第一話:隻腕の聖女
――帝国暦99年4月、ペルサキス領、リブラ商会本部
長い冬が終わり、いよいよ春が訪れる。雪の下から顔を出した草木が瑞々しさを増す頃。
薬で精神を破壊されたゼノンは今だ牢獄で死を待ち続け、その処刑の日程も決まらぬまま。
破壊された街の都市計画を視察したアレクシアはシェアトとふたり、リブラ商会を訪れていた。
「……隻腕の聖女?」
「ええ、中央の商人から聞いたんですけどね? つい最近ベネディクト皇太子殿下に仕え始めた、結構な美人さんだそうで。魔法の腕は姫様に匹敵するとかなんとか。あっ、美しさも魔法も我らがアレクシア様がこの国一番でございます」
リブラ商会会長のヘルマンと商売について情報交換をして一段落つき、お茶をしながら雑談。
彼は最近聞いた面白い出来事、と言って話し始めた。
「そんな素晴らしい人材がぽっと出てくるわけ無いでしょうに」
どうせあの馬鹿な兄が騙されてるだけでしょ。とアレクシアは手を振って受け流す。
しかし彼は神妙な顔をして、話を進めた。
「ここだけの話なんですが……その隻腕の聖女、傷や病を治す魔法が使えるらしいんですよ」
はぁ?? とアレクシアの目が丸くなる。
隣で聞いていたシェアトは思わずお茶を吹き出し、思い切りむせていた。
「いやいや何いってんですの? 治療については、いや、そんな事ができるはずは」
シェアトの家に伝わる秘伝ではある。ただ彼女も父母の言いつけを守り、アレクシアにそれを隠していた。
意志の力でどうやって人体を修復できるのか、それを不可能だと思い込んでいたアレクシアは考え込む。
「魔法で怪我を治せる……本当ならとんでもない発見ですわねぇ。ぜひ大学に招きたいところですが……」
んー。なんか怪しいですが……とりあえず調査だけしましょうか。と彼女は手を叩く。
彼女の横にいるシェアトがすぐに手を挙げた。
「アレクシア、よければわたしが調べましょうか?」
「あー、いいですわねそれ。ついでにお父様に、ゼノンについての手紙を届けてくださるかしら」
せっかくだし、自分たちの後ろに連合国がいることを見せびらかしておくか。とアレクシアは考える。
まだ処刑の日程は決まっていないが、罪状についてはやっと用意ができた。どうせ死刑で変わらないのだから目一杯罪を盛ってやろうと領内の隅から隅まで調べ尽くして書き連ねた、ちょっとした本くらいの厚みの調書。これをシェアトから手渡してもらおう。
父親の驚く顔を想像して、彼女はニヤリと笑った。
一方、えぇ。とシェアトは短く返事をして頷き、にこにこと引き受ける。
彼女も彼女で、自分たちアルフェラッツ家しか扱えないはずの治療魔法の存在が公になるのは避けたい。可能ならばその隻腕の聖女を消してしまおうと考えていた。
「ではでは、わたしは準備をしてきますのでお先に」
腰を上げて去っていくシェアト。
気をつけるんですのよ~とアレクシアが手を振り、ヘルマンも軽く頭を下げる。
さて片付けをしようと彼が立ち上がろうとして、自分の上司に呼び止められた。
「ところでヘルマン。貴方も椅子を温めてばかりの仕事にそろそろ腰が痛くなった頃でしょう?」
急に話を振られたヘルマンは背筋を冷やす。
「いえ、私の椅子は最高級の水牛の革でして。非常に座り心地がよくてですね」
まずい。ろくでもない仕事だと直感した彼が慌てて言葉を返すと、アレクシアは呆れたように笑った。
―― 一週間後、帝国首都
船を降りたシェアトは首都へと向かう。
以前よりどこかくすんだような風景。帝国様式の、いささか古風だが立派な町並みのそこら中に浮浪者や病人が溢れ、至るところにゴミや汚物が散らばっていた。
