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第2章:遠隔の地(5)

 事実上、勝負は既に決していた。

 しかしそれでも、フランベルジュは剣を握る手に力を込めた。

 或いは、そうしないと落としてしまうくらい、手が震えていたのかもしれない。


 剣を落とさなかったのは、剣士としての意地か、命を護る為の防衛本能か。

 いずれにしても、その小さな動作は――――最悪の選択だった。


 そこで醜態を見せれば、バルムンクは眼前の女性に興味を失ったかもしれない。

 だが、僅かではあるが戦意と気骨を見せてしまった。

 殺気をまとい、化物と化した大隊長への挑戦の意を示してしまった。


 ――――死。


 明確なそのイメージが、フェイルの脳裏を過ぎる。


 だが、彼らの失態はそれで終わらない。

 事もあろうに――――あの場で一人だけ、バルムンクの殺気に気圧されながらも闘志を漲らせている者がいた。


 勇者リオグランテ。

 フェイルの右目に、その顔が映る。


 フランベルジュと同様、そして彼女とは対照的な、今まで一度も見せた事のない決死の表情。

 それは高潔な魂を持つ者だからこそ可能な勇ましき姿で、勇者の素養は十二分に感じ取れた。


 だからこそ、この場では最悪の行動。

 もしバルムンクが少しでも得物を動かせば、リオグランテはそれに合わせて横から攻撃を仕掛けるだろう。

 その気概は、バルムンクの殺気に包まれた中でも感じ取れる。


 そして――――殺されるだろう。

 一瞬で剣ごと身体を引き裂かれて。

 両者の戦闘力の差は、それくらい明白だった。


 フランベルジュにしても、それは余り変わらない。

 放置すれば二人は数秒後にこの街から、そしてこの世から姿を消す。

 今、フェイルが感知しているバルムンクの殺気には、その具体的な未来を確信させるだけの説得力があった。


 当然、フェイルも指を咥えて見ている訳ではない。

 殺気を感知した瞬間、既にもう弓を引いていた。

 バルムンクによって引かされていたという表現の方が正しいが、次の瞬間には巨大な嵐の中に向かって矢を放っていた。


 そして放つと同時に下半身を屈める。

 顔を隠す為だ。


 フェイルが矢を放った瞬間、バルムンクは眼前のフランベルジュから目を離し、矢が飛来してくる一点へと視線を移した――――筈。

 少なくとも一瞬は気を逸らせるし、欲を言えば暫くその矢を放った『何者か』の正体を見極める為に時間を割いて貰いたい。

 戦闘態勢の自身に対し危機感を覚えさせた矢の存在を、存分に気にして欲しい。


 それだけの脅威を篭めたつもりだった。


 殺す気で矢を射るのはかなり久し振り。

 腕がなまっていない事を祈るしかない。

 フェイルが身を屈めて、二秒後――――


「……!」


 嵐のような殺気は、まるで街全体を暴風で巻き込むかのように膨張し――――そして収束した。


 成功。

 フェイルは胸を撫で下ろすと同時に、顔を見られたかも知れないという懸念で頭を抱えざるを得なかった。


 視認していないので推測でしかないが、フェイルの放った矢はバルムンクによって防がれた。

 そして同時に、勇者一行の二人よりも射手の方に関心を向けた。

 殺気の膨張と消失がその証だ。 


 後は二人が逃げてくれているのを願うのみ。

 もし自分達とバルムンクとの力の差を理解せず、あの状況で生まれた隙に逃避を選ばないようならば、そこまでの命だったと言うしかない。

 

 フェイルは頭を上げる事なく、見張り塔で暫く身を休めた。


 信じ難い事に、身体が極度の疲労を覚えている。

 それくらい、あの殺気に向かって矢を放つのは重労働だった。

 時間にして僅か数秒の出来事だと言うのに。


「……ったく」


 思わず口を突いた悪態に自分で苦笑しつつ、疲労の回復を待った後、フェイルは塔から下りた。

 鷹の目がなければ糸の切れ端程度の大きさにしか見えないほど遥か遠方にいたにも拘らず、この場所をバルムンクが特定し、接近しているかも……と警戒したが、現状その様子は確認出来ない。

