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第2章:遠隔の地(7)

 ヴァレロン・サントラル医院は、まるで他国の敵から王族を守る城壁のように、巨大で分厚い外壁に囲まれていた。


 病院という施設は重病患者、特に伝染病を患った患者を隔離する役割を担っている。

 また、原因不明の病気によって精神症状が出ていたり、自己制御が出来ない状態にある患者も少なからずいる為、患者が外へ逃げ出さないような構えにする必要がある。


 特に貴族や要人がそういった病気を患った際、万が一にも外部にその情報が漏れてはならない。

 中には『悪魔憑き』と呼ばれるような状態になっている者もいるからだ。

 例えば、何らかの強力な毒を摂取してしまい、人格が破壊された場合もそれに含まれる。


 そしてもう一つ、この巨大な壁には重要な役割がある。

 病院と周囲の街との格差を見せつける為だ。


 立地こそエチェベリアの都市の一つであるヴァレロンに属しているものの、実際にはこのヴァレロン・サントラル医院はある種の独立国家とも言える。

 勿論、治外法権が認められている訳ではないし、この院内だけエチェベリアとは異なる国家と認定されている訳ではないが、富豪や要人だけが利用する施設という性質上、周囲から浮いた存在でなければならない。

 いわば格上感が必要で、それを視覚的にわかりやすくしているのが周囲を取り囲む外壁だ。


 一見雄大な景色に見えるが、実際には権力の象徴に他ならない。

 それでもただの飾りではないところに、この病院の凄まじさが滲み出ている。


「……本当にその格好で良かったの? 門前払いされるんじゃない?」


 外壁に沿って入口の門に向かい歩きながら、フランベルジュは前を歩くフェイルに呆れ気味な声を掛けた。


 フェイルの格好は結局、薬草の採取時にも着用する普段の仕事着。

 普通の医療施設ならまだしも、ヴァレロン・サントラル医院には明らかに似つかわしくない。

 そして、それこそが決め手となった。


「いえ。私もここへ来るまではフランと同意見でしたが……この服装が正解です」


「ファル?」


 しんがりを務める勇者リオグランテの前を小さめの歩幅で歩きつつ、ファルシオンはそう断言した。

 彼女とフランベルジュは予定通り、普段の服装と装備品もそのまま。

 それが勇者一行である証になるからだ。


 そして、フェイルの服も根本的なところではそれと同じだった。


「フェイルさんが言っていたように、この病院は確かに世界が違う感じがします。なら、中途半端にめかし込むよりも庶民らしい服装の方が哀れみを誘えるかもしれません」


「哀れみ、って……それで同情買って提携話を有利に持っていくつもりなの? 幾らなんでも情けなさ過ぎない?」


「いえ。大事なのは整合性です。『私達勇者一行が哀れな庶民に協力している』というストーリーがあって、初めて病院側が私達の関係性に納得するんです。そうですよね? フェイルさん」


