23話 目覚めし処刑者
あり得ないものを見てしまったと、目先で眠るように失神した少女を見てギデオンは固まる。
彼の傍ら、その少女を支えるリンもまた、驚愕の事実に身を固めてしまっている。
「え、そんな、エル……フ?」
リンの心に言いようのない不安が芽生え、体が震えるとその腕でまどろむ少女がにわかに揺られる。
さしものギデオンさえも、茫然自失と戦闘を忘れて立ち尽くすばかりだった。
「なんで、エルフが、こんなとこに?」
ギデオンは目先の真実を払拭すべく、これまで過ごしてきた彼女との思い出を辿る。
確か彼女とは昨日の昼下がりにギルドで会ったばかりだ。
正直初めの印象は、随分と大人しいし、駆けだしの冒険者というのもあって不安があった。
だが弓の腕を見ればどうだろう、百発百中どころではない。一矢で数匹を一緒くたに仕留めること多々。
しかもそこいらの枝を削って矢を次々と自作し、ほぼ無尽蔵に備えるではないか。
おまけに異常なまでに優れていた聴覚、否、優れ過ぎていたと言わざるを得ない。
――森の生活での賜物です。
彼女がことあるごとに口にしていたこの台詞。
なるほど、つまりはそういうことかとギデオンは一人納得する。
彼は鬱蒼とした表情のまま、今なお固まるリンの肩へ手を置く。
「その子を離すんだ、リン」
「……ギデ?」
困惑した顔で自分を見上げるリン。
今は戦時だ、迷ってる暇はないのだとギデオンは己に言い聞かせる。
もちろん自分も迷っている、だがそれを態度に出すわけにはいかない、虚勢でもいい、今は生き延びねばならない。
そのためには――最善の選択をせねばならぬのだ。
「ふはははは! これは抱腹ものだ!」
すると前方にいるデーモンが嗤う。
まるで心底愉快な活劇でも見たかのように、喝采な拍手を鳴らす。
最早その言葉は蔑みに満ちており、欲に塗れたオークのそれではない。
どうやら精神戦は終わり、ついにキングの肉体はあのフェレスという魔物に乗っ取られたようだ。
「まさか人間の為に我が身を投げだすエルフがいるとはな! まったくバカな娘よ!」
言ってデーモンはギデオンを指差すと、そこへ向けて邪眼がぬるりと走る。
「ああ! 全くその通りだと言わざるを得ないな!」
瞬時にリンの前へ出て、ギデオンは燃え盛る大剣で邪眼を迎え撃つ。
真っ赤に燃える刃に喰らい付く邪眼、ぎりぎりとした鍔迫り合いが始まる。
「この……!」
だがいかにギデオンであろうとパワーで勝てるはずもなく、見る間に押され、爪先が石造りの床に傷を引いていく。
呻く彼を見てデーモンが嘲笑う。
「人間とエルフとは忌み合うもの。 貴様ら両種族は数年前にも大戦争を繰り広げたではないか?」
「確かにな」
「それが一体全体どうしたことか? あの娘に媚薬でも飲ませたか? 或いは人質でも取ったか?」
幸か不幸か、力の差がありすぎる故か、デーモンはオモチャでも見つけたようにギデオンを弄んでいた。
一言交わす度、彼の顔が一々歪むのを心底楽しんでいる。
――しかし、やりすぎた。
「あの子を……」
「おや?」
ギデオンの全身に力が迸ると、押されていた体がぴたりと止まり、巨石のよう動かなくなる。
そして彼は大きく息を吸った。
「アイエスを侮るんじゃねええええええ!!」
感情の爆発と同時、鍔迫り合いをする邪眼の横っ面に、もう片手にある盾を叩きつけた。
吹き飛んだ邪眼が床を転がり塵が舞い踊る。
その様子を背後で見ていたリンが、驚きの余りにパチクリと瞬く。
「確かに人間とエルフは仲が悪い。 けど、それがどうしたってんだ?」
視界を遮る塵の壁を大剣で振り払いながら、ギデオンは続ける。
「俺にはアイエスさんが何考えてんのか、さっぱりわからない」
「ギデ、あなたもしかして」
彼の意を察し、リンの震えが止まる。
かれこれ愛し続けた二人のことだ、行動さえ見れば相手の真意はわかろうというもの。
「だけどどう考えたって、今のは自滅上等な行動だった。 命を賭して俺たちを守ってくれたんだ!」
「打算あっての行動かも知れぬぞ?」
ギデオンの言葉に間を置かずデーモンが答えると、晴れつつある塵のなかから邪眼が飛びだして来た。
咄嗟のことに盾を突きだし構えるも、激突した勢いを殺せず大きく吹き飛ぶ。
「があっ!」
背を打ち床に転がると、起き上がり様に間髪入れず邪眼が襲いかかる。
「ギデ!」
「来るなリン!」
邪眼はいたぶり遊ぶように、盾越しに何度もギデオンを打ち付ける。
全身を震わせるほどの衝撃をなんとか堪え、懸命に不敵な表情を作るギデオン。
「は、命賭けの打算なんて聞いたことないぜ」
「どうかな? エルフ族の密偵かも知れぬぞ?」
「違うね」
「なぜ言い切れる? その考えは?」
「考えなんかない、感じたからさ!」
叫ぶなりギデオンは邪眼の突撃を跳んで避ける。
そして投げた、燃え盛る大剣を遥か先にいるデーモンへと。
「ふん、愚かな」
呆れたデーモンはつまらなそうに息を吐き、せまる大剣をしなる邪眼で叩き落とす。
