表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

36/49

中世の宮廷舞踏会 ワルツも無エ、デビュタントも無エ、テンション高めでぐーるぐる


 前回は海戦についての追記でしたが、今回は軍事から離れて、中世ヨーロッパの宮廷舞踏会を扱いましょう。

 なろう内外での、女性向け作品の人気は不動といっても良い状況ですし、ここらで女性向け作品のネタ参考になりそうな史実も紹介していかねば。


 天井でシャンデリアが光り輝き、弦楽器中心の楽団が奏でるゆったりとした優雅な音楽に合わせて、貴人達が時に華麗に時に(あで)やかに踊る。

 中世ヨーロッパの宮廷舞踏会といえば、こういった光景を大半の人が思い浮かべるでしょう。


 ええ、はい。本エッセイではいつも通り、それらは史実とは異なることを述べさせて頂きます。


 一般的にイメージされる舞踏会は、中世ではなく18、19世紀という「近代」(もしくは近代間近の近世)のものです。

 【中世という時代】で近世や近代の文化や物が、一般には中世と誤解されていると書きましたが、宮廷舞踏会もその代表的な一つというわけです。

 では実際の中世ヨーロッパにおける宮殿舞踏会は、どんな感じだったかというと、現代人が想像するより、あまりにもゆったり過ぎたり、ハイテンションだったりしました。



 まず、中世に演奏されていた舞曲は「キャロル」が一般的だったそうです。現代においてはクリスマスキャロルを始め、讃美歌の一種とされていますが、元々は踊りに使われる音楽でした。


 キャロルは1150年代~1350年代(平安時代後期〜南北朝時代)にかけて、西欧の宮廷から田舎まで広く知られていたとか。その理由は恐らく、動きが単純かつ大勢で楽しめることだったでしょう。

 キャロルの踊りは、複数人が一つの輪を作って、歌手と共にリフレイン、つまり歌詞を繰り返し歌うスタイルや、歌手の歌や音楽に合わせて手を繋いだ人々が踊る形式だったそうです。


 人々が手を繋ぎ合い、輪になって踊るのは、ヨーロッパや中東など広い範囲で古くから見られるもので、一神教が布教される以前の、古い信仰や文化の祭り、儀式に由来するようです。(現在のヨーロッパでも、柱の周りなどで輪になって踊る祭りが続いている)


 日本に馴染み深いものとして「マイム・マイム」を思い浮かべてもらえば、どういう踊りかはイメージできるでしょう。(ちなみにマイム・マイムは戦中に作られた曲)

 なおフランス北部では、この形式の踊りを“旋回”を意味する言葉から「ロンド」と呼んでおり、現在でも音楽用語として残っています。


 そして中世ヨーロッパの宮廷舞踏は、大体単純でゆっくりなものだったようです。


『大きな城では、何か祝祭があると、ドラム、トロンボーン、ヴァイオリン、ハープなどから成るひとかどのオーケストラが演奏した。また二、三人がヴァイオリンを弾くだけという場合も多かったし、それさえなくて踊りの歌だけということもあった。するとその歌に合わせて、貴婦人方と殿方は輪舞を舞うのであるが、もしもわれわれがそれを見たのならば、踊っているというより、むしろ歩いているように見えたであろう』(【中世への旅 騎士と城】107P)


 後書きにその時代のものと思われる中世の踊りを再現した動画のURLを載せますが、まさに歩いたり回ったりしてるだけのような踊りもあります。

 当初は動きが少なくゆったりとした宮廷舞踏ですが、中世盛期頃から後期にかけて、大きな変化が現れました。


 キャロルとは別にもう一つ、「エスタンピー」というものがあります。

 13世紀から14世紀の記述に散見される音楽形式で、踊りにも使用されたそうです。(ただし研究者の間で舞曲なのか器楽曲なのか意見が分かれており、はっきりと舞曲だったとは言えない)

