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第1章:梟と鷹(14)

 明らかに尋常でないその声がした直後――――手入れの道具をその場に放置し、フランベルジュは勢い良く扉を開いていた。


「僕達も行きましょう!」


「はい」


 それに続くリオグランテとファルシオンの視界に、ほぼ同時に蝋燭の炎が映った。

 

 この隠し宿、一階が鍛冶屋になっている以外は殆ど普通の宿屋と変わらないが、隠しだけあって二階にある窓には全て戸が設けられており、基本的には閉められている。

 その分、灯りを点していても外に光は漏れない為、夜でも視界は確保が可能だ。


 フランベルジュは廊下に出ると、迷わず廊下を駆け、階段を駆け下りた。

 最奥の部屋を借りている為、視線は必然的に階段へ続く廊下に向けられるが、その階段へ到るまでに左右二つずつの部屋がある。

 

 選択肢は少なくないが、まず目指すべきは一階。

 どの部屋も扉が開いていなかったからだ。


 泥棒が二階で発見されたのなら、その後行儀良く扉を閉める道理はない。

 必然的に、発見されたのは一階に限定される。


「……二階にも聞こえていたか」


 階段を下りた直ぐ先に、宿屋の主人はしかめっ面で立ち尽くしていた。

 大声だった為声色が判別し辛かったが、彼が発見した訳ではないらしい。


「泥棒って、ここに入ったの?」


「いや。向かいの靴屋だ。声も靴職人のものだった」


「向かい……ね」


 二人が視線を玄関口に向けるのとほぼ同時に、ファルシオンとリオグランテが降りて来た。

 勇者一行が揃ったのを確認したところで、主人はその玄関へ向かおうと歩を進める。


「お前等はここにいな。身を隠している以上、迂闊に出て行かない方が良いだろう」


「そんなのダメです! 僕達が行きます!」


 間髪入れずリオグランテが吼えた。

 勇者たる者、泥棒の存在と犯行を知ったならば放置する訳には行かない。


「ま、そういう事だから」


「心配せずとも、慣れていますので」


 勇者がそうである以上、仲間もまた然り。

 呆然と見送る主人を背に、勇者一行は向かいの建物へと赴く。


 靴屋には明かりがついており、その入り口に鍵は掛かっていない。

 直ぐに中へ入ったリオグランテの目には――――床に散乱する数多の靴が映った。


「ヒッ!? 何故戻っ……え?」


 そして、その靴を片付けようと腰を屈めていた靴職人と思しき男も視界に納まる。


「えっと、向かいの者です。何があったんですか?」


「え? あ、ああ……実は」


 フランベルジュとファルシオンが合流する中、靴職人は話を始めた。

 何でも、奥で休んでいると突然この靴売り場で物音がして、慌てて駆けつけてみたところ――――


「こうなっていた、と」


 ファルシオンの言葉に、靴職人はコクリと頷く。

 確かにこの状況を見れば、泥棒と叫ぶのは必然だ。


 だが――――


「でも、減ってなかったんです。靴……だから、引き返して盗りに来たのかと」


「じゃあ……悪戯なんですかね?」


「何? イタズラぁ?」


 リオグランテが首を捻る傍らで、宿屋の主人が頭を掻いている。

 気になって自らも足を運んだらしい。


「あ、すいません。お騒がせして……」


「いや、あんたに落ち度はないさ。こんな時間に人騒がせな事やりやがる奴が悪いに決まってる。おい、お前等も手伝ってやれ」


 嘆息しつつ、主人も屈んで靴を拾い始めた。

 緊張が途切れ弛緩するリオグランテとフランベルジュもそれに続く。

 暫くの間、靴を拾う際の微かな物音だけが響き渡っていた。


「……」


 そんな中、ファルシオンだけが立ったまま、視線を外に向けていた。


「ファル?」


 その様子に気付き、フランベルジュが眉を顰め問う。

 しかし、その言葉に答えはなく――――突然外へと駆け出した。


「ちょっ、ファル……不審者でもいたって言うの?」


「ならそう言うだろ。厠じゃねえのか?」


「……」


 主人の無神経な言葉に頭を抱えつつ、フランベルジュは一瞬迷ったのち、靴拾いを再開した。





 雲のない夜だった。


 月が浸す世界は静寂と安寧を携え、ただ軽やかに揺蕩い続けている。

 薄闇色の胞子が宙を舞うように、何処となく不安定に。

 そしてそれは、ファルシオンの心境そのものだった。


