第5章:交錯する宴(29)
試合に入り込んでいるフランベルジュの悲鳴は、リオグランテの危機に直結していた。
焦りからつい繰り出してしまった大振りが、自身の体勢を大きく崩す。
その隙をアロンソは見逃さない。
最小限の動きで的確に反撃を試み、リオグランテの右手を叩く。
「ぐっ……!」
呻き声と同時に、思わず木剣を離してしまう。
得物を失えば勝ちはない。
当然そう自覚しているリオグランテの次の行動は、落ちた木剣を拾う以外にない――――そう判断し、アロンソは上段の構えを取った。
「リオ! 上!」
フランベルジュが叫ぶ。
しかしその助言は、他の観客の歓声に紛れて聞こえない。
故に、他力ではなかった。
アロンソの振り下ろしを躱しながら――――
「……!」
真下の床に落ちる剣を蹴り飛ばしたのは。
アロンソの左脚の脛に、回転した木剣が直撃。
激痛が走り、反射的に顔をしかめる。
一瞬、彼は行動力を失った。
その隙をリオグランテは――――剣を拾いつつ距離を取る事に使った。
奇襲成功に乗じて肉弾戦を挑むのも、剣を拾ったその場で接近戦に臨むのも、敢えて選ばず。
それが吉と出るか凶と出るか。
「は……っ……はっ……」
はっきりしているのは、リオグランテの体力が尽きつつある事。
観客席にすら、彼の荒い息遣いは容易に見て取れた。
選択したのではない。
攻撃を繰り出す余力がなかった。
リオグランテは、肉体的にも精神的も追い込まれていた。
「集中しなさいよ! まとめに来るつもりよ!」
注意を促すフランベルジュの助言も、リオグランテの耳に届いている様子はない。
悲壮な顔で、明らかに怒っているアロンソを睨み付けている。
「……」
その感情の吐露が演技か否か、観客席のフェイルには判別出来なかった。
直後、アロンソがリオグランテに襲いかかっても尚。
掛け声こそあがらないが、これまでのリズムとは著しく異なり、激しく、そして鋭くリオグランテを攻め立てる。
既に力感のなくなった防御を崩すのに、時間はかからなかった。
「ぅあ……! うぐ……! が……っ!」
突き。
払い。
打ち払い突き。
突き流し。
無言で連撃を浴びせてくるアロンソに、勇者は為す術がないままに打たれ続ける。
幾ら木剣とはいえ、危険な状態なのは明白だ。
「くっついて! 相手にひっつきなさい!」
フランベルジュの指示は的確だった。
距離を詰めて攻撃可能なスペースを消せば、取り敢えず一時は逃れられる。
それが聞こえている状態とは思えないが、リオグランテはアロンソへもたれかかるように接近し、一旦攻撃の波は引いた。
「待て! 両者離れなさい!」
審判が全速力で近付き、両者を引き離す。
だが、状況が改善しているとは言い難い。
アロンソの連撃で、リオグランテは瞬く間にボロボロにされてしまった。
左上腕部、右手の甲は目に見えて赤く腫れ上がり、頭部からは血が滴り落ちている。
折れている可能性も十分にあり、その激痛は傍目にも明らか。
体力は底をつき、脚は疲労で震えている。
限界――――誰もがそう思う状況だった。
「……上手く行かないものね」
ポツリと、フランベルジュが漏らす。
「私達は勇者一行に相応しくない……って事なのかしら」
力なく席に座りながら呟く言葉は、敗北宣言に等しいもの。
実際問題、参加者二人の内一人が予選落ち、一人が本戦一回戦敗退となれば、自分達を疑っても仕方がない。
勇者ならば、必ず爪痕を残す。
未熟であっても、行き着いた場所で何かを残す。
だからこそ勇者は一般人の憧れとなり、記憶に残る。
それが出来ないならば勇者一行とはなり得ない。
候補を名乗る資格すらない。
本気で目指しているからこそ、フランベルジュは現実の過酷さを知り、そして嘆いていた。
「まだ終わってはいません」
だが、勇者一行は三人。
その中の一人が、明確に否定を呈する。
「審判が正式に勝者を告げるまでは、何があるかわからない。それが試合の意義の筈です」
「それはそうだけど、もう……」
「信じて見守りましょう」
ファルシオンの凛とした声に、フランベルジュは俯きつつ、小さく頷く。
二人のそんなやり取りに、フェイルは――――
違和感を覚えていた。
まるで普段とは真逆のやり取り。
現実主義を謳うのはファルシオンの役割の筈だった。
この状況では、今の彼女の言葉は希望的観測に等しい。
フランベルジュへの優しさが、理想主義的な言葉を生み出したのか。
本当にリオグランテの起こす奇跡を信じているのか。
それとも――――
「リオは、空気を読まない子ですから」
紡がれるファルシオンの言葉は、仮説を立証するには至らない。
これ以上悩む事は無意味だと言われたようで、フェイルは思わず眉尻を落とす。
だが、周囲に気を配るのもそこまでだった。
「始めっ!」
戦闘再開を告げる審判の掛け声にアロンソが即座に反応し、攻勢に出る。
僅かの間休めたとはいえ、回復に繋がる時間ではなく、リオグランテは再び窮地に追い込まれた。
劣勢は明らか。
何故、こうなってしまったのか。
無論、初っ端のアロンソの一撃が遠因である事は間違いない。
しかしながら、主因はそれ以前にあった。
最初からリオグランテは気負っていた。
ずっと平常心ではなかった。
この大会が始まる前と、始まる直前では、まるで別人のように。
どうして――――?
