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漫画友達男子に好かれていると思っていたのに彼の好みのタイプが自分とぜんぜん違うことを知ったオタク女子

作者: やなぎ怜

「大人しい、落ち着いている、おしとやかな子」


 淡々と、感情を窺わせない声で陸也(りくや)が言い切る。


 放課後の教室。やいのやいのと、おのおの「好きな女の子のタイプ」について順番に口にしていた流れでのひとことだった。


 陸也の友人のひとりが、「お前、そういう子がタイプなんだー」とからかうような声で言う。


 陸也はそれに「悪いか」と素っ気ない声で答える。どこか、ふてくされているようにも聞こえた。


 私はそんな他愛ない男子高校生――クラスメイトたちのやり取りを、教室の出入り口のすぐそばで聞いてしまった。教室の中からは死角になっている場所だから、まさか男子たちも偶然私が居合わせていたとは思いもよらなかっただろう。


 男子たちのそんなやり取りを盗み聞きするつもりなんて……いや、少しはあったかもしれない。


 魔が差したのだ。そうとしか言いようがない。


 だって、仕方ない。男子たちが「好きな女の子のタイプ」について話しているその中に、陸也がいることに気がついてしまったんだから。


 しかし、その結果がこのざまだ。


 ――好かれていると思ってました。もちろん、恋愛的な意味で。


 好き勝手に「好きな女の子のタイプ」について語って行く中、陸也の番が来たとき、私は自信満々だった。今となっては、その自信がどこから湧いてきたものなのかはさっぱりわからないが。


 しかし、その瞬間が訪れるまで、私は自信満々だった。


 「ふふ、私の名前を出していいのだよ?」とさえ思っていた。


 しかし、陸也の「好きな女の子のタイプ」は「大人しく思慮深い清楚女子」であった。


 私はショックを受けた。


 なぜならば私は「騒がしく短慮なオタク女子」だからだ。「女子」という要素しか一致していない。


 私はものすごくショックを受けた。


 私は――陸也から好かれていると思っていた。もちろん、恋愛的な意味で。


 私と陸也は友達だ。けれども、陸也は私のことを好きなはずだ! ……と思っていた。


 だって好きじゃなかったらこんなに優しくするわけないじゃん。……と思っていた。


 めまいすら覚えるほどにショックを受けた私の足元で、管狐(くだぎつね)七宝(しっぽう)がその二又の尾を揺らし、心配そうにこちらを見上げている。


 私はそんな七宝に目線だけで「大丈夫」と伝えると、よろよろとした足取りで、どうにか男子たちに気取られることなくその場を後にした。



 悪妖(あくよう)を討つ魔術師の養成機関――私が通う学園が担っている役割がそれだ。


 魔術師の卵、とひとくちに言っても様々な出自を持つ子弟たちがいるわけで、たとえば代々魔術師を輩出している名家の子もいれば、そういった背景を持たない一般家庭出身の生徒もいる。


 陸也は後者、一般家庭の出身だったが、私は前者だ。近代に入って悪妖を討つ者が「魔術師」と呼称されるよりもずっと前から、先祖代々それを生業としてきた古い家なのだ。


 そんな出自であれば魔術師を養成するこの学園では一目置かれ、大きな顔をすることができる……こともなくはないのだが、私の場合は違った。


 そもそも、たかが生まれの違いだけで偉ぶることをしたくないというのは大前提としても、私の場合事情が少々特殊ゆえに、仮に「家の力ででかい顔をしたい!」と思ったとしてもそうは問屋が卸さないのである。


 それが今も私の足元について回る七宝の存在だ。


 代々悪妖を討つことを生業としながらも、私の家は(あやかし)を使役することで繁栄してきた。


 それをよく思わない魔術師は昔から一定数いて、この学園でももちろんそれは変わらない。


 「魔術師のくせに妖を使っている」――そういう陰口を叩かれ、遠巻きにされている。


 つまるところ、「ぼっち」ということだ。


 けれども私はそれをあまり気にはしていなかった。


 物心ついたころに分けられた七宝は、私が彼女を使役しているという立場ではあったが、家族のように思っていたから、不吉な存在だとか、邪悪だとか思ったことはない。


 しかし、そういった経緯や思い出を持たない人間からすれば、七宝を不気味に思ったり、恐ろしく感じたりするのまた、仕方のないことなのだろう。


 そういうわけで私は同年代の子供たちから敬遠されることは慣れっこで、「ぼっち」でいることを苦痛に思ったことはない。……いや、グループワークのときには苦しむんだけれども、それ以外、友人らしい友人がいないことについて悩んだことはなかった。


