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【中世の計算】転生者「そろばんチート!」中世「ただのアバカスじゃねーか」転生者「ふ、複式簿記!」中世「パクリじゃーヴェネツィア式のパクリじゃー」


 突然ですが、異世界転移・転生ものの中には、主人公が「算盤(そろばん)」を導入する事がありますね。

 大きな数字を素早く計算出来る器具を主人公が導入して、周囲の人間が驚き尊敬する、いわゆる“知識チート”の一種ですが、実はこれ史実の中世ヨーロッパでは全く通用しません。


 何故なら「アバカス」があったからです。

 今回はファンタジー内で知識チートの一つとして扱われる「そろばん」と「複式簿記」の史実を中心に、中世ヨーロッパの計算についてやっていきます。


 日本のそろばんは物証的に16世紀、戦国時代には使用されていたとされ、また「文安元年」(1444年)の墨書銘の残るそろばんも現存することから、少なくとも15世紀初頭には中国から渡来していたとも言われているようです。

 しかし、中東やヨーロッパではそれより遥かに古くから「算盤(そろばん)」が存在していました。


 それが「アバカス」です。


 『アバカスは何列にも並んだ数え玉を使って算術演算する盤』(【大聖堂・製鉄・水車】207P)であり、まさに「そろばん」と一緒。というか世界的に見れば「そろばん」の方が、アバカスの一種です。

 アバカスは中世の中東やヨーロッパで使用され、一部ではフランス革命まで現役だったとか。


『一一世紀に普及したアバカスがノルマン征服後のイングランドの財務官に伝えられたのは一二世紀になってからである』(【大聖堂・製鉄・水車】207P)


 しかし、アラビア数字(インド数字)による表記と計算法が導入されると、アバカスは16世紀には衰退してしまったそうです。同じ世紀にそろばんが広がった日本とは丁度入れ替わるような形ですね。

 (フランス革命以降の西ヨーロッパでは完全に廃れたため、19世紀にロシアやアジアで使われる「東洋の器具」という認識が生まれた。映画【天空の城ラピュタ】で海賊の女頭領ドーラが、そろばんを「東洋の計算機」と言っているのもそういう理由)


 中世の間は普通に使用されていたものの、アラビア数字が一般的になった近世から使われなくなったという史実。そして多くのファンタジー世界には当たり前のようにアラビア数字がある一方、そろばんが存在していないこと。

 この二点から考えると、本エッセイで時々指摘しているように、大半のファンタジー世界はやはり中世ではなく近世的な世界なのでしょうね。


 数を珠の形で表す計算法は、中国では2世紀頃(日本はまだ卑弥呼(ひみこ)の時代)に生まれたとされていますが、現存する最古のそろばんは、紀元()300年頃の「サラミスのそろばん」であり、紀元前の古代ローマやギリシャでは既に広く使用されてました。(シルクロードを通じて中国に計算盤が伝わったと考えられている)

 更に古代ギリシャより古いメソポタミアでは、砂に線を引き、その上に石を置いて計算した、砂そろばんらしき痕跡があり、4000年以上も前から「そろばん」の元となるアイディアは存在していたようです。


 まあもっと言ってしまえば、人類が“計算”をするようになったのは、とんでもなく古い時代からだったそうですが。


 アフリカのレボンボ山脈で発見された「レボンボの骨」という、ヒヒの腓骨(ひこつ)で作られた“4万3000~4万4200年前”(後期旧石器時代)の代物には、複数の刃物による刻み目が29個あり、これは「月経周期の経過を追うには陰暦が必要であったため、月相を数えるのに使われた可能性がある。もしそうであるなら、アフリカの女性が最初の数学者である」のだそうです。

 また「イシャンゴの骨」という2万年前のヒヒの腓骨(ひこつ)製の道具も、数を意味すると思われる刻み目があり、月経周期に関連づけて月相を追跡し記録したカレンダーと見る説があります。

