

 一方で、リオグランテは一切会話には絡まず、街頭で叩き売りしている赤い皮の果実のリプルを購入し、とても美味しそうにかじっていた。


「二人だけの世界で話すの止めてくれない? 理解出来てない私が馬鹿みたいに見えるじゃない! 早く説明してよ!」


「説明が必要なほど大層な話でもないと思うけど」


「ほー。そういう事言うの。へー」


 怒気――――

 勇者一行の剣士は、長い金髪をふわりと浮かせるかのような怒髪の表情でフェイルに凄んできた。


「フランは無駄に自尊心が強いですから、扱いを間違えないようにして下さい」


「しれっと毒吐いてないで説明!」


 少しは自分で考えろと言わんばかりの目を向けつつ、ファルシオンは歩行しながら先刻の解説を始めた。

 その行為は何気に恥ずかしい事なので、若干小声で。


「簡単に言えば、今回の訪問の意味はただの紹介です」


「紹介?」


「はい。私達が勇者一行であるという事実、あの病院を必要としている事実。この二点が伝わればそれで良かったんです。内容はどうでも」


 その言葉に、フランベルジュの足が止まる。


「……つまり、あの要求は別に通らなくても良かった?」


「ええ。寧ろ、通って貰っては困ります。だから不躾な要求をしたんです」


「適当な思いつきなのは明らかだったからね。病院の花や芸術品からの着想でしょ?」


 苦笑するフェイルに、ファルシオンは薄く頷く。

 つまり――――


「薬草店【ノート】とヴァレロン・サントラル医院の接点を作るには、まず私達勇者一行の存在が彼等の為になると証明しなくてはなりません。ノートと私達に何か特別な繋がりがあると思わせた上で、私達と接点を持ちたいと彼らが望めば、自然とノートと提携する利点が生まれます」


「それはわかるけど……だったらそう言えば良いじゃない。薬草店と業務提携すれば、もれなく私達も仲良くさせて貰いますよ、って」


「そうしたら、フランベルジュさん達がいなくなった後に契約切られて終わりだよ。逆に言えば、そこを過大評価して貰えれば貴女達がいなくなってもウチを安易に手放せなくなる」


 フェイルの補足に、ファルシオンは今度は大きく頷いてみせた。


「借金返済の為の関係、と悟られるのは論外。私達とノートの関係は匂わせる程度に示唆する必要があります。その上で、先ほど私が提示した利点に価値を見出していれば、自ずと向こうから調査してくるでしょう。何故私達が勇者一行が薬草店で働いているのか。でもボロさえ出さなければ、その理由は看破出来ない筈です。なら……」


「提携して内情を聞き出せる立場になろうとする、って訳ね? 外から調べるのは限界があるし」


「はい。後は情報管理を徹底すれば良いだけです。私の発案した『入院が出来ない患者の受け入れ』を彼等に持ちかけるか、他の方法……定期的に薬草を病院に仕入れるとかでも良いですが、どんな形で提携を活かすかはフェイルさんにお任せします」


 今回フェイルとファルシオンが重要視したのは、あの場でフェイルではなくファルシオンが会話の主導権を握る事。

 勇者一行とフェイルの関係性を一切明かさない事。

 そして、こちら側から提携の希望を口にしない事。


 この三点だ。


 勇者一行が三人組なのは、調べれば直ぐわかる。

 フェイルが薬草士であると案内役の女性に伝えてある。

 ここに敢えて秘匿性を持たせ、向こうの興味を引くのが目的の一つだ。


 加えて、向こうから提携話を持ちかけさせる事で、少しでもノートの立場を上げ、その後の交渉を有利に進めたいという思惑もあった。

 勇者一行とノートの関係は提示せず、でもファルシオンが話をする事で『勇者一行の方が積極的にこの件を動かしている』と認識させ、かつ相手から持ちかける形で纏まった提携であれば、契約はそう簡単には切れない。