「……一応ね」


 国王から承認を受けている勇者候補の一行に対し、病院側が冷たくあしらう可能性は低い。

 だが、このヴァレロン・サントラル医院には庶民の英雄たる勇者と仲良くする直接的なメリットはない。

 彼らの患者は全て上流階級の市民なのだから。


 しかし、その上流階級の中には冒険譚を好む者が意外と多く、中には過去の勇者が使用した武具を高値で買い漁る収集家もいる。

 彼らは勇者物語の王道たる『庶民を助ける勇者一行』という図式を望むだろう。

 よって、それを強調する為のフェイルの格好は理に適っている。


「要するに、私達を頼らないとどうにもならない、情けない感じを出した方が良いって事ね。ま、本人がそれで良いのならこれ以上口出しはしないけど」


「うーん……僕にそんな偉そうな感じ出せるでしょうか」


「それは無理なので、私達がフォローします」


 素早いファルシオンの断言に、当人も含め反論は一切なかった。

 そして、そうこう言っている内にフェイルと勇者一行は病院の門へ辿り着く。


 巨大な壁に囲まれているだけあり、門構えもかなり立派。

 壮観とさえ表現出来るその巨大な門の直ぐ傍には、槍を持つ警備兵と思しき男が一人立っていた。


「本当に城みたいね……門番がいるじゃない」


「そりゃ病院だからね。診療所や施療院とは訳が違うよ」


 病院という施設に縁のある市民は少ない。

 大抵の怪我や病気は、個人経営の診療所や教会が運営する施療院で看て貰うのがエチェベリア国内における習慣だからだ。


 それを発言で示したフランベルジュだけでなく、リオグランテもファルシオンも眼前に聳える門、そしてその奥にある病院に驚きを隠せず、暫く声も出せずにいた。

 ただしファルシオンは相変わらず余り表情には出ていないが。


「何時までもこうしてはいられませんね。では、ここからは手筈通りに。リオ」


「わかりました! 任せて下さい!」


 根拠は不明だが、リオグランテは胸を大いに張って警備兵の所へ向かった。

 当然、警備兵は警戒した顔つきでその来訪に備える。


「こんにちは! 僕、勇者です! 仲間も一緒です!」


 まるで小児のような物言い。

 だがそれで毒気を抜かれたのか、或いは混乱したのか、警備兵の雰囲気は幾分か柔らかくなっていた。


「まさか勇者一行か? 確かにこの街に来るって噂はあったが……」


「はい、そのまさかです!」


「うーむ……確かに格好は勇者っぽいが……」


 警備兵の反応は半信半疑ながら、文字通りの門前払いにはなっていない。

 臙脂色のマント、若草色の上着、そして謎の蒼い宝石がはめ込まれたカチューシャを身に付けたのが奏功したらしい。


「悪くない感触です。私達も行きましょう」


「はいはい」


 ここで考える時間を与えては駄目だと言わんばかりに、ファルシオンは早足で門の前へと向かう。

 一方、余りモチベーションの高くないフランベルジュは、フェイルと並び少し遅れて先行する二人に並んだ。


「勇者一行の魔術士、ファルシオン=レブロフと申します。この街に立ち寄った以上、ヴァレロン・サントラル医院の院長にご挨拶をするのが礼儀かと思い立ち寄らせて頂きました。責任者の方に取り次ぎをお願い致します」


「わ、わかった。少し待っていてくれ」


 リオグランテだけでは子供の遊戯に見えていたかもしれないが、ファルシオンの落ち着いた態度と発言に説得力を感じたらしく、警備兵は慌てて院内へ向かい走って行った。


「なんとかなったね」


「はい」


 この時点で、フェイルもファルシオンも第一関門突破を確信していた。

 先程のファルシオンの発言は、もしここで門前払いするようなら今後別の街で『あの病院は勇者一行が礼を尽くしてわざわざ挨拶しに行ったのに無視した酷い施設だ』と言いふらされても仕方ありませんよね、というニュアンスを多分に含んでいた。

 当然、病院側がそんなリスクを冒す筈もないが、警備兵が何も考えずに問答無用で追い返そうとする可能性はあり、それが一番のネックだった。


 そこを回避した時点で、既に答えは出ていた。


「全員、入館を許可する。ただし案内に従い移動するように」


 案の定、院内への入館許可はすんなりと下りた。

 ファルシオンは特に表情を変えなかったが、フェイルは見逃さなかった。


 胸元でこっそり拳を握り締めていたのを。


 意識してポーカーフェイスを貫いているだけで、感情は結構豊かな魔術士らしい。

 今朝のフランベルジュに続き、勇者一行の新たな一面を知る事となった。


「さ、大事なのはここからよ。気合い入れて行きましょう」


「はい」


 或いはフランベルジュにも先程のファルシオンの行動が見えていたのか――――やる気のなさそうな顔から一転、目に力を入れファルシオンの背中を小さく叩き、率先して病院の方に向かう。

