44話 壮麗なる破滅の物語を、ここに開幕といこうか♪
広間の入り口から冷ややかな風が吹き込んでくる。
閑散とした広間に物品は少なく、冷ややかな空気が暖炉の火を撫でて揺らめかせた。
アイエスとリリスは自ずと振り返り、揃って入ってきた者を見る。
「おや? いつの間にか人がいるね♪ それも二人、いやいや天使か、一体どうしたここは天国か♪」
まるで吟ずるように言葉を紡ぐ男だった。
澄んだ通りの良い美声が広間に拡がり、アイエスの長耳に心地良く反響する。
聞く者の心に優しく染み渡るような、不思議な魅力を持つ声色だ。
「ディーテさんだったんだ。 こんにちは」
「ごきげんようリリス嬢♪ なにやら話し声が聞こえたが、もしや君の新しい友達かな?」
ディーテという男は胸いっぱいに薪を抱えており、顔や姿がよく見えない。
そのままリズミカルに話しを続けながら、鉄扉に背中を預け、体重を乗せると器用に閉める。
見るにアイエスは立ち上がる。
「手伝います」
「あ、お姉さん。 ディーテさんは――」
リリスが言う間もなくアイエスは駆け寄っていた。
だが近寄るなり薪に隠れたディーテの顔が覗け、アイエスの視線がそこで止まり息が詰まる。
「……!」
「なんだい、この目隠しかい?」
アイエスに顔を向けるディーテ。
黒い布がディーテの両目を隠しており、その布地では覆いきれぬ長い一文字切創が顔に刻まれていた。
見取るなりアイエスの思考が固まる。
「これはかの戦争で負った名誉の証よ♪ 人とエルフの争う様など醜いことこの上ない♪ よって惨状を見かねた我が目は腐ってしもうたのだ♪ これにて我は心眼を得たり♪ いやはやいやはや♪」
陽気に語れど、それが真実でないことは戦争の実情を知らぬアイエスですらわかる。
どう考えてもエルフにやられたに決まってるのだ。
悟り、アイエスは己が身に流れる血に葛藤する。
「あの、その……」
「構うな構うな♪ 美女たちはただただ、男の仕事に見惚れて感謝してくれればそれで良い♪」
ディーテは近くのアイエスに構うことなく、薪も渡さずに、真っ直ぐ暖炉へと近付く。
並べたポーチの中身を避け、数本だけ火元に投じると、残りは全て鉄のバケツに納めた。
心眼得たりと言うのも戯言に非ずだ、とはいえ単に努力の賜物だろう。これにはアイエスも感服した。
してそのままどかっとリリスの近くに腰を下ろす。
「ふむ、なにやら良い香りがする♪ もしや何かの果物か? それに木の香りも交じっているな♪」
「お姉さんが持ってきた保存食よ。 雨に濡れたから乾かしてるの」
「なるほど、そうであったか♪ して何を?」
「ドライフルーツと木の実です。 後でもう一度水洗いしますので、良かったら一緒に食べますか?」
「おお♪ 天使からの誘いとはありがたい♪ これはこれは是非いただくとしよう♪」
「そういえば私たちお昼食べてないもんね。 皆で何か持ち寄って遅めのランチにしよっか」
一同は快諾し、それぞれランチの支度にかかった。
まず始めにアイエスが案内されたのは、外にある小さな菜園。そこでリリスと一緒に苺とブルーベリーをいくつか摘んだ。
広げたローブの裾に赤と青紫の果実が色鮮やかに積まれ、芳醇な香りを放っている。
花の咲くようなリリスの笑顔を見てると、彼女の体が弱いなんて嘘のようだ。
快晴ならぬ天候ではあるが、たまには良いものだとアイエスは思った。
後に二人は建物内にある簡易な造りの貯水庫へ向かい、摘んだ果実と乾いた保存食を水で洗う。
聞けば蒸発させた雨水を集め、綺麗な真水を蓄えられる設備らしい。
なんだか知れば知るほど変な建物である。
して時を然程置かず、アイエスとリリスは暖炉の前にてディーテを待っている。
床に敷かれた布地には、摘みたての果実と、ドライフルーツと、木の実が置かれている。
それから木のコップが三つと水瓶だ。
「天使たちよ、待たせたな♪」
鉄扉に体重をかけ、背中で押しやりディーテが広間に入ってきた。
初めて会ったときと同様に、何かを抱えながら。
二人はその姿を見て言葉に詰まる。
「午後の優雅な茶会とあらば、何かしらの催しが必要であろう?」
高らかにそう言うディーテが抱えていたのは、ハープだった。
少しばかり古めかし感じのする、木で作られた弦鳴楽器だ。
しかも中々雰囲気のある装束に着替えていた。
麻色のシャツに緑の外套、まるで梢みたいな姿だ。
当然ながら口にする物など何も持ってはない。
意味不明すぎるディーテの登場にアイエスは言葉を失い、リリスは溜め息を吐く。
「またか……」
リリスの呆れ言葉からして、これがディーテという男らしい。
そのまま背中で扉を閉めるなり、ハープを恋人でも愛でるように優しく抱えながら歩いてくる。
さも当然とばかりに二人の前に座ったディーテが、弦を撫でて音を鳴らす。
すると殺伐した広間に踊るような音色が拡がる。
「お姉さん、なんて言うかごめんなさい」
「良いじゃないですか、こういうのも楽しいです」
「これはこれは慈悲のあるお言葉♪ では改めて名乗らせていただこう♪ 俺は流浪の吟遊詩人、今はディーテと名乗っている♪ 故に茶会に持ち寄るは己が愛器、吟ずるは歌である♪」
「申し遅れました、私はアイエス。 世界を旅する野伏で神官の冒険者です」
こうして茶会は始まった。
なんとも陽気な男だ。
巧みな指捌きでハープを鳴らしつつ、音色に合わせて丁寧に言葉を紡いでゆく。
吟遊詩人というものを初めて見たアイエスだが、なるほど、確かに聞いてるだけで愉快な気持ちになる。
街道や酒場には彼らの歌聞きたさに硬貨を投げる者が多いというが、それも納得だ。
「まずは出会いに感謝♪ そして馳走の恵みに報いるべく、何か一曲歌おう♪」
「リクエストだって、お姉さんどうぞ」
「え? 歌ですか?」
「うん。 私はもう何度もリクエストしてるからさ」
「さあさあ遠慮なく♪ 歌は吟遊詩人の呼吸である♪ 故に吟じなき詩人など死人も同然♪ 神話に童話、或いはお伽噺、などなどなんでもご指定あれ♪」
お伽噺。
その単語がアイエスの思考に止まる。
歌のことはよくわからないが、是非とも聞いてみたい御伽噺があるではないか。
少し前にリンから聞いた有名らしい御伽噺、その続きを是非とも――。
「では一曲、リクエストさせていただきます」
「なんなりと♪」
「お伽噺を一つ。 お題は『闇の権化』です」
アイエスが言うとディーテの手がぴたりと止まる。
ディーテの顔が固まり、目隠しの向こうにある見えないはずの目が、アイエスの顔を見つめた。
瞬間、ディーテの纏う空気がどこか寂しくなる。
「『闇の権化』とな? よろしいよろしい♪」
だがすぐに再びハープを鳴らし、ディーテは虚空を仰ぐように天井を見上げた。
まるで己が経験譚を思い出すような、もの悲しい表情を見せる。
「では一つご堪能あれ♪ 壮麗なる破滅の物語を、ここに開幕といこうか♪」




