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終末世界のダークナイト  作者: さくらつぼむ
月明かりを求めしもの
36/57

34話 私はアイエス! お前じゃありません!

 騎士は自分らを囲う狼どもの輪を破るよう、威風堂々と進みだす。

 巨大な十字架の黒銀盾を悠々と掲げ、文字通り真っ直ぐと歩を重ねる。



「あ、あの」

「なんだ」

「作戦とかは……?」

「二度も言わせるな。 押し通る」

「……ですよね」



 アイエスは呆れつつも騎士から遅れぬよう続いた。

 速やかに弓を取って矢を番え、弦を引き絞って射撃の姿勢ままに隣を歩く。

 際して周囲への目配せも怠らず、敵の特徴や数を記憶する。

 体毛、爪、牙を見てもさしたる特徴は無い。並みの狼との差異としては、その熊にも迫る大きさだ。

 数は十二匹。時計の文字盤ダイアルみたいな配置で自分らを囲っている。



「!」



 進んで数歩、文字盤の十二時にあたる正面の狼が駆けだし、アイエス目掛け跳びかかって来た。

 当然ながら騎士に彼女を守る素振りなど見られるはずもないが、それで焦るアイエスでもない。

 狼ならば何度も狩ったことがある。

 熊程もある大きな巨躯ではあるが、要は捕まらなければどうということもない。

 隆々な肉付きからして膂力も速度も並の狼より凌駕してるだろうが、廃城で戦ったデーモンや邪眼に比べれば大したことはない。



 狼と視線がぶつかる。その眉間目掛けて矢を放つ。

 巨躯故に体毛が厚く即殺とはいかぬだろうが、勝負の決め手としては申し分ない。

 意気揚々とすぐに二射目を番えるべく矢筒に手を伸ばす、だが――。



「なっ……!?」



 三時の方角にいた一匹が跳びあがり、放たれた矢を叩き落して見せた。

 さしものアイエスもこれには慌てる。

 直後に正面の狼が迫るは必然だろう。

 彼女に次なる矢を番う間などなく、川の方へ跳ねて避ける。宙でくるりと一回りだけして綺麗に着地を決めた。



「仲間を……守った?」



 今のは実に精度の高い援護だった。

 獣や魔物によく見られるような、取り巻きが命を捨てて統率者を庇うものではない。

 それに少なくとも、森にいた狼には矢を叩き落されたことなどない。

 小言を言いながらもアイエスは矢を番えている。

 だが視線の先に自分を襲った狼は既にいない。群れの輪に戻っている。



「なんだお前は。 騎士より先駆け、あまつさえ矢を外すとは。 とんだ射手がいたものだ」

「……返す言葉もありません」



 騎士が雑言を吐く。

 その言葉に眉をひそめたアイエスが周囲を見渡すと、戦況は思っていたよりもずっと悪い。

 彼女は今や川を背にしており、水の勢いと水位の高さが増していたのだ。

 もし落ちてしまえば、そのまま流されることは間違いないだろう。

 誰かとの共闘はマリアン廃城で経験を積んだつもりだが、考えてみればあれだけである。

 森では狩りが上達してから単独行だった故、今のは不慣れが露呈してしまった。



「己を過信するな。 戦況をよく見ろ」



 言って騎士は黒銀盾を掲げる。大振りな身のこなしに旋風が捲き起こる。

 狼どもはその動作を見るなり警戒して身構えるが、さりとて数匹はアイエスから視線を逸らすことはない。

 各々が役割を担ってるのだろう、とアイエスは敵ながら感心して感歎と緊張の息を吐く。

 直後、騎士の盾が平原を叩きつけた。

 瞬時にアイエスは腰を落として身を固め、矢を番えたまま衝撃に備える。



 地揺れが狼とアイエスを一緒くたに襲う。

 アイエスの全身がびりびりと揺さぶられる。その影響か、手元震えて狙いが思うように定まらない。

 狼どもも縫われたように平原に身を屈める。

 騎士は僅か一手で、この場にいる全ての者の動きを封じてみせた。

 時間にすれば僅か数秒、ではなく数秒も――というべきか。

 騎士は黒銀盾を前方にかざして駆けだした。砲音の如く踵を鳴らして。



「全ての動作に優位性アドバンテージを。 好機チャンスは逃さず確実に」



 そして数匹の狼を黒銀盾にて一纏めに押し流し、やがて弾き飛ばす。

 宙へ打ち上げられた狼どもはワォーンと小可愛い鳴き声を漏らし、手足をじたばた泳がせアイエスの遥か頭上を越えて行く。

 そして川へ落下した。どばどばと水面を叩き、彼女は激しい水飛沫に全身がびしょ濡れになる。

 水に流されてゆく狼どもを見やるアイエス。



「い、いまので四匹も……」

「勝利を得るには小さな優位性アドバンテージの積み重ねだ。 忘れるな」



 すっかり呆けたアイエスは、自分が水も滴る良い女になってる事実に恥じ入りつつ、ぐぬぬと唸る。

 浴びた水に神官服が透け、素肌が露になっていた。