 だって、「不吉な妖を使役する一族の末裔」ってなんか特別感があっていいじゃん? と楽観的に考えている。


 そういうわけで先生が「グループ作って~」という呪文を唱えるとき以外、私はぼっちライフを満喫していた。


 しかしいつからだっただろう。そこにときどき陸也が顔を出すようになったのは。


 きっかけはたしか五月の半ばごろ。ぼっちなのでわざわざ隠すまでもないとは思いつつも、私はあからさまにオタクでござい、という面を押し出すこともせず過ごしていた。


 しかしその日の昼休み、私はどうせだれも見てはいないだろうと思って、スマートフォンで正午に更新されたばかりの漫画を読んでいた。ちょうど重要なエピソードが佳境に入っており、それに私の推しキャラクターが絡んでいたので、家まで待てなかったのだ。


護法(ごほう)って漫画読むんだ」


 私は大きく肩を跳ねさせた上、スマートフォンを両手でお手玉させた末に、床に落としそうになった。


「ごめん。覗くつもりはなかったんだけど、俺の好きな漫画読んでたからさ」


 陸也はなんなく私のスマートフォンを片手でキャッチすると、謝りつつ返してくれる。


 私は目を泳がせつつ、どうにか平静を装った……つもりで、受け取る。


「え、あ、す、好きなの? 『あやリロ』……」

「へー、そういう略称あるんだ」


 血迷ったというか、混乱していた私は思わずそんな問いを陸也に投げかけた。しかし彼の反応を見て、私ほどのオタクというわけではないらしいことはなんとなくわかった。


 けれどもそのときの私は混乱しきっていて、なぜかそのまま陸也と『あやリロ』……『あやかしRELOAD(リロード)』の会話を続けた。


 ループものゆえの試行錯誤が熱いとか、主人公がヒロインよりもヒロインしているだとか。


 それから私の推しキャラクターであるキトラスについて、いつの間にか熱く語っていた。


 キトラスは墓場犬(ブラックドッグ)という種族の妖で、それゆえに不吉な存在として周囲から敬遠されて生きてきた。だが唯一可愛がってくれた男性を追って来日し、なんかんやあって主人公と出会いレギュラーキャラクターに昇格。


 見た目はいかついが心を許した相手には人懐こく、犬らしい忠義を見せ、それでいて常に敬語でちょっと自己肯定感が低めというギャップが最高のキャラクターなのだ。……ということをぺらぺらとしゃべった。


 というか、まくし立てるように一方的に話してしまった私に、しかし陸也は優しかった。


 同じ『あやリロ』のファンとは言えども、明らかな熱量の違いに引いたりすることもせず、あまつさえ「たしかに主人公のほうがヒロインしてるときあるよなー」とか相槌を打ってくれたのだった。


 私が「陰」の者ならば、陸也は明らかに「陽」の者だった。


 しかし陸也は日陰者の私を見下したり、敬遠したりする態度をまったく見せなかった。


 私は思った。


 ――いるんだ。「オタクに優しいギャル」的な存在って……!


 実際、陸也はその出来事以降も私にわざわざ挨拶してくれたり、話かけてくれたり、『あやリロ』について感想を交し合ったりしてくれたので、優しかった。


 私が請われるがままオススメの漫画を教えれば、「お前が薦めてくれるのにハズレなしだな」とか言ってくれたりして、優しかった。


 だから私は勘違いしたのだ。陸也から私は好かれているし、それには多大に恋愛的な意味が含まれていると。


 しかしその勘違いは見事に砕かれた。


『大人しい、落ち着いている、おしとやかな子』


 ――私まったく陸也のタイプじゃねえ~~~~~~!!!


