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【中世の風呂屋と近世の喫茶店】前編 情報が行き交った人々の社交の場


 今回は中世の風呂屋と喫茶店について。どちらも人々の社交の場であり、同時に不穏な空気が漂う場所でもありました。


 「古代ローマには大衆浴場があったが、中世ヨーロッパでは売春や病気の温床と見なされて廃れた」とよく言われます。

 中世ヨーロッパには風呂屋も身体を清潔にする習慣も無く不潔であった、と。


 ですがこれは全くの誤解であり、入浴が(すた)れていった要因も別にありました。


 まず中世ヨーロッパの人々が不潔であったとは、とても言えません。

 「中世ヨーロッパには身体を洗う習慣が無いから、体臭を香水で誤魔化した」というのも半分誤解だったりします。


 古代ローマには大衆浴場があり、入浴文化が広く浸透していたのは、映画【テルマエ・ロマエ】もあって有名な話ですが、蛮族と見なされた古代ゲルマン人も沐浴(もくよく)好きであったことは知られていません。

 古代ローマの歴史家タキトゥス(55年頃~120年頃)によると、ゲルマン人には朝一番で湯浴みを行う習慣があったそうです。

 古代ゲルマン人の習慣は彼らの子孫にも受け継がれたようで、ヴァイキングの人々も沐浴を行っていました。

 漫画【ヴィンランド・サガ】一巻でも『ヴァイキング(デーン人)達は土曜日に風呂に入る』とあります。


 現代日本人からすると週一入浴は十分不潔に見えるでしょうが、同じ頃の平安貴族も五日間に一回程度の湯浴(ゆあ)み(蒸し風呂を含むと三日に一度のペース)で、しかも身体の垢を落とすことはなかったそうです。(平安貴族にとって風呂は「身を清めるみそぎ」という儀式的な意味合いが強かった)

 貴族ですらそんなでは、同時代の一般的な日本人の衛生もヴァイキングとそう変わらないでしょう。


 本項的には蛇足になってしまいますが、衛生に関連して石鹸についても触れます。


 石鹸は紀元前から存在しており、紀元前2500年頃のシュメールの石板には木灰から石鹸を製造する方法が記されています。(この時代は身体を洗う物というより織物の漂白剤が主だったらしい)

 古代エジプトや古代の中東でも動物性や植物性の石鹸が製造され、現在でもシリア北部の都市アレッポの“オリーブ石鹸”は有名です。


 ヨーロッパでは古代ローマにおいて、石鹸は「ガリア人の発明」とされ、プリニウスの博物誌には、ゲルマン人やガリア人が塩析で作られた石鹸を使用していたことが記されているそうです。

 ※塩析(有機物の水溶液に塩類を加え、溶けていた物質を分離生成させること)


 塩析石鹸は一旦廃れてしまったようですが、8世紀にアラブから生石灰を利用する方法が伝わり、12世紀にはオリーブオイルを使ったソーダ石鹸(固形石鹸)が作られるようになりました。

 しかし、中世前期のヨーロッパでは動物性脂肪から製造された石鹸が主流となっており、これは中々臭かったそうです。

 その後、中東からの輸入やマルセイユを中心に地中海沿岸で製造されたオリーブ石鹸が広まり(石鹸製造の拡大に合わせてオリーブ栽培も盛んになった)、石鹸の悪臭問題はとりあえず――富裕層の間では――解決されました。


 本筋の風呂に話を戻すと、中世盛期にはヨーロッパ各地で風呂屋が盛んになっていました。ただ現代日本と違い、身体の汚れや疲れを落とすためではなく、仕事を前に身だしなみを整えるのが目的だったそうです。

 だからこそなのか中世の人々は毎日風呂屋に入っており、農村や貧民でも週一以上の入浴が保証されていました。


 中世の浴場は入浴だけでなく、散髪や髭剃り、更には瀉血(しゃけつ)などの外科治療も受けられる施設だったそうです。(このため、風呂屋の主人や風呂屋で働く理髪師は、医療の心得を持つ事が多かった)

 そして身分に(かか)わらず人々が交流する社交の場でもありました。

 これは中東でも同じで、漫画【天幕のジャードゥーガル】や【乙嫁語り】の中でも、浴場(ハンマーム)(ペルシャ語では「ギャルマーベ」)が社交の場であることが描かれています。


 当時のヨーロッパには次のような格言もあったり。


「一日楽しく過ごしたければ風呂へ行け。一週間を楽しく過ごしたければ刺絡(しらく)せよ。一月を楽しく過ごしたければ豚一頭を(ほふ)り、一年を楽しく過ごしたければ若い妻を(めと)れ」


 また薪の節約と効率化を図って、パン焼き窯と風呂が隣接されることもありました。パンが焼け始めると通気孔の戸を開けて、香ばしい香りと熱が浴室内に広がるものだったとか。


