20話 番えしもの
アイエスとリンは群れるオークどものなかにあってなお、怯むことなく一匹ずつ確実に仕留めていく。
次第にオークの死体が累々と転がり始めるも、いまだ奴らに得物を使う素振りは見られない。
せいぜい我が身を守るのに盾を翳す程度のものだ。
「ねえ、おかしくない?」
「どうしました?」
「なんでオークたち武器使わないのかしら?」
疑問を投じられたアイエスは、オークの掴もうとする手をするりと避けながら答えを推測する。
オークがよろけた隙にリンが背後から細剣を突き刺すと、心臓を貫かれたオークは力なく倒れて死んだ。
「恐らくですが、私たちがご馳走だからでは? キングの見てる前では傷物にできないとか?」
別の一匹がリンの背後から抱きつくように両腕を振りかぶるが、アイエスが疾駆してその両腕の腱を断ち切る。
ぶらりと下がりきった己が腕に驚く間もなく、オークはアイエスにノドをかき切られ、血飛沫をあげて絶命した。
「でも確かに、なんだか数ばっかりで攻めあぐねてる感じがしますね。 この数でキングまでいるのに何を恐れているんでしょうか?」
「あ、それは私わかるかも」
話しながらアイエスとリンは背中を合わせ、ほんの一呼吸だけ整える。
そしてすぐさま駆けだす。
「キングがいるからよ。 連中からしたら完全に勝ち戦だもん。 こんなに可愛いご馳走を目の前にして、誰だって死にたくないでしょ?」
オークが若い娘を嬲るのには順列がある。
キング等の長が最初に味わい、徐々に末端のオークへと入れ替わるのだ。
長が気に入れば数日間に渡り陵辱された挙句、そのまま喰らわれることも。
あるいはさんざ順繰りされた果てに、次少しずつ血肉を喰われることも。
当然そのような結末はごめんだ、だからリンは強がりだろうと笑って恐怖を吹き飛ばす。
リンは茶化すように微笑しながら続ける。
手を向けて来たオークの腕を切り落とし、そこから更に心臓を一突きで決める。
オークは前のめりに倒れて死ぬ。
言葉こそちゃらけているが、そこに油断は微塵たりとも見られない。
「一理ありますね」
足元に転がる槍を拾い上げ、素人ながらに全開で振り回してアイエスは答えた。
いかに素人といえどリーチの長さは馬鹿にできず、矛先さえ捕まれなければ防戦はできようというもの。
接近戦が不得意な自分でさえも、このように応じてしまえる事実。
恐らくだがリンの推測は正しい。
「それでアイエスちゃんの名案は?」
細剣を構えなおし、片手間に汗を拭ったリンが息を吐きながら問う。
「名案というほどじゃありません」
アイエスは槍を握る手に力をこめ、盾を翳すオークへ狙いを定めて投擲する。そしてすぐさま投げた槍を追いかける。
盾が槍を弾くかきんとした音が鳴り、オークが盾から顔を覗かせたその背後、そこに彼女は潜んでいた。
その姿は神官というより、野伏あるいは暗殺者と言っても過言ではない。
オークはアイエスを目視することなくノドをかき切られて死ぬ。
狩猟と屠殺の技術で奮迅するアイエスだが、できうる最善を尽くしているに過ぎない。
「盾ならそこらじゅうにありますから!」
そして死んだオークの手から盾が離れ、石造りの床を叩いたとき、アイエスはそれを掴む。
すぐに彼女は駆けだした。
盾は矮躯のアイエスが持つには、少々重たいものであった。
だがいかに非力であろうと、引き摺ってしまえば鉄の塊といえど運べぬことはない。
「アイエスちゃんって意外と大胆ね」
百聞は一見にしかず、正にこれだ。
意図を理解したリンは颯爽と駆け寄り手を貸す。
火花の線を引きながら、オークどもに意図を悟られぬうちに、二人は力を合わせて盾をぶん投げた。
「「新しい盾よ! 受け取って!」」
鉄の塊が旋回しながら弧を描き飛んでいく。
涙滴みたいな形をした盾は、みるみるギデオンとキングの激闘へ近付く。
気付いたギデオンはにやりと笑むが、キングは女二人の掛け声など気にした様子はない。