 ショックだった。二重にショックだった。


 私が明らかに陸也のタイプじゃないこともだし、陸也が私のことを好きだという恥ずかしすぎる勘違いをしていたという現実も。



 すごすごと家に帰った私は、デスクトップパソコンのでかいディスプレイで『あやリロ』の最新話を読むことにした。


 今日が『あやリロ』の更新日で命が助かった。


 今、私を癒してくれるのは『あやリロ』しかない……。


 そう思い、サムネイルをクリックする。


「え?」


 『あやリロ』最新話、最終ページ。


 私の推しキャラクターのキトラスが生死不明となった。



 *



 ……泣きっ面に蜂。今の私を表すにふさわしい言葉である。


 傷口に塩を塗りこめられたかのような多大なる苦痛を味わった私は、ベッドに倒れ込んだ。


 今日は厄日だ。そうに違いない。


 陸也のタイプじゃないこと、恥ずかしい勘違いをしていたこと、二重にショックを受けているところにこの仕打ち。


 三重のショックを受けた私は平静でいるのが難しい状態だった。


 それでもどうにか、この地の底を這うような感情からの復帰を目指そうと、私は今度はバネ仕掛けのおもちゃみたいに起き上がった。そばにいた七宝が、びっくりしたように動きを止めて、一歩うしろに下がったのが見えた。


 当たり前だが、『あやリロ』の展開を変えるなんてことはできない。そんな権力も権限もないし、そもそもそういった力が仮にあったとしても、私の意思で『あやリロ』の展開を自由自在に変えてやるぜ! という気持ちにはなれない。


 私はただのいちファン、いちオタクの立場から『あやリロ』を楽しみ、応援したいのだ。


 だから、『あやリロ』を変える、というのは違う。


 同様に、陸也を変える、というのもなんか違うと思った。


 陸也に恋愛的な意味で好かれているという恥ずかしい勘違いをしていたことからお察しの通り、恋愛的な意味で好いていたのは私のほうなのだ。


 そして、私が好みのタイプじゃなくても、勘違いを木っ端微塵に粉砕されても、私はまだ陸也への気持ちが捨てられなかった。


 相手を変える、というのはそもそもとても難しいことだし、場合によっては傲慢な発想だとも思う。


 だが、自分は変えられる。


 『あやリロ』の展開は変えられないし、陸也の好みも変えられないけれど、私は変えられる。


「七宝……私、今日から清楚女子になるよ!」


 ベッドの脇に置かれたクッションの上ですでに丸くなっていた七宝に、私はそう宣言した。


 七宝が聞いているかどうかはこの際どうでもいい。実際に言葉にして宣言することが重要なのだ――。


 だからもちろん、次の日の朝、登校してきて早々『あやリロ』の展開について「大丈夫か?」と聞いてきた陸也にもハッキリと言った。


「私、今日からおしとやかなお嬢様になるから。漫画の話はやめる!」


 私の宣言に、陸也は一瞬言葉を失った様子で、目をぱちくりとさせた。


「いや……お前、もとからお嬢様だろ。っていうかどうしたんだ?」


 陸也は戸惑った顔でそう聞いたあと、少し声を潜めた。


「……だれかになにか言われたのか?」


 それは図星だった。しかし直接言われたわけではないし、言ったのは他でもない、今私のすぐそばにいる陸也である。


「乙女心のわからないやつ……!」

「は……?」

「いや! 今のは聞かなかったことにして! とにかく! 私は今日からおしとやかで清楚なお嬢様になるから」


 陸也は相変わらず困惑した顔で「お、おう」とか言う。


「『あやリロ』の展開、そんなにショックだったのか……?」

「お、お嬢様は漫画の話なんてしない……!」

「偏見すごいな」


 しかしそれ以上、陸也は私の「清楚女子宣言」について突っ込んではこなかった。


 私はそのことに安堵する反面、結局陸也にとって私はそのていどの存在なのだと思い知らされたような、至極面倒くさい心境に陥った。


 だが今は陸也の心をつかむための道程の途中にあるのだから、仕方のないことだ。


 「大人しい、落ち着いている、おしとやかな子」――そんな女の子になって、陸也を惚れさせる!