 エスタンピーの英語Wikipedia記事にある音楽サンプルやYoutubeの動画で聴くに、テンポの速い曲で、現代人がイメージする舞踏曲とは全く合致しませんね。どちらかというとファンタジーゲームの中の、街中や拠点などのBGMになりそうな感じです。


 また、中世の宮廷で流行した舞踏曲に「サルタレロ」というものがあります。13世紀のイタリア、ナポリで初めて言及され、15世紀にはダンスの手引書まで作られていました。

 中世盛期から後期にかけてヨーロッパに広がったサルタレロは、エスタンピーと似た音楽構造をしていて、こちらもテンポが速い曲です。

 そしてエスタンピーもサルタレロも、太鼓や木管楽器、バグパイプ(スコットランドのイメージが強いが、古くから中東やヨーロッパに存在した)などが演奏に使用され、現代人がイメージする弦楽器中心の優雅な音楽とは全く違うものでした。


 中世の舞踏曲は穏やかで優美なものではなく、陽気でエネルギッシュなものだったのです。

 演奏や踊りのノリとしては、オーケストラによる18、19世紀のクラシックより、バブル期のディスコや現代のクラブの方がずっと近い気がします。


 中世の踊りが様変わりしたわけは、大衆舞踏が宮廷に入り込んでいったことにあるでしょう。

 通常、ファッションを始めとする文化の流行は、宮廷を始め上流階級から下の身分へと流れていくパターンが多い(日本でもこれは変わらない)のですが、踊りに関しては逆に「庶民から宮廷へ」流行していった部分があるようです。


 その理由は上流階級の人々に、大衆の踊りへの少なくない興味があったからかもしれません。


『上流社会では踊りも堅苦しかったが、農民の踊りはまことに陽気なもので、彼らがくるくる回ったり、景気よく跳ねたりするのを、高貴の殿方たちがうらやましげに眺めているという情景もしばしば見られた』(【中世への旅 騎士と城】107P)


 現代人がよく想起する舞踏の代表である「ワルツ」も、元々は一部地域の農村の踊りでした。

 長い間上流社会では「男女が体を接して共に回る汚らわしいダンス」として(うと)まれましたが、近世に少しずつ農村から都市部へ広がると、都市住民によって洗練されていき、18世紀になると遂には宮廷でも踊られるようになります。そして19世紀の“ウィーン会議”にて国際的広がりを見せました。

 ※(このように「ワルツ」は“近代”の後期になってから宮廷で踊られており、本項題名のように中世ヨーロッパでワルツが上流階級の間で踊られることはなかった)


 近代においても、上流・中流社会では庶民への関心が一定は存在していて、ドイツやオーストリアでは「ビーダーマイヤー」という、身近で日常的なものへ目を向ける市民文化が生まれています。

 現代でイメージされる軍帽(官帽という)も、19世紀頃に北欧の労働者が使っていた帽子が元になったそうで、使い勝手の良さから多くの将校に評価され、官帽を着用した皇帝の絵姿や写真も数多く残っています。


 中世ヨーロッパでは、少なくとも踊りに関しては後の時代と同じように、大衆文化への関心があったのかもしれません。



 ()()()()()()ルネサンス期に入った15、16世紀になると、宮廷で踊られる曲はようやく現代人の想像に近い穏やかな感じになっていきました。


 その一つが「ガイヤルド」です。

 元は大衆舞踏だったというガイヤルドは、それまでのテンポが速い舞曲に比べて、ゆったりとした印象を受ける音楽でした。


 が、踊りの方は相変わらずテンポが速いままでした。

 それどころか、ジャンプやステップを中心とした、より運動量の多いものになっています。音楽は落ち着いているのにどうして……。


 片足を交互に上げながら飛び跳ね続けるという、ハードな踊りであるガイヤルドですが、大英帝国の基礎を築いた女王エリザベス1世のお気に入りだったそうです。(ガイヤルドのステップの一つに、ワルツに似た「ボルタ」というものがあり、エリザベス1世の宮廷で大人気だったらしい)


