第十二話:変貌
前回のあらすじ!
実に愉快でした。
腰から下が繋がるまで三日も掛かったことを思い出すと、ソロンはもう少し驚かせても良かったような気もしますが。
皇帝からの、いや母直筆の手紙は挟んでおきましょう。歴史の重要さは私も理解していますから。
ただ、仲が良かったとは書かれて欲しくないので、そこは否定しておきます。
――ミラン・ディケー・ミラクの日記 帝国暦末頃(896冊目)
親愛なるディケー
五百年ぶりになるでしょうか。お元気そうで何よりです。
母は暖かなまどろみの中、いつも貴女のことを案じておりました。
どうかもう一度、お顔を見せに来ていただきますよう、百年祭への招待状を同封します。
私はもう、アポロンの事は許し、現皇帝陛下と手を取り合い未来に生きるつもりです。
貴女もいつまでも意地を張らずに、一緒に未来へ歩みましょう?
貴女の母、アストライアより
――挟まれた手紙 同上。
※一度破られたものを丁寧に貼り合わせてある。
(前略)
アレクシアから渡された、奴からの恋文を読んだが背筋が凍った。
これは公式記録にして歴史に残してやると冗談を言ったら、彼女も笑いながら了承してくれたので記録しておく。
『この世で一番美しきわが妹!
宝石よりも輝いて美しい髪、女神の彫像すら霞むほど滑らかな肌、花に例えることすら失礼な唇!
私が皇帝、お前が皇后、血の強さは力の強さだ! 兄ではなく、次期皇帝が命ずる。従ってくれるだろう?
アレクシア。君を妻に迎えたいんだ。君を私のものにしたい!』
――ニキアス=ペルサキスの手記と、挟まれたベネディクト=オーリオーンの手紙 帝国暦99年5月27日
――朝を迎えたペルサキス城。
ニキアスと絆を深めたアレクシアは、彼に準備を任せてひとり、今日の主賓を迎えに行く。
「ゼノンおじさま~。朝ですわよ~」
うきうきとした様子で、アレクシアは地下牢を訪れる。
その声にうっすらと反応したゼノンが、首をもたげて振り向いた。
「あ……あえう……」
残された片目が恐怖に歪み、万が一にも舌を噛み切らないように歯が全て抜かれた、しわくちゃな口が彼女の名前を呼ぼうとする。
「見ていられませんわね」
「っ! 失礼いたしました。アレクシア様!」
アレクシアが眉をひそめると、側にいた護衛の兵士が慌てた様子で、ゼノンを槍の柄で殴りつけた。
冷たい石の床に、顔面から叩きつけられた彼を見下ろして、彼女は静かに死を宣告する。
「まぁアレだけ投与されてまだ自我が残っているのは称賛に値しますわねぇ叔父様。今日は喜ばしい知らせを持ってきましたのよ」
「……やっと……こおぃえ……」
「そうなりますわねぇ。皇帝陛下から、貴方の死刑について賛成との知らせがきましたの」
もちろん少し前には届いていたのだが。
ただ、死刑囚には当日に教えるのが望ましいということで、今直々にアレクシアが告げに来ていた。
「…………」
ゼノンは黙りこくり、その反応にアレクシアは落胆した。
「兄に見放されて、悔しくはないんですの?」
「……な……い……」
所詮、兄の妻を殺した裏切り者。結局こいつは挽回に失敗して、見限られただけか。と彼女は短くため息をついて。ゼノンが思ったより絶望していないことにがっかりした。
「まぁ、貴方は腐り果てても皇室の人間ですから、その死はちゃんと記念して差し上げますので」
自分は皇帝とこいつの関係を見誤っていたのだろう。とアレクシアは判断した。
拷問の末にも、禁断症状の果てにもゼノンは皇帝が彼に協力しているとは一度も言わなかったし、新薬をばら撒いた張本人であるアレクシアを殺す事が目的だった、としか話さなかった。
「兄弟仲の真相は闇の中……ですわねぇ。ま、どっちでもいいんですけれど」
どうせいずれ帝国は滅ぼすのだ。今更関係のないことだ。そう割り切って。
