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第4章:間引き(41)





 空はこの日、さめざめと泣いていた。

 灰色の水溜りが至る所に作られ、昂ぶった人々の心を少しでも鎮めようとするかのように、忙しなく影を叩く。


 エル・バタラ開幕前日。


 それはすなわち、予選の組み合わせ抽選会の日でもある。


 街中に集まった猛者達が一斉にヴァレロン総合闘技場へと足を運ぶ今日、薬草店ノートはひっそりとリニューアルオープンを迎えた。


 生憎の雨模様の中にも拘わらず、事前の宣伝が奏功したようで、客足はまずまず。

 本命は正午の抽選会が終わってからなので、現時点では十分な成果と言える。


「っていうか……リニューアル当日に店主がいないって、それってどうなの?」


 数人の客が途絶える事なく店内で商品を吟味する様子をジト目で眺めつつ、売り子を任されたアニスは呆れ気味に嘆息し、カウンターに肘を突いた。


「それは仕方ありません。抽選会の会場で宣伝するのも大事ですから」


 アニスの隣で、ファルシオンが諭すように告げる。

 その手には、【グランデスモール】と書かれたラベルを貼った小瓶を敷き詰めた木箱が抱かれていた。


 グランデスモール――――人間の状態を正常化する薬草と謳われている絶滅種の野草の名前。

 当然、この瓶にそのような稀少な草は入っていない。


 このノートの再建を賭けた新薬の名前として、フェイルがそう名付けた。


 意図は明白。

 グランデスモールという名の野草に心当たりがある人物を一人でも多く見つけ出す為だ。


 この絶滅種の野草は、決して知名度は高くない。

 殆どの客は、この名前を聞いてもピンと来ないだろうし、普通に新薬の名前として認識するだろう。


 だがもし、グランデスモールの本来の実物を知っている人間がいれば、それを指摘する筈。

 中には情報を知っている人間がいるかもしれない。


 この新薬は、フェイルにとって自信作だった。


 フランベルジュの特訓の為に訪れたボスケ大森林で採取した毒草インメディアタメンテを丁寧かつ慎重に調合し、強力な止血効果を実現。

 即効性を重視した鎮痛効果の高さは、フランベルジュに使用した際にも実証済みだ。

 エル・バタラをきっかけに、このヴァレロンだけでなくエチェベリア国内、或いは国外に広まり、名薬として後世に名を残す可能性さえあると期待している。


 それでもフェイルはオリジナリティを完全放棄し、自分の探し物を見つけ出す可能性を少しでも上げる為だけにグランデスモールとだけ名付けた。

 執念とさえ呼べる決断だ。


「ファル姉様、ファル姉様」


「……あ」


 その事について考えていたファルシオンは、目の前にノノが来ていた事に気が付かずにいた。

 ノノもまた、手伝いの為にノートを訪れている即戦力。


「新しい薬、もう棚にありません。補充しましょう」


 まだ小さいとはいえ、良く気が利く。

 ファルシオンはそんな彼女の指摘に小さく頷き、木箱から小瓶を取り出し陳列した。


 売れ行きは好調。

 あとは、その評判が口コミで広まるのを待つのみ。

 そこでファルシオンは一旦薬を思考から遠ざけ、ノノの頭を優しく撫でた。

 