『中世ヨーロッパにおける入浴は日本と違い、早朝に行われた。これはヨーロッパの人々が、疲れを癒すためというよりは身支度を整えるために入浴を行うことに起因している。――中略――農村のものは川べりにあり、パン屋と兼用のものもあった。パン屋の風呂は、パン焼き窯を利用した蒸し風呂である。客は窯の上に設えられた浴室で蒸気を浴びて汗を流し、身体を拭った。市街地のものはより大きく温浴、蒸し風呂など複数の浴室を備えている』(【図解 中世の生活】140P)


 当初はほとんどの場合、風呂=蒸し風呂でしたが(日本も江戸時代までは蒸し風呂が一般的)、やがてローマ時代のような、お湯に入るものも復活していきました。


『一三世紀の都市ではローマ式の公共浴場も珍しいものではなかった。この頃になると壁暖炉には、湯を沸かすという新たな機能が備わっていた。しかし、一四世紀になると多くの浴場が閉鎖されてしまう。混浴が原因のスキャンダルが続いたためだった。公共浴場に代わって個人の家に浴場が登場した。当時の木製の浴槽は裂けやすかったため、バスマットが使われるようになった。当時のバスマットは浴槽の脇に置くのではなく、なかに敷いて使った』(【大聖堂・製鉄・水車】247P)


 よく言われるのが「中世の風呂屋は娼館を兼ねていて売春が行われていた」という話ですが、実際には全ての浴場でそういった行為があったわけではありません。

 当時、風呂屋は三つに分けることができたようです。


 ・入浴だけの真っ当な風呂屋。

 ・娼婦を抱えた売春浴場(娼館を兼ねた風呂屋。中には風呂屋を名乗りながら浴槽が一つもない、現代でいうソープランドに近いものも)。

 ・個人(フリー)の娼婦が勝手に出入りするグレーな風呂屋(店主が私的な売春を黙認している)。


 この三つです。

 売春浴場は娼館から敵視され、当局に訴えられることもしばしばあったとか。


 しかし、「昔の人は羞恥心もなく性に奔放(ほんぽう)だっただろう」というよくあるイメージに反して、実態は現代と同レベルの羞恥心と性倫理があったようです。


 混浴であることも多かったものの、男性はズボン下、女性は専用の肌着を身に付け、男女ともに腹や胸も隠すのが普通だったらしいです。(そこまでの徹底ぶりにも関わらず、中世後期には混浴が禁止された)

 中世後期から近世初期に掛けて存在した“野外浴場”でも、浴用肌着を(まと)って入浴するものでした。中世後期以降は混浴が禁じられたので、木の柵で男女が分けられていたそうです。


 また混浴が普通だった頃も『少なくない騎士が、美女のいる浴槽に入る時に恥ずかしさから、ズボン下を脱がずにいた』(ブログ【中世史の保管庫】恥も外聞もある男たち)といいます。

 他にも、フランスのラ・トゥール・ドゥ・パンの宿に泊まったある旅人は、『たまたま宿の厨房に足を踏み入れた時、おかみはカーテンも引かずに湯槽に浸かっていた。腹部まで裸のおかみを見た彼は仰天し、そしてひどく恥ずかしくなり、急いで厨房から立ち去った』(【中世史の保管庫】混浴をしなかった中世の人々)とか。


 王侯貴族は浴槽の一面に花弁を浮かべることが多かったそうですが、これも使用人などから裸を隠す意味合いがあったらしいです。※(後書きにその画像がある動画のURL有)


 中世の人々も現代人とそう変わらない羞恥心と性倫理を持っていたのです。(むしろ後の近世より中世の方が清潔感を含めてしっかりしていた)

 というか、性風俗なんて現代にも普通にあるのに、なんで中世=性に奔放なんて偏見があるんでしょうね。人間なんて何時の時代も変わらんですよ。

 現代との違いは精々「修道士も人間だから、たまに娼館に入っちゃうのも仕方ないよね」という緩さがあった程度です。(中世後期頃からは、聖職者の腐敗として許されなくなった)


 しかしながら、疫病の温床として問題視されたことは事実です。

 とはいってもそうなったのは黒死病が大流行した頃からで、風呂屋に関係なくパンデミックが起きていた時代でした。

 感染症流行の原因と責任が風呂屋に押し付けられた面も大きいでしょう。……なんだかそういうことが近年(2019~)でもあったような……。


 中世から近世に入るルネサンス期(14~16世紀)以降、入浴自体が病気の(もと)と見なされるようになってしまい、西ヨーロッパなどでは入浴の習慣が(すた)れていってしまいます。(ハンガリーなどではオスマン帝国の影響もあって入浴文化は残った)

 その後19世紀までヨーロッパでは入浴への見方は厳しく、18世紀にマリー・アントワネットが故郷オーストリアの入浴文化をフランスへ持ち込んだものの、香水が身だしなみの主流になっていたフランスでは、お湯を大量使用するただの「贅沢趣味」と思われ、白い目で見られてしまったそうです。


