31話 行き先などない。 私は世界を彷徨うだけだ
「感謝する」
騎士はつまんでいる気絶したラパンへ感謝の言葉を述べた。
次いでそのまま動脈を鋭利な指先で切り裂くと、切り口から生き血がさらさらと流れてくる。
真っ赤な命の雫を己が面に浴びせ、面甲のスリットへと注ぎ込む。
溢れることなく瞬く間に、文字通り黒兜の奥に飲まれていく。
まるでワインボトルから直に呷るような、実に豪快な絵面だ。
「ああ、生き返る……」
そして飲み干す、最後の一滴まで余すことなく。
ラパンに苦しむ様子は見られず、安らかに眠りながら騎士の食餌となった。
ノドが潤い、思わず騎士から至福の言葉が漏れた。
「あの、なんで生き血を飲むんですか?」
一方その傍ら、近くの適当な岩に座るアイエスが騎士に問うた。
彼女は騎士が降らせた木の実をいくつか拾い、今朝の食事にしている。
だがその手も今ばかりは止まっている。顔を引き攣らせ、ありえないものを見てしまったような顔だ。
ありていに言って引いていた。
何度か見た光景だが、これだけは理解できない。
普段は葉に滴る雫を面甲のスリットに落としたり、雨が降れば立ち止って空を仰いだりと、どこか風流漂うものだったのだが。
「咽喉を潤す為だ。 滋養強壮にも効く」
「でも、エルフでも生き血は飲みませんよ? せめて熱するなりお酒を加えるなりして臭みを飛ばします」
「鮮度の良い血に臭みなどない」
「鮮度の良し悪しがわかるんですか? ラパンが病を患ってるとか考えないんですか?」
「大音響に飛び起き、木の実を喰らわんと押し寄せる活きの良いラパンどもだ。 不健康なはずがない」
「そういうものですかね……」
「それに生き血を飲む種族だっている」
「ああ、吸血鬼ですね」
血を飲むとなれば、かの種族を思い浮かべない者はいないだろう。
アイエスはそこでハッとして口をつぐんだ。
血を飲み、陽を避けるのが吸血鬼の習性なのは言うまでもないことだ。
では目の前にいる騎士はどうだろうか、今正に自分の目の前で生き血を飲んでいたし、常に甲冑を纏ってるというのは、陽光を避けているとも思える。
「吸血鬼だけではない。 ドワーフや人狼だって血を飲む。 そして奴らはいずれも獰猛だ」
吸血鬼や人狼は言うまでもないだろう。
だがドワーフらもまた、獣や魔物の生き血を飲むとはアイエスには初耳だった。
「ドワーフが生き血を?」
「血に滋養強壮があるのを見つけたのはドワーフだ」
そう言われると、どことなくだか納得できる。
ドワーフとは洞窟に住む、筋骨隆々な種族だ。
自分は実際に会ったことはないが、母の話と教会で習った知識によれば特別珍しい種族でもない。
「生き血を煮たり酒を加えるなりし、血が飲めるように考案したのがドワーフだと伝えられている」
「しかしなんでまた生き血なんて飲むのか」
「お前、ドワーフに会ったことないな?」
「まあ、ないですけど」
「会えばわかる。 あの体格を維持する為だろう」
もの言いからして、とりあえずこの騎士はドワーフではなさそうだ。
アイエスは思い出したかのように手にした気の実をパキリと割り、中身を口に放った。
「そういえばですけど、騎士さんは何処に向かってるんですか?」
会話が止まりそうな微妙な雰囲気のなか、アイエスは切りだした。
気付けば騎士と話し込んでいるが、はたしてこの問いにきちんとした答えが得られるのか。
険悪な空気ではないし、タイミングとしては悪くないはずだ。
ぎゅっと握りしめた手を胸に押し当て、緊張した面持ちで血に染まった黒兜を見上げる。
「騎士さん……それは私のことか?」
「ふぇ!?」
騎士はアイエスを見下ろし、首を傾げた。