「ノノさんはしっかり者ですね。良いお嫁さんになれると思います」


「そ、そうかな……えへへ」


 すっかり仲良しの二人。

 その様子を、アニスは頬杖を付きながら、じっと眺めていた。


「すいません、これお願いします」


「あ、はーい。えっと……全部で三〇ユローになります」


 取り敢えず店は盛況。

 出来れば午後には晴れて欲しいと願いつつ、ファルシオンは接客に勤しんだ。





「……晴れそうにないね」


 ヴァレロン総合闘技場の入り口に小さく響き渡る、数多の足音。

 その音に混じり、天を仰ぐフェイルの隣で腰に手を置いたフランベルジュの小さな呼吸音が、忙しなく右往左往する。


「ま、これくらいの雨なら大丈夫かな。きっと。多分。なんとか……」


「ふーっ……」


 今度は、深い深い深呼吸。

 その様子に、フェイルは思わず苦笑を浮かべた。


「今から緊張し過ぎだって。今日は抽選会だけなんだから」


「別に緊張なんてしてないけど? これはただ、明日から始まる闘いへ向けての……ひっく」


 ついには吃逆まで生じてしまった。


「ひっく……ちょっとした精神統一よひっく」


「ま、ここまで来たら開き直りも必要だよ」


 そんなフランベルジュの肩を拳で軽く叩き、フェイルは一足先に闘技場へと入る。


 一度下見で訪れているので、そこに新鮮さはない。

 だが、その時とはまるで様相が異なる。


 数多の種類の殺気と緊張、熱意と野望を孕んだ今日のヴァレロン総合闘技場は、圧倒的なまでの威圧感を宿している。

 フランベルジュが緊張するのも無理のない話だった。


 四年に一度、猛者の集う大会。

 その雰囲気は既に整っている。



「で、肩の調子はどう?」


「見ての通りよひっく」


 フェイルの隣に追いついたフランベルジュは、左肩をぐるりと回してみせる。


「これだけ動けば十分。貴方の作った薬のお陰ひっく。感謝しないとねひっく」


「……」


 その発言を鵜呑みにするほど、フェイルは素直ではなかった。

 勿論、感謝の話ではなくフランベルジュの体調についてだ。


 確かに、グランデスモールは予想以上の効果を生み出している。

 当初は少し動かすだけで激痛が走っていたフランベルジュの左肩は、ある程度の稼働にも耐え得る状態になっている。


 だが、それは完全に回復した訳ではない。

 あくまでも、鎮痛効果によって一時的に痛みを和らげているだけに過ぎない。


 即効性重視なので、持続性もない。

 試験も兼ねて毎日塗布しているものの、それで怪我が劇的に治る訳ではないし、全ての痛みを消す事も出来ない。


 勿論、ここまで来て痛いだの何だのと言っているようでは先が知れてるのも事実。

 フェイルは敢えて口元を和らげ、小さく頷いた。


 そしてその後は無言のまま、抽選会場となる控え室へと向かう。

 参加者はかなり多いらしく、フェイル達以外にも数多くの参加者と思しき面々が、それぞれの歩幅で同じ方向へ移動している。


「リオはもう来てるのかしらひっく」


 フランベルジュはその中に、勇者の姿を探した。

 一方、フェイルは別の人物を探していた。

 尤も、このような無数の人間が集う場所に、その姿がある筈もなかったが――――


「フェイル」


 突然背後から掛けられた精悍な声に、思わず身を震わせる。

 振り向いたそこには――――


「……ん? どした? 死んだ魚みてーな目しやがって」


「何でもない。そっちは何でいるの」


 決して“その姿”とは似ても似つかない友人、ハルの姿があった。


「ギルド仲間の同伴……って言いたいトコだけど、ま、ちっと用事がてらな。で、どーよ調子は。冷徹剣士」


 ハルの視線が、フランベルジュへと向けられる。

 そこにあるのは好奇の目ではなく、指導に協力したからこその真剣な眼差し。


「万全よひっく」


 それに対する答えは、とても単純明快。

 それでいて、数多の感情が含まれた声だった。


「あんまそうは見えねーけど……ま、とっとと入ろうぜ。もう古今東西の猛者連中が揃ってるだろうよ」


 ハルが親指で指す先は、控え室の入り口。

 扉は開かれたままになっている為、中の様子は外からも窺える。


「行こうか」 


「ひっく……ええ」


 ハルの背中を、二人同時に追う。

 そして入室――――


「……っ」


 それと同時に、フランベルジュは思わず息を呑んだ。


 この控え室はかなり広く、以前フェイル達が訪れた食事処ケアプロベッチェの客室よりも更に広大な空間が広がっている。

 例年通りの参加人数であれば、スペースにはかなりの余裕があっただろう。


 だが、既に集まっている人数だけで、空間はかなり埋まっている。

 今大会の異常性が一目でわかる状況だ。


「参加者総数一〇四名。エル・バタラ開催史上初の一〇〇人越えだとさ」


 その様子に驚いた様子もなく、ハルが苦笑しながら告げる。


「一〇四人……それだと総当たり戦は無理だよね。予選から勝ち残り方式かな」


「だろうな。負けが許される総当たりと勝ち残りじゃ全然重圧が違うぜ。覚悟しとくんだな」


「……わかってる」


 先程までの強気は失せ、フランベルジュの頬に冷や汗が伝う。


 それは、予想以上に参加者が多いから――――ではない。


 そこに集った面々が独自に放つ、圧と気。

 まだ前日でありながら、混沌とした一種異様な空気が渦巻いている。


「フランさん! フェイルさん!」