 親しみや思いやる姿勢はありつつ、どこか距離も感じる。

 そんな不思議な雰囲気だった。


 フェイルは思わず湧き出てくる好奇心を抑えられず、最後尾で隣のリオグランテに顔を寄せる。


「あの、リオグランテさん」


「リオで良いですよ。絶対僕の方が年下ですし」


「それじゃリオ。あの二人とは長いの?」


「いえ。まだ王都を出て二ヶ月くらいです。だから僕、二人の誕生日や故郷も知らないんですよね。そういうのって嫌がられるかもしれないし……」


 意外にも、リオグランテは人との距離感に関してはちゃんとしていた。

 単なる向こう見ずな人物ではないらしい。

 フェイルは今日一番の驚愕をどうすれば顔に出さずに済むか必死で模索し、最終的に諦めそっぽを向いた。


 すると――――その視界に可憐な女性が映る。

 清潔感のある白の服を着たその女性は、少し慌てた様子で歩を進め近付いて来た。


「お初にお目に掛かります、勇者ご一行様。私、ファオ=リレーが院長室へご案内致します。どうぞこちらへ」


「あっ、はい! ありがとうございます!」


 ペコリとお辞儀する勇者にファオと名乗った女性はニッコリ微笑み、彼女を先頭に院内に足を運ぶ。


 そこは――――まるで美術館だった。


 建物の外見自体、神殿のような美しさだが、それは想定内。

 しかし入口の周囲を埋め尽くした赤・黄・白・橙・紫の丸みを帯びた花々と格調高い花壇、そしてエントランス内を彩る蛇をモチーフとした絵画や彫刻といった芸術品の数々は、どう考えても医療施設の雰囲気とは思えない。

 まさに貴族、富豪、要人の為だけに作られた空間だ。


「あの花は……ダリア?」


 それでも、フェイルの目は職業柄、花にだけ集中していた。


「博識でいらっしゃいますね。その通りです。花言葉は『感謝』と『栄華』。このヴァレロン・サントラル医院を訪れる全ての方に感謝し、ここを出た後の人生が盛りあるものになるようにと願いを込めています。そして、あの蛇は『再生』の象徴。この病院を訪れた方々の再生を、この著名な芸術品の数々が象徴しています」