 ※(どちらも推測であり、刻み目の意味はまだはっきりと分かっていない。だが何かの数を記録した可能性は高いらしい)


 アッシリアや古代エジプトなどローマより優に数百年以上古い文明には既に、複雑な計算が存在したことがはっきり分かっていますが、それらを遥かに超える昔、有史以前の時代にはもう、数字が作られるより前に計算が行われていたかもしれないのです。

 そしてそれが、月経周期を測るためから始まったのかもしれないというのは、何とも興味深いですね。


 「周期的に起こるこの意味わからん体調不良は何なんだ。とりあえずどのタイミングで起こるのか調べよう」と思った旧石器時代の女性から、人類の発展に欠かせない“数学”が始まった可能性があるというのは、不思議と身近で面白いと思えませんか?


 話を本項の題名通り中世に戻しますと、刻み目で数を記録する方法は、数字を知らない人間には普遍的なものだったようで、識字率の低い中世ヨーロッパでもこの方法がよく使われたみたいです。


『荘園記録は、農事歴の年末に代官がつけた。村の農奴から選出されることも多かった代官は、領収書、かかった費用、蓄えや備蓄品などをきめ細かに記録した。読み書きのできない代官は棒切れにしるしを刻んで覚書とし、後で領主の執事か事務官の前で読み上げるのだった』(【大聖堂・製鉄・水車】222P)


 そして収支を記録するといえば、取引を複数の科目で記載する「複式簿記(ぼき)」は外せないでしょう。

 異世界転移・転生ファンタジーにおける知識チートの一つとして登場することも多いですね。


 しかし「アバカス(そろばん)」と同じく、こちらも史実中世では通用しません。

 商業が盛んだった中世イタリアが、あまりにも先進的だったからです。

 (中世に「複式簿記」が無いと一般的にイメージされるのは、日本に導入されたのが明治になってからであり、それから日本人の間に複式簿記は“近代”のものという印象があるのかもしれない)


 地中海での貿易やヨーロッパの南北を行き来する物流に大きく関わり、各国の王や貴族相手の銀行業さえ行っていた中世イタリアでは、金の動きを帳簿に記録する簿記は当然重要視され、大いに発達していきました。(リスク分散の方法として共同経営、共同資本による会社(コンパーニャ)も古くから存在していた)


『日ごとの支払いや収入は仮帳簿にとりあえず記入され、後によりきちんと「大帳簿」に書き写された。「秘密帳簿」もあり、これには共同経営者や従業員たちの私的な勘定や共同経営の条件、持ち株などが詳細に記録されていた』(【大聖堂・製鉄・水車】239P)


 また「日記帳」(「控え帳」や「日計帳」とも呼ばれた)という、日々の取引事象を文章で記録したものがあり、どこで誰と何を取引したか全て詳細に書き記しました。

 その内容は後に「仕訳帳」へと書き写され、更に「元帳」へ転記されました。


 この「日記帳」は創作ネタとして大いに使えそうです。というのもこれは時に商人の“婦女子”が記録することがあったからです。


『この帳簿を備付けるのは、取引に多忙の状況にあるためでしかない。記録するのは主人であるが、番頭、店員、いずれも可能でないなら、記録しえてのことだが、婦女子でもある。大商人は、常時、番頭、店員を自分の傍らにおかないで、各地に派遣しているので、したがって、時々は、大商人も、番頭、店員と共に外地にいるので、ある者をある定期市に、また、ある者を別の定期市に派遣しているので、恐らく、かろうじて記録しうる婦女子または他の使用人だけが居残るからである』(【イタリア簿記の原型-Pacioli, Luca 1494年-】より)


 女性或いはまだ幼い主人公が、商人である親の仕事を手伝い活躍するシーンの素材として使えそうじゃないですか?


