第1章:梟と鷹(17)
「……今まで何度も言って来た言葉だがよ」
――――翌朝。
眩しい陽光にエチェベリア全土が包まれる中、薬草店【ノート】には東側に店舗を構える大手道具屋【カテナチオ】の影が伸び、まるで巨大な腕で掴まれているかのように大人しくしている。
その店内でフェイルは接客業にあるまじき不機嫌な顔を隠しもせず、カウンターに頬杖を付いていた。
「お前って奴はとことん商人に向いてねーよな」
「煩いよ」
昨日色々あって疲労困憊な上、朝早くから冷やかし目的でやってきたハルのジト目が痛々しく刺さり、朝っぱらから嘆息を禁じ得ない。
しかしその悶々とした息には別の荷重も加わっていた。
「いや、でもな。折角勇者が店にやって来て、剰え暫くここで働くって状況になってんだろ? なのに……なんなんだよアレは」
瞼が下がったままのハルの視線が、店の入り口に向く。
そこでは、フランベルジュが一切の感情を排除した事務的な表情で立っていた。
しかもしっかり帯刀している。
「殆ど厳重警備じゃねーか。寧ろ逆効果だろ、地域密着型の薬草店に物々しい用心棒なんてよ」
「僕もそう言ったんだけど聞かないんだよ……作り笑顔は苦手とか言って」
ファルシオンの提案した提携話をどうするかフェイルが検討している間も、勇者一行はこの薬草店【ノート】で働くと力強く言い切った。
その結果があの物騒な警護。
前日に強盗に押し入られた大型店でも、あそこまではしない。
「……何?」
小声で会話していた男二人に対し、フランベルジュはゆっくりと首を回し、横顔だけで店内を睨む。
ピリピリした空気を纏っているのは、彼女なりの仕事に対する真摯な姿勢の表れなのか、単に一ヶ所に立ち続ける事への苦痛か――――
「あ、何でもないっす何でもないっす」
「……」
いずれにせよ、ハルのヘラヘラした返事には何も答えず、不機嫌な顔のまま首の向きを元に戻した。
「今にも舌打ちしそうな顔してんだけど……お前ちゃんと店員の教育したのかよ? こっち来んなってオーラしか感じねぇぞ」
「単にハルが嫌われてるんじゃないの?」
「何ィィィ!? やっぱそうなのか!? 俺って初対面の女に嫌われるタイプなのかああああああっ!」
過去に何か決定的な心当たりでもあったのか、ハルは絶叫しながら泣き伏せった。
昨日――――
結局、【ウォレス】の使者は来なかった。
屋敷に人の気配がなかったのは、アニスの手料理を恐れて使用人が自室に閉じ篭ったからとの事。
当人達の説明を聞く限りでは、完全にフェイルの早合点という事になる。
ただ、クラウ=ソラスにそう誘導されたのは確かだ。
その理由については、『一刻も早くあの場からフェイルを去らせる為』と一応の説明が付く。
クラウがビューグラスとフェイルの関係を把握しており、且つビューグラスに一定の配慮を行う必要があるのだとしたら、あの場でフェイルに対し口封じをする訳にはいかないし、第三者に会話を聞かれるのは歓迎出来る事態ではない。
早々に人払いをするのであれば、最適の方法だったと言える。
一方で、嘘をついたのがクラウではないという可能性もフェイルは否定出来ずにいた。
『それで依頼の失敗は帳消しにしても良い』
昨夜、ビューグラスは確かにそう言った。
まだフェイルから依頼の顛末について聞いていない段階で。
フェイルが狼狽と共に部屋へ戻ってきた時点で失敗したと確信し、気を遣ってあのように提案した――――と好意的に解釈出来ない事はない。
だが、あの依頼はそんな簡単に失敗を帳消しに出来るような内容ではないのも動かし難い事実。
フェイルの頭の中に、暗い霧が薄く立ち籠めていた。
「考え事ですか?」
カウンターに突っ伏したフェイルに、ほぼ同じ高さから陽気な声がかかる。
先程まで窓拭きをしていたリオグランテだった。
「や、別に……ちょっと疲れただけ」
「そうですかー。それにしてもこのお店、お客さん少ないですよね」
無垢な邪気が矢の先端のように尖り、店主の心臓を刺す。
それにより、昨日の事を頭から一旦消す決心が付いた。
「薬草店なんて、そうそう客が入るような商売じゃないんだ。どこも厚利少売でやってるんだ」
「ですけど、僕達がここに来て、まだ一回も……お客さんを見た事ないですよ?」
途中ハルの方に視線を向けつつ、リオグランテは断言する。
確かに間違ってはいなかったので、フェイルは反論出来なかった。