「……昨年よりだいぶ荒れていますね。見えざる悪魔の被害はまだ終わっていないのでしょうか」
ペルサキスの立ち直りの早さが異常だっただけで、帝国首都では流行が終息してなお、被害は今だに終わっていない。
仕事や家族を失い家を失った浮浪者たちは、寒さを凌ぐためにそこら中に勝手に家を作って住み着き、昼間からすることもなく自家製の酒や配給された食料を食い散らかして転がっていた。
シェアトはその様子に悲しそうな顔をして、オーリオーン城へ向かう。
馬車を走らせていると、ふと彼女の目に人だかりが映る。白いローブを被った人間と、その横で笑顔を振りまくベネディクトの姿が見えた彼女は馬車を止めさせ、御者に尋ねた。
「? 御者さん、あの人だかりはなんでしょう?」
「隻腕の聖女様ですよ。彼女の手に触れると病が治り、体も動くようになるってんで大人気ですね。かくいう私も運良く抽選に当たりまして、今ではこの通りです」
御者の男は笑顔で力こぶを作ってみせる。
シェアトは曖昧な笑顔で不機嫌さをごまかして、それはよかったですね。と相づちを打った。
――
「本日はここまでですわ。申し訳ありません皆様、わたくしにもっと力があれば、より多くの人々を癒やしてあげられるのに……」
女はフードを脱ぎ、深々と頭を下げる。
付きそうベネディクトが彼女に縋り付こうとする人々の手を引き剥がし、心底悲しそうな顔で断りを入れた。
「本当に申し訳ない。彼女の魔法には大きな魔力が必要なのだ。だからまた近日抽選会を行う。待っていてくれ」
聖女様! どうか、私をお救いください! と人々の祈りを浴びて、申し訳無さそうな素振りをする女は内心ニヤニヤと喜びに満ちあふれていた。
「アストライア、そろそろ帰ろう。……アレクシアからの客に会わなければいけなくてね」
アストライアは静かに頷く。
アンナの死体を奪った彼女は自らの信仰を集め直してアレクシアと戦うため、最も人口が多く最も政情が不安定な首都を拠点に選んだ。
ペルサキスにおけるアレクシアほどではないが、首都で今も信仰されているアポロン四世の持つ神の力は彼女にとって魅力的。それを奪い取りに来たアストライアは、まず治癒魔法という神の奇跡を見せていた。
「分かりましたわ皇太子殿下。なるべく早くに、また出ますので」
「無理はしないでほしい。君が倒れられたら困るから」
アストライアからしたら治癒魔法などやろうと思えばいくらでも使えるのだが、ありがたみや希少価値を増すために一日の人数に制限があるとベネディクトに伝えていた。これで受けることのできたものはより彼女のために祈るようになるし、受けられなかったものは増々彼女のことを想うようになる。
その祈りこそが彼女の力。今の所実に効率よく彼女は事を運んでいた。
殺到する群衆をくぐり抜け、ベネディクトに手を引かれて馬車に乗ったアストライア。
顔を出して窓から手を振って、芝居がかった口調で明日も来ると宣言をして。
しばらくして座り直すと、隣に座るベネディクトに話しかけた。
「皇太子殿下、アレクシア皇女殿下からのお客様……というのは?」
「あぁ、連合国のシェアト王女だよ。君は知らないと思うが……色々あったからねぇ。まぁ私は皇帝陛下の付添だけど、君も来てほしいんだ」
「申し訳ありません。治癒魔法を使いすぎましたので、休ませてもらえますでしょうか」
シェアト……姿を隠していたほうが良さそうですわねぇ。と考えたアストライアは断りを入れて、顔を右手で覆うと具合の悪そうな演技をして彼にもたれ掛かる。
彼女の肩を抱いたベネディクトは一言、わかったと了承した。




