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終末世界のダークナイト  作者: さくらつぼむ
月明かりを求めしもの
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36話 そんな、ありえない……

 どれだけ水中を彷徨っていたのだろうか。

 川の流れに身を任せてる間に、意識を失った自覚はある。

 だからこうして意識がぼんやりとしてるのに、さしたる違和感を感じなかった。



(……誰?)



 目をうっすら覚ますと目の前に誰かがいた。

 真っ赤なショートヘアと唇、まるで熟れた林檎のような魅力を放つ女性――というよりは女の子。

 視線がぶつかるなり彼女は微笑む。

 その艶やかな容姿に良く似合う、だが幼い女の子にはそぐわない恍惚とした艶めかしい笑み。



(あなたは……何者なの?)



 たゆたう意識下にあったアイエスだが、眠りから覚めるように目を覚ました。

 大きな木片に上体を乗せており、どうやら無意識のうちに適当な流木へとしがみついてたらしい。



「んっ……。 けほっ」



 小さくむせた後、体を起こして圧迫されていた胸元をさするアイエス。

 幸いなことに怪我はしてないようだ。

 僅かに指先を切った程度で、こんなのは舐めとけば治るだろう。

 全身こそずぶ濡れだが、湧き水が温かい故に寒さも不快感もなかった。むしろ心地良いくらいだ。

 見渡せば暖かい水源がこじんまりと広がり、泉を成している。

 澄んでる水底にはごろごろと丸石が転がり、魚等は見当たらない。



「温水の泉……もしかして、これが温泉?」

「もう、大丈夫なの?」

「ひゃぅっ!?」



 傍らからした声にアイエスは驚き、上ずった変な声をあげてしまう。

 若さと儚さの共存する不思議な声色だった。

 ちぐはぐを覚えながら声のした方を見ると、そこには想像を裏切らない小さな女の子がいた。

 外見年齢は自分より少し年下の十四、五歳といった頃合だろうか。

 たゆたう意識下で見た赤き少女に似てるが、気のせいだろう。別人なのは一目瞭然だ。

 青みがかったショートの銀髪と、晴れた青空のように澄んだ碧眼。

 全身は透き通るように白く、素肌に浮かぶ青い静脈さえも艶めかしい。

 そう、少女は一糸纏わぬ姿だった。

 とはいえ少女に淫靡さなどなく、むしろ揺らめく湯煙と合わさって風流のある景色と化している。



「あの、いつから私の隣に?」

「ずっと」

「ずっと?」

「うん。 お姉さんが気を失ってる時からずっと」

「それはそれは、どうもありがとうございます」



 口元に手を添えて話す仕草がおしとやかで、時々こくこくと頷く仕草がなんとも可愛らしい。

 少女は自分が目覚めるまで傍にいてくれたらしく、アイエスは濡れた神官服のまま深々とお辞儀をする。

 水流に晒されながらもヴェールが乗ったままというのは、これ奇跡か悪戯か、或いは――それ以外の因果だろうか。

 二人は話し続け、やがてアイエスがロザリオを手にして少女に見せる。



「では改めましてアイエスと申します。 見たとおりに神官で野伏の――冒険者です」

「私はリリスです。 ここらの集落で暮らしてます」



 今の自分は冒険者だ。

 弓矢で敵を蹴散らし、魔法で以って仲間を守る。

 駆けだしだから少し頼りないけど、少なくとも二人の冒険者仲間を救ったことに関しては胸を張れる。

 多少くすぐったい気持ちではあるが、小さな女の子の前では頼れる存在として振舞うことも必要なのだ。

 ましてや今は騎士ともはぐれ、こんな場所で女二人となれば尚更だろう。



「集落? 近くに人が住んでるんですか?」

「近くと言っても少し歩きますけど。 ここは集落の皆が使う湯浴びの場なんです」

「でも女の子が一人で? 少々危ない気がしますが」

「今日の湯浴びは空が曇ってるから私だけ。 でも私にとっては最高の天気なの」

「どうしてですか?」

「私、陽射しに弱いんです。 生まれついての体質みたいで」

「……そういう、ことでしたか」



 陰りのあるリリスの微笑みは、彼女の心から滲み出たものだろうと感じられた。 

 彼女はずっと己が体質と向き合ってきたのだろうと想像すると、アイエスの心も自ずと重くなる。

 先天的な体質は勿論、後天的な病気や残った傷痕も魔法では癒せない。治せるのはあくまで怪我だけだ。

 アイエスは己の無力を感じながらも、リリスの微笑みを見て悲しむのは失礼だと思い、気丈に振舞う。



「しかし良いお湯加減ですね。 一人でくつろいでるところ、お邪魔してしまいすみません」

「んーん、女の子同士だし気にしないで。 でもまさかお姉さんが流れてくるなんて、こんなの初めて」

「……っ!」



 そこではっとするアイエス。

 さきの戦いの折、四匹の狼が川に落とされた挙句に流れて行ったのを覚えている。

 自分がここに漂着したということは、当然その前に狼どもだって流れ着いてるはずなのだ。



 慌ててアイエスは立ち上がり空を見上げた。

 曇り空故に太陽の正確な位置は掴めないが、雲々の隙間から漏れる陽光から察するに、あれからそんなに時は経過してなさそうだ。

 次に周囲へ視線を走らせる。

 騎士と川を辿ってた頃よりも緑が多い。樹林と言っても差し支えない程に木々が生い茂っている。

 その一本一本の隙間へと射抜くように鋭い視線を投じながら、アイエスは己が装備に手をやる。

 背にした弓の弦は切れ、矢筒にあった矢は全て流されている。よって胸元に忍ばせた短剣を構えた。



