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第5章:交錯する宴(24)

 大番狂わせに観客席が湧く最中、ファルシオンの生み出した緑魔術の風に乗って、フェイルは闘技場の外壁を内側から上っていた。


 風の力だけで二十メロ以上はある闘技場外壁の天辺まで舞い上がるのは流石に不可能。

 仮にそれが出来ても、天辺の縁に上手く着地するのは至難の業なので、選択肢は自然と『壁を上る際の補助』に限られる。

 一瞬で移動は出来ないが、浮力を得ながら上る為、落下の危険性は少なくスムーズに上へ向かえる。


 ただし、上へ向かえば向かうほどファルシオンからは遠くなり、彼女が発する風の力は弱くなる。

 天辺付近に関しては、ほとんど浮力の補助は得られない。

 闘技場の内側ならまだしも、外側に落ちてしまえば一巻の終わりなのは変わりない。


「……っと」


 最新の注意を払いつつ、フェイルはどうにか闘技場外壁の最上部へと辿り着いた。

 壁はかなりの厚みがある為、足場となる壁上には人間が余裕をもってすれ違えるくらいの幅があり、注意さえしていれば落下の心配はない。


 安堵の息を吐きつつ、下で待つファルシオンに手を振る。

 無表情ながら、明らかに胸を撫で下ろしているファルシオンに感謝をしたのち――――左目を閉じ、闘技場外部の景色に目を向けた。


 この闘技場の周辺には、それほど複雑に入り組んだ道はない。

 人捜しをする上では都合の良い環境と言える。


 とはいえ、その範囲は余りに広大。

 俯瞰で見るとはいえ、建物などの死角になっている部分は当然、視界には入らない。


 それでもフェイルは壁上を歩きながら、注意深く観察を続ける。


 ファルシオンのお陰で焦りはかなり消えていたが、完全にとはいかなかった。

 焦る理由は、単にガラディーンが行方不明になったから――――だけに留まらない。

 全く別の、嫌な予感が心の底で揺らめいている。


 尤も、その懸念は杞憂に終わる可能性が高い。

 よって極力不安視は止め、現実のみに目を向ける。


 闘技場の周囲は観戦客目当ての出店や露天商が数多く構えており、それに群がる人々が多く闊歩している為、その全てを確認しながら歩くのは神経を消耗する。

 十分な集中が必要だ。


 一般人より明らかに良い体格をしているガラディーンは見つけ易い筈だが、中々該当しそうな人間は見えない。

 円形闘技場の外壁最上部を半分ほど歩いたところで、思わず嘆息が漏れた。


 ガラディーンはもちろん、カラドボルグらしき人物も見当たらない。

 手詰まりになりそうな状況に、焦りは更に増してくる。

 何より、精神的な摩耗以上に身体的摩耗の方が深刻だった。


 視界がぼやける。

 稀に滲む。


 ――――鷹の目が、少しずつ悲鳴をあげていた。


 今に始まった話ではない。

 フェイルがこの街に薬草店を構えて以降、ずっと起こっている事。

 ここ最近は頻度が増してきている。


 それについて、今更悲観的になる事はない。

 この常人離れした二つの目は決して神様からの贈り物ではないと、フェイルは悟っていたから。

 ならば、いずれ終わりがやってくるとしても何ら不思議はないだろう。


 一瞬、両目を瞑る。

 左右に自分を守る壁はなく、万が一突風でも吹いてどちらかに倒れ込めば、絶命は免れない状況で。

 余興としては、余りに馬鹿げている。


 けれど、いつその瞬間が訪れてもおかしくないのが自分の現状。

 例えば強敵との戦いの最中、突然両目が見えなくなったら?

