19話 一騎打ちと乱戦と
廃城揺るがす咆哮に足取りを奪われることもなく、アイエスは木弓を胸元に手繰り寄せ、リンへ駆ける。
すぐにキングの背後で凛然と構える彼女に並ぶが、その顔色は決して良くない。
鋭くキングを睨んでこそいるが、肩を上下させ、呼吸は荒く、手足も震えている。
見るなり、彼女は今にも恐怖に飲まれそうだと思ったアイエスは、そっと手を差しだす。
「リンさん、三人でこの窮地を乗り切りましょう」
細剣を震わせるリンの手をそっと握る。
だがあえてリンの恐怖には触れない。
あんな目に合った直後の彼女が、怖くないわけがないのだ。
刃を向けるは自らを連れ去ったキング、更にこれから怒濤のオークの群れがここへと押し寄せてくる。
嫌な記憶がフラッシュバックしようとも、それを払拭しようと懸命に恐怖へ抗う。
そんな彼女にかける言葉なんて、今の未熟な自分では紡ぐことができない。
だからせめて、ほんの僅かでも気持ちを落ち着かせようと思ったのだ。
「うん。 でもアイエスちゃん、もう大丈夫なの?」
「こんな時に弱音は吐いてられません。 それに」
「それに?」
「大丈夫じゃないのはお互い様では?」
身も蓋もない言葉を投げ、どこか清々しい眼差しをするアイエス。
白い野伏みたいな格好の彼女に特別窮地を思わせるものはなかったが、よく見れば確かに木弓が微妙にひしゃげている。
彼女にとっての生命線たる木弓がだ。
この健気な気遣いに、リンが心底喜ぶのは当たり前だろう。
実際にリンは、僅かながら頬を緩めた。
「それもそうかも。 ねえ、木弓まだ使えるの?」
「まともに射れば一射でしょう。 次で最後です」
「矢の残りは?」
アイエスは苦笑しつつピースサインで答えた。
ここ廃城では森のように無尽蔵に補充できまい。
使い回すにしても暗がりでは回収も厳しく、少数ばかり回収しても所詮は小枝、耐久性など高が知れようというもの。
思わず苦笑いをするリン。
「ま、二本あるだけマシってことで」
「なんなら仲良く分けましょうか?」
冗談をまじえながら二人はひそひそと笑った。
無論そんな軽んじれる戦況ではない。
だが神経質すぎたところで好転するわけでもない、ならば少しでも心を軽くした方が本領を発揮できようというものだ。
いつの間にか緊張の解けたリンを見て、アイエスもまた安心して豊かな胸を撫で下ろす。
そこに忍ばせた短剣をなぞるように指を這わせる。
場合によってはこれを使うしかないだろう。
これは自分にとって冒険道具であり、そもそも近接戦闘は得意じゃない。
だが矢の本数を聞いたリンは、戦意を改め震えなく細剣を握りなおした。
「約束するわ。 何があってもアイエスちゃんは私が守るから」
地鳴りが大きくなるにつれ二人の口数は減り、ギデオンはずっとキングと睨み合いを続けている。
キングにはアイエスとリンを気にする様子は全く見られない。
このなかでは唯一、ギデオンだけがキングに手傷を負わせたのだから至極当然ではあるが。
そして暗がりのなかから一匹また一匹と、武装したオークどもが次々と姿を見せた。
隠れたりなどするわけもなく、むしろ獲物を逃すまいと横並びに広がる。
その数などわかろうはずもない。
目視できる目先の敵、炎の灯りが届かぬ奥からの高揚とした雄叫び、合わせればさきの二十は軽く越えている。
「やだ、なにこの数キモい」
リンが周囲を見渡すと、多すぎるオークども見るなり顔に僅かながら恐怖をちらつかせる。
そこに間断なくアイエスが、肩を寄せるようにリンと背中を合わせる。
「この数もそうですが、キングが一番問題です」
「そりゃまあ、そうだけど」
「どうしたものですかね」
「幸いキングはギデがやる気満々だから、私たちはオークを一匹ずつ確実に仕留めていこっか」
「そうするしかなさそうですね。 これじゃ逃げようにも逃げられませんし」
言ってアイエスは木弓を背負い、胸元に忍ばせた皮の鞘から短剣を抜く。
エルフらしからぬ絢爛豪華な刃を構えると、視線をオークどもへ走らせる。
連中の視線を辿ってると、キングと自分たちを何度も行き来していることに気付いた。
長の動向を窺いながらも、獲物たる女の自分たちを味わいたいのだろう。
一方ギデオンは唸るようにキングを睨むが、キングの方は児戯を楽しむように緩んだ笑みをしている。
戦場の空気が地下墓地全体に広がる。
ギデオンとキングは一騎打ち、アイエスとリンはオークどもの露払いだ。
