26話 力ずく
デーモンの手に紫電が閃めく。
見やる先にはゾンビの群れに捕らわれた怪物、こうなってしまえば後は考えるまでもない。
黒魔法を放てば良いのだ。
幾度か浴びせても大したダメージは見られなかったが、全く効かなかったわけでもない。
ならば倒れるまで打ち続ければいい。
如何に黒鎧が頑丈だろうと、いずれ中身さえ殺せればそれで良いのだから。
「まさかドラゴンでもなんでもない、たった一人の騎士に本気を出すことになろうとは」
デーモンの傍らに生じる魔方陣、そしてライトニングヘイトを怪物へ放った。
一閃の雷光が漆黒の重鎧を貫く。
舞い上がる塵煙のなか、怪物の影がゆらめく。
「余興は終わりだ、体慣らしには些か遊びすぎたか」
続けて数十にもなる魔方陣を作り、一斉に放つ。
一閃たりとも狙いは外れず、全ての雷光が怪物に直撃した。
その怒濤の衝撃により廃城が揺れる。
「時間はかかろうが仕方ない。 むしろその黒鎧が頑丈なのを怨むのだな、楽には死ねんぞ」
本来の威力ならば一想いに死ねたものを、そう思いながらデーモンは放ち続ける。
ぎしりと軋む廃城、唸る轟音、これだけでもその威力はかなりのものだと窺い知るとこができる。
実際にデーモンは己が紫電に堪える怪物に驚いた。
いくら肉体が仮の器故に威力が劣ろうとも、怪物のでたらめさは異常である。
「暗黒の騎士よ、貴様の強さ、今だけは認めよう」
よってここからは手を抜かず、遊びに興じず、確実に勝つべく全力で倒す。
今のデーモンには油断も傲慢もない。つまり悪魔に付け入る唯一の隙が失われたのだ。
「だからこそ容赦せぬ。 未完とはいえ、我に本気を出させたことを誇りに思え」
重ね重ね、数えきれない程のライトニングヘイトを放った。
溢れかえった塵煙に視界は遮られ、陽光が届かぬほどに充満している。
「クク……クククク! 最後は結局、ゴリ押しになったか、この器らしい粗野な顛末だ」
我が術を嘲けり高揚に嗤うデーモン。そこでようやく怒濤のライトニングヘイトを打ち止めにする。
仄かに薄まる塵、視界がにわかだけ戻る。
その向こう、重鎧から黒煙がぶすぶすと発ち昇るのを見るなり姿勢を正した。
「そろそろ頃合か」
そして一際巨大な魔方陣を生じさせた刹那、怪物が何かを投げるのが見えた。
燃える何かがひゅんと塵煙を裂いて飛んでくる。
目を凝らすまでもなくわかる、オークの手足やら消炭に違いない。ならば問題ない。
よってこのまま避けずに、黒魔法の発動を続けた。
あの怪物には最早片時の猶予も与えない、与えて良い相手ではない。
デーモンは手に紫電を閃かせつつ、飛来物を払拭すべく手羽をしならせ振り払った。
「……な?」
直後、デーモンは手羽になぜか痛覚を感じ、何が起きたのか理解が及ばなかった。
見ればそこには燃えるオークの脚が深々と突き刺さり、血が並々と零れているではないか。
おかしい、何かがおかしい。
弾き返すつもりで振り払った故に、多少の衝撃は伴おう。
だが――
「なぜ刺さった?」
純粋な疑問が浮かぶも、すぐに答えは得た。
意識を逸らされることコンマ数秒、次なる飛来物がデーモンの片脚にぶすりと突き刺さる。
するとくたりと脚が折れ曲がり、発動するはずだった黒魔法が痛覚により遮られる。
今度は燃えるオークの腕だった。
それを掴み引き抜くと、事態をようやく理解する。
「クク、クククク、骨か。 これはまた随分とバカげているな」