 どれだけ小規模の店との契約だろうと、将来勇者になるかもしれない人物との繋がりを軽んじる事はしないという判断だ。


「……一応理屈はわかったけど、本当に大丈夫なの? もし向こうがメリットあるって思ったんなら、もう少し友好的な態度を取るんじゃないの?」


 その尤もな意見に対し、最初に反応を見せたのは――――意外にもリオグランテだった。


「でも、突然美味しい話が舞い込んできたら身構えませんか? 僕もさっき、このリプルが二個で一ユローって言われた時、少し躊躇しましたよ」


「確かに……それに交渉って上から目線が当たり前ってイメージよね」


「まあ、間違ってはいないけど」


 フェイルも店を構える時に散々味わった為、否定は出来なかった。


 いずれにせよ、幾ら勇者が隣にいても小規模店の店長が病院相手に交渉を持ちかけたところで、いきなりは絶対に上手く行かない。

 そもそも、証拠らしき物を見せたところで勇者である事をすんなり信じるような人間が、貴族御用達の巨大病院で院長など出来る筈もない。


 実際、あの院長は敢えて親書の中身は見なかった。

 君達が勇者かどうか、その証拠は自分達で探すし、提示された物を鵜呑みにするほど愚かではないよ――――という意思表示だ。

 権力者ならではの自己顕示と言える。


「でも、逆に飛びつかれてたらどうしたのよ。踏み込んだ事聞かれるだろうし、契約に嘘はつけないから、それはそれで困ったんでしょ?」


「その心配はしてなかったよ。契約の話をするには、あの場には人がい過ぎた」


「……わざわざ全員で押しかけたのもちゃんと理由があったのね。最悪武力に訴えかけるつもりだとばかり思ってたから剣まで持ち込んだのに」


「そんな訳ないでしょ……どれだけ血気盛んなのさ」


「冗談よ」


 苦笑いしつつ、フランベルジュは長い髪の毛を梳くように指でなぞる。

 疲れた頭を解きほぐす必要があったらしい。


「反応はあると思いますが、一週間くらいは見ておいた方が良いですね」


「いや、そこまで待つ必要はないね」


 異質な声。

 刹那――――フランベルジュの瞳孔が閉じる。


 背の筋肉を瞬間的に始動させ、帯剣した腰に手を伸ばした――――ところで、その所作は意図的に終了した。

 視界に映ったのは、先程の院長室にいた白衣の男。

 つまり、あの場から追ってきて話しかけたという、それだけの事だった。


 全く気配がなかった事を除けば。


「グロリア院長は君たち勇者一行に興味津々だ。彼の気分次第では、きっと今日中に動くだろうと思うよ」


「……」


 そんな怪しげな白衣の男に対し、フェイルや勇者一行は当然の如く訝しむ視線を送る。

 それを悟っていて、敢えて楽しんでいる――――といった含みある笑みを浮かべ、男はフェイルへ向けて一礼した。


「先程はありがとう。何も言わずにいてくれて。何よりその心遣いに感動したよ。名前を聞かせて欲しいね。俺はカラドボルグ=エーコード。ま、この業界じゃ少しは名の知れた人間さ」


「フェイル=ノートです。レカルテ商店街で小さな薬草店を営んでいます」


 友好的に手を差し出してくるカラドボルグに対し、フェイルはその手を直ぐに握り、温和に笑みを浮かべた。


「気分次第……運が良ければ、ですか」


 そんな二人の傍で、ファルシオンの目は場違いに見えるほどに冷え切っている。

 真実を射抜く。

 その種類の眼だ。


「まあ、そう睨まないでくれよ。他意はないんだ」


「私達に何か用ですか?」


 ファルシオンはその目のまま、突如話しかけて来たカラドボルグの目的を探るように、少ない言葉とは対照的に観察を重ねる。

 その視線に露骨な苦笑を見せ、白衣の男は眉尻を下げた。


「医者って職業上、困ってる人を見ると放っとけなくてね……ってな訳で、これをプレゼント」


「……?」


 カラドボルグと名乗った男の行動は、あからさまに奇妙だった。

 自分の胸に付けているボタンのような物をその場で引きちぎり――――それをフェイルに手渡したのだから。


「黙っていてくれたお礼にあげるよ。困った事があったら、これをスティレット=キュピリエに見せるといい。名前くらいは知っているだろう? この街の……いや、この国の経済の一端を担う女帝さ」


