閑話 名もなき騎士の物語
世は戦乱――これは人間とエルフが憎しみ合い、争いが熾烈を極めていた頃の話である。
その日は雲一つないまっさらな青空だった。
だだっ広い野原にある辺境の村、そこにこしらえられた前哨地に、一人の騎士がいた。
鈍く光る鋼の兜と鎧には傷など一つもなく、見るからに真新しい。
されども首には鋼の印章が下がり、彼が正規の騎士であることを表している。
そこに刻まれしは、どこかで聞いたようなありふれた名前だ。
「ついにここまで来た。 ここが、僕にとっての始まりの村……か」
騎士は兜を取ると、緊張と感慨を込めてぼやいた。
顔にはあどけなさが残り、騎士というよりもむしろ羊飼いの方が似合いそうな優男だ。
歳は十代半ばといったところ。
体格だって歳相応で、決して大柄な方じゃない。
つまり騎士は、どこにでもいる普通の少年だった。
「えーと? まずは確か、騎士長に到着の報告をしないと」
少年は周囲を見渡し、同じ馬車で来た者らが別々の場所へ向かうのを見やる。
騎士(自分)と数人の弓手と、木箱いっぱいの薬草を抱えた薬草師、それから出稼ぎの個人傭兵が一人。
役割や立場が違えば、それぞれの先導者も違うというもの。
人がごった返す中から鎧がひしめく騎士の群れを見つけるべく、少年は歩きだした。
村内に敷かれた前哨地というのは案の定、かなり殺伐としたものだった。
石の転がる地面の通り、微風に揺れる野生の花、そして石造りの民家。こんな素朴な風景のなかに軍人たちが溢れかえっている。
魔法使いに神官に足軽、或いは武具工まで。
歩を重ねれば次々と目に入る猛者たち、ここにいる殆どが国家に認められし精鋭なのだ。
耳を澄まさずとも、そこかしこから軍隊らしいやり取りが聞こえてくる。
「気圧されるな僕、胸を張れ。 大丈夫、剣の腕なら自信はある。 僕だって正規の騎士なんだ!」
少年は人知れず静かに闘志を滾らせる。
首に下がる印章を手にして見やり、額にあて、自分もこの猛者どもと同じ猛者なのだと強く自負する。
そうだ、胸に秘めた熱意は誰にも負けない。
自分こそは戦場で多くの命を救い、世界を平和にする騎士なのだ。
そのついでに名を轟かせ、大金を得て、果てには位まで授かれば故郷への凱旋も鼻高々となろうもの。
誇大妄想だとは自覚しつつも、年頃の男ならば誰でも一度は似たような夢を胸に抱くものである。
その後も歩き続け、景色に慣れてくると時々だが村人が混じってることに気付いた。
村内だから当たり前といえば当たり前だが、それでも普通ならば別の村か街に越してそうなものだ。
なにせこの村はもう既に、戦争の最前線と化してるのだから。
変わらぬ日常を過ごすように愛犬と散歩する老人、傭兵を誘う娼婦、戦火を声高に歌う流れの吟遊詩人。
きっと各々なりの理由があるのだろうと、少年は一瞥だけして歩き続ける。
すると一人の子供に目が止まった。
男の子が道行く猛者どもを、まるで憧れの存在であるかのように目を輝かせて見ている。
「子供……?」
戦の前線である村に子供が残るとは、少年は世の穢れを見るような目で子供を見やり、立ち止まった。
するとその子と目が合う。
少年はふと我に返り、男の子に手を振って精一杯の優しい笑みを送った。
そのまま去ろうとした際、男の子が脇目も振らずにこっちへ駈け寄ってきた。
満面の笑みでだ。物請いだろうか。
もし生活難ならば靴磨きでも頼んで銅貨をやろう、少年はそう思って暖かな眼差しで見ていたが――
「なあなあ、兄ちゃんって勇者なんだろ!?」
「……」
「聖剣を手に平和を守る、世界の英雄だろ!?」
「…………」