「それについては市場の傾向や戦略以前の問題ではないでしょうか」
経理係を請け負ったものの全く仕事がないのファルシオンの言葉が、先程矢が刺さったばかりのフェイルの心臓を追撃。
完全に貫かれてしまった心は、折れたというより壊死した。
「でも、お陰でファルさんはゆっくり静養出来ますね。昨日は暴漢に襲われて大変でしたもんねー」
皮肉や嫌味が目的の発言ではないと理解しつつも、フェイルは心中穏やかではいられない。
何しろ気絶させた張本人だ。
ファルシオンの身に何があったのかは、この場にいる誰よりも詳しく知っている。
ただ、ファルシオンはその事実を正確にパーティメンバーには伝えていないらしい。
その意図するところは、フェイルにはわからない。
「それで、本当に大丈夫なの?」
先程とは打って変わり、心配そうな目を携えフランベルジュが振り向く。
その顔は大人びているようで、何処か親を心配する子供のような幼さが見え隠れしていた。
「はい。怪我はしていませんし、特にトラウマ的なものもないようですから。心配は無用です」
「そういう事じゃなくてね……後で詳しく聞くから今はいい」
「?」
明らかにフランベルジュの心配は別のところにあったが、ファルシオンには通じていないようだった。
「おいフェイル、今のってもしかしてアレじゃね? 貞操の危機に直面したって意味じゃ……」
「ハルが女性に嫌われるのってそういうところだと思うよ」
「そんな事言うなよおおおおおお」
フェイルだけでなく、勇者を除く全員から白い目を向けられ、ハルは戦場で愛剣を折られ絶望する負け犬のように床に突っ伏した。
「そこの無神経なクズは兎も角、問題はこの店よ。幾ら言い訳されても、ここまで客足がないんじゃ改善のしようもないじゃない。まるで根無し草を無理やり引っこ抜いているみたいで気が滅入るんだけど」
「……僕、雇用する前にはっきり同じ趣旨の事言ったよね?」
「ここまでとは思わなかったんだから仕方ないじゃない。営業努力とかしてるの? そもそも、どんな商品売ってるのかもよくわかってないんだけど」
「それに関しては私がお答えします」
損失分の計算の際に全ての商品に目を通していたファルシオンが、店主よりも要領を得た説明で品揃えについて語り始めた。
「薬草の需要は一般人と専門家が拮抗しています。その点を踏まえて、料理に使われる香草や薬膳用の薬草を半分、回復効果や解毒効果のある薬草を半分という感じで仕入れているみたいです。ただし稀少品や効果の特別高い物は一つもありません。よく勇者の冒険譚の序盤に出てくる類いのお店です」
「要するに熟練パーティには見向きもされない店って訳ね」
事実を羅列した結果、店主のフェイルはハルと折り重なるように死屍累々の一部と化した。
「その分、私達の責任は重いという事です。瀕死のトレジャーハンターを崖から突き落として戦利品を奪い取るような真似はしたくないですから」
「今、ほぼそれと同じ事してるよね……?」
「現状把握の必要性を雑談で表現しただけです」
悪気はないらしく、ファルシオンは一点の曇りもない目でそう断言した。
「いや、さっきから聞いてりゃこの店を散々こき下ろしてっけどよ。お前等だって無一文だったんだろ? なんだよ勇者一行が無一文って。俺はこの国で働くようになってまだ日が浅いけどよ、勇者がどんだけ神格化されてるのかくらいは知ってるぜ? なんでそんな貧乏なんだよ。あり得ねーぞ」
ハルが反撃の意も込めて、同じ剣士のフランベルジュに経緯を問い質す。
すると質問には答えず、露骨に顔をしかめ目を反らした。
「へっ、痛い所突かれたって顔だな。ならこっちに聞くとすっか。リオちゃーん、なんでか教えて」
「あ、はい。えっとですね、実は――――」
戦犯リオグランテは特に抵抗を感じる様子もなく、あっさり口を割った。
「……えーと、つまりだ。近隣の街で大事なそれはもう大事な親書を金目の物と勘違いした手癖の悪いガキにうっかり盗まれて、その回収の為に諜報ギルドから情報を買いまくって、犯人が実はその街の貧乏領主の息子である事が判明して、いざ捕まえようとした所で領主と敵対している革新派の連中からバカ息子を拉致られて、そいつらのアジトに潜入したもののまんまと逃げられて、追いかける為に高額の馬車を借りて、やっとこさ追いついた所でバトルが勃発して、その際にポンコツ勇者の剣が折れたり冷血剣士のブーツが焦がされたり無愛想魔術士のローブが汚されたりしたものの、どうにか勝利して全部解決した矢先に貧乏領主から受け取った謝礼金を『ではこれだけ受け取っておきます。一日分の宿代にしては少し高額ですけど、なにせ領主様の屋敷ですから仕方がありませんよね』なんてクソ恥ずかしい格好付けた言葉でほぼ全額突っ返して勇者っぽく演出して、装備品を整えた所で気が付けば無一文になっちまって薄ら笑い……こんなとこか」
