45話 匂うな
「失楽なる世界を平穏にすべく、少年は己がための剣を求める♪」
ディーテの吟ずるお伽噺は情景的なものだった。
主人公となる少年の人物像だけは曖昧であるが、不思議とそれが馴染む物語である。
男が聞けば、多くは自分自身を当てはめるだろう。それぐらいありきたりな少年象だった。
――闇の権化の物語、でも今聞いてるのは争いに葛藤する少年の物語。 どこかで繋がるのかな?
アイエスは吟じられし物語を聞きつつ、暗黒の騎士との初邂逅を思い出す。
だがまるでわからない。
いくら騎士が幽鬼に非ずとはいえ、あの重鎧の中身が只人やエルフだとは到底思えない。
なにせあの大きさと戦い方だ。
剣も魔法も使わず、巨大な十字架を掲げ、力ずくで全てを成す。
騎士が戦場を進む姿は、まるで歩く城塞の如しだ。
――そういえば以前リンさんから聞いたのは……。
アイエスが思案しようとするも、やがてディーテは目を伏せて口をつぐんでしまう。
だがハープを奏でる指捌きだけは止めることなく、ゆっくりと速度を落としてゆく。
これも一種の演出だろうか、そう思ってアイエスは黙して耳をかたむけ、次に紡がれる言葉を待つ。
「さて、まずはこれにて閉めとしよう♪」
だがディーテはお伽噺を続けることなく、どころかついにハープの手も止めてそんなことを言った。
物語は始まったばかりだ。こんな序盤で閉めるとは何事かと、ついついアイエスの握る手に力がこもる。
「ディーテさん、まだまだ始まったばかりじゃないですか! 闇の権化の“や”の字も出てませんよ!」
「言うな言うなアイエス嬢♪ しかしこれは長く続く戦争譚なのだ♪ 故に子供には少し退屈だったやも知れぬ♪」
「退屈だなんてそんな――」
アイエスは言いながら、不意に投げられたディーテの柔らかな視線を追う。
その先を辿ると、リリスが眠たそうに目をさすっている。というかもう寝ているも当然だった。
その姿を見るなり、ディーテがくすくすと声を殺して笑った。
「戦争の歌が子供の子守唄になろうとは、これはなんとも皮肉なことか♪」
アイエスもディーテに釣られてくすりと微笑む。
吟ずる最中に寝入るなどと、普通の吟遊詩人ならば恥じ入るなり憤るなりするらしいが、ディーテはむしろ誇らしげですらある。
「俺の歌も、子供をあやせるくらいにはなったか♪」
「仕方ありませんね。 このままでは寝風邪を引いてしまいます」
「だな♪ まずはリリス嬢を部屋まで連れてくか♪」
ディーテはハープを置いて立ち上がると、広間の入り口へと歩きだす。
そして鉄扉を力一杯に引き開けた。
「本心としては女性を抱き上げるのは男の誉れ、だがこの扉を開けるのは男の仕事だろう♪」
「ではリリスちゃんは私が」
アイエスも立つなり、リリスに肩を貸し立たせる。
どうやらあの鉄扉は見た目通りに中々に重たいようだ、少なくともリリスを自分に任せるくらいには。
「廊下に並んでる扉の中央、そこがリリス嬢と主殿の部屋だ♪ そこまで頼めるかね?」
「勿論です」
主殿というのはリリスの父親だろう。
広間を出た後はディーテも肩を貸してくれ、リリスの部屋にはすぐに着いた。
部屋の扉も鉄製だったが、広間のそれより重くはないようでディーテが肩を貸したまま片手で開ける。
室内はやはり、薄暗く簡素なものだった。
小さな開き戸が一つだけあり、これでは快晴だとしても陽光などろくに射し込まないだろう。
なのに何故か部屋の両脇には三段ベッドがあり、六人まで寝れる。
とはいえ生活感だけ見れば、この部屋に住んでるのは二人と一匹だけだ。
片隅にはリチャードが寝てるだろう牧草が敷かれ、後は狩猟で使うだろう手作りの品々が少しあるだけ。
六つあるベッドでも寝れそうなのは二つ、残りは鉄の骨組みが剥きだしになっている。
「リリス嬢、部屋に着いたぞ♪ 主殿が戻るまで少し寝ておれ♪」
「むぅ~……。 お姉さんは?」
「私はこのまま広間で続きを聞きます」
リリスはこくりと頷くと、寝ぼけ眼のまま歩いて自分のベッドまで行き、倒れるように横になる。
して目を閉じ、すやすやと心地良く寝息を吐く。
その姿を見た後、アイエスとディーテは部屋を出て廊下を歩いた。
