24話 ぶちかまし
陽光の照らす地下墓地。
武具が散らかりオークどもの死体が転がるなか、冒険者らは瓦礫に隠れ固唾を飲む。
そして――戦いの刻は訪れる。
「推して……参る!」
怪物は叫んだ。
後光を背に、燃え盛る炎刃を掲げて駆けだす。
砲音のごとく踵を轟かせ、歩を重ねるたび石造りの床をひび割り、塵煙を引いてゆく。
黒兜に浮かぶ戦慄の眼が、葬るべき敵を見据え、眼光を不気味に閃かせる。
「くくく、何者かは存ぜぬがお待ち申し上げよう」
狙われしデーモンは含み嗤いをした。
変態を終え、デーモンと化した肉体はオークキングだった頃より巨大だ。
樹木のごとく伸びた四肢、頭に生える螺旋状の角、黒樫のような四本の手羽、見た目の威圧感はこちらとて劣らぬものがある。
「もっとも、ここまで辿り着ければだが」
デーモンは気圧すように筋骨隆々とした胸を張り、長い尾をしならせ邪眼を怪物へ走らせる。
邪眼のギロリとした瞳孔、その眼に映るは迫り来る漆黒の怪物。
コウモリに似た金切り音を鳴らし、あんぐりと大口を開け、刃のごとく歯をぎらつかせている。
「人かエルフか、はたまた堅牢な甲冑からしてドワーフであるか。 なんであれ美味を所望する」
余裕あらわに嗤うデーモン。
怪物と邪眼は双方とも速度を緩めず、真正面からぶつかった。
衝突する重鎧と魔物、鈍く重厚な音が響く。
怪物の引く塵煙があてどなく舞う。
「さえずるな」
塵煙の揺らめくなか、怪物は淡々と言った。
厳つい盾と燃える大剣を両の手に持ったまま。
まるで締めた万力のごとく胸中に抱き締めるは、言わずもがな邪眼だ。
ぎちぎちと蠢き、今にも暴れんとする邪眼を逃がさず捕らえている。
「ほう、ならこれは?」
デーモンが鼻を鳴らすと、邪眼はなお蠢く。
すると胸中でガチガチと鎧をかじるが、漆黒の重鎧に傷の一つすら付けられない。
さしものオークすら踊り喰いする大口も、この巨大すぎる怪物には形無しである。
「大した硬さだ。 これは食べ応えがありそうで」
邪眼を引き戻そうとデーモンは尾をしならせた。
「おや?」
だがびくともしない。
重鎧の胸中からまるで抜け出せない。
二度、三度と尾を引くも、怪物はその場から一歩たりとも動かない。
「なんだ、これは」
さすがのデーモンも、これには苛立たしげに舌を鳴らす。
山羊のようなまどろむ目から、余裕が失せてゆく。
やがて痺れを切らし前屈みになると、黒樫のごとき四本の手羽を伸ばす。
手羽に膜が張り、羽を広げると、それらは漆黒の怪物へと向けられた。
「失せよ!」
一斉に放った。
得体の知れぬ黒き礫を、雨あられと。
さきのような、有象無象を一掃する拡散としたものではない。
敵を確殺すべく、火力を一点に集中する。
怪物はそれを黙して浴びる。
降り注ぐ黒き礫の集中豪雨。
絶え間なく金属音が鳴り、散り散りとした火花が滝のように流れる。
そのなかにおいてもなお、微動だにせず怪物は大きく息を吐く。
黒兜から不気味な息遣いが漏れると、デーモンは攻撃を止め訝しむ目線を投げた。
「児戯だな」
怪物は吐き捨てた。
次いで、その双腕に力を込め胸中の邪眼を一層きつく抱擁する。
途端に増し増した圧力に、邪眼は歪み始めた。
少しずつ徐々にゆっくりと、だが確実に圧迫され、邪眼の白目が次第に血走っていく。
「があ、おお……おお!」
圧力に合わせ、デーモンは狂おしく身悶えた。
ついに痛覚をともないだした尾の先端、邪眼。
見れば眼球からは時々、浮いた血管が破れブシュッと血飛沫をあげている。
今すぐにでも近寄り、あの暗黒の騎士をどうにかしてやりたい。
されども苦痛に抱かれたこの状態では、満足に手足を振るうことすら叶わぬ。
所詮オークの肉体ではこの程度が限界かと、デーモンは己が早計さに目眩を覚えた。
「潰れろ」
怪物のぼやきと同時、邪眼は万力も当然の抱擁に耐え切れず、弾けた。
バシャン――と、まるで水風船が破裂したような、どこか間抜けな音をたて大きな目玉は潰れた。
重鎧の胸中からおびただしい量の血が拡散する。
「ぬああああああああああああああああ!!!!」
デーモンの苦痛に塗れた叫びが、地下墓地を突きぬけ廃城に響き渡る。