なんということはない。
剥きだしになった骨の先端が尖っていた、それだけのことだった。
これなら瘴気に遮られることもない、そして残数ならいくらでもある。
それこそ包囲されるほどに。
デーモンは忌々しげに炎に蠢く怪物を見やる。
そこで怪物は、ただ黙々とオークゾンビの部位を選び、拾い、大剣で肉を削ぎ、骨を削剥し続けていた。
そこで気付く、怪物は猛攻に苦しんで膝を付いたのではない。
ただ――作業をすべくしゃがんでいたのだ。
「ここまでか、今世にこんな奴がいるとはな。 暗黒の騎士よ、覚えておこう」
デーモンは残りの手羽を羽ばたかせる。
未完の自分では勝てない、だが今世の退屈凌ぎとしては悪くない。
まるで新種のご馳走を見つけたような眼差しを怪物へ向ける。
そしてよろめきながら浮遊する。
「どこへ行く気だ?」
しかし、安易に逃亡を許す怪物ではない。
怪物はデーモンの飛ぶ宙を睨んだ。
次いで足元を転がる数多のオークゾンビを見渡し、傷の浅い一匹に白羽の矢を立てる。
すぐさま力任せに突っ伏させ、背を踏み、背骨をなぞるように刃を走らせ、切り口を手で抉る。
「逃がさんぞ」
そのまま猛禽類ような手で背骨を掴み、思い切り引っぱる。
裂ける血肉がぐちゃりと音をたて、ぶちぶちと肉の繊維が千切れていく。
いびきのようなオークゾンビの鳴き声など耳に入らず、おびただしい量の鮮血を撒き散らす。
やがて背骨を引き摺りだすと、先端には頭皮から引き抜かれし髑髏があった。
髑髏が牙をカタカタ鳴らすと、抜け殻と化した皮と肉がぺらぺらに萎む。
「これから貴様を血祭りにしてやる」
そしてデーモンを処すべく怪物は立ち上がった。
既に大半のオークゾンビどもは焼け爛れ、さきまでの機敏さを欠いている。
今や自分を縛るものなど存在しない。
ならばと怪物は大剣を傍らに突き立て、背骨を振り回し、髑髏で円を描く。
鉄球鎖を扱うように慣れた手付きで振り回し、塵煙は巻き上げられ、みるみる視界は晴れてゆく。
そして投げ飛ばした。
「落ちろ」
言葉と同時、怪物の手から放たれた髑髏が牙を剥く。
空を裂きながら、眼窩にある虚ろな眼が、標的である黒き獲物の顔をぼんやりと映した。
「があ、おのれ!」
手羽に傷を負ったデーモンの飛行速度は鈍く、無様に命中して呻きが漏れる。
瞬間、髑髏はぐしゃりと砕け散る。
とはいえ腕を十字にして直撃は防いだ。
だが怪物の真意は、ダメージを与えることに非ず。
「ぬお、目が……視界がままらなぬ」
鮮度抜群の髑髏には当然、中身が入っている。
それが粉々に砕ければ、中身も派手にぶちまけられるのは当たり前だろう。
よってデーモンは飛散した脳漿と血に眼をやられ視界を奪われた。
更にそれだけに非ず、防御した両腕には砕けた骨片が細々と突き刺さり、だらりと垂れ下がっている。
「さっきの雷撃は中々に良かったぞ。 お蔭ですっかり目が覚めてしまった」
怪物は淡々と告げる。宙をふらつく傷だらけのデーモンを見ながら。
そして漆黒の重鎧をがしゃりと重厚に鳴らし、一歩また一歩と進みだす。
「くそ、来るでない、寄るな!」
デーモンは四方八方と構わずライトニングヘイトを打つが、視界を奪われており命中精度など知れている。
閃く紫電が怪物に当たるはずもなく、どころか掠めることもない。
その様を見て怪物はかぶりを振る。
「そんな情けないことを言うのは、永きに渡るデーモンの歴史上でも貴様くらいのものだ」
