第1章:梟と鷹(11)
勇者の称号は民衆にとって憧れでありながら身近でもある為、種々雑多の噂が飛び交っている。
そのありあまる英雄気質から色を好む。
危険や呪いや魔王を吸い寄せてしまう。
剣を操るが魔術も使える万能型。
更にもう一つ――――
「……仲間や周囲の人々が悪人に攫われてしまう、というのもあります」
「それは結構嫌な風評被害だね」
新市街地のメインストリート『アロンソ通り』をフェイルは苦笑しながら歩いていた。
隣を歩くのは、魔術士ファルシオン。
ノノの飼い猫であるクルルを見つけるため、勇者一行とフェイルは二手に分かれて街中を探索している。
本来なら全員散らばって探す方が効率は良い筈だが、勇者を一人にするのは危険と訴える仲間の二人の意見を尊重し、この形となった。
「歴代の勇者がどうなのかはわかりませんが、私達に関しては原因が明確です。今回のように、リオはなんにでも首を突っこみたがるので」
「周囲の人々が攫われるんじゃなく、攫われた人の方に向かって飛び込んで行くって事か」
「はい。困ったものです」
そう言いながらも無表情で、ファルシオンは空を仰ぐ。
腰まで伸びた美しい金髪のフランベルジュとは対照的に、ファルシオンの髪の毛は銀色の輝きを放っていた。
少し茶色がかった黒髪のフェイルとは対照的な色合いだ。
「って事は、これまでも似たような規模の事件は経験済み?」
「はい。お城を出て直ぐ、城下町で盗賊に親書を盗まれました。そこで諜報ギルドへ行ってその身体的特徴から何者かを割り出して貰ったところ、盗んだ物を売って得た金銭を身寄りのない子供に分け与える義賊だと判明して、しかもその義賊は諜報ギルドと対立関係にあったので、結果的に抗争に巻き込まれて……」
「いや、猫探しと全然規模が違うでしょ」
フェイルが首をブンブン横に振ると、ファルシオンは二つのお下げを左側に傾けていた。
「ですが、その後に巻き込まれた騒動は全てこれ以上の大事でしたので」
「確かに勇者の素質はあるみたいだね。そのトラブルメーカーぶりだったら、間違いなく噂通りの人物ってなるし」
勇者の行く所に事件あり。
勇者の寄る街に不幸あり。
勇者の使う交通機関に故障あり。
これらは全て、勇者を主人公にした英雄譚や散文物語を盛り上げる為の設定が一人歩きしただけのもの――――というのがフェイルの見解だった。
しかし候補とはいえ勇者を名乗る人物が実際にそんな旅をしているのなら、認識を改める必要性を抱かざるを得ない。
「国王陛下も『試練が勇者を大きく育てる』と仰っていました。試練とは神様からの贈り物である、と」
「贈り物ね……って、その理論だとさ、この猫探しも最終的にはとんでもない大事件に発展するんじゃないの? 店の半壊が前座ってくらいの……」
「それを阻止する為に、フランがリオに付いたのですが……」
そこまで言って、ファルシオンは言葉を止めた。
特に、何か言動を中断させるような環境の変化はない。
猫が視線の先にいた訳でもないし、顔見知りと出くわした事実もない。
要は、それ以降の言葉には負の要素しかなかったので、敢えて口を閉じただけの単なる気遣いに過ぎなかった。
「まあ、仮にそうなったとしても仕方ないよ。悪気があっての事じゃないのなら」
フェイルはお人好しではない。
今の発言も本心ではあるものの、悪気がないのなら構わないという意味ではない。
もしほんの僅かでも悪気を感じたなら、違う対応をする。
今後はより注意深く君達を観察する。
そういう警告でもあった。
「手厳しいですね」
そして、そんなフェイルの意図をファルシオンは完璧に汲んだ。
彼女もまた、お人好しではない。
だからこそ、どの言葉にどんな思惑が込められているのか人一倍敏感に察して、最適解を紡ぎ出す。
元弓兵と魔術士。
そんな二人には、戦術的空間内における確かな共通項が存在した。
「先の事は考えても仕方ないとして……ここから二手に分かれる? 勇者のお目付役が必要なだけで、僕達まで一緒にいる必要はないよね」
大きな交差点に差し掛かったところで、フェイルが問う。
このアロンソ通りは、薬草店【ノート】を出て東側に少し進んだ先にあり、現在地は左折して五分ほど平均的な歩行速度で北上した地点だ。