 確信は――――ない。

 今の自分自身の行動に、絶対的な理由がある訳ではなかった。


 だから、仲間には言えなかった。

 でも、無視は出来なかった。


 一瞬、虫の鳴き声が止んだ事。

 同時に聞こえてきた小さな物音。

 そして、微かに視界を汚した深い影。


 その影は、宿屋【カシュカシュ】から出て来た。


 焦燥ばかりが露見した逃亡。

 それは盗賊というには、余り感心出来る移動ではなかった。


 それだけに、ファルシオンは悩んでいた。


 もし、自分が感じた何者かの存在が盗賊だとしたら、余りに未熟過ぎる。

 一方、素人が盗みに入ったのだとしたら、逃亡の際の隙とは対照的に、手際が良過ぎる。


 状況的に、靴屋で陽動を起こして主人を外に引きつけ、その隙に本命の宿屋に進入――――と考えるのが妥当。

 その手を実行すること自体素人らしくないが、宿屋の主人が外に出た僅かな時間で実行するのは更に困難を極める。

 仮に金目の物の目星が事前についていて、それが一階にあったとしてもだ。


 その違和感が、ファルシオンを影の追跡へといざなった。

 仮にそれが気の所為や見当違いだったとしても、追う事が徒労に終わるだけでリスクは極めて少ないし、仲間に迷惑もかからない。

 合理の中での判断だった。

 

 推測は慎重に、行動は逡巡なく。

 それが、ファルシオンの行動指針だ。

 そして同時に、自身の敬愛する魔術士の理念とも一致する。


 数年前、魔術史の分岐点になるとさえ言われる革命を起こした偉大な研究家。

 その人物は十代でありながら、『ルーリングの高速化及び自動化』という過去誰も成し得なかった魔術システムの大改造に成功し、魔術士に送られる最高の称号である『賢聖』を得た。

 出自は不明だが、少なくとも恵まれた環境で生まれ育った記録はなく、叩き上げという見方が一般的だ。


 ファルシオンにとって、その敬愛する魔術士の理念は絶対であり、自分自身の理念と同義だった。

 そして今日――――彼女の指針は自身を真実へと近付けていた。


 もしファルシオンが追わなければ、何一つ明かされなかったであろう真実。

 その小さな破片が、走り続けた先の路地裏にあった。


「……!」


 肩で息をしながらファルシオンが見たのは、彼女の進行方向に向かって倒れている男の姿。

 呼吸や身体の律動がわかる程に周囲は明るくない為、生死の判断は出来ない。

 そして、これが影の正体であるか否かも同様だ。


 逃げた当人かもしれない。

 その人物に通りがてら倒された被害者かもしれない。

 無関係かもしれない。


 ただ、被害者なら悲鳴すらあがっていないのは不自然。

 事実上の二択だ。


 ファルシオンは、当人であると推測した。

 この状況で無関係の人物が倒れているのは、余りにも偶然が過ぎる。

 倒れている方向にも矛盾はない。


「……」


 その判断に伴い周囲への警戒を強める。

 当初の推測とは全く異なる可能性が生まれたからだ。


 倒れているこの人物が盗賊ではなく自分達以外の宿泊者で、襲撃され逃亡していた――――という可能性だ。


 隠れ宿の性質上、ファルシオンは自分達以外の宿泊者については一切知らない。

 いるかどうかすらわからない。

 ただ、隠れ宿を利用している以上、訳ありの人物なのは間違いなく、襲われるだけの何かしらの理由があっても不思議ではない。


 その人物が、宿から逃げるように出て行き、路地裏で倒れている。

 現状を冷静に分析すれば、強襲に遭った可能性が最も高い。


 一人の存在しか感知出来なかったのも、暗殺者のような気配断ちの専門家が襲撃者だとすれば不自然ではない。

 靴屋の陽動は、宿屋の主人をおびき出す為ではなく、標的を部屋から誘い出す為のものだったと考えれば尚更だ。


 覚束ない逃亡劇と手際の良過ぎる手口の齟齬は、関与している人間が二人いたから。

 それなら辻褄は合う。


「誰かいますか」


 ファルシオンは敢えて言葉を放った。

 無言でいるよりは現状の変化を期待出来るからだ。


 当然警戒は解かず、その場からも動かない。

 倒れている人物との距離は、自身の身長のおよそ三倍程度。

 万が一『実はやっぱり盗賊で、逃亡が困難と判断し倒れたフリをしている』という状況である場合を想定し、立ち上がるより前に魔術出力が可能なこの距離を保つべきとファルシオンは判断した。