『女王が50代半ばになった1589年、枢密院のジョン・スタンホープは「断言しますが、女王はとても元気で、音楽と歌を歌うほかに、朝に6、7本のガリアードが彼女の普段の運動だそうです」と報告している』(ガイヤルドの英語Wikipedia記事より)


 Youtubeにあるガイヤルドの動画を見れば、「え、これを50超えた女性が、毎朝6、7曲やってたの」と多くの人が驚くことでしょう。

 流石は最大1cm以上にもなったという、重厚な化粧で日常を過ごしていたエリザベス1世陛下、パネエっすわ。(痘痕(あばた)を隠すため蜜蝋と白粉(おしろい)を入念に重ねていた上に、1週間以上洗い落とすことが無かったという)


 ガイヤルドとは別に、現在では「バス・ダンス」(Basse danse)と呼ばれる踊りも、15世紀から広がっています。

 特にフランス東部のブルゴーニュの宮廷(ブルゴーニュ伯?)で最も人気のあった踊りで、こちらはお待ちかねのゆるやかで動きも激しくない舞踏でした。


 「バス」は“低い”の意だそうで、床を滑る様な足の運びに由来するとも、低音の旋律を主とした即興的な伴奏から名付けられたともいわれているとか。

 バス・ダンスは通常、男女ペアが列を作り、足を上げ下げするなどの踊りで、まだ現代人が想像する踊りではなかったようです。(再現動画では【中世への旅 騎士と城】の記述のような、正に「歩いているような」踊り)


 そして「パヴァーヌ」。

 バス・ダンスの中に内包されることもある男女ペアでの踊りで、1520年代(北条氏康の川越夜戦が1524年)からヨーロッパに広がりました。

 スペイン宮廷を元祖にフランスで人気を博し、17世紀(1600年代)後半までヨーロッパにおける人気を保った舞曲ですが、踊り自体は16世紀に廃れつつあったようです。(ただ音楽としては依然として残り続け、「亡き王女のためのパヴァーヌ」などが名曲として現代までその名を刻んでいる)

 またパヴァーヌの後にガイヤルドが続くのが定番のようです。実際、再現動画でもパヴァーヌとガイヤルドを繋げているものがあります。


 パヴァーヌは宮廷に相応(ふさわ)しい(おごそ)かな踊りであり、男女ペアが行列を作って一歩一歩場内を周回するという形でした。(お辞儀を行うことも)

 また踊りの中で国王と王妃へ一礼することもあり、自身の人相と服装(ファッションセンスや財力の披露)を参加者に見せる自己紹介、挨拶的な意味もあったそうです。これはファンタジーなどでも大いに参考にできそうですね。

 とはいえ、1回ではなく少なくとも2、3回は周回しなければならない面倒なものだったみたいですが。


 16世紀には衰退したパヴァーヌの踊りですが、これに似た「アルマンド」(ドイツ風の意)は17、18世紀でも踊られ続けました。

 アルマンドはパヴァーヌよりずっと踊りらしい踊りですが、やはり現代人がイメージするような宮廷舞踏とは違う、足を大きく上下させるもので、人によっては(にわとり)が踊っているかのような滑稽(こっけい)さを感じるかもしれません。


 そして宮廷舞踏会といえば、社交界デビューする貴族子女の「デビュタント」も外せません。(デビュタントの舞踏会は「デビュタントボール」と呼ばれる)

 恋愛系ファンタジー作品では欠かせない行事でしょう。


 しかし、中世ヨーロッパにこの習慣はまだ存在しておらず、始まりは18世紀後半の英国だとされています。(日本語wikiだと1600年代、英国女王エリザベス1世の時代に始まったコンセプトとあるが、外国語wikiではどこの言語でも言及されていない)