来るなり開口一番にそんなことを言われ、少年は言葉を失い、固まってしまう。
「え~と、どうして僕が“聖剣の勇者”だと思ったんだい?」
「優しそうな笑顔だったから!」
「はは、そりゃどうも」
「それだけじゃないぜ。 他にも――」
薄ら笑いをするしかない少年に対し、男の子は言いながら目の前にある真新しい兜と鎧を指差す。
「これピカピカじゃんか! 傷一つ無いってことは無敵、つまり伝説の勇者ってことだろ?」
その言葉に少年は続けて苦笑いを浮かべ、己が手のひらで顔を覆う。
子供ならではの純粋な発想に目眩を覚えたのだ。
それから純粋無垢なこの子供になんと答えたら良いのやら、心底言葉に困った。
少年は仕方なしにとばかりに、しゃがんで男の子と目線を合わせ、溜め息を吐く。
「これ、持ってごらん」
言って彼に、抱えていた真新しい兜を抱かせた。
子供には重いだろう鉄の塊を、男の子は危うい足取りながらも、よたよたと抱えている。
されども落とさぬよう力強く懸命に抱き、なにより爛々と目を輝かせていた。
少年はその姿を見て思わずはにかむ。
「その兜が伝説のアイテムに見えるかい?」
「すっげー! かっけー!」
「かの勇者の兜はそんな地味じゃないし、そもそも羽のように軽いって噂だよ」
「これってやっぱ、どこかの迷宮にあったの?」
「僕の話を聞いてくれ……」
マイペースな男の子と話を続けてると、彼が一人で暮らしてることがわかった。
詳しくは聞かなかったが戦災孤児だろう。
とはいえこんな辺境の地、しかも戦争の最前線となれば教会や修道院などまともにあるはずがない。
そして当然ながら、他へと越す費用だってあるはずもない。
彼はこの村にある大好きな我が家で、もう何年も一人ぼっちで暮らしているという。
「じゃあ兄ちゃん、聖剣の勇者じゃないのかー」
「残念だけど僕は世界を救える英雄じゃない。 名もなき一介の騎士さ」
「聖剣持ってなかったし、変だとは思ってた」
「武器は実戦に際して渡されるからなあ」
「もしや落雷と共に聖剣が……! とか思ってた」
「僕にそんなスペクタクルを期待されても困るな」
落胆する男の子を見て不甲斐ない自分を感じ、少年は眉をひそめて彼に渡していた兜を受け取る。
自分はかの有名な勇者ではない。
どころか名を馳せるような強者ですらなく、語るような武勲もない、配属されたばかりのヒヨっ子だ。
こんな非力な騎士に、今の自分に何ができようというのか。
少年は悩み、思案し、やがて何かを思いつき彼の頭を撫でる。
「でも約束するよ」
「何を?」
「僕に世界を守る力はないけど、君一人くらいなら守ってみせる」
「……本当か?」
「ああ、騎士の誓いってやつだ」
微笑んで少年が小指をさしだすと、男の子はさっきの憧れを見るような目になり、爛々と瞳を輝かせる。
次いで目の前の小指に己が小指を結び、ゆびきりを交わした。
「契約は確かに完了した。 これで良いかい?」
「……うん! なあ兄ちゃん、名前教えてくれよ」
「それはダメだ。 現地人との過ぎた交流は規則違反だからね」
「ちぇー、やっぱダメか。 守るとか言っといてこれだもんな」
そうは言うも男の子に不機嫌そうな様子はない。
きっと初めてじゃないのだ、この規則を聞くのが。
「すまないね。 いつか僕が、この鎧を脱ぐ時が着たら教えるよ」
「それってどんな時?」
「そうだね――」
少年はゆっくりと立ち上がり、微風に髪を踊らせながら青空を見上げる。
「戦いが終末を迎えた時……かな?」
「戦争って終わるの?」
「終わらせるんだ、その為に僕は来たんだから」
切なる想いを込められた言葉が、風にさらわれる。
だけども二人はいつまでもきっと忘れないだろう。
