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第2章:遠隔の地(1)





 ――――狩猟の為の道具として、遥か太古の刻より使用されていた『弓』と『矢』。

 その特性は言うまでもなく、遠距離にいる標的に対して十分な精度と殺傷力を発揮出来るところにある。


 人類が最初にそれを可能としたのは、投石だった。

 だが、それでは人間を倒す事は出来ても、野生の動物達を仕留めるのは難しい。

 上空を舞う鳥達に対してはほぼ無力だった。


 もっと遠く。

 もっと速く。


 その追求の結果、人類は一つの様式を得る。

 湾曲形に木材を加工し、両端に弦を張り、その弦に張力を加える事で得られる弾力・反発力を利用し、先端を尖形とした細い棒状の武器を前方に飛ばす――――そんな構造の武器が開発された。

 それが弓矢の源流だ。


 驚異的なまでの貫通力を有したその武器は、野生動物の瞬発力すらも上回り、数多の命を奪い取ってきた。

 更に改良を重ねられた弓矢は威力を増し、次第に標的は次第に人間へと移る。

 狩猟道具の枠を飛び越え、多様な用途に対応出来るようになったこの武器は、遠戦や集団戦においてその威力と実用性の高さを遺憾なく発揮し、対人間におけるスタンダードな戦術の一つとして組み込まれて行った。


 しかし時は流れ、やがて長期にわたり重宝されていた弓矢を脅かす存在が現れる。

 それは――――魔術。

 何もない所からでも遠距離・広範囲に殺傷力を生み出すその技術は、少なくとも殺傷力という点において弓矢を圧倒した。


 そして何より、魔術の長所はその発展性および応用性にある。


 一矢一殺が基本の弓矢とは違い、一度に広範囲を攻撃する魔術は、陣形の概念を完全に崩壊させた。

 炎や氷といった熱を付随した攻撃は、鋼鉄の武器を跳ね返す強力な鎧を立ち所に無力化し、ただ重いだけのガラクタへと追いやった。

 研究が進むにつれ、より現在の戦術・戦略を根底から破壊する魔術が生み出され、人類の戦争の歴史は魔術の出現によって劇的に変化せざるを得なくなった。


 今や、魔術士は集団戦闘においてなくてはならない貴重な戦力として、世界各国の様々な勢力下において登用されている。

 それに反比例するように、同じ遠距離攻撃用の武器である弓矢は魔術に主役の座を奪われ、その需要を一気に減少させて行った。


「時代遅れの武器。過去の遺産。それが現代における全世界の評価だ。君の愛するその美しい曲線を描く道具は」


 容赦なく突きつけられる現実に対し、フェイル=ノートは一切反論しなかった。

 正論は時としてどんな言葉よりも鋭利となるが、慣れという武装は既にかなりの硬度を得ている。

 しかし、だからといってその言葉を肯定するつもりはなかった。


 若干十五歳でエチェベリア宮廷弓兵団の一員となったフェイルにとって、現在地であるエチェベリア王城は決して居心地の良い場所ではない。

 だが、居心地は自分である程度までは変えられる。

 まだ若く、自信に満ち溢れたフェイルは本気でそう信じていた。


「異論はありませんよ」


 だから、このような物言いになる。

 自分と対峙している男がデュランダル=カレイラだとしても。


 エチェベリア王宮騎士団【銀朱】副師団長にして、次世代の師団長を確約されているこの人物を知らないエチェベリア国民はまずいない。

 その名は国外にまで轟いており、実力も世界有数と言われている程の存在。

 言うなれば、この国の宝だ。


 デュランダルが剣を抜けば、まず大抵の者は戦意を失う。

 ちょっとした迷路のように複雑な形状をした漆黒の剣オプスキュリテの世界でただ一人の使い手としても知られており、仮に顔を知らなくても、その剣を見れば持ち主が何者か直ぐにわかるからだ。


 彼をその地位に押し上げたのは、突き抜けて卓越した剣技と身体能力、そして戦績。

 かつて勃発した隣国である魔術国家デ・ラ・ペーニャとの戦争においても、立役者の一人として戦場を縦横無尽に駆け回った。

 臨戦魔術士の放つ多種多様な魔術を全て回避し、数十人に及ぶ魔術士の集団を混乱と絶望に追いやった『アンフィールド征伐』は現在でも語り草となっている。


 一方で、何があっても表情を一切変えず、例え目の前で味方が斬り殺されようと眉一つ動かさないその徹底振りから、銀朱の名を取り『銀仮面』とも呼ばれて恐れられている一面もある。