そして、その交差点の一角には、この界隈で最大の規模を誇る傭兵ギルド【ラファイエット】がある。
傭兵ギルドは、基本的には用心棒や賞金首の拿捕を生業としている傭兵達の集団だが、同時に街の治安維持にも一役買っている。
とはいえ、自治警のように毎日警邏をしている訳ではない。
酒場で騒ぎを起こす者も少なくない。
しかし、そんな騒動が頻繁に起こり治安の悪化が生み出されると、同時に深夜の時間帯に出歩く人の数は自然減少する。
ケンカはしても、それはギルドの者同士。
決して一般人には手は出さない。
その結果、総合的な街の治安は特別良くはないが、一般人の治安は守られる。
傭兵ギルド【ラファイエット】の存在は、そんな奇妙な一定水準の治安を保持する一翼を担っている。
「一人での探索は効率的ではありません。どれだけ首と視線を動かしたところで、移動しながら全ての箇所を視認するのは不可能ですから。確実に探す為には最低でも二人必要です」
ファルシオンの言葉は的確だった。
人の目で見える範囲は、個人差はあるものの、まず間違いなく半円未満。
しかも、これはあくまでも視界範囲であり、その全てが脳に伝わる訳ではない。
視覚情報として認識可能な範囲は更に狭まる。
よって、一人で道を歩いているだけでは前方全てを調べる事は出来ない。
でも二人なら、かなりの範囲が確実にフォロー可能だ。
「わかった。それじゃ方向を決めよう」
引き返すと言う選択はないので、実際には三択。
西、北、東。
どちらにも、割と整備された道が伸びている。
このアロンソ通りは馬車が良く通る事もあり、凹凸は殆どない。
景観も良く、地価の高さから民家は富豪の屋敷のみ。
ヴァレロン内でも指折りの美しさだ。
「闇雲に歩いても、猫のような気まぐれな動物は見つけられません。猫の性質を知り、隠れている可能性のあるポイントを探しましょう」
「隠れている? どうして断定出来るの?」
突然の提案に、フェイルは思わず首を捻る。
「猫は好奇心旺盛な一方で、大変臆病な動物です。自分の縄張りから外に出る事は滅多にありませんし、仮に出ても怖くなって軒下や茂みに隠れ、息を潜めます。遠くに行っているとは考え難いので、この周囲で隠れやすそうな場所を探しましょう」
「了解。それならこっちを探そう。廃屋があるんだ」
やたら猫の生態に詳しいファルシオンの提案に頷きつつ、フェイルは西の方角を指差す。
傭兵ギルド【ラファイエット】とほぼ向かい合う形で、その廃屋はひっそりと建っていた。
「ところで、猫を探すのに使えそうな魔術とか都合良くあったりしない?」
「……少なくとも私は使えません」
呆れ気味に小さく首を振る。
フェイルは魔術に余り造詣がないので、この問い自体が的外れである事に全く気付いていなかった。
アランテス教会が『自然との架け橋』と位置付ける――――魔術。
体内に一定以上の『魔力』を有する、限られた者のみが使用できるその術式は、実は殆どが外部への攻撃、及びその防御、そして封印に限られている。
攻撃に関しては、まず近距離での攻撃を前提とした『前衛術』、遠距離攻撃の『後衛術』に分けられ、更にそこから炎を貴重とした『赤魔術』、氷の『青魔術』、風の『緑魔術』、そして雷の『黄魔術』に分けられる。
対して防御は基本『結界』として出力される魔術を指す。
、それぞれの要素の攻撃魔術に特化した結界、全般に対して有効な結界、魔術ではなく物理攻撃を防ぐ結界など、様々な種類が開発され、アカデミー等で教えられている。
封印については『封術』と呼ばれ、専ら扉の施錠の代わりに使用される事が多く、宝物庫や貴重な書類などの管理に利用されている。
鍵とは違い、室内全体を保護する為、床、天井、壁を壊され進入される恐れがない一方で、その封術を解除する『解術』を他者が使用する危険性もある。
尤も、その封術独自のコード(封術符号)が必要な為、滅多な事では破られないが。
魔術には万能、すなわち『色々な事が出来る不思議な力』というイメージが根強くあるが、実際には利用方法はかなり限定される。
捜し物を見つける目的で開発された魔術は存在しない。
