第1章:梟と鷹(13)
この世界には二つの光が存在する。
陽と月。
陽は空を青く輝かせ、人々を、生物を、草花を目覚めさせる。
月は空を黒く染め、眠りの時間を作る。
現在、月が姿を見せる刻。
レカルテ商店街では人通りが疎らになり、多くの店が本日の営業を終了させている。
薬草店【ノート】もまた、その中の一つだ。
店の臨時従業員となっている勇者一行は塒となる宿屋【カシュカシュ】へと向かった。
そしてフェイルは――――
「すまないな。先日依頼したばかりだと言うのに」
静かに首を横に振る。
ビューグラス=シュロスベリーの屋敷を訪れた彼の目には、臙脂色の長椅子の沈黙が映っていた。
「何か緊急を要する案件でも?」
二日前の見知らぬ女性との蜜月現場を思い出し、フェイルは曖昧に問う。
尤も、眼前の男性が私事でフェイルに何かを依頼した事は、これまで一度もない。
全てが仕事絡みだ。
薬草に全てを捧げ、薬草の全てを知る男。
それが、ビューグラス=シュロスベリーと言う人間に与えられた社会的評価であり、フェイルの知る彼もまた、限りなくその評価に近い。
だからこそ、この男の依頼を受け続けている。
薬草師として、誰よりも尊敬しているこの男を手助けする為に。
「ウエストは知っているな」
「ええ。近所の諜報ギルドがどうしました?」
このヴァレロン新市街地には、幾つかのギルドが密集している。
商人ギルド【ボナン】。
傭兵ギルド【ラファイエット】と【ウォレス】。
そして、諜報ギルド【ウエスト】。
これらのギルドはいずれも、ヴァレロンという都市を構成する上では欠かせない存在であり、現在の形式に導いた原動力でもある。
その中にあって、諜報ギルドであるウエストの存在は非常に大きい。
ウエストは全世界に支店を持つギルドで、本店はエチェベリアの南に存在する帝国ヴィエルコウッドにある。
ただし諜報ギルドの性質上、各支店間の繋がりは色濃く、本店から離れていてもその影響力、情報力には余り大きな格差はない。
よって、世界各国の最新情報がこのウエストのどの支店でも得る事が出来る。
元々は盗賊ギルドと呼ばれ、荒くれ者の集団を統率し、その情報収集能力を最大限に生かし、広大な網を構築したのがウエストの始まり。
現在では無数の情報屋が所属している他、流通の取り仕切りや税金の押収まで行っている。
「その中に一人、儂の子飼いの者がいる。しかしここ一週間連絡が取れない」
「……」
フェイルは、自然と瞑目した。
今の話と自分の仕事を照合し、何処に接点があるか。
息のかかったギルド員が消えたのなら、ビューグラスにとっては危機的状況と言える。
通常、ギルドと他の個人・法人との関係は常にオープンでなければならないが、当然そんな陽の当たる関係ではないだろう。
諜報ギルドのプロテクトがかかった情報を効率よく引き出す為に、高い金を払って買収している――――そのような月明かりの関係性なのは火を見るより明らかだ。
つまりは、法を犯している。
そんな仕事仲間が消えたとなれば、ビューグラスには失踪の理由に関係なく不都合が発生するのは容易に想像出来る。
だが、フェイルは調査員ではないのだから、その真相を探る依頼ならば別の機関に行く。
よって、既にその段階は過ぎており、とうに調べはついている可能性が高い。
と、なると――――
「失踪したそのギルド員を生け捕りに……ですか?」
「流石だな。その通りだ」
幾つか生まれた推論の中から、最も確率の高いものを選んだ結果、正解を得た。
「調査の結果、失踪の原因は『ビューグラス=シュロスベリーの抱えている秘密を法外な価格で買い取る』と宣う人物が現れた事にあった。情けない話だが、裏切られた格好だ」
薬草界の重鎮とも言える人物とは思えない、覇気のない表情。
それが、信頼していた人物の裏切りに対する失望なのか、自分の権力の枯渇を嘆くものなのかは定かではなかったが、いずれにせよ心労を表すには十分な顔と声だった。
「現在、標的はこの住所の建物の中にいる。確実に生け捕りにして儂の元へ届けて欲しい。期日は次の陽が昇るまで」
「……了解しました」
