第75話 「……大丈夫、まだ帰ってくる……!」
◆◆◆視点変更 『聖謐巫女 マキュリ・ソーリア』◆◆◆
近い。
その反応で、私はいてもたってもいられなくなった。
だから一人で走り出したんだ。
勇者様に第参英霊級の威啓律因子お届けする。
その、700年もの間続き、いつしか漠然としていった歴代の聖謐巫女の悲願が、私でやっと叶う。
それがどんなに幸せだろう。
子供の頃、死んだお母さんに、よくおとぎ話としてその話を聞かせてもらった。
「……勇者様は、決してあきらめませんでした。いつか来る新たな勇者様を待つための準備を、ずっとずっと続けていたのですから」
「お母さん! 勇者って、かっこいいよね!」
「そうよね、マキュリ」
「勇者様を待つ準備ってなに?」
「例えば、私たちよ」
「私たち?」
「今は私だけど、いずれ、あなたもそうなる時が来る。700年間続いたオビアス村の聖謐巫女として、あなたが勇者様にお力をお届けするの」
「うん! 私も、新しい勇者様に会ってみたい!」
「うふふ、そうね……私も……叶うなら、勇者様にお会いしたいわ……」
……お母さん自身もそうだった。
子供の頃からおとぎ話として勇者様の物語を聞き、育ち、そして勇者様に憧れながら、勇者様を待つ。
もしかしたら、お母さんは諦めていたかもしれない。
会えることが無くてもいい、代を重ねていく事が、聖謐巫女としての使命と受け入れていたのかもしれないとも思う。
だから私は、こうして勇者様をお迎えして、自分の課された使命を正しい形で果たすことが出来る最初で最後の巫女として、走り出していた。
勇者様と――イツカと一緒に行こうって言ったのは私だ。
できればご一緒したかった。
でも勇者様には勇者様のなすべき事があって、戦いに出られていた最中の事。
そこで感じられた、威啓律因子の波動。
波動は長い時間、発されるものじゃない。
近づいて、こちらから返答となる波動を送る。
こうする事で向こうからの送られる波動は維持され、加えてかなり細かい位置を私たちは把握することが出来る。
でも、こちらから波動の返答を送り続けなければ、やがて消えてしまう。
送られてきたのは、小さな波動だった。
今にも消えてしまいそうなそれ。
波動が送られてくる、あるいは感じられる周期はあまりに不安定だ
次にいつ発せられるか分からない。明日かもしれないし、下手をすればひと月以上先ってこともあり得た。
今の村の情勢を考えれば、ルーン旅団長やヴァイス副団長が言うように、この状況が長期に及ぶ事は危険だ。
村のみんなの、勇者様たちに向けられる暴言には、私が耳を覆いたくなった。
こんなのは私の知ってるオビアス村じゃない――そう信じたくて、私は一人、飛び出していた。
「んっ……!」
印を結び、波動に応えるように念を送る。
「……大丈夫、まだ帰ってくる……!」
私は虹の蝶を追い求めて、登山道から藪の中へ飛び込み、いつしか深くなっていく森の中を走り始めていた。
登山道とは違って、勾配がやや急な斜面になりつつある。
でも気にしていられない。波動の出元はこっちで間違いないから。
波動が消え切る前に、念を送る。
帰ってくる波動を頼りに方向を修正。……出来るだけ小刻みにそれを行う。
「あっ……!」
術に導かれて森を進んでいくと、オビアス村へと流れる、川の上流――その縁に出る。
崖のような状態だが、術が指し示すのはこの先。
私の体の横幅よりも細い足場を進む必要が出てきた。
下までは10m以上はあると思われた。
石の河原になっていて、落ちて川の中に飛び込むことはないけど、逆に真っ逆さまに落ちて、叩きつけられたら助からない気がする。
でも、躊躇ってはいられないし、このチャンスを逃すことはできない。
私は一歩、足場の状態を確認してみて……。
「……大丈夫……かな……?」
とりあえず足場は何とか私の体重を支えられそう。
崖を背にして、カニ歩きで、ゆっくり、ゆっくりと進む。
「んっくっ……」
一歩一歩、息を呑んでしまう。
進むたびに細くなっていくような気のする足場。
この先に……虹色の蝶が……。
「いけないっ……!」
この細い足場を渡り切る事を考えてたけど、目的はそうじゃない。
送られてくる波動が、唐突に小さくなるのを感じた。
私は焦った様に念を凝らして、術を発動させる――!
「っ!? ……真下っ!?」
と足元へ視線を送った瞬間のことだった。
――がざざっ!
「ぁっ……!?」
足元が、崩れる。
私は何とか体を捻り、握るものを求めて、空中で手を掻く。
「くっ……!」
手で何度か掴めたものがあるけど、落ちる勢いに負けて千切れるばかり……!
だけど、体が斜面の土に押し付けられて、スピードが多少は軽減されているだろうか?
と、そんな事を考えていた時の事。
「……っ……!?」
眼前の空中現れた、美しい輝きに一瞬目を奪われる。――本当に僅か一瞬の事だったはずだ。
だが、その刹那の一瞬で、私は『それ』が何かと認識するよりも先に、『それ』に手をかざし、私の知る術を一つ放った。
そして、それがどうなったか確認する前に――!
「あうぐっ!?」
足が地に着く。
衝撃を殺し切れず、つんのめって前に飛び出るようにして、砂利の上を転がった。
「ぅ……くっ……」
痛みで体が上手く動かない。
でも、何とかして体を起こそうと、腕に力を籠める。
「く……ぁっ……はぁ、はぁっ……!」
何とか横に転がるようにして体を起こし、お尻で砂利の上に座る。
怖々と、足を少し曲げ伸ばししてみるけど。
「……良かった、折れたりはしてないみたい」
滑り降りた、って言うのが良かったんだろう。しかも足からまっすぐに。
打ち身はあるけど、何とか歩くぐらいなら……。
「あっ……」
太ももの辺りに静かに舞い降りてくる光。
七色の光を放つそれは……。
「威啓律因子……!」
追いかけていた、第参英霊級のそれ――虹色の蝶である。
落ちる時にこの蝶に放った術は、しばらくの間、私とこの蝶の間で因果関係を発生させることで、私に追従させることが出来るようになる聖謐巫女の術。
この術は1日近く持つが、威啓律因子の宝玉状態に変換してしまうと、その因果関係は途切れてしまう。
或いは、勇者様の手に触れれば同じく宝玉化して途切れるけど、それはこの術の最終的な目的でもあるので問題ない。
だから、先日のように宝玉の状態にして、落として割ってしまうのが怖かったので、しばらくこの状態で私についてきてもらう事にしよう。勇者様にも、この蝶をお見せしたいしね。
何より……。
「まだ、山道を上り下りしないといけないみたいだし」
ひよひよと、私の周りに懐くように飛び回る蝶を見つつ、滑り降りてきた山肌を見る。
……こうして下から見ると、木の根がむき出しになっている所も結構あり、簡単には千切れなさそうな太いツタも見える。
それをしっかり掴めなかったのは私が不器用なだけか、運が悪かったせいか。
私もお婆様の言う『お転婆』の自覚はある。
これを見る限り、私なら登って登れなくもないかもしれないけど――
「できれば歩いた方がいいよね……」
傍を流れる川。
私が座り込んで向いている方とは、逆に向かって流れている。
これを下流に下って行けば村につくはず。
イツカと最初にお話に興じたあの河原に流れて行ってるから。
でも……この砂利道がずっと続いていたかは――
『……』
「えっ……!?」
流れを追うように視線を下流に向けて、私は気付いた。