「誰かいるのなら警告します。私は魔術士です」


 魔術士という存在は、魔術国家のデ・ラ・ペーニャでさえ一般人から恐れられる存在。

 このエチェベリアでは更にその色は濃い。

 何事もなく済ますには、相手を肩書きで克服させるのが一番だ。


 そして、その警告の証として、ファルシオンは結界を張る為に魔術を施行し始めた。

 右手人差し指にはまった指輪――――魔具が光ると同時に、その光で宙に一文字だけルーンを綴る。

 すると、その文字から右側へ向かって、別の文字群が一瞬で次々と連なって行った。


 通常、ルーンを綴るルーリングという作業は手書きで行う。

 指輪型魔具の場合は、その指輪をはめた指で文字を空中等に綴る必要がある。

 魔術の規模が大きいほど、綴るルーンの数は膨大になるし、そのルーン一つ一つに込めるべき魔力も消費量・調整共に複雑化する。


 だが、現代の魔術士はその手作業を大胆に省略出来る術を得ている。 


 オートルーリング。


 最初の数文字を綴るだけで、そこから先は魔具に予め記録されている文字列が自動的に編綴されていき、型通りの魔術を放てる――――そういう技術だ。

 これによって魔術士は、魔術発動までの時間を大幅に短縮させる事が可能になった。

 戦闘において、この短縮が絶大な影響を与えるのは言うまでもない。


 ファルシオンが一文字目を綴って以降、魔術出力まで要した時間はたったの一秒強。

 一瞬でルーンの文字列が宙に並び、霧散するのとほぼ同時に彼女の周囲には三角錐の結界が張られていた。


「私はこれから、目の前の倒れている人物へ近付きます。寝たフリなら起きて下さい。呼吸筋の収縮を視認した瞬間に結界を解いて攻撃へ移行します。周囲からの妨害があった場合、どのような理由であれ妨害者は敵と判断し攻撃を加えます。警告はここまでです」


 全方位に向けての最終勧告。


 反応は――――


『そいつはこちらの標的だ。勝手に触らないで貰えると助かる』


 くぐもった声で返って来た。

 その事に、ファルシオンは少なからず動揺する。


『標的』と言うくらいなのだから、暗殺者かどうかは兎も角、襲撃者である事は明白。

 だが、それなら返事をせずに持久戦を想定し、ファルシオンが油断した隙を狙って攻撃するのが常套手段の筈だった。


 魔術の結界は、ある程度の時間なら継続的に出現させたままに出来るが、長時間の持続は難しい。

 魔力の消費自体は結界そのものに衝撃が加わらない限り微々たるものだが、攻撃魔術と違って維持そのものに神経を使う為、術者の精神力がもたない。

 それくらいは魔術士でなくとも知っている、常識の範疇だ。


 よって、時間さえかければ勝手に結界は解かれるのだから、タイミングを図りつつ待ちの一手が最適解。

 何しろファルシオンは、自ら相手の気配を察知出来ていない事を露呈させているのだから。

 攻撃される心配がない状況で、待ち続ければ勝手に結界は消えるのなら、待つのが普通だ。


 そして、それこそが――――ファルシオンの仕掛けた罠だった。


 結界を解いたフリをして、攻撃が来た瞬間にもう一度結界を張る。

 オートルーリングであれば、問題なくそれでどんな攻撃も防げる自信があった。

 そうすれば、攻撃の手段と方向で相手の情報が得られる。


 しかし、その罠は不発に終わった。

 読まれていたのか、別の思惑があるのか――――いずれにしても、ファルシオンの次の行動はもう決まっていた。


「それは出来ません」


『何故?』


「傷付いた者を放置出来ない立場だからです」


 勇者一行の一員である以上、選択の余地はない。

 本意であろうとなかろうと。


『だとしたら、何も問題はないよ。その男は生きているし、これ以上傷付ける予定もないから』


 くぐもった声は、倒れている人物の性別と、今後の予定まで告知してくれた。

 かなりの情報が含まれている言葉だが、当然信憑性はないに等しい。


「保証がない以上、信用に値しません」


『なら、力ずくで追い払うしかない。こっちも時間がないんだ』


「警告はしました。今の言葉をもって、貴方を……」


 刹那――――光が揺れた。


 ファルシオンは臨戦魔術士。

 魔術士が一般人に持たれているイメージの通り、攻撃魔法を操って敵を倒す技術と経験を有している。


 かつて魔術士は戦場において、その役割を支援に偏らせていた。

 ルーリングには時間がかかり、その間無防備な状態が続くからだ。

 敵の攻撃を受けない安全圏から放つか、屈強な戦士の後ろで遠距離攻撃を行うしかなかった。


 だが、それも過去の事。 

 オートルーリングが定着した今、臨戦魔術士は戦場の最前線でも戦力となれる万能型の戦士として認知され始めていた。


「敵と判断します」


 ファルシオンのその言葉と同時に、宙に文字が躍る。

 瞬時に並んだ十二の文字は一瞬で霧散し、無数の氷の飛礫を作り出す。


【氷の弾雨】

 