説明は三〇分かかったが、掻い摘むと一分強で終わる話だった。
「ちなみに『一日分の宿代にしては――――』のくだりを提案したのはフランです」
「ほう」
自分が疑われる事を嫌ったのか、ファルシオンは率先してリークして来る。
それが暴露合戦の幕開けとなった。
「なっ……! それ言うなら、犯人を逃がしたのは最後にアンタの攻撃魔術が外れた所為でしょ!?」
「あれは……フランが急に『ダメ! あの子にも当たる!』なんて大声で叫ぶから、吃驚して」
「実際当たりそうだったじゃない。よりによって【炎の天網】なんて広範囲が燃える魔術を使おうとしてたでしょう?」
「視覚的に逃げ場がないと思わせる魔術が有効だと判断したからです。巻き添えにしない自信はありました。それに、元を辿れば親書を荷物と別の所に持っておこうって発案したのにフランが無視したから……」
「だからって親書を服の下に隠すとかあり得ないでしょ? 大体、パーティ内の経理はアンタが担当なんだから、せめて装備品の分だけでも確保しておけばよかったのよ!」
「それは宿代としては高過ぎます」
「あーもう融通が利かない!」
「貴方だって……」
女性特有のネチネチした言い争いは延々と続く。
そんな仲間二人にオロオロとするばかりで全く口を挟めずにいる勇者リオグランテは、明らかにこの一行の中で一番格下だった。
「そもそも、大事な親書を子供に盗まれてる時点で勇者一行失格だと思うんだけど……」
収集がつかない事態になる直前、フェイルのその一言で二人の言い争いはピタリと止まった。
「まあ……そうなんだけどね……」
「自覚はあります。勇者一行を名乗る資格はないのかもしれません」
相当効いたのか、両者とも俯き小声で呟く。
しかしそれは猛省を示すものではなかった。
「でもそれ言ったら、商才が全然ない薬草店の店主だって似たようなもんじゃない」
「非常に的を射た発言です。貴方が言うな案件です」
結果として勢いよく流れ矢が飛んできた。
その矢はフラフラと頼りない放物線を描き、ずっと耐えてきたフェイルの何かをプツッと切った。
「ああそうだよ! 僕は瀕死の薬草士だよ! 崖から蹴落とされて死んだ商才ゼロの店主だよ! でも加害者側がそれ言う!? それに店員の店主に対する態度でもないよね! もっと謙虚に生きてよ!」
「あ、あの……喧嘩は止めた方が」
リオグランテの制止も聞かず、醜い言い争いは続く。
そして――――
「あのー、マンドレイクってのを探しているんですけど……ああっ、すいません! そんな険しい顔で睨まないで下さい! すいません~!」
折角の新規客を、剣幕のみで追い返してしまった。
事の重大さに気付き、三人同時に固まる。
「……マンドレイクって確か、超高い薬草だよな」
ハルの言葉に、フェイルは青ざめた顔でコクリと頷く。
「ま、この店にそんな高価な商品は置いてないとしても……だ。取り次ぎで置いてる店や持ってる奴と交渉すれば一儲けにはなったし、それが無理でも余所を紹介したりするだけで印象は良くなって、上手くいきゃお得意様になったかもな。マンドレイクなんて探してるんだから確実に金持ってるよな。相当上客になっただろうに」
「うわあああああああああああああ!」
商売とは縁のない流れ者の傭兵に正論で連打され、フェイルは沈んだ。
「え、えーっと! 僕、展示物をちょっと整理しようかな! ちゃんと働かないと!」
「私は羊皮紙の整理をしておきます」
「店員なんだし、少しは愛想良くしないとダメよね。苦手だけど努力してみる」
現実の非情さと言葉の暴力で無残にも打ちひしがれた店主の惨状が、皮肉にも勇者一行の意識を改革させる事に成功し、それぞれ率先して真面目に自分のこの店での立ち位置を考えさせた。
エチェベリアの空は今日も青い。
明日も同じ位置に空があるとして、同じような色が続いて行く事は間違いない。
或いは、それと同じように。
薬草店【ノート】の苦難は、まだまだ続く――――