「リリスちゃん寝ちゃいましたね。 色々あったから疲れたんでしょう。 ではディーテさん、お伽噺の続きを是非」
「それは別に構わんのだが、アイエス嬢は平気か? 闇の権化は長いぞ?」
「どれくらい長いんですか?」
「そうだな、吟ずるのに三日か四日はかかる♪」
「……は、はあ!? なんですかその長さは!?」
それを聞いたアイエスは、思わず呻きながらに足が止まる。
構わず広間を目指しながら、ディーテは鼻をふふんと鳴らす。
「かのお伽噺は現代の神話にも等しい♪ 故にその壮麗さは、ニーベルングの指輪にも匹敵するのさ♪」
森で暮らしてたアイエスでは理解できぬ例えだが、口ぶりからして相当に長いらしい。
なんにせよ問題はその長さだ。まさか数日間もここに留まる訳にはいかない。
というか衣服が乾き次第、発つつもりだったのだ。
しかしせっかく闇の権化を知る者に会ったのだ、なんとか概要だけでも掴めないものか。
「あの、結末だけ聞くというのは?」
アイエスは先を行くディーテを追いながら、すがる思いで言葉をかけた。
「ならぬ♪ それでは物語に齟齬が生じてしまうだろう、結末とは転じた起承により得られるものだ♪」
「ならせめて、その起承転結とやらだけでもっ」
言いながらアイエスは足早に駆け寄り、そのままディーテを追い抜いて彼の前に立つ。
するとディーテは溜め息を吐き、呆れた様子で足を止める。
「どうしたのだアイエス嬢♪ 何をそんなに焦っているのだ? ここを宿屋とでも思って、三日間ゆっくり聞いていけば良かろうに♪」
「リリスちゃんには話してありますが、実はここに来るまでに仲間とはぐれてしまったんです」
「なるほど、そうであったか♪ しかしではなぜ闇の権化に固執する?」
ディーテは何かを探るようにアイエスを見やる、何も見えぬはずの目隠しの向こうから。
「実は私の仲間というのが――」
アイエスは僅かに迷いながらも口を開いた。
迷ったというのは、あの騎士のことを話したところで、どうせまともに信じてもらえないからだ。
リリスは勿論、リンだって絵空事な感じだった。唯一信じたのはギデオンくらいのもの。
とはいえそれも仕方のないこと、実際に目の当たりにした自分だって、初めは信じれなかったのだから。
暗黒の騎士――そう言葉を続けようとした時だ。
狼の遠吠えが響いた。
「おやおや、これはこれは♪」
位置はそんなに遠くない。
鉄造りの建物ではあるが、開き戸が多い故か、外からの遠吠えが実にはっきりと聞こえてくる。
二人は会話を止め、その遠吠えに耳を傾けた――。
狩り装束を着た若い男が森の縁際を歩いていた。
白銀の長い長い髪をまるで尾のように揺らし、肩に大きく細長い包み物を担ぎ、狩った獣を引き摺りながら。
瞳は青く、肌は白く、絵に描いたような整った顔立ちをしている。
その少し先で遠吠えをしてるのは、土色の体毛をした大きな狼、リチャードである。
いつもと同じ、帰ってきた旨を知らせる合図だ。
「匂うな。 確かに“あれ”と同じ乾いた血の匂いが漂っている。 “あれ”が連れてた女の子で間違いなさそうだ」
男は眉をひそませ、心底面倒そうに言葉を続ける。
「しかも緑臭い残り香からしてエルフか、全部リチャードの報告通りじゃないか。 全く、思春期の娘だけでも手を焼いてるのに、これはどうしたものか」
呆れと疲れの交じった声で男はぼやいた。
その様子から主の心中を悟ったのか、リチャードは心配する目を向ける。
「殿下、下々の者らは無事なのですか?」
「何度も言うが殿下は止めろリチャード。 ここでの俺たちはただの父親と飼われ狼だ」
「リリスのいう家族ですね。 心得ております」
「まあ、あいつらは無事だったよ。 川に流されたのが返って功を奏したようだ」
「それは良かった。 しかし困りましたな」
「そうだな。 なんとか“あれ”を撒くことができた。 とりあえずはいつもと同じく振る舞え、リリスを心配させるわけにもいかない」
「そうですね。 それが良き父の姿というものです」
男と飼われ狼はいつもと同じように帰ってきた。
この周辺を守り、獲物を狩り、今夜も家族と晩餐を楽しむべく、鉄造りの我が家へと足を運んだ。