『ああ。素晴らしい素質の持ち主だ。日に日に上達するその姿を見ているだけで、気分が高揚してしまう。その所為で、つい要求が高くなってしまうよ』
そう楽しそうに話していた、アロンソの為?
『スコールズのお家で一悶着ありまして』
『これまでずっと仲良くしてた宝石のお店の人と、リッツのお父さんがケンカになったんです! 理由はわからないんですけど。それで、勝負するとかお互い言い出して』
スコールズ家のメンツの為?
『勇者一行って言っても、私達はまだ候補に過ぎないのよ? 親書を無事に届けたところで、所詮はお使い。そんな軽い実績で本当の勇者一行だって認められる保証なんてない。今回、この大会って相当注目集めてるんでしょ? リオと私が上位に食い込めば、それなりの評価をして貰える筈よ』
勇者一行たる資格を得る為?
全てあり得る。
そして、全てが植え付けられた重圧。
誰かが意図して追い詰めたのかもしれない。
例えば、今まさに対戦している男が。
リオグランテの指導者として、アロンソは常に彼の精神状態を把握していた。
指導者の立場から追い詰める事も決して難しくはない。
実際、稽古の直後にリオグランテが取り乱していたのを、フェイルは目撃していた。
そこまでしてまだ無名のリオグランテを倒したところで、実績にはならない。
狙いは別にある。
スコールズ家に取り入る為?
或いは――――最初からスコールズ家の本命はリオグランテではなく、アロンソだった?
「……」
確証はない。
だが、フェイルは思わず立ち上がった。
そして――――
「リオっ!」
普段は決して出さない大声を、何の躊躇もなくあげる。
隣にいたファルシオンが、思わず身を竦めるほど。
「いつもみたいに戦って! いつもみたいに! いつもみたいにだよ!」
絞り出すような声は、最後少しザラついていた。
それが幸いだったのか――――リオグランテは明らかに異質なその声を認識したらしく、アロンソの攻撃をよろけ気味に避けながら反応を示した。
刹那、肩の力が抜けていく。
それは意識だけで出来る事ではない。
戦いの最中に緊張状態を緩和させるのは通常、熟練者と呼ばれる境地でなければ到底不可能だ。
リオグランテの体力はいよいよ切れかけている。
フェイルの声に思考がまとまらなくなり、脱力したに過ぎない。
「いつもみたい……って、今更力を抜いても意味ないじゃない」
「それが大ありなんだ」
顔をしかめるフランベルジュに、フェイルは語気を強める。
「アロンソはリオの指導者だ。だから、リオに自分の戦いやすいような技術を教え込んだのかも」
「え……? どういう事?」
「仕組まれていたのかもしれないし、偶然の組み合わせなのかもしれない。でも、もしそうなら、『いつもみたい』じゃないと勝ち目はないんだ。アロンソの手が加わっていない、リオ本来の戦い方じゃないと」
フェイルの書き殴るような物言いに、フランベルジュは首を捻る。
理解出来ないのは当然だった。
フェイルは大前提を口にしていない。
それには理由がある。
「……」
ファルシオンは何も発しない。
フェイルはそれを見ながら、この状況の複雑さを悟った。
様々な可能性がある。
様々な帰結が予見される。
ならば、何をすべきか。
何を望むべきか。
フェイルに迷いはなかった。
「何も考えないで、感じるままに動いて!」
それは抽象的とも言える助言。
傾聴に値するかというと、決してそんな内容じゃない。
だが、実体を得ない一方で酷く単純明快でもある。
リオグランテは頷きこそしなかったが、それまでの構えを崩し、ぶらんと腕を下げた。
己の感じるままに。
攻め疲れから一旦攻撃の手を緩めていたアロンソは、その変化に驚きこそしなかったが、表情を引き締め警戒を示した。
それは解釈によっては――――隙。
本来なら警戒するような戦況ではないのだから。
瞬間、リオグランテの身体が沈む。
前のめりに倒れる、と誰もが思った。
勇者一行とフェイル、そしてこの戦いを別の場所で見ていたもう一人以外は。