「そうなんですか。薬草士なもので花の事はわかるんですけど、芸術品は造詣がなくて……

申し訳ありません」


「いえいえ」


 蛇という長く毒々しい胴と獰猛な牙、そして悪魔のような目をした生き物は、外見とは裏腹に脱皮という習性から再生の象徴として扱われる事も多い。

 しかし外見の印象はそうそう拭えるものではなく、リオグランテは複数の蛇が一本の棒に絡まる様を表現した彫刻に身震いしている。


「こちらへどうぞ。院長がお待ちです」


 その後も誘導は円滑に行われ、エントランスの奥に向かった一行は程なくして目的地へ着いた。

 そこは院長室。

 薬草店【ノート】との提携を交渉する為には病院の最高責任者と顔を合わせる必要がある為、理想通りの展開だ。


「……で、この後の事ちゃんと考えてるのよね? 私、昨日の話し合い全然意味わかんなくて途中で寝ぼけてたんだけど」


「僕もです。頭悪くてすいません」


 ここから先は、昨夜どう交渉を進めるか話し合った通りに事を進める必要がある。

 ただし、その話し合いは実質フェイルとファルシオンの二人で行われた。

 勇者一行の頭脳労働担当はファルシオンとの事だったが、担当というより彼女が頭脳そのものらしく、他の二人は最初からファルシオンに任せきりだった。


 尤も、それが無責任とはならない。

 苦手分野に口出しするのは邪魔にしかならない事も多い。

 それだけファルシオンが二人に信頼されている証とも言える。


「大丈夫です」


 そう小声で断言したファルシオンの後ろで、フェイルは急勾配の渓流で溺れている自分の姿をなんとなく想像しつつ、ファオから促されるままに院長室へと入室した。


 中には、二人の人間がいた。


 一人は、室内の奥にある席に座している、この病院の院長と思しき男。

 そして、その前に立っているもう一人は――――


「……あれ?」


 フェイルが以前アランテス教会ヴァレロン支部で見かけた白衣の男だった。

 たった数秒の接点だったが、教会に白衣で来る人間はかなり珍しい事もあり、ハッキリと覚えていた。


「おや、君は確か……ああ、あの時の」


 そして、その男もまた、フェイルの事を覚えていた。

 同時にフェイルは思案する。

 そして返すべき言葉を決めた。


「その節はどうも」


 敢えて『教会』という言葉を使わない。

 重要なのはそこだった。

 白衣の男自身が、その事実を濁したように思えたからだ。


「ああ。こちらこそ」


 無難な返答の中にも、何処か満足げな表情が伺える。

 その様子を見守りつつ、フェイルは本命であるところの院長へと視線を向けた。


 ヴァレロン・サントラル医院を統べる、グロリア=プライマル。

 既に六十を超える年齢でありながら、足腰には一切の衰えが見られない。

 眼光の鋭さもさる事ながら、その輝きは歳を重ねる毎に増している――――とさえ言われ、ヴァレロンにおいて薬草の権威ビューグラス=シュロスベリーと並ぶ大物中の大物だ。


「ようこそ。君達をここに招いたのは、他でもない」


 まだ張りのある声で、老人は早々に空間の支配権を主張した。

 無論、その存在感に敢えて抗う者はいない。

 リオグランテすら、神妙な顔でその発言を待っていた。


「勇者一行というその言、偽りはないかね」


「はい。ここに国王陛下の証明書があります」


 まるで儀式のように、定型化した動きでファルシオンが漆塗りのケースを荷物入れの中から取り出す。


「ふむ……もう仕舞っても構わんよ」


 そのケースを一瞥し、グロリアは中身を確認するまでもなく判断を下したようだ。

 無論、これだけで偽物と判断する事が出来る筈もない。

 下されたのは――――


「君達が勇者一行かどうか私にはわかりかねるが、陛下の命を受けているのは理解した。そのケースの漆は他国からの貢物だからな。一般人の所持する類いの者ではない」


 安堵の息。

 フェイルは口元を軽く引き締め、同時に全身への弛緩を促した。

 大事なのはここからだ。


「それで、国王の命を負いし者達が、この病院へどのような用件かな? この場にいる者達の中に、治療を必要とする者はいそうにないが」


「はい。このヴァレロン・サントラル医院の実績と品格に甘えたく、馳せ参じた次第です」


 ファルシオンはそこで深々と頭を垂れた。

 そして、再び上げたその時には、今まで殆ど変化を見せなかったその表情に今までなかった色を加えていた。


 それは――――鋭さ。


「私達はこれから、隣国のデ・ラ・ペーニャへ赴きます。その際に、親交と感謝の証として栄華を象徴する物を用意する事になっています」


「ほう」


 ファルシオンの発言に対し、グロリアの反応は明らかに良好だった。

 その様子を、ファルシオンの一歩後ろで並ぶフランベルジュとリオグランテは引き締まった顔で眺めている。

 しかし――――目は泳いでいる辺り、ファルシオンの意図を読みかねているのは明白だった。


 一方、フェイルは当然知っている。

 それでも緊張せざるを得ない内容だった為、呼吸を深くして心を落ち着かせる。


「つまり貢物となる物を寄越せと。このヴァレロン・サントラル医院が用意した物ならば、デ・ラ・ペーニャ側も一定の満足を得ると。そう言いたいのだな」


「はい。私は魔術士なので、彼等の好むものは把握しています。それは、品格と――――治癒です」


 魔術国家には負い目がある。

 それは、このエチェベリアに戦争で敗れた負い目。

 そのエチェベリアからの贈り物がもし取るに足らないものならば、そのコンプレックスが発動し、拒絶反応を起こすだろう。


 回避する為に必要なのは品格だ。

 高貴な者だけが利用する病院からの贈呈品。

 それは、魔術士達の自尊心を満たすには十分だろう。


 そしてもう一つ、豊かな研究心。

 魔術の発展はこれなくしてあり得ない。


 魔術士は常に学ぼうとする。

 特に、現在魔術では実行出来ない分野――――例えば飛空や回復などには常に強い関心を抱いている。

 高い治癒・再生効果を持つ薬や、高い技術を有する医療機関も、彼らの関心を誘うだろう。


「その二つを満たすのは、この病院しかありません」


「……具体的な要求を聞こう。何が欲しい?」


 許可を得たファルシオンは、一礼をした後に重々しく口を開いた。


「この病院で使用している、最も高価な薬草を頂けないかと」


 それは――――提携を目論む立場としては余りに不躾な要求だった。

 事前連絡もなく突然病院を訪れ、一番高い薬をくれと言っているのだから、普通に考えれば正気とは思えない発言。


 しかし、グロリアは眉一つ動かさなかった。


「それで私達が得られる利点は?」


「まず、デ・ラ・ペーニャに対しての御院の宣伝です。貢物の質が高ければ高いほど意義のあるものとなります。そして……」


 ファルシオンの声が、一旦止まる。

 そこには躊躇や逡巡ではなく、声の調整があった。


「私達勇者一行が大成した際、預かった恩を何十倍にもして返すと約束します」


「つまり、どちらも先行投資という訳か」


 グロリアの声から、先程までの乗り気な気配が消失した。


「話は終わりだ。ファオ、帰りの道を案内して差し上げろ」


「了解しました。皆さん、こちらへどうぞ」


 ――――強制終了。

 ファルシオンは反論一つせず、フェイルはその後ろで終始棒立ちのまま、既に顔を背けたグロリアの姿を眺めていた。


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