 一瞬でも動揺した時点で勝敗は決し、命を落としかねない。


 フェイルはゆっくり目を開けた。


 定期的に同じような試みは行っている。

 主に早朝ランニングの時や、薬草採取の時などに。

 いつこの視界が完全に閉ざされても、そこで終わらないように。


 でも、今は困る。

 目以外に頼る手段がないのだから。


「もう少し……もってくれよ」


 誰もいないその場で思わず呟いたその懇願は、やはり誰にも聞かれる事はなく、風に乗って霧散する。


 特に意味はない。

 これといった意図もない。

 ただ、そう願うだけ。


 幸い、その小さい願望は叶った。

 外壁を一周するまで、鷹の目は機能を保持し続けた。


 だが――――収穫はなし。

 結局、捜している人物は誰一人見つける事はできなかった。


「……」


 思わず膝に手を置き、項垂れる。



「落ち込む事はありませんな」



 ――――唐突だった。

 そして、余りにも不適当な声だった。


 音もなく。

 気配もなく。


 フェイルの直ぐ背後。


 生気すらなく、クラウ=ソラスはフェイルの傍に在た。


 神出鬼没、といった次元ではない。

 まるで背後霊――――否、死神。

 その背に、鎌のような形の得物を背負っている。


「……!」


 一瞬の状況判断。

 フェイルは瞬間的にその場から跳び、クラウから距離を取る。

 誤って落下するリスクを無視して。


「まさかこんな所で再会するとは。偶然ですな」


「……本気で言ってる訳ないよね?」


「仕方ありますまい。中々降りてこない以上、こちらから参上するしかない故に」


「僕を追って……?」


「それ以外、こんな場所に上る理由はありませんな」


 試合が行われている闘技場内で、外壁の天辺に視線を送る者などいない。

 ファルシオンとのやり取りの時点で既に目を付け、後を付ける為に壁を上ってきた事になる。

 

 尤も、現在もそうであるように、気配をまるで感じさせないのは彼の特性。

 今更驚くには値しない。


 とはいえ――――本当にその手順でここに来たのかは疑わしい。

 それ以前に、クラウが生きている事さえも。


 フェイルの脳裏に、闘技場内の一室で見た血溜まりが浮かぶ。

 普通に考えれば、あの血はクラウのものではなかったと断定する以外にない。

 けれど、別の可能性をどうしても考えてしまう。


「生気のない顔だけど、血は足りてる?」


 思わず、そんな間の抜けた質問をしてしまい、フェイルは自分自身に呆れる。

 しかし眼前の男の評価は違っていた。

 

「流石は私が認めた人間。この状況でそれだけの余裕、冷静さを保てる者は限られますからな。やはり貴公は素晴らしい」


 場違いな褒め言葉に、フェイルは更に顔を歪ませる。


「……僕に何か用でもあるの?」


「取り立てて急用と言うほどでは。少し話をしたいと思いましてな。例えば……この大会について」


「僕は部外者だよ。当事者のあんたはこんな所にいていいの? 明日の第一試合じゃなかったっけ?」


「無論、構いませんな。既に試合を行う意味は消失した故に」


「どうして?」


 ある程度の予想はついていたが、それでも問う。

 クラウの返答には一瞬の間があったが、迷いは特に感じられなかった。


「……ふむ、組織都合といったところですな。ギルドの経営はそれなりに手間暇がかかるもの。あまり一つの物事に時間はかけられません故」


「なら、こんな所にいる方がよっぽど時間の無駄じゃない?」


「貴公に話しておきたい事があるのですよ。強いて挙げればそれが用事ですな」


 まるで草原の中で風を浴びるかのように、口元を緩めた自然な顔でクラウはそう答える。

 不意に、下の方から大きな声援が湧いた。

 次の試合が始まるようだ。


「確か、次はラファイエットの大隊長の出番でしたか。中々の人気者ですな」


「今はそんな話を……」


「この試合は、彼が勝利します」


 何の脈絡もなく、クラウはそう断言した。


「妥当だとは思うけど……」


「次はハイト=トマーシュ。彼の対戦相手は私なので、不戦勝ですな。その次はケープレル=トゥーレという人物……いや、参加者が勝利します。更に、その次の試合はトリシュ=ラブラドールが二回戦へと勝ち進みますな」


