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小ネタ 女性向けファンタジーに使えそうな社交ネタですわ!

更新が空いてしまったので、生存報告を兼ねた小ネタ紹介ですわ〜!

wiki中心の低品質でごめんあそばせ!



 ドレスのスカートを摘まんで屈む女性による礼、カーテシー。女性の手の甲に口付けする騎士。

 はい、本エッセイでは毎度のように史実の観点から、これらを否定させて頂きます。


 まずは「カーテシー」。

 ファンタジーでは貴族子女が行うお辞儀であり、スカートの裾を摘まみ上げて頭を下げるものですが、実際にはそのような形ではありません。

 カーテシーは(ひざまず)く意思を示して敬意を表す儀礼ではありますが、頭を下げる必要は無いそうです。(むしろ背筋を伸ばして行うべきとされる)


 20世紀初頭(1900年代)の映像に残るハプスブルク家などの「本物の皇族、王侯貴族」の姿を見るに、スカートを摘まむことも頭を下げることもしていませんので、間違いはないでしょう。

 スカートの裾を摘まむ場合もあるにはあるのですが、スカートを広げたり持ち上げるようなことはせず、本当に「摘まむだけ」な感じなようです。


 なお、カーテシーは17世紀(1601年~)以降に行われるようになった儀礼なので、6世紀から15世紀までの中世には存在していません。カーテシーがある時点で、中世ヨーロッパ的ではないと断言できてしまうでしょう。

 (そもそも裾の広いスカートを持つドレスが中世に無い。もし転生者がそういうものを作ろうとすれば当時の“奢侈(しゃし)禁止令”に抵触する恐れがある)


 続いて、手の甲に口付けをするハンドキス。※(あくまで「キスをする仕草」をするのであって、実際に唇を付けてはならない)


 こちらも17世紀から18世紀にかけて始まったもので、中世にはありませんでした。(発祥はポーランド・リトアニアとスペインの宮廷らしい)

 これの変則として、指輪にキスをする儀礼があり、18、19世紀という“近代”における上流階級で一般化していたそうです。

 権威の象徴であるシグネットリング(印章が刻まれた指輪。封蝋に押し付けるアレ)に口付ける行為は、服従や忠誠の誓い、あるいは外交上の仕草だったみたいです。


 ただシグネットリングに口付けする行為は、既に中世にもあったらしく、『シグネットリングは権力のしるしであり、権力の正当性を示すものであり、キスを通じて敬意と服従を示しました。このことから、手のキスは、(男性の)支配者に対する被験者の最も個人的な敬意のしるし』(ハンドキスのドイツ語Wikipedia記事より)であったそうです。


 またハンドキス的な行為は古代ローマでも行われていて、奴隷が主人に対して、生徒が教師に対して、兵士が隊長に対してなど「劣った者が優れた者に出会う」時に、手に口付けて敬意を表してしていたそうです。


 なお面白いことに、手に口付けをする行為はヨーロッパよりずっと先に、中東で生まれていました。

 最初にその行為を始めたのは古代ペルシャ人とされ、イスラームにおいては初期の頃(7世紀)から家族への親愛や敬意の表現として行われていたとか。


『アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「ファーティマ‐アッラーが彼女のお顔を貴くされることを‐よりも、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のよき気風と導きと立ち居振る舞いにおいて酷似している者はありませんでした。彼女が彼の所に来れば、彼は彼女のために立ち上がり、彼女の手をとってキスしました。そして彼女をその場に座らせました。また彼が彼女の所に来れば、彼女は彼のために立ち上がりました。そして彼の手をとってキスすると、その場に彼を座らせました。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)』(【IslamHouse.com 礼儀作法1-挨拶の礼儀作法】)


『手にキスをして額に置くという伝統は、イスラム社会や他の一部の東洋社会では今でも一般的です。西洋とは異なり、通常、同窓会や休日や母の日などの特別な機会に手にキスが行われます。このタイプのハンドキスでは、通常、子供は大人の手にキスします。このプロセスは、キスされる人が手を差し出すことによって開始される場合もあれば、キスされる人が手を伸ばす(手を求める)ことによって開始される場合もあります。イスラム社会では、マハラーム以外の人々の手にキスをすることは、よほどの年齢でない限り一般的ではありません』(ハンドキスのトルコ語Wikipedia記事【El öpme】)


※マハラーム(イスラームにおいて、結婚が許されない関係にある人。家族親類、義理の家族、他人の妻など)


 ハンドキスより(へりくだ)ったものとして、足への口付けもあります。

 古代には広く普及していて、権力者の前にひれ伏した後に「その足跡」へ口付けることもあったとか。

 中世ヨーロッパでも足への口付けは存在し、有名なエピソードとしてノルマンディー公の祖、“徒歩王”ロロ(ロベール1世。846年頃~933年)の話があります。(ただし、一次史料には見られない逸話で後世の創作の可能性が高い)


 西フランク(後のフランス)の国王に臣従することとなったロロは、司教達から忠誠の証として王の足に口付けをするよう促されると、「自分はどんな男にも膝を屈しないし、足に口付けることもしない」と拒否し、代わりに配下の戦士に王の足へ口付けるよう命じました。