ただ彼女は、ゼノンが盗んだ論文によって皇帝が彼女と完全に敵対していたこと。そしてゼノンが潜入中に盗んだペルサキスの技術や知識から、皇帝がその改良版を作り出し始めていることまでは知らなかった。
――
「あら、こちらにいたのですね。音楽祭の準備はできていますので、あとは民を入場させるだけです」
残念そうな顔をしたアレクシアが踵を返すと、この結婚祝いの主催者の一人として、音楽祭の責任者を務めていたシェアトが顔を出す。
アレクシアは昨日、忙しさのあまり彼女に挨拶できなかったことを侘びて、軽く尋ねた。
「順調そうで何よりですわ。それでこの、薄汚い雑巾の処分はいつになりますの?」
「夕方以降を予定しています。あなたの雷は、夜のほうがより美しく輝くでしょうから」
アレクシアはその予定を聞かされると、転がったままのゼノンに声をかけた。
「だそうですわ。昼食はお好きなものを用意しますので、兵士に伝えてください。まだ喋れるなら、ですけれど」
そう言い捨てて、シェアトと共に牢を出る。
途中でふと彼女が聞いた。
「ところでアレクシア、目が真っ赤ですよ。昨日はあまり寝られませんでした?」
泣きはらして充血したアレクシアの目をよく見たシェアトは、その異様な赤さに思わず息を呑んだ。
瞳まで赤く染まった彼女の目に、前に感じた黒い女神の、アストライアと同じ気配を感じたシェアト。ただ、気のせいだろうと首を振る。
「あぁ……まぁ。昨夜は色々あったので」
どこか言いづらそうな彼女の様子に、シェアトの勘が反応した。
「まっ……まっ、まさか……ニキアスさんと、ついに……?」
寝不足になるほどに!? と、彼女はそういえば新婚なんだったと頭を抱えて、しかしニキアスが手を出すとは思っていなかったと思わず髪を掻きむしる。
「……なんで貴女に夫婦生活を話さなきゃいけないんですのよ」
「重要な問題です。少なくともわたしにとっては」
アレクシアは呆れた顔で、この話は終わりだと手を振る。
ニキアスに嫉妬していたシェアトは仕方ないとばかりに深呼吸をして、これからの予定の続きを告げた。
「午前中は一般の参加者や吟遊詩人によるコンテスト、午後からは各地の軍楽団による演奏会です。どちらから参加しますか?」
「んー……午前中の最後から出ますわ。表彰は夫婦でやらないとおかしいでしょうし」
しばらく目を閉じて、考え込んだアレクシア。
もう一度目が開かれた時、泣きはらした赤い目はそのままに、瞳だけが元の深い青に戻っていた。
「ではそのように……あら?」
それに気づき、さっきのは気の所為ではなかったと確信したシェアトから、素っ頓狂な声が漏れる。つられて疑問符を浮かべるアレクシアに、彼女は自分が見たものを話した。
「アレクシアって、怒ると瞳まで虹色になりますよね?」
「え? あぁ、何か魔法的な力が漏れているだけだと思いますけれど」
「さっき、ゼノンに会っていた時、真っ赤だったんです。あの女神みたいに」
あの女神みたいに……? そういえばシェアトも見ていたんだったな。集団魔法を発動させたときに、アストライアの本来の姿を。と、アレクシアは小さく頷いた。
「まさかと思いますがアレクシア、あなたはだんだん女神に近づいているのでは……?」
「うげぇ、冗談じゃありませんのよ? まぁ……確かめる術もないですが、気をつけておきますわ。いつあれがまた夢に出て、乗っ取られないとも限りませんし」
どうやって気をつけたらいいものか。と思いつつ、ゼノンと会っていた時のことを振り返る。
冷静な今の自分から見て……彼に対しては少々残酷すぎる仕打ちをしてはいないだろうか。と、彼女の良心が囁いた。
「いや、お母様の仇、わたくしの敵。手心は加えていなくて当たり前……ただ、まさか……うーん……」
ランカスターで起こった雷魔法の暴走。あれは恐らく神の力、この世界に存在する集団意識の力に初めて触れたことによるもの。しかし、それが段々と制御できるものになっているということは。
(わたくしは今、何者なんですの?)