フェイルは逡巡ではなく観察によって生まれた若干の間の後、了承した。
情報収集と捕縛を別の人間に依頼するくらいに慎重を期した作戦。
この成否には、ビューグラスの今後に大きな影響を及ぼす事は間違いない。
「報酬は、通常の三倍払おう」
その裏付けが一つ追加された。
無論、責任の度合いも増す。
本職ではないのだから、仮に失敗したとしても生活に支障はないし問題ない――――等と甘い考えをもって務められる内容ではない。
「それとも、稀有な薬草を譲渡する方が良いかね?」
そう――――気を引き締めたフェイルに対し、ビューグラスのその提案は粗悪だった
彼にしてみれば、フェイルは薬草師でもあり店を営んでいる事も知っているだけに、より好条件をと好意で言ったのかもしれない。
「僕が貴方にそんな要求をした事がありましたか?」
だが、フェイルにとってその提案は到底受け入れられるものではなかった。
矜持を傷付けられたからではない。
あるのはただ、やるせなさ――――それだけだった。
「そうか。では先だっての報酬三倍で条件確定だ。宜しく頼む」
怒気とは違うものの、普段とは異なる冷たさをフェイルの返答から感じたのか、ビューグラスは意識の上で一歩引く。
怖じ気づく筈もない。
言葉通り、単に一歩引いただけの話だ。
フェイルは無言で住所の記された紙を取り、部屋を出た。
廊下にアニスの姿はない。
時間帯を考えれば既に自室で寝静まっているか、寛いでいるかのどちらかと考えるのが妥当。
それでも今、視界に入らない彼女に安堵しつつ、手に取った紙を眺める。
「……」
そこには住所だけでなく施設名も記してあった。
――――人が誰しもその体内に蓄えている『魔力』を源泉とし、物理的外力へ変換させる為の術。
それが魔術の一般的な定義だ。
しかし、その原理について知る者は例え魔術士であってもそれほど多くはない。
【炎の球体】という魔術がある。
火で形成された赤魔術の中で最も基本的であり、魔術士見習いでも扱える低難易度の魔術だ。
使用者の数は膨大だが、どのような理屈で魔力が炎となり、球状で固定され、使用者が火傷せず出力する事が出来るのか――――その過程を説明可能な者はまずいない。
「実際、過程を一切を知らなくても魔術は使えますから、仕方のない部分ではあります。アカデミーが教えるのは『魔術の使い方』と『既存の魔術の仕組み』についてが殆どで、魔術そのものの原理や構造については冒頭にサラッと触れるのみ。教える側も詳しい事はわかっていないと思います」
「ふえ~」
宿屋【カシュカシュ】の一室に、リオグランテの鳴き声じみた声が響く。
夕食を終え、夜も大分更けて来た時間だが、勇者一行は全員同じ部屋にいた。
何故なら一室しか借りられなかったからだ。
この隠れ宿の主人が大事にしていた母親の形見を拾い、無料で部屋を提供された――――までは良いが、流石に人数分の部屋を借りられる程世の中は甘くなかった。
尤も、フランベルジュとファルシオンが実年齢よりずっと子供じみたリオグランテに対して貞操の危機を抱く事は一切なく、相部屋でも特に問題は生じていない。
寧ろこれを好機としたファルシオンは、リオグランテに対する勇者教育の一環として魔術の基本的な説明を行っていた。
リオグランテは魔術士ではないし、今後魔術を学ぶ予定もないが、魔術士と戦う機会はこれから必ずある。
魔術の原理を知っておけば、何かしら役に立つかもしれない。
ちなみに、フランベルジュはその時間を利用し剣の手入れを行っている。
「ところでファルさん! アカデミーとは何ですか!」
「……そこからですか」
元気一杯のリオグランテの疑問に、ファルシオンは嘆息を禁じえなかった。
魔術士ではなくても、アカデミーは一般常識レベルの存在。
それも知らないとなると、説明の為の説明で相当な時間を費やす事になる。
「アカデミーとは魔術の教育機構です。ここで教育を受け、戦闘実習も含めた必要単位を全て修得した者のみが魔術士と名乗れます」
アカデミーの存在は、単に魔術士を育成する為ではなく、実戦経験を積み、戦場で闘える魔術士――――臨戦魔術士を生み出す為にある。
