第2章:遠隔の地(3)
薬草店【ノート】に勇者候補一行が訪れ、十日が経とうとしていた。
フェイルはその間、毎日――――或いは毎時間と言っても過言ではない頻度で何らかの心的負荷を余儀なくされ、胃の痛い思いをしながら暮らしている。
要因は複数あり、それが絡み合っている点が尚辛かった。
まず、裏のお仕事が無期限休止状態になった事。
ビューグラスの依頼に失敗して以降、その本人も含め全く声が掛からなくなった。
ビューグラスから依頼がなくなったのは、彼が関係を絶とうとしている訳ではない。
フェイル自ら、暫く依頼を出さないよう申し出ていた。
暗殺稼業ではないものの、それに限りなく近いこの仕事において重要なのは、リスクを最小限に抑える事。
失敗から学んだり、成功の喜びを分かち合ったり――――そんな普通の仕事で得られるものは、この仕事にはない。
自分の都合より依頼人を守る事が求められ、依頼に失敗した場合は速やかに関係を破棄し、繋がりを絶つのが唯一の正解だ。
当然、依頼人の方からそれを求められるのが普通。
失敗した人物に再び依頼するほどのお人好しが、金を積んでまで他者の行動を制御しようとはしない。
だが、ビューグラスはフェイルと関係を絶とうとはしなかった。
先に標的を始末されてしまった事について不信感や不快感を抱いてはいない様子で、先の言葉通りアニスの無事を確認した時点で『お咎めなし』とした。
当然、報酬は発生しなかったが。
問題は、ビューグラス以外からの依頼もパタリと止まった点だ。
フェイルの失敗が外部に漏れるのは考え難い。
暗殺でないというだけで、他者を意図的に行動不能にする行為は紛れもなく犯罪であり、しかも軽くはない。
そんな指示を出しているなど、表沙汰はおろか裏の世界であっても知られて得になる事は何ひとつないのだから、ビューグラス側がフェイルとの関係を匂わせる情報を漏らすなど決してあり得ない。
だが、それでもフェイルはこの現状を偶然だとは思えなかった。
因果応報という言葉も脳裏を過ぎるが、それ以上にこのヴァレロン新市街地を包む空気が変わってきたような印象を抱いていた。
候補とはいえ、勇者一行を名乗るパーティが訪れた事。
そして昨夜のクラウ=ソラスの出現。
この二つに何らかの結び付きがあるとは考え難いが、何かがヴァレロンで起ころうとしている前兆と捉えるには、それほど的外れとも言えない気がしていた。
所詮は根拠のない、単なる予感の範疇でしかないのだが。
いずれにせよ、フェイルは主要財源を一夜にして失った。
これが致命的な問題――――かというと、実はそうでもない。
新たな依頼人を自ら開拓すればいい。
『決して殺さずに目的を果たす』
意外と、この仕事の需要は大きい。
諜報ギルドなどを通し依頼人の募集をかければ、誰かしらが食いつく可能性は十分にある。
問題はそれより――――
「ねえ。これ非売品なの?」
依然として客足が伸びない、というより伸びる足すら見えない薬草店【ノート】の方。
憂いの表情でカウンターに突っ伏していたフェイルを尻目に、フランベルジュは店頭の隅にある小さなガラスケースに入った指輪を食い入るように眺めていた。
薬草店に指輪が置いてある時点で不自然なのだが、更に妙な事に『非売品』と書かれたプレートが設置されている。
「そう書いてるでしょ」
「なら何故わざわざ陳列しているのよ」
尤もなフランベルジュの指摘に、フェイルは回答を提示しなかった。
「……」
非売品を展示する目的は、大抵が貴重品の鑑賞、そしてそれに伴う集客にある。
しかしこの指輪に貴重品の雰囲気など欠片もない。
フランベルジュは数種類の思案顔を見せた後、どれもしっくり来なかったらしくジト目をフェイルに向けた。
「ま、知る必要はないと思うよ。僕の個人的な理由だから」
「まさか……母親の形見?」
「いや」
「父親?」
「だったら先に『惜しい』って言うよ」
「……こ、こっ……婚約指輪……」
「なんでそんな嫌々言うの」
「外れるってわかってて言うのが恥ずかしいからよ」
酷い物言いだったが、実際違ってはいた。
「じゃあ何なのよ。勿体振らずに言えば良いじゃない」
音もなく抜剣。
半分お遊び、半分憂晴らしのつもりだったのだろう。