「でも、『彼』なら知っているかも……」
「彼? 勇者君の事?」
「あ、いえ……すみません、何でもありません。忘れて下さい」
フェイルは思わず目を疑う。
そのファルシオンの対応は、明らかにそれまでの彼女の言動や立ち振る舞いとは一線を画していた。
表情も僅かに緩み、まるで恥ずかしい物を見られたかのような初々しい反応。
狼狽もありありだ。
恋人、若しくは想い人の事だったのかもしれない――――そう解釈し、フェイルはそれ以上の追求は避けた。
他人の恋路に首を突っ込んだところで、得られるのは惚気という名の毒素しかない。
「えっと……取り敢えずこの廃墟を探そうか。猫が隠れそうな場所なら沢山あるし」
「はい」
そう返事する頃にはもう、既に元通り。
この辺りは、フェイルの持つファルシオンへの第一印象に違わないものだった。
改めて、廃墟に向けて足を運ぶ。
直ぐ近くだった事もあり、その輪郭はあっと言う間に明確になった。
建物は決して大きくはない。
ちょっと規模の大きい倉庫程度だ。
家屋の形態は辛うじて保っているものの、石造ではなく木造の為、雨による侵食がかなり激しく、土と接触している部分は大方腐敗に近い状態にある。
そんな廃屋の周囲には、数多の折れた剣や錆びたナイフが転がっていた。
「余り行儀の良いギルドではないみたいですね」
向かいの【ラファイエット】の傭兵達が、武器捨場にしているのは明白。
ファルシオンが呆れつつ、率先して廃屋の中へ足を――――
「待って。誰かいる」
「え?」
踏み入れようとするところを、フェイルはすんでのところで止めた。
これも職業病。
ただし今回の気配察知能力については、薬草店の店主ではなく裏稼業の方が該当した。
「……猫ではなさそうですね。そう断言出来る根拠をお願いしたいのですが」
当然、ファルシオンの立場ではそれを素直に信じる訳にはいかない。
薬草士の店主が姿の見えない人間の気配を察知するなど、通常では考えられないのだから。
「薬草の採取って、結構隙が出来るんだ。しかも頻繁に狩りが行われてる山奥とかでね。だから自然に身に付くんだ」
本当の事を言える筈もなく、やや苦しい理由を尤もらしく伝える。
ファルシオンに得心が行く様子はなかったが、否定する材料も見つからなかったようで、渋々頷いた。
「一応聞いておきますけど、薬草泥棒をしている訳ではありませんよね? 勇者一行が泥棒の一味と思われるのは致命的なので」
「仮にそんな真似が出来るのなら、もう少し充実した品揃えになるんだろうけどね」
「素敵な返答ありがとうございます」
今回は心から納得出来たらしく、先程より目が澄んでいた。
「では、どうしましょうか。敷地主だとしたら少々厄介な事になりますが、その可能性よりは……」
「何か人に言えない事をしている方がよっぽどありそうだね」
午前中に廃墟にいる人間が怪しいと断定するのは乱暴が過ぎる。
とはいえ、問題ないと断言出来る筈もない。
例え二度手間でも、出直した方が無難――――
「行きましょう。仮に傭兵が麻薬の取引でもしていて襲いかかって来たら、私が対処します」
「え? いや、でも……」
「悪人でないのなら引き返す必要はありませんし、もし悪人だったなら、悪人の所為で自分の方から引く訳にはいきません。私は勇者一行ですから。例え候補であっても」
――――その瞬間、今朝のフランベルジュの発言がフェイルの頭で再生された。
『殺気を向けて来る相手には背中を見せない。油断しない。戦う事を躊躇しない。それが私の信念だからよ』
ファルシオンもまた、同じ信念を持っている。
剣士や魔術士である前に、彼女達は勇者一行。
勇者の仲間が悪人相手に怯える訳にはいかない。
そんな強い意志をフェイルは感じていた。
「……わかったよ」
苦笑するフェイルに、ファルシオンは一つ頷き、前進した。
廃屋とはいえ、木造建築物の形はほぼそのまま残っている。
ファルシオンはその中に――――入ろうとはせず、壁に背を向け、入口からそっと中の様子を窺う。
どう見ても盗人のようだった。
「その姿を他人に見られるのは勇者一行として致命傷にならないの?」
「フェイルさんの口が堅い事を願っています」
先程のフェイルと同じ種類の警告。