 閑話休題。

 現存する最古のイタリアの帳簿は1211年のものだそうで、“第4回十字軍”の7年後、大河ドラマ【鎌倉殿の13人】で話題となった“和田合戦”の2年前ということになります。


 この時点では覚書を年代順に並べただけの単純なものでしたが、然程経たずに、帳簿の一部に貸方(かしかた)、別の部分に借方(かりかた)を記入するという形で貸方と借方の区別をするようになりました。

 「複式簿記」の原型、その始まりです。


 ※(「貸方」は相手方が貸した分の記載で、収益も含まれる。「借方」は相手方が借りた分の記載で費用も含まれる。現代の複式簿記において貸方と借方は、簿記の左右を表す程度の意味)


 更に時代が下ると見開きの2ページにそれぞれ貸方と借方を分ける「ヴェネツィア(ベネチア式)・スタイル(簿記法)」が誕生します。そしてこれを元に、現代でも使用される複式簿記が誕生しました。


『一三四〇年以前のあるとき、フィレンツェかジェノヴァで複式簿記が考案され、簿記の進化は頂点に達した。複式簿記とは、一つ一つの取引について、資産に対する影響としての側面と、負債及び所有者持ち分(資本)としての側面を考える方式である。すべての売買は二度記帳される。布を購入したのであれば、布は獲得された資産として左側(借方)に、現金支出、つまり負債として右側(貸方)に記帳する』(【大聖堂・製鉄・水車】239P)


 ちなみに、少し話が逸れますが当時の帳簿には、面白い記述があります。

 イタリア商人は、十字軍の時代に信仰より実益を取って異教徒と交易し、時には中東のキリスト教徒を攻撃するイスラーム勢力の手助けさえしようとしたこともある、不信心者或いは拝金主義者と(ののし)られても何ら不思議ではない人々でした。

 しかしそんなイタリア商人の帳簿には、必ず()への祈りが込められていたのです。


 日付が記されるより前に『「神の御名において利益が上がらんことを」「聖なる三位一体および天国の諸聖人、諸天使によって」などの決まり文句』が書かれていたり、他にも随所に祈りの言葉が記されていたのです。


『「商品に生じた利益をここに書き記す。願わくは神よ、我らに健康と利益を賜らんことを。アーメン。皮および砂糖の売却益……一七四ページ記載の通り。一二フローリンと一二スー也」』(【大聖堂・製鉄・水車】240P)


 おそらくこれらは、ただの建前に過ぎなかったかもしれません。

 とはいえそれでもイタリアに限らず、商人は()へ商売繁盛を祈願し、自分達の商業活動が聖書の中で度々批判される蓄財に該当しないよう、頻繁(ひんぱん)に貧民への(ほどこ)しや教会への寄付を行っていたことも事実です。


 創作に時々登場する貧しい人々を抑圧する中世の商人は、あくまでフィクションの中の存在であり、実際には現代よりずっと慈善事業に積極的だったのです。

 (イスラーム商人も喜捨(サダカ)義務喜捨(ザカート)寄進(ワクフ)などを率先して行い、日本の豪商もインフラ整備や寺院による孤児支援などに私財を投じている)


 ……まあ、労働者に対する態度はフィクションで描かれるイメージ通り、またはそれ以上でしたが。労働基準法どころか人権という概念も中世にありませんでしたし。

 13世紀にフランス北部で町の評議員も務めた大物織物商が、45人もの織工から訴えられ、法廷で激しく争った裁判記録もあったりします。


『――前略――訴えが起こされた自体は――訴えの三分の一が認められたことも――織物業の町で正義が全く通用しなかったわけではないことを示している。とはいえ、この記録だけでなく他の資料が示すのは、当時の労働搾取の制約がなかったことだ。結果として、フランドルやイタリアでは階級闘争が絶えなかった』(【大聖堂・製鉄・水車】227P)


 PCゲーム【Mount & Blade II: Bannerlord】でも、商人による原材料価格の吊り上げや、公定価格を盾にした買い叩きをどうにかしてほしいと訴える職人からの依頼があります。