 水や氷を基調とする青魔術の最も基本的な魔術で、一粒一粒の攻撃力は決して高くない。

 ただ、その数の多さ、そして敵を襲撃する速度から、牽制や距離を測る役割には最適の魔術だ。

 そして、見えない敵を探す為の試図としても。


『……!』


 その選択は功を奏し、微かな呻き声が夜空を伝う。

 そして、その音でファルシオンは敵の位置を把握した。


 斜め上空の大きな街路樹。

 その葉を隠れ蓑にしている。


「そこです」


 ファルシオンは自身の四倍以上ある大きな街路樹を見上げ、次の魔術を編綴した。


 攻撃魔術と結界は、同時に生み出す事はできない。

 よって、ファルシオンは結界を解いてまで、攻撃に転じている。

 そうしなければならない理由があったからだ。


 魔術で生み出す結界は、攻撃魔術を防ぐものもあれば、物理攻撃を防ぐものもある。

 全ての殺傷力から身を守る結界もあるが、それは魔力の消費が余りに激しく持続性も低い為、基本的には防御可能な攻撃を絞るのが普通だ。


 ファルシオンが先程生み出していたのは後者。

 もし街路樹に潜む襲撃者が魔術を使用出来る相手だった場合は簡単に食らってしまうが、その可能性は既に消えていた。

 魔術士ならその結界が何を防ぐ種類のものか、結界から漏れ出る魔力の質で判別が付くからだ。


 だから結界自体は有効なのだが、あくまでそれは現状が維持される場合。

 敵に仲間がいないとは限らないし、それが魔術士の可能性も否定出来ない。

 もしこの場に敵の魔術士が駆けつけたとしたら、ファルシオンは数的不利以上の危機が迫る。


 単身で追跡した事に後悔はない。

 自分以外の二人がこの場にいたとして、宵闇でないとはいえこの薄暗い中で剣士が出来る事は少ない。


 何より――――ここで勇者に万が一の事があっては困る。

 それが最大の理由だった。

 

『っ……!』


 ファルシオンが次に生み出した魔術――――【氷輪】が宙を舞う。

 リング状に氷を形成し、その刃で敵を切り裂く中級程度の青魔術だ。


 その刃は、街路樹の上部を幹から切り裂き、その高さを二割ほど低くさせた。

 当然、その上にいた襲撃者は転落するしかなく、一巻の終わり――――となる筈だった。


 しかし、分断された街路樹がけたたましい音と共に地面へ叩き付けられる中、悲鳴や痛みを訴える声は一切響かない。

 殆ど音もなく、優雅に着地していた。


「……」


 ファルシオンは月明かりで微かに浮かぶ襲撃者の姿に、脅威を覚える。

 明らかに、只者ではなかった。


 顔は見えない。

 布で口元を隠している。

 暗殺者の可能性が極めて高い。


『良い腕だ。判断力、制御力共に申し分ない』


「……」


 その襲撃者の賛辞に、ファルシオンは応えない。

 敵と見做し、戦闘態勢に入った事で、口を開く事を止めていた。


 無駄に情報を与えない為の自制。

 これもまた、賢聖の理念をなぞったものだ。


『でも――――まだ甘い』 


 しかしその沈黙は、一瞬で別のものに変わる。

 次の瞬間、ファルシオンは意図せず喉を収縮させていた。

 戦慄を覚えたからだ。


 言葉に?

 目の前の敵に?


 否――――

 今しがた、右のテールを掠めるように飛んで来た、何かにだ。


 それが眼前の襲撃者の攻撃だと気付いたのは、二秒後。

 そして身を竦めたのは、それから一秒後。

 勝負はこの瞬間に決した。


 殺そうと思えば殺せたのだ。

 今の一撃で。


「……何を撃ったのですか」


 ファルシオンの声は震えていた。

 信念を破る重大な禁忌。

 それを、得体の知れない攻撃の恐怖が上回った。


『只の矢だよ。ここ数年の魔術の進化で、過去の遺物と呼ばれるようになった――――』


 そして、その説明を最後まで聞く事なく、ファルシオンの意識は急速に闇へと飲まれて行った。


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