この物語を読んでくださった『君』に
多くの人が、一度は考えたことがあると思う。
毎日、様々なものが自分の手から零れ落ちて行く。
形あるものは壊れる。
生命あるものは失われる。
家族も、友人も、愛しい人も、いつかの日には居なくなってしまう。
欠けて、失っていくばかりの人生ならば、何故生まれて来たりするのだろう?───何故、生きて行かなければならないのだろう?
そんなふうに語る、文言も作品も多いことと思う。
失うばかり───繰り返し失ってしまうばかり。
その度に、心も魂も擦り切れてしまうのに、何故生きなければならないのだろう?
わたしもまた、そう考えていた頃があった。
作中で語った子供の頃もそうだ。作品に関係しないので語らなかった部分のトラウマで、わたしは女性としても欠陥品で、結婚も出産もしなかった。何も生み出さず、失ってしまうばかりの人生ならば、何故?───と、どのくらい考えたかしれない。
それでも何とか生きて来たのは、幼いわたしを護ってくれた人との約束があったからに過ぎない。『自殺だけはしない』とそう約束したのだ。
その約束に縋るようにして、何とか生きて来た。
けれど、或る日突然、ふと思い至ったのである。
確かに、失うばかりの人生かもしれない。けれどわたしは───我々は、そんなにも失うものばかりを持って、最初から生まれて来たのだろうか?
それは───ない。
どんな生まれだったとしても、そんなにも多くを抱えて生まれて来た筈はないのだ。
自分が気付かなかったどこかで、与えられていたものがある。
家族に、友人に、見知らぬ他人に、別れてしまった恋人に、ニアミスをした他の生き物に、伴に暮らした小さく・温かな生き物たちに、与えられたものがあった筈なのだ。
だからこそ、失い続けても尽きない何かがあるのだと、わたしは思っている。それこそが、我々に与えられた贈り物なのだろう。
個人的見解なので、聞き流してもらっても構わない。でも、出来る事なら、少しでも心に留めておいていただけたらと願う。
長い時間の中で降り積もって来た沢山の事柄に関して、わたしはグレちゃんから明快な回答をもらった。そして今は、グレちゃんから───他の沢山の人々からもらったものを、少しでも多く返したいと願い、可能な限りそのように行動している。
この世は苦界───それでも、生きるに値する世界なのだと。
世界のどこかに居る『君』に、幸せになって欲しいのだと。
いつか、この作品を読んでくださった方々に出会う日があることを、心の底から望んでいます。
そして、出会うことがなかったのだとしても、『君』の幸せを心から願っています。
どうか───どうか、幸せになってください。
作中のグレちゃんが亡くなってから準備を始め、昨年の夏頃から本格的に書き始めたこの物語も、今回で三度目の校正、そしてこれ以上の改稿はないと思います。
改めて、全文を読み返し、何かもっと語りたいことがあったような、もうこれ以上語ることはないような、何だか不思議な気持ちでいます。
すべてがノンフィクション故に、読み手の皆さまが知りたくないエピソードもあるかと思いますが、どうかご容赦ください。良い事も悪い事も合わせてのこの物語なのです。そして、拙作を読んでいただき、何かを感じていただけたら幸いです。
最後までお付き合いいただいて、本当にありがとうございます。