 実際まずあり得ない事だったが、それでも思わず可能性を考慮してしまうほど、先刻の殺気は凄まじいものだった。


 傭兵ギルド【ラファイエット】の大隊長であるバルムンクは、しばしばライバルギルドの【ウォレス】で代表を務めるクラウ=ソラスと比較されている。

 傭兵と縁のない生活をしていたフェイルにとって、先日までは全く関心のない話題だったが、心ならずも両者の実力の一端を味わう羽目になり、嫌でも意識させられていた。


 殺気を全く発しないクラウと、尋常でない殺気を放つバルムンクは、完全にタイプが異なる。

 どちらも違った意味で化物だ。

 かつて僅かの間ではあるが勤めていた王宮の中にも、彼らほど極端な存在感を持つ人間は数名ほどしかいなかった。


 つまり、あの二人は国内においてトップクラスの実力者と見なせる。

 評判通り、或いは評判以上の連中だとフェイルは認識した。


 そんなバルムンク相手にフランベルジュが臆したのは、決して恥ではない。

 あれほどの殺気は、彼女にとっては恐らく未知の体験。

 その場でへたり込んでいても不思議ではなく、寧ろ意地を見せただけ立派だ。


 尤も、その意地が今回は仇となった訳だが――――


「無事だと良いけど」


 フェイルはごく自然にそう心中で呟いていた。


 反骨心を持った人間は嫌いではない。

 だから、昨日までのフランベルジュよりも明らかに今の方が印象は良くなっていた。


 そして、リオグランテに対しても。

 一度圧倒されながら、仲間の危機に反応して目覚め、再び戦おうとするその姿勢は、例え候補であっても勇者としての自覚を十分に感じさせた。

 今まで一度も見えなかった彼の信念がようやく垣間見えた。


 それだけに無事でいて欲しい。

 そう願いつつ、自身の店に戻る為に方向転換し、歩を進めようと足を上げ――――





「……!」





 その足で地面を蹴る。

 一瞬でも早くその場から離れる為に。


 本当に運が良かった。

 方向転換――――それが幸いだった。

 その所作が、偶然にも殺気感知より一瞬早く、フェイルに危機の接近を知らせてくれた。


 視界に入ったのは、数ある情報にまぎれた、ほんの小さな点。

 しかしその点は一瞬で巨大な塊へと変貌を遂げる。


 別にそれ自体が巨大化した訳ではない。

 近付いて来たのだ。

 信じ難い速度で。


 フェイルの行動はこの上なく俊敏だった。

 驚愕や恐怖を感じる前に、首を捻じ切る勢いで頭を強引に右へと移行させていた。


 それでも――――その耳元には、まるで嵐そのものを閉じ込めたような轟音が鳴り響いた。


 次の瞬間、フェイルの左側のこめかみから頬にかけ、細い線が入る。

 まるで亀裂のように。

 しかしその亀裂は肉を裂くに留まり、骨まで到達する事はなかった。


 溢れる鮮血を感じつつ、フェイルはその傷に触れ、血を指に付着させる。

 そしてその血を口に含んだ。


 血の味に不純物の感触はない。

 それに安堵しつつ、その身に襲来した脅威を推測する。


 視認は出来ていない。

 そして、今からそれをする事も出来ない。

 行えば、背を向ける事になる。



 最悪の相手に対して――――



「ほう……闘い慣れてやがるな。直ぐに毒の心配をするたぁ」



 フェイルの目の前には、歩み寄って来たバルムンクの野性味溢れる風貌があった。


 つい先程まで、ここから歩いて十分はかかるであろう遠く離れた街中でいざこざを起こしていた男。

 それが、暫く休憩していたとはいえ、もう眼前にいる。 


 俄かには信じ難い事実に、フェイルは閉口せざるを得なかった。

 注意深く身を隠したつもりだったが――――


「矢の進入角度で方向は特定出来っからな。ツラも殺気も見えやしなかったが――――あの見張り塔から狙ったのを推測すんのは容易いんだよ」


 不敵に笑むその姿は、獲物の頚動脈を牙で捕らえた肉食獣のよう。

 バルムンクという男には、そんな純粋培養の野性味が滲んでいる。


「さて。何処の組織のモンか吐いて貰おうか。俺を直接狙ったんだ、中途半端なトコじゃねぇってのはわかってる」


 フェイルはその問いに、ようやくこの襲撃返しの意図を理解した。


 巨大権力を有するギルド【ラファイエット】の大隊長が攻撃を受ける事の意味は多岐にわたるが、そのいずれにも前提条件がある。

 この街において個人が手を出せるレベルの人間ではない――――故に、襲撃者の背後には大物がいると見なすのが自然だ。

 もし、仮にどこぞの中小ギルドや団体が彼を狙おうものなら、【ラファイエット】及びその同盟組織が全力で牙を剥く事になるのだから、そんな無謀な真似をする人間を考慮にいれる必要はない。