しかしこちらの方がずっと凄みがあったのは、リスクの大きさの違いか、責任の大きさの問題か――――
「……本当にいました。とても興味深い組み合わせです」
「興味深い?」
フェイルは眉を顰めつつ、ファルシオンの隣で彼女と同じように首だけ入口の方に突き出した。
廃屋の中は、予想通り鉄屑やゴミが散乱しており、外以上にゴミ捨て場の様相を呈している。
その数少ない綺麗な足場の上に、二人の人物がいた。
「……!」
驚いた事に――――その内の一人は、フェイルの良く知る人物だった。
ビューグラス=シュロスベリー。
薬草学の権威であり、幼馴染アニスの父であり、この新市街地の中核を担う富豪であり、夜のお仕事のお得意様である中年の男。
そのビューグラスが、彼よりずっと若い女性と向かい合って何やら話をしている。
「これは、俗に言う不倫現場なのでしょうか」
「……う」
ファルシオンの冷淡な言葉に、フェイルは思わず顔をしかめる。
幼馴染の父とあって、子供の頃から知るその人物は、学者なだけあって常に厳格で気難しい存在として認識されていた。
同時に、野心家としての一面も知っている。
だが、女性にだらしない等の風評は一度として耳にした事がない。
それだけに、フェイルはショックを受けた。
幼馴染の父親の不倫現場。
幼少期の純粋な記憶がドロドロに汚染されたような心持ちになり、やり切れなくなる。
「どうされました?」
そんなフェイルの様子に感じ取るものがあったのか、ファルシオンは特に心配そうな様子こそないものの、語調を弱めて聞いてきた。
「……男性の方、知り合いなんだ」
「それは幸運ですね」
「うん、幸……幸運?」
全くこの場にそぐわない言葉が現れた事に、フェイルの脳が一瞬頓挫する。
「脅迫材料は一種の財産ですから。将来何処で役立つかわかりません」
「無表情で恐ろしい事言う子……」
勇者一行の闇を見た気分になりつつ、廃屋内の二人に改めて目を向ける。
愛人特有の近い距離感はない。
何より、両者の間には何処か――――険しい空気が漂っていた。
「……ならば、最初はアルテタ辺りが好ましいか」
「それで良いんじゃないのン? あっちの計画との兼ね合いを重視するのなら、あの子も呼び寄せなきゃいけないけど♪」
「出来るか?」
「あらン♪ 随分と上から目線ねン♪」
声は小さい。
荒げている様子もない。
だが――――
「……あたしを誰だと思ってるの?」
女性の焦点がビューグラスの顔から離れた刹那、それは起こった。
現状は何一つ起こっていない。
起きたのはフェイルの中。
彼女の目は、こちらを見ずに、こちらを見ていた。
「逃げよう!」
「え? 後ろめたいのは向こうなのでは……」
「お得意様なんだ! 気まずくなりたくない!」
それに、あの女性は危険――――そう警告を発する事さえ躊躇するほどフェイルは強い危機感を抱き、その場を離れるべく疾走した。
走る。走る。走る。
走る。走る。走る。走る。
足掻くように、もがくように、兎に角走る。
フェイルの身体能力はかなり高い。
流石に一流の戦士とまではいかないが、俊敏性においては余程の相手でなければ後れを取る事はない。
しかし――――そんなフェイルの隣に併走する影が見える。
魔術士は通常、身体能力はかなり低く、一般人と大差ない者が多い。
ファルシオンも、その華奢な身体付きから例外ではない。
なら、この影は――――
「……!」
思わず足を止める。
その存在は、人間ではなかった。
「みゃお」
というか、猫だった。
愛くるしい鳴き声と共に、息を切らして【ラファイエット】の前で立ち尽くすフェイルの足に擦り寄っているその姿は、紛れもなくクルルだった。
あんな事があったにも拘らず、まだ懐いてくれているらしい。
「お前……こんな所で何してたのさ」
「みゃう」
その上品な毛並みの仔猫を担ぎ上げる。
顔を近付けると、ペロペロと頬を舐め始めた。
ずっと不安だったのかもしれない。
クルルは何処か安堵しているように、フェイルの目に映った。
「……置き去りに……するなん……て……あんまり……です」
その目に、今にも倒れそうな顔面蒼白の顔で息切れしているファルシオンもついでに映った。