「はは、聖職者にしちゃ随分と剛胆だな」
ギデオンは苦闘ながらもどこか楽しげに口を緩め、
乱打でひしゃげた盾をキングの顔面に投げつけた。
当然キングは頭を傾け軽々と避ける、しかしそこに不意の打撃が襲う。
飛来する鉄塊と化した盾が、後頭に直撃したのだ。
「グゴッ!!」
瞬間、キングの意識が混濁し頭に星が泳ぐ。
それを間近に見たギデオンは勿論、離れにいるアイエスとリンも勝機を見いだす。
いかに鋼の肉体といえども、不意打ちならば効く。
少なくとも頭部への打撃ならば。
ギデオンは足取りのおぼつかないキングの大股を滑り抜け、床に落ちた盾を拾う。
そのまま周囲を見渡すと、どうやらオークどもはよろめくキングを見て戦意を改めたようだ。
ついに奴らにも余裕がなくなってきたのだろう。
「リン! アイエスさん! いけるぞ! ここからが本番だ!」
歯切れの良い活声に背後から「わかった!」「了解です!」と返事がくる。
だが長期戦になれば、数の暴力による敗戦は必至。
ここはやはりキングを倒して気圧すのが常套というもの。
戦力を分散させたくない三人の冒険者たち。
長たるキングを失うわけにはいかないオークども。
結果、乱戦になったのは当然の運びだろう。
アイエスとリンは俊敏に動き回って、連携をとり少しずつオークどもを減らす。
当然オークどもは今や得物を振り回すが、それでも乱戦とあってかオーク同士で傷付け合うことが多々。
そんな乱戦で、とりわけ目立ったのがギデオンとキングだ。
双方とも周囲を気にせず暴れるものだから、あるオークは大剣に斬られ、あるオークはキングに踏み潰され、周囲のオークどもが巻き添えを受けて次々と掃けていく。
「うわ、確かにあれじゃキングに近付きたくないね」
「そのキングと正面からやり合うギデオンさんも大概恐ろしい人ですが」
「あー見えてギリギリなのわかるでしょ? 本人は楽しんでるかもだけど」
「見てる方としては冷や冷やします」
「私はギデに運命託してるから良いけど、アイエスちゃんとしては気が気じゃないよね」
アイエスとリンは離れで観衆のようにぼやく。
今の彼女らのすべきことは、まずオークどもに捕まらないこと。
それからギデオンをサポートすべく、奪った盾を投げ渡したり、拾った武具をキングに投擲することだ。
二人は緊張を解すべくあえて軽口を交わせども、その動きは極めて機敏で無駄がない。
そんななか、アイエスは何気なく拾った得物に妙な閃きを覚える。
彼女が手にしたのは歪に削剥された石、つまりオークどもが作った石器だった。
――これはもしかして?
これは鈍器だ。
不意打ちなら、頭に当たりさえすれば、キングにも効くだろう。
少なくとも効き目のあった二度の打撃はそうだった。
見ればギデオンはさっきから善戦をしているが、それはやっぱり紙一重でかなり危うい。
リンも気付いてはいようが、恐らく一撃でも直撃すればギデオンは肉隗へとなり果てる。
だがそんな彼に有効打を浴びせられないキングは、かなり苛立ってるのが遠巻きに見てもわかる。
「リンさん、私のサポート頼みます」
意識がギデオンに釘付けになってるキングは隙だらけだ。
アイエスは短剣を振って血を払い落とすと、胸の鞘に納める。次に石器を何度か素振りして、腕に感覚を馴染ませた。
それを見ていたリンは頷く。
「うん、ガツンと一発きついのをお見舞いして!」
「勿論です、任せてください!」
リンが周囲を見やり細剣を振ってオークどもに威嚇する。
大仰に振りかぶるような暇はなかったが、それでもアイエスは全力を込めて石器をぶん投げた。
目標は遠くで激闘をするキング、その頭、ひゅるひゅると間抜けな音をたて石器が飛んでいく。
時間にすれば数秒にも満たないだろう。
やがて石器は見事キングの頭に直撃した。
「ウガッ!」
文句も付けようもないくらい、かけ値無しに最高に間抜けな一撃だった。