 だが現状の私は「騒がしいし、落ち着きがなくて、短慮なオタク女子」だ。かなり厳しいスタートだと言わざるを得ないだろう。


 こういったときは、なにかしら手本となるものを見つけるのが確実で、手っ取り早い。


 今の私の場合、実在する「大人しい、落ち着いている、おしとやかな子」をお手本にすればいいのだ。


 そのことはもう昨夜の時点で考えていて、だれをお手本にするのかもすでに決めていた。


 天条(てんじょう)桜子(さくらこ)。お嬢様という言葉を擬人化したかのような、私が知る限りでもっとも清楚な女の子である。なにせ名前からしてなんだか典雅というか、優美というか。とにかくだれもがひと目見て、「清楚女子だ!」と思うようなクラスメイトである。


 天条さんは名家として知られる天条家のひとり娘。才媛で、運動は少々苦手らしいが、そこもお嬢様っぽいと女子にも男子にも大人気――というのが、私の認識だ。


 一応私も天条家に匹敵する古い家の娘であったが、客観的に見て、私が天条さんに(まさ)っている部分はなにひとつない。悲しいが事実だ。しかし、それはつまり私には伸びしろがあるということでもある。


 そしてその日の課外授業。「昔の魔術師の暮らしを体験しよう」というお題目で、薬草集めをさせられる不人気授業で、教師が「それじゃあグループ作って~」の呪文を唱えた。


 昨日までの私であれば、陸也が優しいのをいいことに、彼のグループにお情けで混ぜてもらっていたが、今日からの私は違う。


「あ、あの……グループに入れてもらってもいいですか?」


 背中に汗をかくような思いをしながら、緊張で舌がもつれそうになるのを必死でこらえつつ、私は天条さんのグループに話しかけた。


 天条さんには当然のように取り巻きの女子たちがいて、そろいもそろって名家の娘ばかりである。


 そんな取り巻きの女子たちは不審者でも見たかのような目を私に向けるが、天条さんだけは違った。


「ええ、もちろんいいですよ」


 鈴を転がすかのような、可憐な声。月も恥じらわんばかりの、美しい微笑み。


 ――これが、ガチの清楚女子……!


 私は天条さんのまとう……いや、放たれるオーラに圧倒されつつも、どうにか彼女のグループに混ぜてもらうことに成功した。


 さて、天条さんのグループに入れてもらったものの、案の定私はだれからも空気扱いだったが、そんなことは今はどうでもよろしい。


 朱に交われば赤くなる――。そう、短い時間でも天条さんといっしょにいれば、本物の「清楚女子」がどのようなものなのか、その空気を理解できるのではないかと私は思ったのだ。


 学園から山へと向かう道中、私は天条さんのグループの最後尾を歩きながら、天条さんを観察する。


「どういう風の吹き回し?」


 そんな私の背後から急に声がかかって、肩が跳ねた。


「悪い。そんなにびびると思わなくて……」


 振り返れば、そこには陸也がいた。


「え、なに?」

「いや、だからさー、急に天条さんのグループに入って、どういう風の吹き回し? って」

「『おしとやかなお嬢様になる』って言ったじゃん。あっ、『おしとやかなお嬢様』って男子とこんな風に話したりしない……?!」

「ずいぶん時代錯誤なお嬢様だな……」


 陸也が呆れた顔をする。


 そうこうしているあいだにフェンスで囲まれた山の出入り口に到着し、陸也は「じゃ、それに飽きたらまた漫画の話しようぜ」と言って自分のグループに戻って行った。


 どうやら陸也は私の「清楚女子宣言」を真面目に受け取っていないらしい。それだけ普段の私が「清楚女子」からほど遠かったという話でもあるのだろう。


 ――くっ、目にもの見せてやるんだからな……!