 弓は握れど我が身を抱くようにし、射撃の構えなどとうに解いている。

 騎士の言葉はもっともだ。

 射手で神官の自分は前に出るべきじゃない。

 でもそれには彼女なりの理由があったのだ。



「言い分はわかりますが、騎士さんの後ろじゃ前方がまるで見えません! あなたが大き過ぎるんです!」

「知ったことか。 戦いなど結局は、その時々の戦況に合わせて最善を尽くすしかない」

「尽くしました!」

「尽くしてあれなのか?」

「~~!!」



 憤慨すれど返す言葉などなく、アイエスは片意地になって立ち上がる。

 素肌の透き通る胸元を片腕で覆い、弓を持つもう片手をわなわなと怒りに震わせながら。



「さっきからなんなんですか、もう! そもそもですけど、私はアイエス! お前じゃありません!」

「お前の名など知ったことか」

「だからお前じゃなくて、ア・イ・エ・ス!」

「それがどうした? 今更お前が名乗ったところで、私に名乗り返す真名などありはしない。 私は一介の騎士に過ぎん」

「だから! お前じゃなくて名前で呼んでください!」

「そうか、ならばもっと早く名乗れば良いものを」

「〜〜っ! あのですね、他にも言いたいことが山ほど――」



 言えるはずもない。今は戦いの最中だ。

 統率者と思しき狼が鋭く咆えると、アイエスの言葉が遮られてしまう。

 その一鳴きを合図に残りの狼どもが陣形を変える。

 残り八匹のうち六匹が騎士に向き直り、二匹がアイエスを囲った。だが変わらず彼女に退路はない。

 この陣形は腑に落ちないが理解はできる。



「……っ」



 悔しさにぎりりと唇を結ぶアイエス。

 この者はたったの二匹で狩るに足る。それが狼どもが見積もった自分への評価だ。認めるほかない。

 だが騎士に助力など請うまい。

 仮にそうしてしまったら自分は騎士を追えなくなってしまう。少なくとも止める資格なんてないだろう。

 更にそれだけではなかった。



 騎士が再度、黒銀盾を動かそうとした刹那。

 アイエスを囲う二匹が唸り、牙を剥く。

 固唾を飲むなり、彼女はこの状況を理解する。



「そんな、もしかして――」

「もしかせずとも、お前は人質にされたのだ」



 淡々と騎士は述べた。

 ありえないとばかりにアイエスは戦慄する。

 これはもう狩猟すら越えて心理戦の域だ。

 魔物の類だろうとは思っていたが、まさかこんな展開になるなど予想できる訳がない。



 しかしそんなことなど自分には露程も関係あるまいとばかりに、騎士は黒銀盾を掲げる。

 この騎士ならば当然の選択だろう。

 見るなり狼どもの四肢に力が漲り、体毛越しにさえ血管が太く滾るのがアイエスの目に映った。



「……何者だ?」



 だが黒銀盾が動くことはなかった。

 騎士が何かに気付くなりぴたりと止まり、遥か先の正面を見据え、黒兜に眼光が閃く。

 あの夜に見た恐るべき眼光がそこにあった。思わずぞくりと身震いするアイエス。



「……?」



 アイエスは恐怖と寒さに震える濡れた我が身を抱き、騎士の視線を追うが何も見受けられない。

 気配も、音も、息遣いも、何も感じられない。

 さりとて気は抜くまい。

 首を傾げて弓に矢を番え弦を引き絞り、一息だけ吐いた、その時だ。



「っ!」



 風が吹きつけたのだ。身を切るような寒さの風が。

 思わず顔をしかめるアイエス。

 つい先程まで梅雨入りでじめじめしていたのに、それが何故か今や真冬以上の寒さをもたらしている。

 瞬く間に濡れた神官服が凍りつき、四肢を動かせばぱきぱきと布地が音を鳴らす。



「そんな、なんで」



 気付けば既に足元が凍りつき、平原に張りついて剥がれない。

 動きを封じられては戦いどころではない、恰好の餌食にされてしまう。

 思いがけず鏃で靴の縁を掻くが、かじかんだ手では思うように霜が削れない。

 凍てつく手足は次第に痛みだし、やがてその痛覚すらも失せて感覚が消え、体が石のように重くなる。



「この……ままでは」



 とにかく状況を知るべく、周囲に目を走らせた。

 するとアイエスの視界に広がるのは、ただただ白い結晶が吹雪くだけの真っ白な世界だった。

 騎士も狼も見えない。

 エルフ自慢の聴覚ですら、吹き付ける風の前では無力だった。



「これは、これが雪……なの?」



 雪の吹雪ブリザード――それは森で暮らしていたアイエスでは知り得ぬ初めての景色。

 視界すら儘ならぬ、苦痛の吹き付ける白銀世界。

 その果てで、彼女は今まで見たことのない美しき獣を見つけ息を飲んだ。

 それは夢か幻か、雪と同じ色の毛並を吹雪きになびかせる――大きな白銀の狼だった。

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