 突然出てきたスティレット=キュピリエという名に、フェイルは思わず頬が冷たくなるのを感じていた。


 このヴァレロンはおろかエチェベリア全土に亘り強力なパイプを持つ、経済界において大物中の大物とされる女傑。

 この街で商売をするのなら、彼女の息が掛かった流通ルートを無視する事は決して出来ない。

 まだ若いという噂だが、その姿を側近以外が目にする事は、例え貴族であっても滅多にないと言われている。


「じゃあ、また縁があったら会おう。勇者一行の皆さん」


 最後まで飄々とした佇まいを崩さず、カラドボルグはヒラヒラ手を振りながらフェイル達よりも先に前へ歩き出した。

 それを追う気にはならず、フェイルとファルシオンは同時に顔を見合わせ、その場で佇んでいる。


「……何だったの? ただのお節介にしては胡散臭かったけど……」


「そんなふうに言うものじゃないですよ、フランさん。きっと親切な人なんですよ。そのボタンをスティなんとかさんにみせたら、きっとご飯か何か奢ってくれるんですよ」


 眉間に皺を寄せるフランベルジュに対し、リオグランテは意味不明瞭なフォローを唱えていたが、その声は他の二人には届いていない。


「あの男、フェイルさんの知り合いですか?」


「いや……前に一度だけ、それも軽く目が合っただけだよ。その件を口に出さなかった事を感謝してたみたいだけど」


「それを信じるなら、その場所、若しくは一緒にいた相手が彼にとって都合が悪かったと解釈しなければなりませんが」


「教会だった。一緒にいたのは、その教会の司祭……だけだったかな」


「特に問題があるようには思えませんが……口止めにしては漠然とし過ぎですし……」


 そして、二人で思案。

 尤も、ファルシオンは一切それが顔には出ていない。


「……何なの、この疎外感」


「あのフランベルジュさん、その発言で寧ろ僕の方が疎外感を抱いたんですけど……構図的に二対二なのに」


 勇者が泣きそうな顔でションボリ項垂れる中、ヒラヒラと飛んで来た紙がその顔面を覆うように引っ付いた。


「はうーっ!? 息が、息がっ!」


「剥がせばいいでしょ……全く」


 嘆息しつつ、フランベルジュがその紙を手に取る。

 それは、広告紙だった。

 最新の印刷技術を用いて大量生産されたものだ。


「……」


 フランベルジュは、その紙を凝視していた。


「ねえ。手っ取り早くお金を手に入れる方法、見つかったんだけど」


 まだカラドボルグの行動に対しての話し合いをしていたフェイルとファルシオンが、ほぼ同時に発言主の方を見る。

 フランベルジュの顔は、フェイルが初めて目にする心からの歓喜の表情だった。


 若干の不安を覚えつつ、その紙を受け取り、表記を目視する。

 そこには、『エル・バタラ』の文字が大々的に躍っていた。


 エル・バタラ――――四年に一度開かれる、国内最大規模の武闘大会。


 百を越える参加者の中から勝ち抜いた精鋭十六人で、トーナメント方式の本戦を行う。

 参加する人間の中には、傭兵ギルドの隊長クラス、騎士団の上位クラスといったビッグネームも度々いて、大会の格調を高める一助となっている。


 上位に入賞を果たせば巨額の賞金が手に入るが、多くの参加者にとって、それは副次的な意味でしかない。

 この大会で優勝する事は、現在国内で得られる最大級の栄誉。

 その誉れの為に、既に経済的に何ら困窮のない剣士や魔術士が集結する。


 国外からの見学客も多いビッグイベントだ。


「まさか……これに出る気?」


「そのまさかよ。この大会、上位入賞すると結構な額の賞金が出るみたいよ。ベスト4で二万ユロー、準優勝で四万、優勝なら一〇万だって。それで完全返済、ってのはどう?」


 少し艶のある声で、凛々しき瞳を携えた剣士はそう提案した。

 自分がそれに出場すれば、上位に進出する事を約束されているかのような顔で。


「簡単に言うけど……その大会、上位入賞しないと賞金出ないよ、確か。大丈夫?」


「何なら試してみる?」


 フェイルの不安が矜持に触ったのか――――フランベルジュの声色が変わった。


「薬草店の店主相手に何をしようって言うのさ」


「ただの戯れよ。もし乗ってくるなら……とは思ったけど」


『薬草店の店主』に対し思うところがあったフランベルジュの声は、茶化すような含みは一切なく至って真面目だった。


「でも、私に出来る金策って言ったらこれくらいのもの。今回みたいなのは何も戦力にならないし……」


 一転、今度は愁傷な言葉を嘆息と共に落とす。

 感情表現が忙しない。


「でも、この大会の開催は一月後となっていますよ? 流石に一ヶ月もこの街にいたら、王様に怒られちゃいません?」


「え? 嘘、そんな先の話?」


 首を伸ばして広告紙を覗いた勇者が、珍しく適切な発言を述べる。

 その真意を確認した後、フランベルジュはガックリ肩を落とした。


「あーっもう! 折角の腕試しが!」


「そっちが本音みたいだね……」


 別の意味で頭を抱えながら歩く二人に、ファルシオンは一人こっそり、小さく小さく口元を緩めていた。



 そして、カラドボルグの予言通り――――三日後、薬草店【ノート】にヴァレロン・サントラル医院からの使者が訪れた。



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