『社会への正式な紹介の習慣はイギリスで始まり、貴族の娘たちは18歳になると、宮廷で両親または家族の知人によってそれぞれ国王または女王に正式に紹介されました。このプレゼンテーションは、最高の社会階級のイベントである祝賀舞踏会の枠組みの中で行われ、同時に毎年恒例の舞踏会シーズンの開幕を意味しました。その瞬間から、若い女性は社会的に結婚可能とみなされるようになりました。』(【デビュタント】ドイツ語Wikipedia記事)


『デビュタントボールの歴史的起源は、18世紀の英国宮廷にあります。デビュタントの舞踏会は、「生まれの良い」若い女の子をコートに統合することを可能にする儀式でした。このようにして、若い求婚者たちは、「自分の環境で結婚するという社会的圧力は相当なものであった」のに対し、これらのデビュー候補者たちが「同じ世界」の出身であると安心したのである。──中略──1780年に、最初の舞踏会である「シャーロット女王の舞踏会」が、ジョージ3世の主導により、彼の妻であるシャーロット女王の誕生日を記念して組織されました。』(【デビュタントボール】フランス語Wikipedia記事)


 最初のデビュタントボールとされる1780年(平賀源内の没年)に行われたシャーロット女王(ジョージ3世王妃)の誕生日記念の舞踏会は、名目上誕生日を祝うものでしたが、開催目的は病院の資金を確保するチャリティーだったとか。

 なおフランス革命によって英国への亡命を余儀なくされたフランス貴族達(とはいえ、国内で捕らえられた者達に比べれば圧倒的に幸福だった)は、英国宮廷で催された、この「かつてのベルサイユを彷彿(ほうふつ)とさせる社交」を積極的に支えたそうです。


 最後におまけとして、舞踏会を飾るシャンデリアについて。


 現代人が一般的に知るシャンデリアは、ガラス装飾がふんだんに使われていたり、本体が真鍮などで造られたものですが、これらは毎度のように「近世後期」や「近代」の物で中世にはありません。

 シャンデリアの原型は古代ローマには存在していたようですが、蝋燭(ろうそく)自体が貴重だったので、ほとんど使われず、中世に入っても教会などに限られていたそうです。(なお「シャンデリア」という名称は18世紀になってから生まれた)


 初期のシャンデリアは木製で十字型の単純なものでした。

 一方東ローマ(ビザンツ)帝国では、「ポリカンデラ」(polycandela)という蠟燭ではなく油ランプを保持するものがあり、これは円形をしています。

 中世12世紀にヨーロッパでもシャンデリアのプロトタイプとして使われていたらしく、後に青銅製となったり鉄製のフレームでランプや蝋燭を支えるようにもなります。


 長い間、十字や円形など簡単な形をしていたシャンデリアでしたが、中世後期である15世紀になると本体が金属製になり、王冠型や車輪型など複雑な形のものが登場していきました。

 蝋燭を何本も使うシャンデリアは高価で、贅沢の象徴として富裕層のステータスにもなったとか。


 しかし、ガラスの装飾はまだ無く、本体も鉄などだったので黒々とした暗い照明具に過ぎません。(それでも当時の人からすれば、闇夜でも手元どころか部屋をある程度照らせること自体が凄かったに違いない)


 まだまだ薄暗かったシャンデリアが一変したのは、17、18世紀(日本では江戸時代)のこと。

 蝋燭を支える本体に彫刻や金メッキなどが(ほどこ)されるようになり、更には水晶やガラスの装飾が付け加えられていきました。

 17世紀には真鍮製、銅メッキの本体に、水晶の装飾を持つシャンデリアが登場し、18世紀により安価なクリスタル・ガラスで飾ったものが広まります。


 この時代にシャンデリアが一変した要因が、技術進歩でした。

 17世紀には、水晶加工の際に廃棄されていた欠片をシャンデリアの装飾に再利用するようになり、18世紀に鉛ガラス(クリスタル・ガラス)を安く大量に製造出来るようになったことで、我々もよく知る光り輝くガラスのシャンデリアが富裕層に普及していきました。