悲しいかな、膂力の乏しいアイエスが投げたとあっては威力に期待などできない。
有効打といえば有効打、されどもそれはやはり最高に間抜けな一撃であった。
「オノレ……オノレエエエ!!」
動き止めたキングの体が震えだす。
奴の目下にいるギデオンが呆けた顔で自分らの方を見てきた。
「うそ? あれ? もしかしてマズった感じ?」
「もしかしてではなく、完全にマズったようです」
怒気を滲ませたキングの背中に、アイエスらは当然としてオークどもさえも焦りを覚えた。
あのキングが怒りに我を忘れ、誰彼構わず暴れたらどうなるか、想像するだけでも恐ろしい。
そして痛みの在り処を探るように、キングはゆっくりと振り向く。
その瞬間、アイエスに狩人としての本能が迸る。
獲物は愚かにも怒りで我を忘れている、今なら自分を馳走と思わず感情任せに滅多打ちにするだろう。
あれを止められる者などこの場にいないのだから。
だが、それは自分を捕まえられればの話だ。
アイエスは背にあった木弓を構え、矢筒から一本の矢を掴み、番える。
ひしゃげた弓が折れないよう、引き絞りを加減しながら狙いを定め、放った。
瞬く間に一連の動作を終えると、放たれた矢が振り向いたキングの眼球へと深々と刺さる。
瞬間、僅かにキングの顔が上を向く。
「ガアアアアアア!!」
これにはさすがのキングも膝をついた。
だがそれは痛みによるものではなく、たんに驚きからきたものだろう。
すぐに立ち上がり、これまでにない咆哮をあげ、オークどもに埋もれる弓を構えたアイエスを見つける。
その睨みを真正面から堂々と受けるアイエス。
隣に立つリンは早くも涙目だ。
「ひいー! うっそでしょー!」
「リンさん続けてサポートを頼みます」
ここに至ってなお平静のアイエスは、続けて矢筒から最後の一矢を引き抜く。
それを見たキングは近くのオークどもを蹴散らし、一目散にアイエスへと駆けてきた。
涎を滴らせ、石造りの床を激しく揺らし、天井から塵をぱらぱらと降らせながら。
キングが怒り露に迫る姿に、自分らを囲ってたオークどもは途端に慌てて走り去る。
「いやいや無理よ! さすがに次は防がれるって!」
「良いからサポートを、泣き言を聞いてる暇はありません」
その声は凛然として感情が感じられず、研ぎ澄まされた闘志を静かに滾らせていた。
「んもう、どうなっても知らないからね!」
そうは言いつつも自分の前に立つリン、その背中を見るとついつい頬が緩んでしまう。
アイエスの心に思い出されたのは、リンの温かい言葉だ。
――今度は私が守る番だから。
どうやら彼女は本気らしい。
リンは細剣を鞘に納めると、足元に転がる剣を拾い上げる。
「これ投げて隙作るから、絶対に外さないでよ」
「あの、リンさん」
「お礼はいいから決めて! 絶対!」
「いえ、そうじゃなくて、もっと引き寄せてからお願いしますね」
「はあ~、なんだかギデと話してるみたい」
この局面での軽口も彼女らならではだろう。
もっとも研ぎ澄まされたアイエスには不要故、今回ばかりはリンの為だが。
そうこうしてる間にキングはもう数メートル先だ。
リンは視界を奪うべく、キングの顔に向けて拾った剣を投げつける。それを払い除けるキング。
「娘ドモ! 今スグ犯シ嬲ッテ殺シテヤル!」
ことここに至ってしまえば、怒気の孕んだ強迫に意味などあるはずもない。
投げた勢いのままリンはしゃがみ、その背中からアイエスが跳びだす。
その手に備わるは、ひしゃげた弓と最後の一矢。
――本当にこれが最後。
唇を強く結び、弦を思い切り引き絞るとめきめきと弓幹が軋む。
ぶつかる華奢な乙女とオークキングの視線。
互いに目を逸らすことなく、互いを獲物として認識している。
アイエスはくすりと微笑む。
奴の胸元に飛びこみ今やゼロ距離、ならばこの最後の一撃が防げるはずがないのだ。
「これで終わりです!」