 その断言口調は変わらないまま――――次々と勝者の名前が告げられていった。


「……それは、予想?」


「そう思いますかな?」


 疑問に疑問を返され、フェイルは奥歯を噛み締める。

 だが、ここでそれを非難する事に意味はない。

 いずれにしても、主導権はクラウにある。


 武器を持たないフェイルに、この場で抵抗する術は何一つないのだから。


「この大会は、勝者が決まっている大会……そう言いたいの?」


「当然そうなりますな。そもそも私は勝者を予想するほど、この大会に関心を示した覚えもありませぬ故」


 その言葉をクラウが告げるのと同時に、微風が吹き付ける。

 身体を動かすほどの力はないが、それでも風の音には敏感にならざるを得ない。

 ほんの一瞬、そちらに意識が向く。


 視界を動かした訳ではない。

 視野も固定されたまま。


 それなのに――――眼前からクラウの姿が消えた。


 フェイルの身体から、冷たい汗が噴き出る。

 まるで本物の幽霊を目撃したような、混乱と焦燥。

 呼吸が自然と浅くなる。


「ただし、参加者の一部はその限りではありませぬ」


 真後ろからの声。


 フェイルは振り向かない。

 振り向けない。


 そこには恐怖があった。

 久しく味わっていなかった、凍てつくような恐怖。


 心臓が高鳴る。

 呼吸が乱れる。

 その一方で、風のほんの僅かな弱まりがわかるほど、神経は凄まじく鋭敏になっている。


「此度のエル・バタラは、幾重もの目的、野望が重なり合って実現したのです。利用する者、される者……決勝戦が終わった時、それが明らかになるやもしれませぬ」


「何が……」


「例えば、特定の人物に偉大な功績を残す為の舞台。よって、それ以外の参加者は豪華な踏み台に過ぎませぬ。しかしながら――――それすらも擬態」


 疑問を挟む余地はない。

 ただ聞き続けるのみ。


 ほんの一瞬、意識が移動しただけで位置を変える。

 強者なのは知っていたが、その一言で言い表せる人物ではないと、フェイルは理解した。

 声を発する事さえ躊躇せざるを得ない。


「覚えておりますかな? 初めて貴公と私が出会った夜の事を」


 この場を支配する者の声は、新たな言葉を紡ぐ。

 フェイルは口の中が異様に乾いていくのを感じながら、鋭敏になった聴覚で、話の続きを吸収していた。


「予想外の邂逅でしたな。私は予定調和を好まない故、実に有意義な夜になりました。その礼が一つ」


「……礼?」


「次は礼というより詫びですな。愚弟の件で来訪した際、少々下品な提案をしてしまいました。それも一つ」


 フェイルには何ら自覚のない、クラウの中で貯まった何かが積み重ねられていく。

 そしてもう一つ――――


「大会にも参加している貴公の師。彼との邂逅もまた、格別な一時でしたな」


「……!」


 刹那、大きく崩れる。

 フェイルの中の感情が。


 それは音を立てる事なく、無残な瓦礫と化した。



 ――――どっちだ?



 残ったのは、そんな幼稚な疑問だった。


「生憎、彼との再会は暫く予定にありませぬ故、彼の弟子である貴公にお礼をと思いましてな。忠告……と言うよりお願いを」


 クラウの声は、常に紳士然としている。

 決して荒げはしないし、感情の揺れはない。


「現在、この街は複数の勢力が複雑に絡み合っております。そして極めて近い未来、その絡み合った糸が解れ、堰き止めてられていた水が突然、濁流となって襲いかかってくるでしょう」


 それなのに――――


「貴公には是非とも、逃れて頂きたい。何も恥じる事はない。そうしなければ、恐らく貴公は――――」


 再び風が舞う。

 今度は微風とは言い難い、少し大きな音を伴う風。

 それが、最後のクラウの言葉を阻害した。


「……」


 声は止み、フェイルがゆっくりと振り向いたその先に人の姿はない。

 控え室の惨状、デュランダルとの関連性、ガラディーンやカラドボルグの居所――――何一つ有益な情報を引き出す事は出来なかった。



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