 そして今、自分がその考慮外の存在となった事で、改めてフェイルは自分の行動の意味を理解すると同時に、心中で頭を抱えた。


 わかってはいた。

 しかし認識が甘かった。

 疲労を引きずってでも、直ぐに退散すべきだった。


「さあ吐きな。言っておくが、マッシュムーンがなくても俺は強ぇぞ」


 その言葉で、先程飛んで来た物が戦斧だった事を知る。

 武器を二つ所持しているとはいえ、投擲してまで襲撃者を無力化・捕縛しようとしたその事実は――――


「そうか、そういう事か」


 それを把握すると同時に、フェイルの頭の中に一つの筋書きが浮かんだ。


「幾ら襲撃を受けたからと言って、こんなに血相変えて自ら探しにくるなんておかしいと思ったんだ」


 同時に、一人納得し思わずそう口にする。

 その言葉に、バルムンクは露骨に眉を顰めた。


 そう。

 フェイルの最大の誤算はそれだった。


 もし矢の飛来に憤りを感じたとしても、普通は取り巻きに追わせる。

 相手がどの程度の使い手で、何人いるのかもわからない中で、ギルドの中心人物たる彼が率先して向かう必要性は薄い。


 しかし、それでも大隊長自らが必死になって向かって来たのは、相応の理由がある筈だった。


「思った以上に緊迫してたんだね、ウォレスとラファイエットの関係は」


 つまり――――バルムンクはフェイルの放った矢を、商売敵たるウォレスの仕業と踏んだ。

 だからこそ自分で来た。

 襲撃相手の特定を確実にする為に、一番強く、一番素早く辿り着ける自分が。


「中小ギルド程度の血迷い事なら鼻で笑えばいい。でも、ライバルのギルドとなれば是が非でも奇襲の事実を確たるものにしておきたい。全面戦争を仕掛ける口実にしろ、借りを作るにしろ。大隊長が証人なら突っぱねる事も出来ないだろうし」


 フェイルは表情を作らず、淡々と語った。


 言葉にしたのには理由がある。

 自分がウォレスの一員ではないとアピールする為だ。


 そして、稼いだ時間であわよくば人通りの少ないこの路地に誰か来てくれる事への期待。

 使用されなくなって久しい見張り塔の傍に足を運ぶ物好きは、余りいないだろうが――――


「……ウォレスの一員じゃないってのか?」


「ええ。私の知人ではありますが」


 その回答は――――フェイルの声ではなかった。

 そして、実はバルムンクの言葉もまた、フェイルに向けたものではなかった。


 フェイルの直ぐ背後。

 そこに音も気配も、そして生気すらなく、クラウ=ソラスは現れた。


 まさに幽霊の域。

 フェイルは心中で呆れ返りつつ、目だけでその存在を認識する。

 先刻、夜間に見かけた時の印象と何一つ変わらない、傭兵ギルド【ウォレス】の長だ。


 バルムンクの殺気に誰かしらが反応してくれるのを期待していた。

 しかしここまで円滑に事が運ぶと、今度は別件を懸念しなければならない。


 クラウは一体、いつからこの事態を把握していたのか――――という。

 

「彼が何をしたのかは存じませんが……ここは私に免じて一時預かりにして頂きたい。無論、私達が彼に何かをさせた事実はありません。傭兵ギルド【ウォレス】を代表して、私が保証しますよ」


「いや結構」


 丸く収めようと言葉を連ねていたクラウを制したのは――――フェイル当人だった。

 そして、半身になって両者に対して一定の体勢を作る。


「ほぉ。わかってんじゃねぇか。若ぇのによ」


 その返答と行動に対し、感嘆の声を漏らしたのはバルムンクだった。


「ここでその偽紳士野郎に甘えりゃ、テメェはその瞬間にウォレスの傘下だ。背負ってる組織があるんなら丸ごとな。そうなりゃ、後は上納金を搾取されるだけの潰れた果実になっちまう」