最初に動いたのは、アイエスの豊満な果実に見惚れた一匹のオークだった。
やぶからぼうに真っ直ぐアイエスへ突撃してくる。
手にした石器を投げ捨てるくらいだから、さぞ目に映る果実が魅力的だったのだろう。
そんな痴情など知る由もないアイエスは、走るオークの股を滑り込むようにくぐり抜け、その際に足の腱を断ち切る。
オークは脚力を失い、糸が切れたようにうつ伏せに倒れ、そこにリンが細剣を突き刺す。
背筋を突き抜けた剣先はやがて心臓を貫き、すぐにオークを仕留める。
これを以って戦いの火蓋は落とされた。
最前列にいた一匹のオークがアイエスに迫る。
やはりと言うべきか、その手に持つ獲物は使わず直に華奢な四肢を掴みにかかる。
アイエスは足元に転がっている、さっきの欲情に駆られたオークが捨てた石器を拾って、振り向きながら投げつけた。
「グガッ」
石器はオークの鼻っ面に直撃し、ついつい両手で庇った隙を逃さず首の動脈を短剣で切り裂く。
壊れた噴水のごとく血飛沫を散らし、オークは倒れて死んだ。
アイエスはそのまま一歩二歩と下がって、リンと背中を合わせる。辺りをじろりと睨み、オークどもに短剣を突きつけ、警戒心を露にする。
背中越しにリンがオークを足蹴にしてるのがわかった。どうやら彼女も一匹狩ったらしい。
「なんだかんだで、合わせ三匹やりましたね」
「でもこいつらより問題はあっちよね」
リンの焦りを滲ませた声が何を問題視してるかは明白だ。
耳を澄ますまでもなく、離れにいるギデオンとキングから剣戟と打撃を応酬する衝撃音がする。
間断のない活声と咆哮に戦況を察していると、なにやら鉄塊が弾かれる鈍重な音がする。
怪訝に思ったアイエスが、音のした方に視線を投じると――
「くっそ!」
キングの丸太のような脚に蹴飛ばされ、宙で悪態を吐くギデオンが見えた。
彼は大剣と盾を手繰り寄せ、勢いそのままにくるくると回りながらこっちに飛んで来る。
火の粉を散らし、火の玉と化した彼を見てアイエスとリンは揃って焦燥に駆られた。
「ちょ、ギデ!?」
「はわわわわ」
だが彼は歴戦の勇士。
慌てるアイエスとリンにぶつかることなく、すんででのところで宙返りを決めスマートに着地する。
大剣の火は変わらず燃え盛り光源となり、ギデオン自身は煤に汚れる程度だった。
「ったく、なんだよあのパワー。 反則だろ」
「ちょっとギデ、大丈夫?」
「ん? 何がだ?」
「音と衝撃からして、かなりの一撃と思いましたが」
アイエスとリンが心配そうにギデオンを見るが、意外にも彼に目立った外傷はない。
それよりも、すっかり凸凹に変わり果てた盾に目を奪われる。
ギデオンは面白くなさげに舌打ちすると、キングを睨みつつ盾を翳した。
「はっ、全くその通りだ」
「怪我とかしてないの?」
「一騎打ちだから受け流せた。 乱戦状態なら確実にアウトだったぜ」
「盾、大丈夫ですか?」
「正直言うと、盾が壊れたらもうお手上げだ。 こんな軽鎧じゃ気休めにもならないしな」
鉄製の胸当てを大剣の柄でコツンと叩き、ギデオンは自嘲するように溜息を吐いた。
そうはいっても自分らは戦力として期待できない、アイエスが唇に指をあて悩むことコンマ数秒。
「思いつきました!」
はっとした顔になるなり、改めてオークどもに向き直って視線を巡らせるアイエス。
リンも細剣を改めて構え、三人はトライアングル状に背を合わせる。
オークどもはギデオンがいるせいか、さっきまでの果敢さは見られない。
「で、どんな名案かなアイエスさん」
「それはですね……」
ギデオンの問いに答えかけたとこで、アイエスの背後からけたたましい足音がした。
見るまでもなくわかる、キングだ。
あの巨体が動きだしたとなれば、悠長に策を話してる暇などあろうはずがない。
「とりあえずこのまま続行で! ギデオンさんはキングをお願いします!」
「おう! でも長くはもたないぞ!」
三人は駆けだし戦闘が再開される。
アイエスとリンがオークどもを、ギデオンがキングをそれぞれ相手に。
やることは一緒だ。
アイエスは固唾を飲み、ギデオンの戦ってた動きを思い出し、自らの体躯をあてはめイメージする。
自分にもできるだろうか?
いや、やらねばならぬのだ。
あの逞しき勇士ギデオンのように、乱戦の最中にオークどもから盾を奪うのだ!
連日の仕事と更に熱中症に見舞われ、随分と日が空いてしまいました。
一度で良いからお盆休みというものが欲しいです。