 (放っておくと町の繁栄度が徐々に下がり、解決しようとすると商人から「待った」を掛けられて、職人と商人どちらかと関係悪化する選択肢を強要される面倒なクエスト。なお内容的にプレイヤーは密輸の片棒を担がされているため、成功させると犯罪係数が上がる)


 最後に、現代で当たり前に使用されているアラビア数字(インド数字)について。


『西洋の科学と数学に最も重大な影響を与えたのは、インドの表記法であった。これこそ「西洋で科学が進歩した主な要因だった」とチャールズ・シンガーは言いきっている。西洋の三角法は、オックスフォード大学マートンカレッジの数学者リチャード・オブ・ウォリングフォード(一二九二頃~一三三五年)が、アラビアの数学者アッ=ザルカーリの天体運行表「トレド表」にユークリッドの方法を重ね合わせたことに始まった』(【大聖堂・製鉄・水車】290P)


 1、2、3、4、5、6、7、8、9、そして0という10文字で数を表す方法が、中東からヨーロッパに導入される前は、ローマ数字が使われていました。

 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ、Ⅷ、Ⅸ、Ⅹ、Ⅺ、Ⅻ……というやつです。


 ローマ数字を使った日付の書き方は以下のようになるみたいですね。


『「エドワード四世の御代第一九年(E.iiii XIX)、聖シモンおよび聖ユダの祝日後の金曜日にこれを記す」』(【大聖堂・製鉄・水車】290P)


 アラビア数字を本格的にヨーロッパへ広めたのは、「フィボナッチ数列」で知られるレオナルド・フィボナッチ(1170年頃~1250年頃)でした。

 しかし、すぐには普及せず、活版印刷の力を借りるまで、ローマ数字の存在感は大きかったようです。


『しばらくの間、商人たちはなかなか新しい数字を使いたがらなかった。変化を嫌う傾向もあったろう。それに、新しい数字は簡単に改竄できそうだった。なによりも、この数字を使うには九九や割り算表を暗記しなければならなかった』(【大聖堂・製鉄・水車】289P)


 レオナルドの死後から1世紀(100年)経った14世紀後半に、ようやくアラビア数字が、商業界においてローマ数字や計算盤(アバカス)に取って代わり、日常でも使用され始めていました。

 とはいえイングランドなど、地域や国によって15世紀でもローマ数字がバリバリ現役だったとか。


 そして「(プラス)」や「(マイナス)」という、現代にも受け継がれている計算記号は、中世の終わりである15世紀になって登場し、「(イコール)」は16世紀、「×(かける)」と「÷(わる)」は17世紀と中世を飛び越してから誕生しました。

 ※(ただし「×」と「÷」は当初ヨーロッパでは不評で、掛け算は「・」を、割り算には÷より古い「/」の記号を使っていたらしい。現在でも「/」を使用する国が圧倒的に多い)

 これらの計算記号が作られる以前は、ローマやギリシャ式の記号を使用したり、計算を文章で表したりしていたようです。



 以上のように、中世ヨーロッパには「そろばん」も「複式簿記」も存在しており、この二つが実際に知識チートとして通用することはありません。

 通用するとしたら「アラビア数字」でしょうか。主人公が生きている間に普及はしないかもしれませんが。


 もし史実に近い中世ファンタジー世界に転移・転生して、ドヤ顔で“そろばん”を出したら、ファンタジー世界の住人から「車輪の再発明」だと呆れられるでしょうし、“複式簿記”を自分が考えたと主張して導入したら、イタリア風の人々から「パクリ野郎」と罵倒されるかもしれません。


 それはそれで小説ネタとして使えるような気がするのですが如何でしょう?


主な参考資料


Wikipedia


【大聖堂・製鉄・水車】ジョセフ・ギース、フランシス・ギース


【イタリア簿記の原型-Pacioli, Luca 1494年-】掃方 久


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