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 寮にまで戻った頃には、日が暮れてしまっていた。

 神闘祭のために訓練場へ潜るのは、明日以降に持ち越しが決定。それぞれ夕食を取って、あとはもう寝るだけになっている。


「厄介な仕事を聞かされたもんだ」


 もちろん、素直に床へつかないのが学生ってもんだ。

 片付けていない宿題をするでもなく、俺は布団へ腰かけている。向かい側にいる紫音も、同じように座っていた。


「恋花さんのお父さんを殺せ、って仕事のこと? ……確かに嫌だよね。先輩だって、話したことあるんでしょ?」


「そりゃあな。自分の最後を他人に委ねるような人には見えなかったんだが……」


「ユーステスさんが嘘ついてた、ってわけじゃなさそうだしね」


 そもそもあの巨人が、正気を保っているようには思えない。

 だから虎勇はあんなことを頼んだんだろう。他人の迷惑を考慮するわけでもなく、娘の将来を気遣うわけでもなく。惨めに生き続けている醜態を、これ以上晒さないために。


「先輩はどうするの? 引き受ける?」


「……正直お断りしたいな。だって、もともとは父さんに、だったんだぞ? 代役をやれ、って言われてもなあ……」


「内容が内容だしね。――そういえば、どうして先輩のお父さんに頼む予定だったのかな?」


「友達だから、じゃないか? 簡単ですよ、ってユーステスさんも言ってたし」


 まあ、肝心の部分は聞けず仕舞いだ。過度な断定は控えておこう。

 一方で紫音は頷きながら、ベッドの上で横になる。吐き出している息にどこか元気がないのは、彼女自身が抱く心配の現れだろうか?


「大変だね、恋花さんも。アタシだったら直ぐ泣きごと言ってるよ」


「あの人は頑固なところあるしなあ……ていうか、随分と気に入ってるな? 先輩のこと」


「そりゃあね。良い人でしょ? 恋花さん」


「自分にとって好ましい評価をしてくれた人、ではなく?」


「あっ、ひどーい!」


 でも、切り口はそこだった筈だ。

 加えて紫音は人懐っこい性格をしている。人間関係の範囲が狭い俺にとっては、長所にしか思えない性格だ。


 ……何が、彼女をそうさせているんだろう?

 ふとした疑問と共に視線を向けると、紫音は変わらず天井を見上げていた。憂うような横顔は、本当に恋花のことを気に入っているんだと納得させる。


「紫音はどうなって欲しいんだ?」


「へ? アタシ?」


「ああ。お前だってあの場にいたんだから、参考程度には意見出してくれよ」


「そうだなあ……」


 真剣に考えているのか、いないのか。彼女はベッドを左右に転がりながら、思案に喉を唸らせている。


「誰も不幸にはなってほしくない――けど、難しいよね。虎勇さん? を元に戻す方法も分かんないでしょ?」


「今のところはな。普通だったら、魔力が切れた時に始祖魔術も解除されると思うんだが……」


「難しい?」


「いや、何とも言えん。実験とやらの内容も分かんねえしな。せめてその辺りが掴めりゃ、具体的な対策も出てくるとは思うんだが」


「ふうん……」


 詳しくは、恋化と明日にでも話すとしよう。

 俺は腰を上げて、部屋の出入り口にあるスイッチへと手を伸ばす。


「あれ? もう寝ちゃう? アタシはもっとお話しして大丈夫だよ?」


「素晴らしい提案だな。毎朝、遅刻の15分前に起きるようなやつが」


「だ、だって眠いんだもん! 三大欲求には逆らえないよ!」


「逆らわなくていいから、せめて制御してくれ」


 えー! とのしつこい文句を無視して、部屋の明かりを消す。

 その時、ドアをノックする音が二回。


「はい?」


「夜遅くにスマン、私だ、恋花だ。……少し話をしたいんだが、廊下に出てきてもらえるか?」


「ええ、いいッスよ」


 暗がりの向こうにいる紫音へ一言告げて、俺はドアノブを回転させる。

 月明かりだけが差し込む廊下の中。沈んだ表情の戦乙女が、月の光に濡れていた。


「決めた、か?」


「まあ、断ろうとは思ってます。納得できない点がいくつかあるッスから」


「そうか。――私も、実の父親を殺す気持ちにはなれない。明日にでもユーステスには、一言入れておくよ」


「……」


 頷きを返す恋花には、覇気というものが決定的に欠けていた。

 彼女も今回の件については、面倒だと考えているんだろう。が、その動機に胸を張ることが出来ない――自信なさげな横顔は、そう語っている。

 いつもの恋花らしくない顔だ。虎勇が関わっているとなれば、当り前だろうけど。

 なんだか、嫌だった。

 俺の知っている人が、他人になってしまったようで。


「――良かったじゃないッスか、殺したくない、って思えて」


「……本当にそうか? 誠人、君だって想像はつくだろう? 父が正気を失い、暴れるだけの存在になったのだと」


「断定できる証拠はありませんよ」


「だが限りなく正解ではないか? 少なくとも、私と父上の縁は極めて薄いものになっている。……あの巨人が向けた殺意は本物だったよ」


 親子だから。

 長い時間を一緒に過ごした関係だからこそ、今度の恋花は自信を持っていた。


「じゃあ殺すんですか?」


「それが出来れば苦労はしない。……だいたい、父を失えば地陣家の当主になるのは私だ。女が当主になった例など、ただの一度もないのにね」


「怖い?」


「……」


 言って直ぐ、ぶしつけな質問だったか、と後悔する。

 しかし問いをぶつけられた当人は、意外なぐらいあっさりと頷いていた。


「そうだな、私は怖い。他に追随してくれる者もいないのでな。……家での地位が守られていても、それは当主の娘としてだ。当主の席に座るとなれば、一日で孤独になるだろう」


「ユーステスさんがいるじゃないッスか」


「やつは確かに優秀だが、あくまでも父の部下としてだ。地陣家は排外主義の面があってね、外国人などは本来、門前払いなんだよ」


「困ったッスね……」


 だが、結局は逃げだ。

 恋花も分かっているからこそ、暗い顔付きなんだろう。踏み込んだ協力をしてやりたいものだが、逆に負担を掛けてしまいそうな気もする。


「……まあ、誰が敵に回ったって構わないさ。ただ――」


「ただ?」


「君とこれまで通り話せれば、それでいいよ」


 頭の中が真っ白になる。

 だって、反則じゃないか。少し顔を赤くして、思わせぶりな台詞を出してくるなんて。

 俺は一言も返せず、案山子かかしにでもなった気分で突っ立っていた。


「――この話は止めにしようか。とにかく、父上の件については断っておく。安心してくれ」


「は、はい、わざわざどうも……」


「ふふ、おかしな返事だな。じゃ、お休み」


「お、お休みなさい……」


 それから彼女は振り返らず、部屋がある方向へと帰っていった。

 見えなくなるまで、ずっと背中を見送り続ける。……普段、紫音のようにハッキリ言ってくる少女を突き合ってる所為だろう。予想だにしていない人物からの好意は、この前の魔力酔いより酔わせてくれる。


「せ・ん・ぱ・い?」


「っ!?」


 一部始終をこっそり覗いていたのか。こめかみに青筋を走らせて、紫音が廊下を覗きこんでいた。

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