40話 怖いんです。 血を見るのが
「どうもお待たせしました」
戦いを終えたアイエスは、降り止まぬ雨に打たれながらリリスらに近付く。
川に落とされてからずっと濡れたままだからか、水を浴びることに抵抗感などない。
開き直っている彼女は、いつもと変わらぬ柔和な面持ちで視線を遠くに投げる。
リリスとリチャードの向こうに見えるのは、これまでと似たような樹林の風景だ。
「では先を急ぎましょう。 雨はそんなに強くありませんが、さすがにこのままでは私もリリスちゃんも風邪を引いてしまいます」
「……うん」
だがリリスの声音は明らかに沈んでいた。
元から活発な性格ではなさそうだが、それにしてもどうしたことか。
よく見れば体が小刻みに震えている。
病弱らしい彼女には強い陽射しは勿論、この雨も堪えてるのかと思い、アイエスは顔色を見るべく前屈みになって覗き込む。
「リリスちゃん? もしかして寒い?」
リリスはフードを目深に被り、目を閉じたままぎりりと口を強く結んでいた。
彼女はアイエスの問いかけにかぶりを振ると、次いで身悶えするように我が身を抱き締める。
「リ、リリスちゃん!?」
寒さではないようだが、いずれにせよその態度からして只事ならぬのは明らか。
アイエスは焦燥の滲む声を発すると、リリスの肩をしかと掴んだ。
「あの、大丈夫ですか!?」
「だ、だいじょうぶです。 心配、いらないから」
「ですが、その震えようは一体……?」
「その、ですね。 怖いんです。 血を見るのが」
リリスは口元に手を添えて答えるなり、その場に力なくへたりこんでしまう。
目も開けぬままに、何度かかぶりを振る。
そんな彼女を見てしまえば、アイエスが己の戦い方を思い返すのは当然だろう。
「あ――」
ふと心が冷め、一歩引き下がって我が身を改めて見直す。
神官服は泥と血で汚れ、随所に肉片やら臓物らしきものが付着していた。
雨で多少は流されたといえども、常識的な格好であるわけがない。
少なくともリリスにとっては――ごく普通の小さな女の子にとっては、かなり刺激が強いはずだ。
彼女はギデオンやリンのような冒険者ではないし、自分のようにエルフの営みに慣れ親しんでるわけでもない。
人里に不慣れな故、配慮を欠いてしまった。
「ご、ごめんない。 こんな汚れてたなんて」
「いいの、お姉さんは悪くないもん。 私とリチャードの為に戦ってくれたんだし」
やがて震えの止まったリリスは胸元に手を添え、深呼吸を繰り返す。
落ち着きを戻したようで、ゆっくりと目を開けてアイエスを上目に見る。
「私こそごめんなさい。 体を張ってくれた人に対して、失礼な態度をとりました」
「いえいえ、元気になったのならそれで良いんです」
アイエスはまたぞろ柔和に笑んでリリスに手を差し出すと、近くにいたリチャードが二人の脇を通る。
してゴブリンどもの肉隗が散らばる向こう側を睨みつけながら、牙を剥き唸り声をあげた。
従順で生真面目そうなリチャードではあるが、彼が獰猛な魔物であることを思い出させる猛々しい唸り。
尾を力ませ、爪を立て、四肢を滾らせている。
その眼光の睨む先にあるのは、がさがさと揺れている茂みだ。
「リチャードさん、もう良いんです」
アイエスがリリスの手を引きながら、背中越しにリチャードへと声をかけた。
彼が何を警戒してるのかなんて、言われずともわかっている。
「リリスちゃんも怯えてます。 もう戦う必要はないんです」
その言葉に合わせたようなタイミングで、茂みのなかから一匹の子供ゴブリンが現れた。
「ゴ、ゴブッ……」
さっきの戦いにて、ゴブリンの群れに交じっていた小さなゴブリンである。
離れからゴブリンどもを応援していたが、アイエスの強さを知るに今や目を合わせようともしない。
そして今度は大きな狼に睨まれる始末である。
とはいえ相手は子供、いかに魔物といえどもむやみな殺生は不要だろう。
それにリリスも血を嫌ってるのだ、これ以上は彼女を怯えさせたくはない。
「お行きなさい」
「ゴブーッ」
アイエスの言葉を本能的に察したのだろう。
子供ゴブリンは恐怖に体を震わせながら、たどたどしい足取りで去っていった。
「良かった……」
リリスはそれを見るに安心し、ほっと一息吐く。
リチャードの視線が子供ゴブリンの背とこちらを何度か泳いだが、やがてリリスの心内を悟ったように臨戦態勢を解いた。
「では行きましょう。 リリスちゃん歩けますか?」
「大丈夫、だけど」
「だけど?」
「だめって言ったらどうするの?」
「その時は担ぎますよ。 リチャードさんが」
「……!?」
不意の言葉についついリチャードが反応する。
耳をぴんと立て、なんとも人間じみた間の抜けた顔をしていた。
見るなり、アイエスとリリスは声をだして笑う。
「リチャードってそんな顔もするんだ~」
「あの、もしかしてリチャードさんって人語がわかるのですか?」
「う~ん、どうだろ? でも理解力は高いと思う」
話してるとリチャードが立ち止まり、アイエスとリリスから距離を置くと、体をぶるぶると震わせて水滴を落とした。
そしてリリスに駆け寄り、呆れまじりの眼差しをしながら“乗れ”と訴えている。
「それじゃお言葉に甘えて、よろしくリチャード♪」
いざ実際に跨ると、傍目からその絵面を見ても、違和感がないどころかしっくりくるものがあった。
リリスも慣れた様子だったので、初めてじゃないのだろう。
そのままアイエスらは集落を目指した。
アイエスは雑談しながら思案する。
魔物であるならば、そこいらの犬や狼より知能が高くとも不思議はない。
事実リチャードのコミュ力の高さは相当なものだ。
だがそうとなると気になることも当然ある。
そもそも自分がここにいるのは、あの白銀の狼が起因している。
白銀の狼が率いてるだろう巨怪なる狼の群れは、見た感じリチャードの同族に思える。
集落に着いたらリリスの父に聞いてみるとしよう。
狩猟をしてるとあらば、周辺の魔物や獣にも詳しいはずだ。
それにひょっとすると、真っ黒で厳つい鎧を着用した騎士の目撃情報でもあるかもしれない。
話しに夢中になってる間にも、少しずつ雨は弱まっていった。
木々の隙間から空を見上げれば、鉛色の雲の向こうに陽光が燻ぶってるのがわかる。
降りだした雨はいつか止むものだ。
仲間と別れようと、惨状に心を痛めようと、いずれまた陽は昇る。
きっとどこかで同じ景色を見てるのだろうと、アイエスは離別した黒き騎士を思い出し、はにかんだ。
ぬかるみをしかと踏みしめ、足跡を残しながら今日も彼女は歩いてゆく。