 英雄と呼ばれるその裏で、彼を忌み嫌う者も少なくない。

 それは一般市民の間だけでなく、王宮内でも同じ事だった。


 まだ王宮に来て日が浅いフェイルは、そんなデュランダルについて多くを知っている訳ではない。

 ただ、それでも彼に正面から戦いを挑む者はまずいない事、彼が剣を抜く機会は非常に貴重である事は理解している。


 故に――――抜き身のオプスキュリテを眼前に構えるデュランダルの姿を、心から歓迎した。


「弓矢が人類の争いにおいて果たしてきた役割は大きい。その武器があったからこそ、我々はより多くの戦術を得た。知恵を使い、策を練って相手を屠る術を学んだ。その歴史的価値は高い」


 周囲に陣取るエチェベリア宮廷弓兵団の面々は、息を呑みながら正対する二人を見守っている。

 しかし彼らの関心は、同じ部隊に所属するフェイルにはない。

 皆、デュランダルの一挙手一投足を見守りたいと願う感情のみでその場に留まっている。


「だが時代は移り変わるものだ。今や遠距離攻撃の主流は魔術に移り、我がエチェベリア国家も宮廷魔術士の小隊を編成する予定がある。それに、これはまだ噂の域を出ていないが……デ・ラ・ペーニャで魔術の新たな技術が導入され、飛躍的に実用性が増したとの情報もある。最早弓矢と弓兵に居場所がなくなるのは時間の問題だ」