この日交わした契約と、約束された終末を。
名もなき騎士と彼に憧れる小さな男の子は、互いを見てくすりと微笑んだ。
すると――
空にひゅるると砲音が走り、どんと空砲が鳴る。
そこで少年は自分が戦争の最前線へ送られたのだと思い出し、凛然とした面持ちになる。
「ごめん、もう行かなきゃ」
「兄ちゃん、また会おうな?」
「おうとも!」
少年は大手を振って走り去った。
去り際になっても自ら名乗らない辺り、あの男の子は随分とわきまえている。
やはり過去にも何度か、軍の者と話したことがあるのだろうと思いつつ、少年は足を速めた。
ヒヨっ子騎士といえども基礎体力は備わっているもので、少年は息を荒げることもなく騎士の集合所へと着いた。
見れば騎士長と聖騎士が地図を見ながら戦の展望を話し合い、それからたくさんの騎士と鍛冶師が各々の仕事にとりかかっている。
少年に気付こうとも一人とて関心の目を向ける者などいない。
やがて自分の到着に気付いたらしい騎士長の眼光に睨まれると、片膝を付き胸を張り、背筋を正す。
「本日付けで配属されました――」
少年は律儀かつ懇切丁寧に、しかもやたらと堅苦しい名乗りをあげた。
どこかで聞いたような名前、剣よりも農具が似合いそうな柔和な顔立ち。
騎士としてはあまりにも頼りない。
「騎士にしちゃ随分若いな、ただの小僧じゃないか。 お前、もしや名誉騎士か?」
「はっ。 僕――自分は名誉騎士であります」
地図を見たまま騎士長が問うと、少年は堂々淡々と答える。
だがその口から不意に零れた我を騎士長が聞き逃すわけもなく、赤い羽付き兜から溜息が漏れた。
名誉騎士とは国が指定する養成所で訓練を積み、成績が認められた者が授かる騎士の位である。
その性質上、金で買える職位だと揶揄される面もあり、そしてそれはあながち間違いでもなかった。
現に貴族でもなく体格に恵まれてるわけでもない少年が、こうして騎士になれたのだから。
無論ある程度の心技体は備わっているが。
「よし新入り、お前には今から村の外にあるバリケードの補修を命ずる」
「はっ。 ただちに取り掛かります」
「資材も現場近くにある。 少しばかり臭うが、新入りが実戦を知るには良い勉強になるだろう」
「臭い……ですか?」
「ああ、エルフどもが触りたくないうえ、絶対に壊せない最高のバリケードだ」
そして少年は聖騎士に詳しい場所を指図され、現場へと向かう。
しかし騎士長の言葉がどうにも気になる。
当初は大量の糞尿かと思ったが、別にそんなの近付かなくても壊せるだろう。
疑惑を胸に辿り着くなり、少年は答えを得て戦慄を覚えた。
それを見てから手足の震えが止まらなくなり、思考が停止する。
「エルフたちの……死体、なのか?」
目の前にあるのは、山積みにされたおびただしい量の死体だった。
辺りを見渡せば、似たような赤黒い山があちこちに築かれている。
腐乱死体、焼死体、惨殺死体。
ぐちゃぐちゃに混ざった胴体や手足に頭部。
木の葉みたいな形の長耳が随所に見受けられ、かろうじてエルフの死体だとわかる。
ふとした刹那、大口を開けたエルフの死体と目が合う。
「あ、ああ……うあああああああああ!!!!」
気が狂った少年はとにかく叫んだ。
ウジが湧き、ハエが集り、余りの異臭に獣や魔物すら姿を見せない。
確かにそれはある意味、最高のバリケードだった。
その日は雲一つないまっさらな青空だった。
だだっ広い野原にある辺境の村、そこにこしらえられた前哨地に、一人の騎士がいた。
彼は守るべき者を見つけ、戦の終結を決意し、されどもその脆弱な心は直ぐに折られることとなった。