 すると戦士は()()()()()王の足に口を付けたので、足を持ち上げられた王は「後ろにひっくり返って」しまい、それを見たロロの側近達は大いに面白がったのだとか。


 上流階級と下層階級の間では、身分の違う者同士の接触が禁じられる場合もあり、そういった時は上位者に対して膝を曲げてコートの裾に口付ける作法もありました。


 続いて、漫画【明日の敵と今日の握手を】(原作は【幼女戦記】のカルロ・ゼン先生!)より参考になりそうなネタを。戦時外交を主題としたこの漫画には、外交の一環として社交も扱われています。


 まず社交とはただの付き合いや接待ではなく、“人脈”を作る場です。そして人脈とは数年程度の付き合いではありません。


『10年後も付き合うべき相手と10年付き合える飲み方かね?』

『じゅ、10年ですか?』

()()()()だ』


『人脈というのは継続して投資しなければならん。そのための社交だからね』


 作内では、主人公が駐在武官(大使館などに勤務して情報収集や外交に務める軍人)であるにも関わらず、2度も戦場の最前線に放り込まれるのですが、その理由がコネ作りでした。

 実戦を経験した「前線帰り」であれば、国が違えど同じ実戦経験者から“同胞”と認識され、コミュニティに入りやすくなるのです。


『おなじ『体験』と『問題意識』を持っているということは、時に同国人よりも『話せる』と心を勝ち取れるわけですね』

(ねじ込まれてやっとわかる。これ、そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ)


 これはどこも同じと言えるでしょう。“現場”を知っている人間と、そうでない人間には、明らかな「見えない壁」が存在することと、現場を知る人間同士の身内意識が強いことは、多くの方も共感できるのでは?


 そして『ワイン係』。要は会食パーティーの幹事(自費)なのですが、これはワインや食事を通して自分を紹介する意味合いもありました。

 自国産のワインで出身をアピールしたり、料理の内容で「どういう人間なのか」を伝えるのです。(海軍出身&戦時下という状況を踏まえて缶詰を利用するなど)


 これは“お茶会”にも使えそうなネタではないでしょうか。


 単に茶と菓子と情報交換を嗜むのではなく、茶葉やティーカップなどの茶器、茶請け、インテリア、服装に主催者からのアピールが込められている、とか。

 自家の領地の産物(茶請けの材料、インテリアなど)で技術力や豊かさを、婚約者や有力貴族領の産物で友好関係を、異国の産物(輸入陶磁器など)で教養や財力を暗に示すというのも面白いのでは?



 最後にちょっとだけ、言葉遣いのよくある間違いについて。


 「とんでもない」を丁寧にしようとして「とんでもございません」という言葉がよく使われますが、誤りです。

 上位者に対して否定形の言葉を使うのはマズいですわ~! (軍隊でも上官の言葉を否定するような言い方は基本NG)


 正しくは「とんでもないことでございます」です。

 (私如きにそのようなこと仰って頂くなど)「とんでもないことでございます」という意味合いですね。


 そして「ありがとうございます」をより(へりくだ)って言う場合は、「ありがとう存じます」だそうです。



 今回はこの辺りで。次回はいつか絶対やろうと思っていた中世ヨーロッパの服装にする予定です。



漫画でのカーテシー

【大西洋戦記61】chiko

https://www.pixiv.net/artworks/89375900


1912年4月23日(聖名祝日) リヴァディア宮殿でのロシア皇后アレクサンドラ

1:10まで気婦人方の動きに注目。握手とカーテシーの併用が見られる。

【Rare footage of Empress Alexandra's Name Day in Livadia on 23 April, 1912】

https://www.youtube.com/watch?v=GQ69Fyykp7Y


1917年 オーストリア=ハンガリー帝国皇帝カール1世及び皇后ツィタのコンスタンティノープル訪問

見え辛いが33~36秒辺りで皇后ツィタのカーテシー

【Macaristan İmparatoru I Karl ve eşi Zita'nın İstanbul ziyareti Görüntülerde Sultan Mehmed Reşad Han】

https://www.youtube.com/watch?v=mvpPxKP8JiE


↓こちらの映像と見比べると、オスマン側に温度差があって少し笑えてきますわ。

1917年 ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世のコンスタンティノープル訪問

【the Colorful Footage of the Ottoman Sultan Welcoming the German Emperor WW1】

https://www.youtube.com/watch?v=kMNEUSrsNGc


※(当時オスマン政府を牛耳るエンヴェル・パシャら“トルコ三巨頭”が軒並み親独派だったのに対し、オーストリアとはボスニア併合などの問題から、微妙な関係が続いていた)


17世紀のお辞儀とダンスの誘い方(最後に男女でのカーテシー)

【Walking, Bows & Courtseys, Asking a lady to dance】

https://www.youtube.com/watch?v=YtJNh4s2Hww


 本当はハプスブルク家やロマノフ家関係のカーテシーがはっきり見える記録映像が3つあったのですが、久しぶりに確認したらメモったURLが機能せず(動画が削除された?)紹介できませんでした。無念……。


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