そして怪物は跳んだ。
その巨体に似合わず、軽やかに跳躍し、ぬうっと腕を伸ばして鋭利な指でデーモンの脚を鷲掴む。
して力を込めると、脚の骨が粉々に砕けた。
「があ! や、やめろ、何をする! 離せ!」
そう言われて離すものなどいるわけがない。
怪物はそのまま重力に身を任せ、ひゅるると軽やかな音と共に垂直落下する。
すると目下に迫るは石造りの床だ。
そして――激突の際にデーモンの脚を引き、その顔面を床へと叩き付けた。
「が……」
デーモンの口からまぬけな呻きが漏れる。
床が割れ、石片と真っ赤な血が周囲に散らかる。
同時に着地した怪物の足元が、蜘蛛の巣状にひび割れる。
「さあどうした? 手羽を一つと片脚を折っただけだぞ? まさかこれで終わりではあるまい?」
今度は床に埋まるデーモンの頭を後頭から鷲掴み、乱暴に持ち上げると首の骨がごきりと折れる。
更にそれだけでは終わらず、怪力によって頭蓋骨がめきめきと軋み、デーモンの表情が苦痛に歪む。
「ぐ……あ!」
そして始まる圧倒的暴力。
怪物は頭を鷲掴んだまま、顔面を床に叩きつけた。
そのまま何度も何度も何度も――絶え間なくデーモンの顔を乱暴に叩きつける。
城内に響き渡る轟音に次ぐ轟音。
衝撃のたびに大きな地揺れが起き、天井からぱらぱらと塵が降るーーそして。
「まさか本当にこの程度だったとは、つまらん」
やがてデーモンの全身から力が抜けたところで、怪物は手を止める。
牙と鼻柱がへし折れ、目蓋すらまともに開けられないほどに腫れあがったデーモンの顔が、怪物の手にあった。
既に首がありえない角度に曲がっているが、なおもデーモンは口をぱくぱくと動かす。
「クク……クククク。 匂う、仄かではあるが確実に匂う。 わかったぞ、その黒き鎧の正体が」
「だからどうした?」
その後は呻きにも似た声を漏らすばかりで、最早デーモンには戦意も殺意もまるで感じられない。
間抜けに口を開けたまま、ひゅうひゅうと弱々しい呼吸を発するばかりだ。
「まだ死なぬか、やはり最後は“潰す”しかないな」
動かぬデーモンを放り捨てると、怪物は歩いて己が盾を手にして戻ってきた。
陽光を浴びた巨大な黒銀の十字架が、鈍く閃く。
重厚で厳つく、盾と呼ぶには余りに馬鹿げた代物。
「これで終わりだ。 世に悪の栄えた試しなどない」
「黙……れ。 よもや、貴様が、正義などと……」
虫の息ながら返した精一杯の啖呵に、怪物は首を傾げデーモンを見下す。
「何を言っている? 私とて同じ、いつの日か私も滅びの刻を迎えるだろう。 だがそれは今に非ず、ましてや私を断罪するのは貴様如きではない」
つまらなそうに淡々と怪物は吐き捨て、十字架の黒銀盾を頭上に構える。
黒兜に浮かぶ眼光が、ぎらりと不気味に閃く。
「死ね。 愚者が……!」
そして――十字架は落とされた。
さながら断頭台の刃のごとく。
落雷したかのような打撃音が轟き、次いで舞い上がる塵煙。
十字架の黒銀盾が床を突き破って聳え立ち、その根本では頭を潰されたデーモンがめり込んでいた。
全身をびくびくと痙攣させ、派手に頭蓋と脳漿をぶちまけている。
戦いは終わった。
ふしゅうと溜め息を吐き、騎士は地下墓地の壁をゆっくりと見渡す。
「騎士たちよ、安らかに眠れ」
その窪みで永久にまどろむ魂たちに、かつての騎士たちに――安息の言葉を投げかけた。