考え込むアレクシアに、シェアトが尋ねる。
既にペルサキスを、アレクシアを女神と讃える歌を作成し民に広めていた彼女は、急に不安を感じていた。
「処刑方法について再考しますか? 力を使いすぎてはあなたが……どこか遠くへ行ってしまうような」
アレクシアが既に人ならざる領域に足を踏み入れたと直感して、心配したシェアト。
ただ、アレクシアは首を横に振って笑顔を浮かべた。
「いいえ。このまま行きますわ。お父様も女神も……神の力を自在に扱えると見て間違いありませんから。それにアルバートだってエクスカリバーという形でそれを行使していますし、わたくしも負けていられませんの」
そう言って、軽く拳を作るアレクシア。
自分の魔法をどこまで伸ばせるか。少なくとも皇帝に届くほどのものでなくてはいけない。
神として受けた信仰を魔法に変える事ができるのだから、自分の父親は帝国では最も優れた魔法使いであるはず。
更に自分を狙っている女神は、この世界に存在する力そのもの。それに触れて潰れる程度では、自分の悲願は果たせない。
何者か、なんて気にしている場合じゃない。自分は自分だ。
「この舞台は試金石ですわ。わたくしが神に値するかどうか」
決意を込めて笑うアレクシアに、シェアトは息を呑んだ。
――音楽祭はつつがなく進み、やがて日が落ちて松明の明かりが灯され始める。
ペルサキスの歌を高らかに歌い上げた、帝国屈指の舞台歌手が盛大な拍手を浴びて。
事前に配布されていた楽譜を集まった軍楽隊が演奏をして、観客たちもそれを大声で歌い始める中。
主役であるアレクシアとニキアス、主催であるシェアトは一度競技場の中に戻り最終確認を進めている。
「ニキアス、天気はどうですの?」
「テオ将軍から来てるよ。あと十五分ほどで絶好の曇天だってさ」
テオ、随分昇進したんですのね。確かに翼竜大隊の成果は非常に大きいものですが。なんて場違いなことを考えたアレクシア。絶好の曇天ねぇ。と少し笑って、シェアトの方を見た。
「ゼノンの処刑台は設置しました。本人も吊るされているので、あとは除幕ですね」
それを聞いたアレクシアは満足そうに頷き、この演奏が終わるのを待つ。
段々と瞳の色が赤く変わっていくのを目撃したシェアトが、その肩をたたいた。
「アレクシア。また、目が赤くなっていますよ」
「……分かりましたわ。力に飲まれないように……」
一度目を閉じて、深呼吸。
不自然に湧き上がる怒りや、強い感情を押さえつけて、民が歌い上げる祈りを自らの力として。
自分の意志に従わせるようにそれをねじ伏せるイメージを作る。
「行きましょう」
見開かれた目は虹色に煌めき、彼女の行く道を照らし出す。
今まで見えていなかった人々の意志の力が、彼女の瞳には淡くキラキラと煌くもやのように映っていた。
「……これは……?」
その幻想的な美しさに息を呑むアレクシア。
彼女の見た光景が見えていないニキアスとシェアトは首を傾げた。
「アレクシア、どうしたんだい?」
「あぁ……なるほど。これが、この世界の魔法なんですわね」
ニキアスの声が聞こえていないかのように、アレクシアは一人でうんうんと頷いて。
彼女にしか見えない光景を前にして、ひとり呟いた。
「アストライア……貴女もこれに魅せられたのでしょうね」
無限に力が湧いてくるような感覚。意識が世界に溶けていき、まるで全知全能の神になったように、どこか遠くからこの世界を見下ろしている感覚。
自分が最初に神の力に触れた、あのランカスターのときとは違う。自分の意志で、この神の力を自在に操ることができる。そう確信した彼女は、誰に話しかけるわけでもなく、虚空に向かって話し出した。
――
アレクシアの虹色の瞳に映る一人の少女。
彼女と同じ顔をしているが真っ黒な髪にドレスで、瞳だけが赤く闇夜に輝く少女。
「お久しぶりですわね。アストライア……というかなんというか……」
”お前の方から、我に会うことができるようになったのか”
前に会ったのは、確か見えざる悪魔に罹っていた時だったか。とアレクシアは思い出した。
ただあの時と決定的に違うのは、以前は受け入れていなかった神の力というものを研究し、ある程度の理解を得たこと。ニキアスやシェアト、そしてアルバートのおかげで見出した真実。
少女の正体に、ほぼ完璧な推測ができていたアレクシアは静かに話し出す。
「やはり、居ましたのね」
”……どうして、居ると思ったのだ?”