 戦意と警戒心を露にし、聞き耳をたてる。

 ぎいぎいと木々の枝がしなる音、さわさわと落ち葉が草を撫でる音。

 自然の雑踏が入り交じるなか、狼らしき足音はないだろうかと耳を澄ます。

 濡れたヴェールに隠された長耳をぴくりと揺らす。

 今のアイエスは神官のイメージとは程遠いが、弓を背にしてた為か少女に驚く様子は見られない。



「どうしたの?」

「私の他にも魔物が流れて来ませんでしたか!?」



 リリスを庇うように立ち、背中越しに話しをする。



「魔物?」



 一方のリリスはなぜそんな言葉が出てくるのか、まるで理解できずに問い返す。

 だがアイエスの只ならぬ様子に言いようのない不安を感じたのだろう。

 ばしゃりと浸かり湯から体を起こすなり、近くの大石に置いといた衣服を手繰り寄せる。

 ずぶ濡れのまま手早く乱雑に着るなり、腰を落としてアイエスの背後に身を屈めた。



「スライムとかマンドラゴラですか?」

「もっと大きいです。 サイズはクマ程、数は四匹」

「ま、まさかルーンベアとか?」

「いえルーンベアではなく――静かに」



 話す最中、アイエスの耳が何かの物音を捉える。

 彼女は臨戦態勢を崩さぬままに、背後のリリスへ手をかざして沈黙を促す。

 して流れる静寂の間――がさりとした物音がする。

 エルフの耳だけが辛うじて捉えられる、草を踏みしめる小さな足音だ。

 無論、あの狼どもでない可能性もあるが、ルーンベアではこんな繊細な足運びは叶わぬだろう。

 かといって騎士でもない。騎士ならばもっとわかり易いか、或いは自分では気付けないかのどちらかだ。



「「……」」



 がさり、がさり。

 娘二人がごくりと息を飲む間にも、ゆっくりとこちらに近付いてくる。

 方角や足音の間隔からして一匹だと思われた。

 四匹のうち三匹は手負いになったか、それとも溺死したのだろうか。

 はたまた迫る一匹は陽動で、三匹は潜んでるのか。

 いずれにせよ油断はできない、アイエスの短剣を握る手に力がこもる。



「大丈夫、私がリリスちゃんを守りますから」



 小声でアイエスが囁くなり、リリスは観念したようにそこへ続ける。



「実は、ここにはリチャードと一緒に来てるんです。 お姉さん、リチャードも助けて」



 すがるようなリリスの声は細く、震えていた。

 どうやら男の子とここまで一緒に来たらしく、アイエスの緊張が僅かに緩む。

 なるほど、それなら女の子がたった一人で湯浴びをしてたのも納得できる。

 自然の雑踏にも、男の子と思しき息遣いや足音も聞こえない。

 くすりと微笑むアイエスは、リリスの緊張を解くべくあえて小声で話を続ける。



「リチャード君は今どこに?」

「食糧の収穫をしてます。 私が湯浴びに行く時はいつも必ず、一緒に付いて来るんです」

「優しい方ですね」

「うん」



 こうしてる間にも、足音はどんどん近くなる。

 颯爽と駆け抜ける足音を聞くなり確信が持てた。

 この足音は狼のものだ。



「近いです、いつでも逃げれる準備を!」

「わかりました」



 狼は近い。最寄にある茂みが、がさがさと揺さぶられて葉を散らす――そして。



 一匹の狼が現れた。

 土色の体毛に覆われた、大きな体の狼。

 さきの水辺で戦った四匹の内の一匹だろうか、それともさすらいの狼なのか、正直わからない。



 とにかくそいつは茂みのなかから身をよじるようにして飛びだし、そのまま足早に駆けだすと、温泉の囲い石を踏み台にして一気に跳びかかってきた。



 牙を剥きだし、両前足の爪を掲げ、見開いた目は鋭くアイエスを標的として捉えている。

 体毛と同じく土色をした瞳に、短剣を構えるアイエスが映る。

 跳んで避ければ、そのまま背後のリリスが襲われるだろう。

 よってアイエスは逃げることなく、そのまま狼を受け流すこととした。

 だが魔法は使わない、一日一度きりの奇跡をここで賜るには早計というもの。



(両前足の爪、それから牙、敵の凶器は三つ)



 対して自分の武器は短剣のみ、だがここで捌き切らねば冒険者の名折れというもの。

 覚悟を決めろと、アイエスは己が心に渇を入れる。

 戦う以上は無傷であろうとするな。

 弱き者を守るなら己が身を盾とし、傷付くことを恐れてはならぬのだ。



「リチャード!」

「……え?」



 背後から投げられた嬉々とした声に、アイエスはまさかとばかりについ振り返ってしまう。

 するとそこには、待ってましたとばかりに目を輝かせるリリスの笑顔があった。

 事態を飲み込み、アイエスの全身から力が抜ける。



「そんな、ありえない……」



 アイエスは信じられないとばかりに、気の抜けた訝しい目で正面に向き直る。

 最早短剣を握る手に力などあろうはずもない。

 そんな彼女の様子を見てか、狼の方も、つまりリチャードも戦意を解いた。

 軽やかに宙でくるくると二転すると、ちゃぽんと静かに温泉に着地するリチャード。

 訝しむアイエスの視線と、リチャードの精悍な視線が合わさる。



「「……」」

「リチャード~♪ ここら辺にいっぱい魔物がいるみたいなの!? 大丈夫だった?」



 気の抜けたアイエスは呆れ笑いを浮かべつつ短剣を振り抜いて水滴を払い、胸元の鞘に収めた。

 リチャードはその巨体をリリスの傍らに寄り添わせると、彼女にわしわしとノド元を撫でられていた。

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