燃え盛る大剣はくるくると宙を泳ぐと、やがて地下墓地の中央に突き刺さった。
視線をデーモンに注いだまま、ギデオンは足元に転がっていたオークの放っただろう槍を拾う。
「リン、俺はその子を――アイエスさんを守りたい」
「うん……うん! 私もアイエスちゃんを助けたい」
例え忌むべき種族であろうと、この二人にしかわからないものがある。
それは少女の献身さだったり、誠実さだったり、時折見せるくすりとした笑顔でもある。
ともに過ごした時間はあまりにも短い、だけども救われた回数は多く、ともに笑った数はそれよりもずっとずっと多い。
「さあリン、早くアイエスさんを離して――」
「うん。 一緒に戦おう」
リンは己が腕の中でまどろむアイエスをそっと横たえ、ギデオンに並ぶと細剣を構えた。
愛しき恋人の精悍な横顔を見てリンはときめく。
彼はこういう男だ。
どんな常識があろうと、いかなる困難があろうと、自分の信じた仲間のためなら全てを賭す。
それこそが彼の考えうる“最善”なのだ。
「我に立ち向かうか、良いだろう」
デーモンが大きくのびをする。
するとまたバキバキゴキゴキと軋むような音を鳴らし、その巨躯が形を変えていく。
「リン、今まで付いてきてくれて、ありがとな」
「なに言ってるの? ずっと一緒でしょ私たち」
「俺の判断、間違ってるか?」
「んーん、あなたのこういうとこ好きよ」
「そうか、やっぱお前、最高の女だ」
「でしょ? 自分でもそう思うもん」
二人が微笑ましくやり取り続ける間にも、デーモンの変態は続く。
黒樫に膜が張ったような羽は四羽になり、四肢はキングだった名残のない程に膨れていく。
どこかで聞き慣れた「メェ~」とした山羊の鳴き声を何度も響かせながら。
幾度となく辺りが揺れ、暗がりで見えない遥か上の天井から絶え間なく塵が降り注ぐ。
「ふははは! さっきからなにやら上が騒がしいが、貴様らの策であろう? 無駄だ、跡形も残さず消し去ってくれる!」
その一言にギデオンとリンは呆気にとられた。
あのデーモンは一体何を言っているんだと、二人は訳もわからず互いを見た。
視線を合わせ記憶を辿るも、まるで心当たりはなく揃って首を傾げる。
さっきから続いている地響き、これはデーモンが引き起こしていたとばかり思っていた。
「なあリン、もしかしてだけど」
この地響きはデーモンによるものでもなく、自分らが仕掛けたものですらない。
ならばと、二人は揃ってアイエスに視線を注ぐ。
瞬間、二人の脳裏によぎったのは語られしあのお伽噺、それとアイエスの経験譚だ。
「そう、かも。 もしかして、もしかするのかも」
リンは決めていた覚悟が緩み、思わず涙が零れた。
次第に揺れは大きくなり、塵だけでなく瓦礫なども落ちてきた。
二人は揃ってアイエスへ駆け寄る。
降り止まぬそれらが彼女にぶつからぬよう、ギデオンは槍を投げ捨て彼女を担ぐ。
程なくして――天井に大きな穴が空いた。
真上はちょうど武器庫であり、そこから陽光とともに様々なものが振ってくる。
剣、槍、弓、果てには砲台と。
そのなかに一際、漆黒の巨大な塊があった。
地下墓地を照らす陽光を裂き、その塊は彗星の如く空を切りながら落下する。
様々な武具があちこちに墜落するなか、それも石造りの床に着地した。
着地点に大きな亀裂を生じさせ、落雷のような轟音を鳴らし、多大な塵煙を巻き上げる。
これ程の煙幕があれば、或いはデーモンから逃げ果せたかも知れない。
だが、二人はあえてそうしなかった。
今の二人の表情は既に、絵本の続きに心を躍らせる童のそれだ。
「聖域を侵す愚者はどこだ」
低く、どっしりとした厳かな声色が、煙幕のなかから地下墓地に響く。
ゆっくりと塵は晴れ、そこに巨大すぎるシルエットが少しずつ姿を現してゆく。
それを見たギデオンは気が抜け、床に尻を付きアイエスをそっと傍らに降ろす。
「はは、ははは、マジでいやがった」
夢か幻でも見てしまったかのような、信じられないといった顔をするギデオン。
隣にしゃがんで寄り添うリンも、これ真かと目を真ん丸くするばかりだ。
やがてシルエットが翻すと、途端に塵は晴れてその姿を見せる。
「あれが、暗黒騎士……」
リンが不意にぼやいた。
だがその姿は――騎士と呼ぶにはあまりにも不気味すぎた。
見るからに重厚な黒鎧、闇夜色のマントをなびかせ、手にするは十字架の形をした巨大な黒銀の盾。
ついに騎士を見るなり二人は思った。
正にお伽噺に聞く“あの怪物”のようだと。
怪物はその場で周囲を見やる。
視界に映るはずの男女や見覚えのある少女をそのまま見過ごし、黒きデーモンに目を止める。
そして歩き、地下墓地の中央に突き立つ燃え盛る炎剣を引き抜く。
「ここは尊き魂が眠れる聖域。 彼らの眠りを妨げるものは、例外なく許さん」
ふしゅうと息を吐くデーモンに向け、漆黒の怪物は真っ赤に燃え盛る刃を突き向けた。
降り注ぐ陽光を一身に浴びるその姿は、不気味ながらも神話を体現したような神々しさに満ちていた。




