猫娘の着付け
着物はなんと宙に浮いている。
ハンガーにかけられていなかった。
「見やすいだろう? ぶつからないから生地が傷まないし」
「そういう理由でここまでの神業を!? おきつねさんのお気遣いに震えますよ……!」
「はっはっは」
【四季堂】の店舗通路にズラリと並んでいる着物は、50着はあるだろうか。
色別にグラデーションカラーで整列している。
(床に落ちてしまわないよね……?)
美咲は恐る恐る、着物の間をすり抜けるように動いて、たまに生地に触れて惚れ惚れと眺めた。
遅い! と猫娘の膨れた顔がじーっと見ているので、少し急ぎ始める。
でもせっかく用意してくれた着物なので、全ての柄を確認しておきたかった。
春から初夏にかけての季節の花柄が多い。
ダイヤ柄や蝶々、チョコレートや源氏車など、遊び心に溢れた柄もある。
へぇ、と感嘆の息。
「これにしようかな。どうでしょう?」
美咲が選んだのは、淡いピンク色にサツキの花柄の着物。
写生大会で描いていたためか、なんとなくサツキが気になったのだ。
「よく似合うだろう」
沖常は満足そうに頷く。
「まあどれ着ても似合ってただろうけどなー」
「いーんじゃない?」
「美咲に合うよう、淡い色の着物が多いだろう?」
「ほら沖常様張り切っちゃってたからー」
余計なことを言いまくる炎子たちを沖常がちょこまかと追いかけ回した。
パチンと沖常が指を鳴らすと、残りの着物はタンスの中に入っていく。
「わっ!? この小さなタンスに収まっちゃったなんて……中は異空間、とかですか?」
「そんな感じだ。神の世の反物屋に通じている」
(神様のお着物!! そうだよねそうなんだよね……おきつねさんが用意してくれたものっていつもそうなんだよねぇぇ)
羽のように軽い着物が、あまりの希少価値のためズンと重くなったように美咲は感じた。
「さっさと着替えるにゃあ」
猫娘に背中を押されて、奥の座敷へ。
猫娘は器用に、帯などの小物を選んで片手で掴んでいった。
☆
「まあったく、お狐様ってば身内はトコトン甘やかすんだから。それに美咲はとっておきのお気に入り。着付け係まで用意するなんて! しかもウチだし!」
「す、すみません。猫娘さん」
「そんなしょーもない謝罪はいらないにゃあ。ウチのはただの愚痴! 独り言なの!」
猫娘はツンと目尻を上げた。
美咲はやんわりとした苦笑を浮かべる。
「さあ脱げ美咲」
「は、はい」
長襦袢など、着物用の肌着を猫娘が広げて待っている。
美咲は思い切って素肌を晒した。
猫娘がすり寄ってきて、首筋を舐める。
「ひいっ」
「ヘンな声を上げるな……よしよし、神跡はまだついてるにゃあ」
ほんのり赤い跡を肌着の襟で隠すように、美咲に着せた。
きっと今から良い事あるよ、とニヤリと告げる。
紐で腰を締めた。
「……ひょうたん型……」
「ふ、太ってますか……!?」
「違う。その無駄に育ったでっかい乳を引っ込めるにゃあ!」
「そんな無茶なー!?」
ブラジャーをとり、布の厚みが無くなってもなお、美咲の胸部はどーんと主張している。
バストトップに合わせて腰にタオルを巻けばひょうたん型ではなくなるが、それではたいそう太い見た目になってしまう。
このまま帯を締めると、胸部が出っ張ってしまい着物としては美しくないシルエットになる。
むーん、と猫娘が真剣に唸りながら美咲の乳を揉んだ。どうしても引っ込まない。
上位神から「綺麗な着物姿に」と言われているので、なんとしても着付けを成し遂げなくてはならないのに。
「……サラシでも巻くか」
ぎゅうぎゅうと締め上げて、なんとか着物姿として美しいシルエットに仕上がった。
美咲も猫娘も、ぜえぜえ息を吐いている。
胸とサラシの押し問答は大変な格闘であった。
「み、美咲っ……お前っ……お前の乳! 反抗的すぎにゃあ! もっと大人しく引っ込んでいるように調教しとくこと!」
「理不尽ですーー! はあ、はあ……これけっこう苦しいですね……」
「慣れておくにゃあ。そして調教しとくにゃあ。だって、今度の梅舞いの祭りでは着物姿で神の世に行くんだから。花姫とのお茶会もあるんだしね」
「そ、そうでした……! 猫娘さん、本当になんでも知っているんですねぇ」
「情報がウチの商売道具だからにゃ!」
猫娘が胸を張った。
こちらは慎ましいものなので、美咲が「いいなぁ」などと言ってしまい、猫娘にかるく引っ掻かれた。
お互い、無い物ねだりのコンプレックスなのだ。
「着替え終わりましたよ」
「よく似合う!」
パッと振り返った沖常が、嬉しそうに狐耳を揺ら…………せない。
「あれ? おきつねさん!? 黒髪じゃないですか……? それにお耳は!?」
「ああ、以前に美咲が、黒髪の俺を見てみたいと言っていただろう? せっかくなので変化してみた。これくらい狐には朝飯前さ」
沖常は艶やかな黒髪に、藤色の着物の和風美青年姿。
にこにこと美咲を見下ろしている。
浮世離れしていた白銀狐の神様の容姿よりも、美咲に親近感を覚えさせる。
ぽわ、と美咲の頬が染まった。
──沖常は化粧道具を手にしていて、美咲の頬に筆を触れさせたのだ。
「春乙女」という化粧品シリーズ。
おしろいを軽くはたくと、美咲と自分の目尻に、朱の細い線を引く。
「この目尻の化粧は"目はり"と言って、悪いものから守ってくれる厄除けの効果があるのだ。外出の時には俺もよく施す。覚えておくといい」
「は、はい。そうなんですね……お化粧のことは全然知らなくて……。おきつねさんの方が詳しそうです」
「男子も化粧が常識、という時代もあったのさ」
沖常は美咲の耳たぶには小筆で花を描いた。
髪を上げているので、可愛らしい耳飾りがよく見える。
「終わった」
「ありがとうございました」
微笑みを交わす二人を、猫娘と炎子が半眼で眺めている。
(距離、近ッ)
((仲良しかよー。仲良しダヨー))
ただの仲良しだ。こんなに自然に近くにいるのに。
猫娘が炎子に小声で耳打ちする。
「お狐様、あれでなんで美咲に惚れてないの? ウチが言うのもなんだけど、相当な上玉なのににゃあ」
「んー。沖常様、おれたち狐火に感情を分け与えてるからなー。四季への感性以外は、ひどく鈍感だと思うぜー」
なるほど、と猫娘が呆れたため息を吐いた。
「じゃー、その感情を分けられた狐火たちは美咲をどう思っているのにゃあ?」
「おっと、情報屋。そっから先はしーくれっと」
炎子が「しー」と人差し指を唇に当ててみせた。
ふぅん、と猫娘が目を光らせる。
じー、とお互いに含みがある視線を交えた。
「じゃあ、行ってくる!」
「行ってきます」
「「行ってらっしゃい、沖常様、美咲ー」」
着物姿の二人が外に出て、店舗の扉を閉めた。
炎子たちと猫娘は留守番だ。
美咲のセーラー服を片付け始めた。
読んで下さってありがとうございました!
うーん、ほのぼの〜( *´꒳`*)