 入浴習慣が廃れていくと体臭消しとして香水が発展したとされますが、これは中世ではなく近世の話であり、ここを「中世ヨーロッパには入浴の習慣が無いから、体臭を香水で誤魔化した」などと取り違えてはいけません。


 そして、入浴文化がヨーロッパから姿を消していった理由は、上記のように売春や疫病の温床とされたからと一般的に説明されていますが、一方で別の理由がありました。

 ある事情から権力者が風呂屋を嫌ったからです。


 こちらの理由は後編で扱います。



 今度は近世の“喫茶店”について。


 16世紀に中東で広まった喫茶店(カフヴェ・ハーネ)は、中世の風呂屋同様に社交と娯楽の場として大いに人気がありました。


『イスラム法は、信者が特定の食べ物と飲み物を口にするのを禁じるうえで非常に厳格である。人を酔わせるアルコール類はこの分類に入る。このため、公の場で酔っ払い、それによって恥をかくことのないコーヒーを飲むことが、社会の潤滑油となる社交活動になったのである。コーヒーそのものは刺激物であるため、保守的なイマームの中には反対の者もいるが、すべての社会階級で一般に許されている。また、娯楽場所にもなった』(【Empire total war】喫茶店)


『トルコでは男どもが集まっておしゃべりをする場所にチャイ・ハーネ(お茶屋)とカフヴェ・ハーネ(コーヒー・ハウス:カフェ)がある。チャイ・ハーネの方はホジャが生きていたとされる13世紀の頃にはあったらしいが、ホジャ話にはカフヴェ・ハーネのことは出てこないから、トルコの庶民文化の伝統としてはチャイ・ハーネの方が古そうだ。とにかく、トルコのおじさんたちはチャイ・ハーネやカフヴェ・ハーネに集まっておしゃべりするのが好きだ』(ブログ【ふっくら通信(トルコの話題あれこれ)】より)


『その形はさまざまだが、広びろと造られた大サロンたるコーヒー館は、どこの町でも一般的にいってもっとも素晴らしい場所である。というのは、これが住人たちの会合・娯楽の場なのだから。とくに大きな町では、その中央に泉水をおいた館がいくつもある』(【ペルシア見聞記】222P)


『女たちはまた、週に少なくとも一度はハマームにでかけた。ここが女たちにとって、男たちのカフヴェ・ハーネに相当する場所、つまり社交の場であった。――中略――そこで彼女たちは日がな一日飲み食いをして町中のゴシップを集めたものである。そしてここで欠かせない飲み物がコーヒーであった』(【世界の歴史⑮ 成熟したイスラーム社会】140、141P)


 ※ハマーム(中東の大衆浴場、ハンマームのこと。トルコ語ではハマムという)


 喫茶店(カフヴェ・ハーネ)はコーヒーと会話を楽しむだけでなく、チェス(シャトランジ)やバックギャモンなどのゲーム、吟遊詩人の(うた)や楽師の奏でる音楽も楽しめる場所でもありました。

 またニュースや政治の話などが率直に交わされ、教養を深める場所でもあったそうです。


『店では会話がはずむ――というのは、人びとがニュースを伝えあったり、また政府は町でいわれていることを気にしないから、政治好きがなんの心配もなくまったく自由に政府を批判するのはこの館なのだから。人びとはここで、前にも触れたチェッカーに似た他愛もないゲームや石蹴りやチェスをして、その他にイスラムの坊さんとか旅の行者、詩人が代るがわるに韻文散文の物語を誦する。――中略――しばしば店内の()()()()()()で二、三人が同時に喋りだし、一方は説教師で他方がお咄し作家だったりして、要するにこの上ない自由があふれているのである』(【ペルシア見聞記】222、223P)


 17世紀にヨーロッパでも喫茶店(コーヒー・ハウス)が登場すると瞬く間にヨーロッパ中へ広がりましたが、中東の喫茶店(カフヴェ・ハーネ)と同様に社交の場として機能しました。

 情報が飛び交う場所ゆえに、中には金融取引が行われる喫茶店もあったそうで、イギリスの世界的な保険市場ロイズ・オブ・ロンドンも、喫茶店での商売から始まったのだとか。


 市民や労働者などが交流し、様々な情報が行き交う社交の場であった近世の喫茶店ですが、これも中世の風呂屋と同じように、ある理由から権力者には嫌われた場所でもありました。


 前編では風呂屋と喫茶店の表の面を解説しましたが、後編では不穏な空気が漂う裏の面をご紹介しましょう。どちらも実は、ファンタジーで描かれる荒くれ者が集う酒場よりも、危険な場所でもあったのです……。



動画【Medieval music - Palästinalied】 1:08~1:16に浴槽に花を浮かべる様子の中世写本画像あり

https://www.youtube.com/watch?v=J_zjgZJOFl4


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