殺気のない凶器を無造作に、それでいて万が一にも接触しないような心配りを覗かせつつ、フランベルジュの細身の剣はフェイルの顎先でピタリと止まっていた。
それに対し――――
「切っ先を向けないでよ」
「……」
特に目立った反応を示さなかったフェイルに対し、フランベルジュは眉を顰めていた。
少なくとも、一介の薬草士は剣先を向けられて平常心ではいられない。
彼女の疑問が、指輪からそちらへ向いたその時――――
「ぎゃーーーーーーーーっ! また失敗しましたーーーーーーーっ!」
リオグランテの断末魔が店内に響き渡る。
その声が、店主の絶望を更に加速させた。
この店は別に行列の出来るような大繁盛を目指してはいない。
億万長者になれるような巨大な利益を得る必要もない。
存在し続けるのが何よりも重要であり、フェイルはずっとそんなスタンスで運営して来ていた。
リスクは犯さず、無難に、慎重に。
人件費も最小限、高額の薬草の仕入れも最小限。
何も問題はなかった。
しかし、現在はそれすら危うい状況にある。
勇者リオグランテ――――あくまでも候補ではあるものの王直々の命令を受けて旅をしている少年は、勇者としての輝きなど一切見せないまま、本日十二度目の揉捻に失敗していた。
薬草店は通常、薬草士が営む店。
その為、素材のままで売る商品とは別に、自分で薬草や香草を加工し軟膏や飲み薬にして売る事も珍しくない。
例えばとして使って貰う場合は、乾燥させて挽き、粉状にしておく。
小瓶に入れて売ると女性受けが良い。
紅茶にして飲んで貰う場合は、まず生葉を一日外気に当て、揉捻という茶葉を揉む工程で水分を取り、今度は水分を含ませて数時間放置し、そして最後に焙煎して完成となる。
結構手間が掛かるが、薬草の加工商品の中ではトップクラスの人気を誇る為、手抜きは一切許されない。
まして、このエチェベリアにおいて紅茶は紳士の飲み物として貴族や騎士に愛飲されており、もし人気が出れば強力な主力商品ともなり得る。
仕入れ価格は高くない為、薬草店【ノート】にとってはこの上なく重要な商品だ。
その材料が――――既に底を付きつつあった。
「なんで泥団子作ってるのよリオ。真面目に仕事しなさい」
その最たる要因である勇者の成果物を、次の要因である女性剣士がジト目で眺め、小さく嘆息した。
「泥団子じゃないですよー。力加減が難しくて……」
「戦闘でもムラがあるのが悩み所なのに、茶葉の加工までそんななの……?」
「いや、そう言う貴女も全然接客出来てないからね。偶にお客様に冷笑見せてるけど、あの癖は一体なんなの?」
フランベルジュは現在も接客担当の店員として働いている。
実際、勇者一行の中で最も男性客に受けがいい容姿なのは彼女なので、任せる価値はあるとフェイルは判断した。
だが実際やらせてみると、女性客に対しては何ら問題ないのに対し、男性に対しては途端に威圧的になり、明らかに接客業でやってはいけない表情を露骨に見せている。
尚、それで男性客が減る事は今のところない模様。
「そんなつもりはないんだけど……」
「主に筋力もないのに剣を携えた初級剣士に対して見下す傾向が見受けられます」
そして、裏方に回っている為唯一悪因になり得ていないファルシオンが、冷淡に観察結果を述べる。
ただ、彼女の言う正論は時折急所を的確に射貫いて来る為、他の二人とは違う意味での問題児になっていた。
「そうなの? でも、自覚ないから直しようがないのよね」
反省の色、なし。
そもそも剣士である彼女に店員としての身構えなど一朝一夕で身に付くものでもない。
このまま彼らを店員として雇っていても、店にとって何一つ利益はないだろう。
ならば――――答えは一つ。
「……ダメで元々、ヴァレロン・サントラル医院に話を持ちかけてみるか」
その決断を下すのに、葛藤はかなりあった。
何しろこの地で最大規模の医療機関。
万が一、リオグランテがこの店でやらかしたような失態を見せてしまえば、薬草店【ノート】の名は地に堕ちる。
とはいえ、先日ファルシオンが言っていたように、鍵となるのはそのリオグランテの存在。
彼の持つ勇者としての素質に賭ける以上、連れて行かない訳にはいかない。
「その言葉、待っていました。あと一日判断が遅れていたら潰れるところでした」
「いやいや、そこまで切羽詰まってないから……」
「こんな雨も降ってない日に二人しか客が来ない時点で、もう潰れてるのと同じなんじゃない?」