「研究者として失格かもしれませんが、ほぼ勘ですわ。アストライアが女神として今尚君臨できているという事実、皇帝と協力をしているという事実。そして何より、彼女がわたくしより先に集団魔法の理論に辿り着いていたという事実。そこから推測するに……」
目の前の少女は、夢の中で彼女が名乗ったような神などではない。
本物の女神ではない、この神の力の化身とでも呼ぶべき存在の正体は。
「貴女、アストライアの呪いの本体ですわね?」
少女は無表情のまま目を見開いて、アレクシアの推理に拍手を送る。
”お前は正しい。我は奴にこの姿と意志を与えられた。だが、なぜ居ると思ったのか、との問いの答えではない”
「あぁ、失礼しましたわ。呪いとはふたつの神の器を殺し合わせるだけではなく……アストライアという女神を永遠に生き永らえさせ、いつか現世に顕現させるためのもの。貴女は神の力を回収して彼女を生かすための装置だと、推測しておりますの」
呪いの一つは百年前に神祖アポロンの企みによって既に崩れているのに女神はそれを傍観していた。それが今更ちょっかいを掛けてきて、呪いなどどうでもいいように振る舞っているのを、アレクシアは不思議に思っていて、この結論に辿り着いた。
”……正しい。だからこの、お前のために力が集まったこの場に居ると推測したのか”
「えぇ、その通りですのよ。ですが残念でしたわね。わたくしは貴女やアストライアにこの力は渡しませんの。なぜなら、貴女は約束を守らなければいけないので」
”どういうことだ?”
「これは全てわたくしが背負う意志ですの。わたくしから出ていきなさいと、以前も言ったはずですわ」
夢の中で叩きつけた言葉をもう一度。
この少女があの時よりも具体的に話ができるようになっている今。恐らく女神が仮初の肉体に顕現して弱っている今であれば、この呪いにも言葉は通じるはず。
そう考えて、アレクシアは力強く言い切った。
”……良い。お前は……”
少女はしばらく考え込んで、決して無表情を崩さなかったその頬を持ち上げて笑顔を作る。
アレクシアは驚いたが、それを隠すように続けた。
「アストライアに会うのならば言っておきなさい。体を奪おうってんなら実力行使か、もう一つの器であるアルバートでも使いなさい、と」
その挑発に少女は笑う。
昔を懐かしむように遠くを見て、彼女はアレクシアを褒めた。
”よく似ている。お前たちが神祖と呼ぶアポロンに。我を一度は解放し、妻としたあの勇敢な男に”
「そりゃあ子孫ですもの。まぁひいひいお祖父様と手段は違いますが、目指す結果はきっと同じですわ……って!? 妻!? どういうことですの!?」
”お前に、我が夫の加護を”
「ちょ、ちょっと! ひいひいお祖父様、幽霊とかいけるんですの!?」
とんでもない発言を聞いて急に慌てだすアレクシア。
やがて少女の姿が薄くなっていき、きらきらと輝くもやの中、彼女の意識は現実へと引き戻された。
――
遠くを見るような目で何か聞き取れない発音で誰かと話していた彼女に、ニキアスが尋ねた。
「大丈夫かな? ……それで、誰と話していたんだ?」
その問いに彼女は曖昧な笑顔を浮かべ、人差し指を唇に当ててしばらく考えて。
「強いて言うなら……神とかそんな感じのものでしょうか?」
いたずらっぽく笑うと、競技場に足を踏み入れた。