床には滴る血と肉、鋭利な歯の並ぶアゴ。
それを足蹴にして聳えるは、全身を真っ赤な鮮血に染めた怪物――暗黒の騎士。
黒兜に不気味な眼光を閃かせると、間髪入れずすぐにデーモンへと駆けだす。
「おのれ!」
苦悶に顔を歪めながら、デーモンは手羽をしならせ黒き礫を降らせる。
構わず怪物は踵を鳴らし、転がる邪眼の肉隗を踏み躙りながら猛進する。
繰り返される礫の雨、生じるは金属音と火花。
いくらダメージにならぬとて、その衝撃は相当なものであり、怪物の速度が僅かばかり鈍る。
「バカな、なぜだ! なぜ――」
止まらない。
怪物は止まらない。
決して止まらない。
いかな猛攻を浴びようとも、この怪物が足を止めることなど断じてありえない。
よって進路上に数多の武具とオークの死体が転がろうとも、我関せずとばかりに進む。
やがて怪物は走り様に十字架の黒銀盾を正面に構え、僅かに下げる。
すると盾が石造りの床を砕き、地盤を抉り始める。
床の石片と数多の武具と死体を盾で押しやり、障害物など意に介さず俄然と突き進む。
その姿たるや、まるで土木馬車。
「なんとでたらめな……!」
不機嫌に呻くデーモン。
ほどなくして瓦礫や武具、それに死体の波が雪崩れるように押し寄せてくる。
やがて怪物は盾を弾き、溜まったそれらを一纏めに吹き飛ばす。
すると巻き上げられたそれらは緩やかに放物線を描き、デーモン目掛け飛んでゆく。
剣に槍と矢、そして石片、時々オークの死体。
「無駄なことを!」
だがデーモンはニタリと嗤う。
飛来する武具や死体を見るなり、その場から動かず片手を掲げ、黒い瘴気を漂わせる。
直後に飛来する武具の雨が瘴気に飲まれると、途端に錆びて失速する。
衰微したそれらは墜落し、塵をまき上げ、粉々に砕け散った。
「くはは! 我が闇の力の前には現世の武具など無意味よ」
デーモンはほくそ笑み、次いで降ってくるオークの死体をもう片手で叩き落としてみせた。
手に付いた鮮血に舌を這わせ、舐めると、心底満足気に嗤う。
そして怪物を迎え撃つべく、視線を正面へ戻す。
「我を斃したくば、聖剣か魔剣でも――んな!」
だが既に遅し、眼前の景色を見てデーモンは間抜けな呻きを漏らす。
漂う塵煙を裂いて肉薄するは、城壁のごとき盾を構えし、血に染まった暗黒の騎士。
「間抜けが」
こうして、デーモンは撥ね飛ばされた。
つまるところ怪物がぶちかましたのは、ただの盾打撃に過ぎないのだが。
されどもその威力、その威容さからすれば、騎馬戦車だと形容せざるを得ないだろう。
「ありえぬ!」
宙で翻り、ふらつく意識を保ち、デーモンは上空にて制止する。
顔を引き攣らせ、儘ならぬ戦況に苛立ち、全身が怒りに震える。
眼下に広がる地下墓地を見下し、その眼が睨むは黙して立ちつくす怪物だ。
「ありえぬ、ありえぬ、ありえぬ!」
何度もかぶりを振って、心底面白くなさそうにデーモンは呻く。
そして己が手の平を見つめ、そこに紫の雷光を閃かせる。
「まさか我が“黒魔法”を、こんな不完全な復活直後に行使する羽目になろうとは……ありえぬ」
眉間に指を添え、嘆息気味にぼやいた。
面白くなさげに顔を曇らせ、羽をはばたかせ、その傍らに紫の魔方陣が生じる。
そこに記されしは、冥府に住まう者のみが読み解ける魔神の構築せし御言葉だ。
「真に遺憾だが、我が力、ここに解放といこうか」
魔方陣が明滅し、紫に閃く雷光が地下墓地にて佇む怪物へと迸る――。
瞬間、苦痛に悶える人相のような模様が落雷に浮かび、断末魔めいた甲高い雷音が唸る。
「!」
直撃した怪物の動きがびたりと止まる。
漆黒の重鎧からぶすぶすと発ち昇る黒煙。
燃え盛る大剣を杖のように突き立て、雷に痺れる体を無意識に支えた。
「ほう、詠唱もせず黒魔法を放つとは、どうやら並みの悪魔ではないらしい」
相も変わらず淡々と怪物は独り言った。
その戦慄の眼が閃く頭上では、デーモンを中心に紫の魔方陣が次々と記されてゆく。
一つ二つ三つ、それはやがて十をゆうに越え、形成された全ての魔方陣が明滅した。
「名も知れぬ暗黒の騎士よ、これで終わりだ」
言葉の瞬間、廃城の武器庫と地下墓地は、紫の雷光で満たされた。