獲物の意図を探るような不気味な眼光が、黒兜の奥から閃く。途端、アイエスは妙な上ずり声をあげ、背筋をビクリとさせてしまう。
思わぬ言葉に金色の瞳が宙を彷徨う。
なにか地雷でも踏んだのだろうか、言葉を紡ごうするが口をごもらせてしまう。
「あの、えーとですね、なんて呼んだら良いのかわからなくて、つい。 嫌……でしたか?」
「別に、構わん」
答えて騎士は歩き、ラパンをつまんだまま周囲を見渡し、何かを模索し始めた。
「行き先などない。 私は世界を彷徨うだけだ」
その言葉にアイエスは返す言葉を見つけられず、黙りこんでしまう。
騎士の動きに迷いはない。どうやら石や枝を探してるようで、拾い上げるたびにひょいと放り投げ、一箇所に集めている。
その大きさを見定めるなり、アイエスは騎士の目的を察する。
「焜炉作るんですよね。 手伝います」
「知ってるのか」
「自然に生きるエルフですよ? 半分だけですけど」
アイエスは立ち上がり、石や枝の集まる場所に歩み寄る。
手早く石を囲うように並べ、枝を三角状に何段も組み上げ、慣れた手付きで即席の焜炉を作る。
するとそこに乾いた草や落ち葉を撒いた。
「はい、できましたよ」
手をぱんと鳴らして汚れを叩き落とすアイエス。
すると彼女に向けて、騎士はつまんでいたラパンをさしだした。
見れば黒兜は真っ直ぐに自分を見ている、そんな気がする。
どんな表情をしているのかは、皆目検討も付かないのだが。
「くれてやる」
「え、良いんですか?」
「焜炉の礼だ。 エルフなら下処置はできるな?」
アイエスは頷き、恐る恐る血の抜けたラパンを受け取った。
不思議な感覚だ。
ギデオンやリンの話では、騎士はとても常識の及ばぬ恐怖の怪物のはずだ。
実際に自分もそう思っていた、初めて会ったあの夜だって騎士は間違いなく怪物だったのだから。
話せば少しは理解し合えると願ってはいたが。
存外に平和主義者なのだろうか、いやまさか、あんな戦いをする者がそんなはずはない。
しかし騎士はアイエスの悩みを気にすることなく、血を飲み干したラパンを次々を下処理してゆく。
しかもその姿が実に板についているではないか。
一匹掴むと一気に毛皮を剥ぎ取る。
行いこそ粗野に見えるが手捌きは見事なもので、自然で生きてきたアイエスすらもいつの間にか見惚れていた程だ。
毛皮の内側は脂乗りが良く、これを丁寧に焜炉へと投じてゆく。それをラパンの数だけ繰り返す。
こうして焜炉に火種が備わった、後は着火だ。
「あの、火起こしは?」
「そんなものはない。 収斂発火だ」
アイエスは己が耳を疑い、眉をひそめた。
言って騎士は正面から陽を浴びる位置に立つと、焜炉に向けて片手をかざした。
猛禽類のような鋭利な指が開かれると、鏡面状をした手のひらがあった。
そこで陽光を受けると光線のように反射し、焜炉に投じた毛皮に光点を定める。
収斂発火とはつまるところ、太陽光の反射と収束を応用した発火技術のことだ。
だからアイエスが呆然と立ち尽くし、口をぽかんと開けるのも無理はない
「それはその、さすがに気が長すぎるんじゃ――」
アイエスが言い終わるより早く、ぶすぶすとラパンの毛皮から煙が起こり、すぐに火が灯った。
手をかざして僅か十数秒のことだ。
凡そ常識からは考えられない超常的な出来事に、アイエスは目を真ん丸くする。
「え? あの? その鎧は一体何で――」
「とりあえずだ、しばらくは南へ向かう」
そして湧いた疑問を遮るかの如く、騎士はしれっと己が目的先を示唆した。
やはりというか、そこに具体性などありはしない。
再度、黒鎧について聞きなおそうにも、騎士は悠々とアイエスを見下し視線で黙らせる。
その眼光に射竦められると、何故か黒鎧には触れてはならぬような気がした。