 そんな中、濁流のような空気の上を素通りするように、場違いな高い声が響き渡る。

 二人が入り口の方を振り向くと、そこには案の定、リオグランテの姿があった。


「フランさん、ゴメンなさい! お見舞い行きたかったんだけど、訓練が忙しくて……肩、大丈夫ですか?」


「心配無用よ。そっちこそ体調は万全なんでしょうね?」


「はい。バッチリです!」


 普段通り、これまで見てきた通りのリオグランテの笑顔。

 フェイルは二人のやり取りに、思わず吐息を漏らした。


 同時に、昨日のスコールズ家での出来事が一瞬頭に過ぎる。

 しかし直ぐにそれを払いのけ、今この時に集中するよう自身を促した。


 過去よりも現在、現在よりも未来。

 自分にそう言い聞かせ、無意識に瞑っていた目を開く。


「えー、それではエル・バタラに参加予定の方は、この控え室で待機しておいて下さい。間もなく予選抽選会を行います。エル・バタラに参加予定の方は――――」


 それと同時に、係員によるアナウンスが行われる。

 控え室内の空気が若干、張り詰めたものへと変わった。


 リオグランテの顔も、それまでの少年然としたものから、戦士の顔へと引き締まる。

 明らかな成長の跡が窺えた。


「もう参加予定の方は全員入られましたかーっ? それでは、抽選会を開催……」


「すまぬ。遅れてしまったようだ」


 係員が開催を宣言しようとしたその矢先、入り口から穏やかな声が届く。


 その声は、確かに穏やかだった。

 だが同時に――――重厚な人生観を漂わせた、重く響きわたる声でもある。


 事実、その声に室内の誰もが入り口へと目を向けた。

 そうせざるを得ない存在感があった。


 そしてその理由は、視界に入った人物を見た瞬間、誰もが悟る。


 無視できる筈がない。

 国内で唯一無二の称号の持ち主。


【剣聖】の声を――――


「……がっ……ガラディーン様!?」


 係員の素っ頓狂な声が、それを確実なものとする。

 本来、王宮で騎士の指揮を執る立場の人間が、このような場所へ来る事などあり得ない。

 だが係員の驚愕は、それとは違う部分にあった。


「貴方様とデュランダル様は予選は免除だった筈……です。ど、どうして……?」


「奴は既に下見を済ませているそうだが、某は今し方ようやくこの地に到着したばかりでな。折角の機会なので、寄らせて貰ったよ」


「は、はっ……! では、直ぐに椅子の準備を……!」


「構わん構わん。そう老人扱いするでない。まだ若いつもりなのでな」


 苦笑するガラディーンを、室内の誰もが食い入るように眺めている。


 ある者は、そのあり得ない参戦者へ驚きをもって。

 ある者は、その気さくな対応に、やはり驚いて。


 ここに集まっている者の多くは、広く名を轟かせる猛者ではるが、そのどれもが国内最強の名を欲しいままにする剣士の前では霞んでしまう。

 剣聖であるのと同時に、銀朱の師団長でもある彼の存在は、余りにも目映い。


「こいつは驚いたな。噂にはなってたが、本当にアンタがやってくるたぁビックリだ」


 しかし中には、剣聖に対し畏怖も萎縮もなく近付く者もいる。


「バルムンク……!」


 フランベルジュが、その人物にいち早く反応する。

 しかし、彼女の大声に周囲は反応すら示さない。

 皆が国内有数の強者同士の邂逅に目を奪われている。


「アンタやデュランダル=カレイラみてぇなエリート連中が、庶民の娯楽に何の用があるかは知らねぇが……良いのか?」


「何がかね?」


「ここには、アンタらに勝つ可能性がある人間が、数人いるぜ。誉れ高き銀朱の大将と次期大将が、野暮ったい俺らなんぞに屈したとあっちゃ、国の沽券に関わるんじゃねぇか、と思ってな。なぁに、ただの思いやりだ」


 それは――――誰が見てもそうだとわかる、露骨なまでの挑発。

 しかし安っぽさはない。

 明らかに、バルムンクは心底楽しそうにしていた。


「これほどの人物に対して、内容の薄い発言を軽々しくするものではないですな」


 そんな狂戦士の隣に、もう一人の強者が並ぶ。


「偽紳士野郎……いたのか」


「無論いますね。私も参加者の一人ですから」


 傭兵ギルド【ウォレス】代表取締役、クラウ=ソラス。

 その出現に、再び室内の空気が変わる。


 そして、フェイルもまた。


「……」


 射抜くような鋭い視線を、標的だった男へと向けた。

 当時に、自分自身の心の内を見つめる。

 今、自分が反射的に何を考えたのかを。


「剣聖。私は貴公の参加を心より歓迎します。が、もし私と本戦でぶつかる事があれば、是非お心添えを。代わりのいない身、無理をする事は決して利にはなりますまい」


 それは――――誰が聞いてもそうだとわかる、露骨過ぎる駆け引き。

 既にこの場で、戦闘は始まっていた。


「はっはっは。話には聞いていたが、この区域には随分と猛者が揃っているようだ」


 だがそんな二人をも、ガラディーンは包み込むように笑い飛ばす。

 それに対し、ギルドを代表する二人もまた、それぞれの表情で余裕を持って受け止める。


 三人の周囲が突然隆起し、天井を突き破って、遥か上空へと伸びて行く――――そんな錯覚を抱かせるほど、別次元での会話。


 果たして彼らに何人の参加者がついて行けるのか。

 本大会の展望が、徐々に浮き彫りになってきた。



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