「失礼な事を言いますな。我々はラファイエットのような真似はしていませぬよ」


 ギルドの運営基盤――――それは、領主すら把握しない所から生まれる上納金にある。

 そしてそのパイプは、こうした日常の中からも毎日のように伸びている。

 フェイルはその事を知っていた。


「ま、そこの偽紳士野郎の知り合いとなっちゃ、俺も迂闊にゃ手は出せねぇわな。後々下らねぇイチャモン付けられちゃあ敵わねぇ。指示したしないの水掛け論に興味はねぇしな。そこまで計算しての事だったら、テメェ、中々のもんだ」


 実際は――――その事は眼中にはなかった。

 フェイルがクラウの面子が潰れるのを承知で申し出を断ったのは、先日の事があったからだ。


 あの時、引いたのはフェイルの方だった。

 二回連続は許されない。

 それは矜持や意地などではなく、この街で一人で生き続ける為には必要な事だった。


「ふむ。あわよくば借りを返そうと思ったのですが、アテが外れましたな」


「借り……?」


 貸しを作るではなく、借りを返す。

 そのクラウの発言に心当たりがなく、フェイルは思わず彼の顔を凝視したが、返答する意思はないらしく、その目は最初からバルムンクへ向いていた。


「我々もここは引きましょう。大通りでないとはいえ、この街を牛耳る二名がいつまでも対峙していては、あらぬ誤解を与えかねない」


「ヘッ、命拾いしたな小僧」


 苦笑しつつ、バルムンクはフェイルとクラウのいる方へと歩みを始める。

 斧を拾う為だ。


「……いつでも来な。良い席を用意してやる」


 そして、フェイルとすれ違い様――――小声でそんな事を言い残した。


 疑う余地など一切ない堂々としたスカウト。

 自分を襲った相手に対して、バルムンクはそんな大胆な試みを敢行し、意気揚々とその場を後にした。


「人は見かけによらないという言葉は、彼の為のものですね。ああ見えて頭が回るし行動も的確。厄介な相手なのですよ」


 それを見届けてから、ウォレスの代表もフェイルへと近付いて来る。

 その歩幅は、身長から受ける印象以上に深い。


「彼は貴公が裏の人間であるとは知らないようです。尤も、今頃その結論に到達しているかもしれませんが。いずれにしても、あのギルドとは関わらない方が良い。仕事は選ぶべきですよ」


 そして、告げる。


「我々を敵に回さない方が懸命です。味方となる方が有意義ですよ。貴公のような人間は、特に」


 それもまた――――勧誘と取れる発言。

 フェイルの瞼が思わず半分落ちる。


「生憎、仕事は間に合ってるんだ。どっちも遠慮しておくよ」


「それは残念です。しかし、そうも言ってはいられなくなりますよ……直ぐに。では失礼」


 最後まで飄々とした表情を一切崩さず、クラウは意味深な言葉を残し、沈む夕日に向かって歩を進めた。


 結局――――恐れていた事態はフェイルを容赦なく襲撃した。


 バルムンクを狙った事は当人にあっさり看破され、運命などと宣ったクラウの言葉も早々に現実となり、双方と関わりを持ってしまった。

 一介の薬草店の店主としては、今後の生活に不安を抱かざるを得ない。


「……本当、ロクな事にならないな」


 思わずそう吐き捨てる。

 それでも後悔はない。

 フェイルは自身の行動の細部は兎も角、その出発点に関しては未だ一度も悔いた事はなかった。


 ただし、今後も同じようなトラブルが続くのであれば考え直さなければならないだろう――――


「あっ、お帰りなさい! よかったー、お帰りが遅いから心配したんですよ? もしかして迷子になってました?」


 帰宅した直後のリオグランテの陽気過ぎる笑顔を見た瞬間、フェイルはそう確信し全力で拳を握る。

 翌日に控えた賭け――――人生の分岐点になりかねない病院との交渉に顔面を負傷した勇者を連れて行く為にはいかない為、支障のない箇所を吟味した。


「……そろそろ殴ってもいいよね?」


「どうぞ」「ご自由に」


「え? え?」


 仲間の許可が下りた直後、勇者の悲鳴が店内に響き渡った。


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