52話 あなたは――何者なんですか?
樹林のなかも陰りはじめてきた。
木々の葉が微風にゆれ、オレンジ色の陽光が枝の隙間から射し込んでくる。
周囲にはおびただしい数のゴブリンの死体。
やはりいずれも装備は乏しく、やたらに数だけが多いが、それでいて生活水準はそこそこのゴブリンどもだった。
連戦に連戦が続いたためか、さしもの狩人たる二人の顔にも疲労が滲んでいる。
アイエスの体には目立った外傷こそないが、そこかしこに小さな擦り傷などは見られた。
無論、この程度で治癒の魔法をつかうはずもない。
それよりもグレイシャーだ。
「そろそろ狩りは切り上げて、後は夜に備えて矢をたくさん用意しとくか」
ふうと溜め息を吐けど、その動きには未だに少しも衰えがない。
傷などほとんどなく、せいぜい装束に土汚れや返り血を浴びてる程度のものである。
溜まりに溜まった疲れも今日一日ではなく、ここ数日で溜まったものだろうと思われた。
アイエスは格の違いを思い知り、愕然とする。
「ペースを上げるぞ。 千の矢を持ち帰ろう」
グレイシャーの目は本気だ。
手当たり次第に枝を見定め、次々と枝を折ってアイエスへと投じてくる。
無理もない、娘の命がかかっているのだ。
リリスは義理の親子であることをほのめかしていたが、ここまで想われてるならば、血の繋がりなどアイエスにはもう気にならなくなっていた。
それよりも、今は目先のノルマである。
「作るのは構いませんが、持ち帰る手段はあるのでしょうか?」
「心配するな。 問題ない」
アイエスの見てる目の前で、グレイシャーは装束の上着を脱ぎ、地べたに敷く。
してアイエスを見やり“ここに並べろ”と言わんばかりに目で訴えてくる。
どうやら引き摺って持ち帰るらしい。
完敗である。狩人としても、スタミナ的にもだ。
つい昨日までは、自分がエルフの血を引く者だとばれないように控え目を装うか一考していたものだが。
唯一グレイシャーに勝てる点があるとしては、やはり射的の技術だろうか。
命中率、確殺率でいえば自分が完全に勝っている。
もっとも、単純に狩った数だけ見ればやはり負けているのだが。
「頼もしい方ですね。 リリスちゃんが慕うのもわかる気がします」
己が前に次々と転がり込んでくる矢を削ぎながら、アイエスはどこかほっこりした笑みを浮かべる。
「そういう君もたいしたものだ。 今までも俺の狩りに同伴してきた者はいるが、このペースに付いてこれたのは二人目だ。 リリスも喜んでるし、良い冒険者だと思う」
その言葉にまたもほっこりするアイエス。
どうやら言葉から察するに、リチャードが最高の相棒らしい。リリスだけではなく、飼い狼まで溺愛してるとは。
「そういえば罠はどうします?」
「そっちは建物の近くにあつらえる」
「え? 住人の方々は大丈夫ですか?」
「こんな夕時から外出なんて誰もしないさ。 どうせ朝にはゴブリンが大量に捕まってるんだ」
なるほど、確かにその通りだ。
なんだろうか、グレイシャーが若い見た目に反して熟達した戦士に思えてきた。
ギデオンやリンみたいな互いを強く想うタイプとはまた違い、大局を見据えている。
あの二人は物語の主人公とヒロインみたいな雰囲気があったが、グレイシャーには集団を率いる統率者じみた手腕があるのだ。
「そうだ、警告を促すか」
「今度は何を?」
言いながら敷かれた装束に山積みになった矢を満足そうに見るなり、グレイシャーは引き摺りだした。
向かう先が建物なのは言うまでもない。
「手伝います」
「いらん、それよりも道中のゴブリン狩りを頼む」
建物に近付く頃にはかなり陽が陰っていた。
ここが樹林でなくば、半月状の陽が見れたに違いないが、それを気にしてる余裕もない。
二人で速やかに罠を設置したは良いが、それよりもアイエスは目の前に聳える物に呆ける他なかった。
「あの、これって……」
「警告さ」
グレイシャーと並んで見上げるそれは、ゴブリンの死体が吊るされた木だった。
それも一体や二体じゃない。結構な数の死体を彼の思いつく限り残虐にいたぶった見るも無残な死体だ。
とりわけ酷いのは、ゴブリンの腹を裂いて臓物を取り出し、変わりに色彩豊かな花をたくさん飾った死体である。
血生臭さと花の香りのまじった匂いというのは酷く吐き気を催すものであったが、今日は幸なことに食事量は少ない。お蔭でアイエスは嘔吐せずに済んだ。
「ゴブリンどもは臆病だからな。 君だって同類のこんな死体を見れば相手を恐れるだろ?」
「まあ、否定はしませんが、かえって殺意や怒りを煽るだけの気がします」
「それはそれで冷静さを失わせるからな、手としてはありだ」
正直、アイエスは引いていた。
エルフの血を引く自分でもこの発想はなかった。
あの騎士もそうだが、ちょっとこの男も常識から逸脱した思考の持ち主に思われた。
襲撃への準備も整い、そろそろ建物に帰ろうかと思っていた頃だ。
ちょうど建物の方から狼の鳴き声がした。リチャードである。何度か聞いてるうちに彼の鳴き声はすっかり聞き分けできるようになった。
無論そんなことはエルフだとばれてしまうので口にはできないが。
「やれやれ、リチャードが戻って来いとさ」
少なくともグレイシャーのように長らく連れ添ってる者でもなければ、普通に疑われてしまうだろう。
そんなことを思案していると、グレイシャーは大口を開けて、口元に手を添える。
そして――吼えた。
深い夕焼け空にグレイシャーの艶やかな咆哮が響くと、木々が揺られてさらさらと葉を凪いだ。
その声は狼の如し、ではなく正に狼かに思われた。
それも不思議と緊張と安心感を思わせる、妙に落ち着きを払った鳴き声だ。
咆哮の余韻を引きながら、一気にアイエスの胸に焦燥が芽生える。
なんだろうか、この妙な胸騒ぎは。
「あの、今のは?」
「返事だよ。 主と飼われ狼のな」
グレイシャーはアイエスを見やる。どこか意味深な笑みを浮かべながら。
アイエスの体が本能的に震えようとするのを、彼女は懸命に隠す。
「グレイシャーさん、あなたは――何者なんですか?」
「俺はグレイシャーだよ。 君こそ何者なんだ?」
見透かしたような澄んだ青い目が、アイエスの全身を見やる。
その全てを飲み込みそうな瞳を受けつつ、唸るように声を絞りだすアイエス。
「私は、アイエスです」
「そうか。 ならそれで良いじゃないか」
グレイシャーはのどを鳴らして、くくっと笑う。
その顔はやはり優しい娘を想う父のそれで、アイエスはそれが妙に怖かった。