 弓兵を揶揄したその言葉の後にも、一つとして否定の声はあがらなかった。


 誇りがない訳ではない。

 彼等は国内最高の弓使いの集団なのだから。


 しかしそんなエリート達をもってしても、デュランダル=カレイラの発言に対して異を挟む事は許されない。

 それ程に、彼の持つ力は絶大だった。

 戦闘能力も、そして権力も。


 何より弓兵は、個々の戦闘力は高くない。

 遠距離から敵を射抜く狙撃手として鍛えられる能力の中に、身体能力や接近戦の技術は存在していないからだ。

 その点においては魔術士も同様なのだが、先刻デュランダルが口にした新技術――――オートルーリングの誕生と浸透によって欠点は補われつつあった。


「それでも、騎士の保護なしに闘える――――お前はそう言うのだな、フェイル=ノート」


 名指しされたフェイルは、口を結び正面を見据え、沈黙によって肯定の意を示す。

 それを確認したのち、デュランダルは禍々しい長剣の位置を下げた。

 一縷の隙もないその所作に、彼の力の一端が現れている。


「なら証明してみせろ。この俺を相手に」


「そのつもりです」


 フェイルもまた、背に配していた弓と矢を構える。


 両者の距離は長剣であるオプスキュリテの約八倍。

 デュランダルにとって、その距離は一瞬で縮められる空間だ。


 人間はあらゆる野生動物と比較しても、一瞬の加速に関しては群を抜いている。

 それは二足歩行故の特性でもあった。


 一方、フェイルが弓を引き、それを放つまでに要する時間もまた一瞬。

 闇雲に放つのではなく、照準を絞って確実に急所を狙う場合はその限りではないが、ただの速射ならば十分に迎撃が可能だ。


「では行こう」


 デュランダルは敢えて、合図を送った。


 それに呼応するようにフェイルは弓を引く。

 強靭な脚力によって蹴られた修練場の床が悲鳴を上げる最中、その騎士の肉体は全力で投じられた小石のような速度で突き進む。

 様子を眺めている宮廷弓兵団の一人が瞬きをしている間に、デュランダルの身体は既にフェイルの至近距離にまで到達していた。

 しかも上体を屈め、矢の照準外にまで身を低くしながら。


 一方のフェイルは既に矢を放っていた。

 選択したのは速射。

 精度と威力を放棄してでも速度を重視しなければ、弦を離す前に戦闘終了となる――――その判断は実際、正しかった。


 だが、空気を穿つように出力されたその武器は、デュランダルの頭を掠める事すらなく、その背後にある壁の"遥か上部"に突き刺さる。


 勝負あり。

 誰もがそう思った。

 当事者の二人を除いて。


 剣を薙ぐデュランダルの目には、フェイルの脚しか映っていない。

 にも拘らず、その研ぎ澄まされた検知能力は、上部に発生した危険因子の存在を的確に捉えていた。


 瞬間、確信する。

 フェイルは矢で攻撃して来た訳ではない。

 矢を捨てたのだ、と。


 そして、その攻撃手段は既に絞られていた。

 弓による打撃。


 通常であれば、空気抵抗の大きい弓を振り下ろしたところで、デュランダルの剣速には及ぶべくもない。

 だが、フェイルは予めその場所にデュランダルが飛び込んで来る事を想定し、矢を放つ前から弓を全力で振り下ろしていた。


 その初速の差が、デュランダルに一抹の危機感と満足をもたらす。


 宮廷弓兵団の最年少所属記録を大幅に塗り替えた、まだ成人にも程遠い少年の一瞬の判断力と瞬発力――――そして研ぎ澄まされた殺気。

 十二分に堪能し、その身を半ば強引に捻って、弓による打撃を回避した。


「……!」


 避けられる事を想定していなかったフェイルは、自らの武器を床に叩き付ける愚行を余儀なくされる。

 木製の、何の変哲もないごく普通の弓。

 しかし、折られるならまだしも、自分で折る訳には行かなかった。


「……っと!」


 こちらも強引に、振り下ろした左腕を強引に止める。

 しかし完全に停止させる事は叶わず、鈍い音が当たり一面に響き渡った。


「驚いたな。弓で打撃を試みるだけなら特段珍しくはないが……」


 後方に跳び、当初の半分程度の距離まで後退したデュランダルは、皮肉抜きの表情で感心を示す。

 そこには驚愕すら混じっていた。


 弓兵に接近戦を仕掛けた場合、かなりの可能性で弓を盾にしようとする。

 そして、その中には武器代わりに使おうとする者も少なからずいる。


 だが、弓は打撃用の武器ではない。

 そのような使い方を想定してはいない為、どう足掻いても不格好な抵抗となる。


 一方、攻める側にしてみれば、弓を使って抵抗を試みる行為は十分想定出来るし対処は難しくない。

 不意を付かれない限り遅れを取る事はない――――筈だった。


「今の動き、ただの弓兵ではあり得ないな。盲点……いや搦め手の類いか。いずれにせよ実用の水準に達している」


 デュランダルの言葉は、明らかに好奇心の充足以上の意図を有していた。

 それを理解した上で、フェイルは弓を剣のようにかざす。

 それは、自分の闘志が継続している表れ――――ではなく、ある種の礼儀だった。


「認めよう。一人でも闘える弓兵……その存在を」


 弓は、折れこそしなかったが明らかに変形してしまっている。

 もう武器としては使い物にならないだろう。


 弓は非常に繊細な武器。

 形状がほんの少しでも変われば、弦に伝わる力も変わり、フィーリングは全く別のものになってしまう。

 フェイルは愛用の武器を失ってしまった。


「しかし、俺の勝ちだ」


 それを薄目で確認し、デュランダルは口元を微かに緩めた。

 刹那――――宮廷弓兵団全員が驚愕を禁じ得ず、半数以上が我が目を疑った。

 

 銀仮面は決して表情を変えない。

 感情を表に出す事などあり得ない

 それは最早不動の定説となっていた為、信じられないものを見た――――よりも、見間違いを疑う方が余程妥当性があった。


「ええ。僕の負けです」


 そんな周りの狼狽など何処吹く風、フェイルは面白くなさそうにそう呟き、深い嘆息と共に弓を担いだ。

 そして、そのまま矢の刺さった壁へ歩を進め、その矢をじっと見上げる。

 弓を振り下ろす所作の途中で放った為、かなり角度が付いてしまい、フェイルが手を伸ばしても到底届かない高さに刺さってしまっている。


「……申し訳ないんですが、あれ取って貰う事って出来ますか?」 


 それを確認したフェイルは、事もあろうに――――デュランダルへそれを懇願した。

 エチェベリアの英雄に対しての、あり得ない要求。

 宮廷弓兵団、特にその集団を統括する立場の隊長アバリス=ルンメニゲの顔が蒼褪める。


 一方、フェイルの視線の先にいるデュランダルはと言うと――――


「貧乏性め」


 何処か楽しげに、フェイルの傍へと歩み寄っていた。

 


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