よって、魔術士と名乗る者は殆ど例外なく、何らかの形で敵を攻撃する術を知っている。
「なるほどー。それじゃ強敵なんですね」
「当然です。それに今はルーリングの自動化に伴い、一人の魔術士が使用する種類の数、質とも大幅に向上し、魔術対策がより難しくなっています」
自身も魔術士であるファルシオンのその言葉は、ある意味自画自賛だった。
しかしリオグランテは一切その事には触れず、おどおどした様子で挙手をする。
「えっと……ルーリングって何かな、なんて」
「……」
ファルシオンは無表情で絶句していた。
「ああっ、ごめんなさいすいません! 僕ってばホントに無知で!」
「いえ、知らない事を聞く行為は重要です。例え羞恥心が致死量に達して顔から炎の球体を吹き出したとしても」
「ううう」
教師は程々に辛辣だったが――――魔術について解説するのは決して嫌いではなかった。
「ルーンを説明するには、まず魔術が成立する際の工程について説明しないといけませんね」
「お願いします、先生!」
「……先生は止めて下さい」
ファルシオンは表情こそ変えなかったが、微妙に頬の辺りの血色を良くし、小さく息を吐く。
少しだけ感情の制御を必要とした。
「魔力が術となるまでの工程は、主に三つに分けられます。まずは、魔力を使用可能の状態にする為の作業。これは潜在エネルギーである魔力を魔術の燃料にするような感覚です。次に魔力をどのような術に変換するか決定する作業。これがルーリングです。魔具という道具を使用し、ルーンを綴ります。綴る場所は空中でも地面でも何処でも構いません。つまり、ルーンは誰かが魔術を使おうとしている合図でもあります」
ルーリングを行う為の魔具は、かつて杖が主流だった。
しかし杖型の魔具は大きく携帯性に欠けている上、ルーンを綴る為の動作が困難だった為、研究・開発が進んだ現在では指輪型が主流となっている。
「そして最後に、魔術を体外へ出力し、敵にぶつける。以上が魔術の主だった作業手順です。ここまではわかりましたか?」
「ええと……多分」
「では、恐らくわかっていないルーリングの詳しい説明に映ります」
ファルシオンはリオグランテの曖昧申告を完全無視した。
「ルーリングは魔術の主な構成を決める魔術で最も重要な工程で、出力する魔術の規模・形状・範囲・硬度・密度・速度・属性……これらを全てルーンの文字列で指定します。つまりルーンとは『魔力へ指示を出す為の言語』なんです」
「るーるー」
混乱したのか、脳が受け入れを認めず暴走しているのか、リオグランテは完全に意識を遠くに飛ばしていた。
しかし、ファルシオンに困惑の様子はない。
こういう場合のリオグランテの扱いは慣れたものだった。
「この店にパンを置くとしましょう」
「パンは好きです! 白いパンが人気ですけど固い黒パンも好きですよ!」
「そうですね。そのパンを作るには小麦が必要です。けれど、小麦を用意したからといって、直ぐパンが作れる訳ではありません。小麦を製粉して、粉になった物をパン工房へ送り、そこで様々な種類のパンが専用の道具によって焼かれますね。それが販売店に行き渡って、初めて商品のパンとなるんです」
勇者の瞬きが通常時の五倍ほどに増える。
例え話である事さえ理解していない様子だ。
「……小麦を魔力、製粉や焼く為に使う道具が魔具、作り方を書いた説明書の文字がルーン、加工作業全般がルーリングと考えて下さい」
ファルシオンは仕方なく決して安くはない羊皮紙を取り出し、説明を図化して見せた。
「小麦をパンにするには、作り方を知って、それから道具を使って焼いて、お店に出せるようにしなくてはなりませんよね? それと同じで、ルーンを使って魔力を色々な形にして魔術にするのがルーリングなんです」
「なるほど~。ファルさん凄いです! 本当に先生みたい」
リオグランテはようやく理解できたのか、感嘆の声と共に尊敬の眼差しをファルシオンに向ける。
一方、その手の視線が苦手なファルシオンは、思わず目を背けた。
「では、次に魔具ですが……」
――――刹那。
「ど、泥棒だああああっ!」
そんな叫び声が、同時に二人の鼓膜を叩いた。