 なお、当時有名だったのがヴェネツィアン・ガラスとボヘミアガラスです。特にヴェネツィアン・ガラスは、高い透明度と高品質で知られ、ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」の窓ガラスと鏡もヴェネツィアの職人製です。

 (ヴェネツィアの職人がフランスのガラス工房に招かれた。が、技術の国外流出を懸念(けねん)するヴェネツィアと、高品質ガラスの国産化を狙うフランスとで悶着(もんちゃく)があったらしい)

 ガラス製品を作ることが出来ても、美しい透明な高品質ガラスは、ヴェネツィアの職人やその高度な技術を受け継ぐ職人に特注するしかなかったのでした。



 以上で、宮廷舞踏会については終わります。

 現代人がイメージする舞踏会は、18世紀以降の「近代」の世界であり、(きら)びやかな会場も進歩した技術に裏打ちされたものでした。

 これに対して、実際の中世、近世ヨーロッパの舞踏会は薄暗い会場で、踊りもあまりにもゆったりとした「歩くような踊り」であったり、逆に飛び跳ねるものであったりと、正しく「異世界」なものだったのです。


主な参考資料


【中世への旅 騎士と城】ハインリヒ・プレティヒャ


Wikipedia



現代人が一般的にイメージする舞踏会

↓映画【ワーテルロー】のダンスシーン

https://www.youtube.com/watch?v=bUiQaA-pbxE&t=46s

(作中は“19世紀初頭”のナポレオン戦争最後の戦い。灰色コートの男がナポレオン。紺色コートは英軍総司令官アーサー・ウェルズリー・ウェリントン公爵)


動画


・中世の輪踊


【Conwy Castle Medieval Dance】

https://www.youtube.com/watch?v=JiE17pvisBg


【Medieval dance】

https://www.youtube.com/watch?v=EXAKNgMF0tg


【Medieval dance teaching】

https://www.youtube.com/watch?v=LxBMCrrzN4s


【Un petit extrait d'une danse médiévale】

https://www.youtube.com/watch?v=FGkyZvaeTtY


・13世紀の音楽


【English Dance "13th century"】13世紀イングランドの舞曲

https://www.youtube.com/watch?v=GK9LAnA-_P4


【Ductia (Anonymous, 13th century)】

https://www.youtube.com/watch?v=wa0IN02qoJI


【Hungarian Dance (1200s) Hungarian Folk Medieval Song】13世紀ハンガリーの舞曲

https://www.youtube.com/watch?v=nOV4BTqnCj0


・キャロル


【1 Medieval CAROL】

https://www.youtube.com/watch?v=-4bqLIGcwdc


【Carola - Convite】

https://www.youtube.com/watch?v=qMmoGThyRfM


・エスタンピー


【Medieval music - Estampie】

https://www.youtube.com/watch?v=NdSJYgjMIfQ


・サルタレロ


【Medieval Music - Saltarello Trotto [II]】VacnaPaul

https://www.youtube.com/watch?v=g_7gdeIOaL0


【Saltarello (s.XIV/14th century)】sh4m69

https://www.youtube.com/watch?v=yzW1P_v6-to


・ガイヤルド


【Galliard】

https://www.youtube.com/watch?v=kM-eJ42lmGE


・バス・ダンス


【Basse Danse】

https://www.youtube.com/watch?v=1yfweXnzxDc


・パヴァーヌ


【Renaissance Dance, Pavane】

https://www.youtube.com/watch?v=hVBlFUb0g60


【Pavane - Renaissance - Dance - Belle qui tiens ma vie -Thoinot Arbeau (1588)】

https://www.youtube.com/watch?v=MdYxVJls630


・アルマンド


【Cracovia Danza - Almanda / Allemande】

https://www.youtube.com/watch?v=87ZR9XYlWMw


【Allemande】

https://www.youtube.com/watch?v=O9W7w-1mqvo

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ガイヤルドって、アイリッシュダンスの原型というか、アイリッシュダンスがその子孫ってことなのか。 [一言] タップ付けたらそのまんまリバーダンスやw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