正論のリンチに遭ったフェイルがカウンターに突っ伏し、そのまま動かなくなる。
実際、この日は特に酷い惨状だった。
食虫植物の一件は無事誤解も解け、常連客は戻ってきた。
だがフランベルジュが接客係になって以降、冷やかし目的で訪れる男が増え、その代わり主婦層の来店頻度が明らかに減っている。
フェイルはこの件について『男性客が増えたから女性が入り難くなったのでは』と解釈していたが、実際には『フェイルに恋人か嫁が出来た』と影で噂されるようになった為。
不純な目的で贔屓にしていた客が途絶えたのが不調の原因だったが、誰もそれに気が付いていない為、改善のしようもなかった。
「まずは服装を改めましょう。初交渉において見た目はとても大事です。第一印象が悪ければ、例え話し合いの余地が残っていても切り捨てられてしまう恐れがありますから」
「まあ……商談に行くのにこのままって訳にもいかないか」
フェイルの仕事着はかなり地味。
白いシャツと薄茶色のボトムス、上着として灰色のショートジャケットを着用している。
機動性には長けているものの、正装とするのは難しいのが実情だ。
「私は魔術士としての正装だから問題ありません。フランも鎧のままの方が勇者一行としての説得力があるので、そのままで良いでしょう」
「そう言えばフランベルジュさんは鎧派なんだね。結構珍しいんじゃない?」
「何、悪い?」
「いや。そういう拘り、嫌いじゃないけど」
「……そう」
迷いなく肯定の意を示したフェイルに、フランベルジュはそっぽを向きながらも満更でもない様子だった。
ある意味では素直な性格らしい。
「それより問題は……」
「リオですね」
フェイルとファルシオンの視線が、同時に勇者リオグランテへと向けられる。
英雄譚や叙事詩に出てくる勇者のお決まりの装備と言えば、実用性に欠けたやたら派手な鎧。
その手の防具は、戦場で戦わずとも存在感だけを出す為に貧弱な貴族や王子が身に付ける物だが、架空の物語の中ではそれが勇者のパブリックイメージとなっている。
それに対し、現在のリオグランテの服装は鈍色のシャツと黒のボトムスという、地味以前に勇者感ゼロの格好。
これは現在、レカルテ商店街が勇者へのヘイトを溜めに溜めている事もあり、万が一にも勇者とバレない為の処置だ。
「勇者というと臙脂色か若草色か天色のイメージです」
「首元を隠すマントも要るんじゃない? 後、頭にも何か装着した方が勇者感あるかも」
「靴はブーツですよね。盾もあった方がいいでしょうか」
勇者候補一行は勇者のコーディネートに興味津々だ。
これまではそういった話はしていなかったらしく、これまで見た二人の中で一番充実した表情で語り合っていた。
「っていうか……服を買うのは良いんだけど、お金あるの?」
「ここに来る前まで身に付けていた装備品を売れば大丈夫です。この街ではもう着られないし、問題ないかと」
「あれって実はそこそこ良い防具なのよね」
「だったらそれ売ったお金でこっちの借金を返して欲しいんだけど……」
「流石にそこまでの額は無理です。せいぜい百分の一くらいにしかならないと思います」
実際、売却して一八七五四ユローを補填出来る額になるような防具はこの世にそうそう存在しない。
焼け石に水というファルシオンの意見は正鵠を射ている。
「……よし、大体こんな感じね。リオ、話は聞いていたでしょう? 自分の装備を売って、この色合いの服を買ってきて」
「私達はお店があるので一緒には行けませんが、大丈夫ですか?」
「勿論! お使いは得意です!」
二人が店に留まっても特に意味はないと言いそうになったフェイルは、直前でその言葉を呑み込んだ。
何か別の意図があると判断したからだ。
「では行ってきます!」
自分の装備品を纏めた荷物を背負い、意気揚々と店を出て行く勇者。
その背中を見送ったファルシオンは、小さく息を吐いた。
「あの子と一緒に買い物すると、大抵面倒臭い事件が起こるんですよね」
「傭兵から難癖付けられるとか、武器屋の主人が倒れるとかね。本当に厄介」
「……思ったより後ろ向きな理由だった」
呆れ果てつつフェイルは店の奥に引っ込み、商談時に着用出来そうな服を求めてクローゼットを漁ったが、記憶の通りそんな物は何処にもなかった。