 私は気合を入れ直し、天条さんたちのもとへと足早に向かった。



 *



 ――清楚ってなんだ。


 山へ入り、プリントを見つつ指定された薬草をグループごとに集める授業は、不人気授業の筆頭である。


 私はこういったちまちました作業は嫌いではないので、それほど敬遠しているわけではないのだが、根を傷つけないように丁寧に土を掘る作業などをしていると、不意に虚無の時間が訪れることはある。


 ――清楚ってなんだ。


 天条さんたちのグループはどこに出しても恥ずかしくないお嬢様の集まりであったので、薬草採集の手つきはおぼつかないが、そのせいか逆に手を抜こうとかいう空気感はなく、真面目だ。


 相変わらず天条さんのグループに急に飛び込んできた、あからさまな異物である私は空気同然の扱いを受けていたが、ゆえに作業の進みは良く、目標の薬草の半分くらいは私が採集したものになっていた。


 土を掘り返しながら、横目で天条さんたちを見る。


 ――清楚ってなんだ。


 あまりにも「清楚」がわからなさすぎて、私はなんだか冷静になってきた。


 そもそも、「清楚女子」になりたいからって急に天条さんにすり寄って行く行為ってどうなんだ。明らかに天条さんを利用しようという気持ち全開だなんて、人間として最悪じゃないか。


 勇気を振り絞って天条さんのグループに飛び込んでみたものの、どうもそれは悪手だろうという考えに落ち着いてくる。


 申し訳なさから私は授業が終わるまで、天条さんのグループの空気に徹しようと心に決めた。


 そして授業が終わったら天条さんとは適切な距離を取り、彼女の迷惑にならない範囲で「清楚女子」を勉強させてもらおう。そうしよう。


「――七宝? どうしたの?」


 掘り返した薬草の数を数えていると、七宝がぴんと二尾を立てて山頂のほうへ視線を向けた。


 同時に、空気がよどみ、ざわめく。


 魔術師の卵と言えども、そんな変化がわからない者ばかりではなく、まばらに散っていた生徒たちに動揺が走る。


 そんなところへやにわに、猛スピードで藪をかき分けるような音が近づいてきたかと思うと、音の主はすぐに姿を晒した。


「キャーッ!」


 その悲鳴を上げたのがだれなのかまではわからなかった。


 闇を切り出したかのような肉体に、猫のような黄色く大きな目玉をひとつだけつけた、四つん這いの――悪妖。


 全長三メートルはあろうかという巨体の悪妖は、ぐるりと浮き足立つ生徒たちを見回し、いやらしく笑んだように見えた。


 悪妖はゆっくりと上半身を起こす……というか伸ばすようにして背をそらせ、黄色い目玉を天条さんたちのグループへ向けた。


「――ヒッ」


 だれかが引きつった声を漏らす。


 それとほとんど同時に、悪妖の闇のような黒い腕が鞭のようにしなり、天条さんに向かって振り下ろされた。


「七宝!」


 だがその腕が天条さんに届くことはなかった。


 私の指令により七宝が天条さんの前に飛び出して、簡易な結界を張ったために、悪妖の攻撃は弾かれる。


 だが応急処置的な結界だ。悪妖の一撃を一度、しのいだだけで結界は溶けるように消えてしまう。


 しかし、じゅうぶんな隙が生まれた。


 私は即座に身体強化の魔術を、利き腕である右腕に集中させる。


 そのまま、薬草採集のために渡された園芸バサミの切っ先を悪妖へと向け、全力で投擲した。


 硬い切っ先が柔らかい肉へと埋まる、なんとも言えない音が聞こえた。


 悪妖から悲鳴が上がる。さほど強くはない悪妖だったようで、それは断末魔の叫びだった。


 悪妖はそのまま黒い煙を噴き出しながら溶けて消えるようにいなくなり、刺さっていた園芸バサミは地面に落ちた。


 ことの成り行きを見守るしかなかったクラスメイトたちが、悪妖が消えたのを見て、一斉に近寄ってくる。


「――天条さん、大丈夫だった!?」


 みんながまず心配したのは、悪妖に狙われた天条さんだった。


 男子も女子も、天条さんの周囲へ輪になるようにして、口々に彼女を心配する言葉や、その無事を確認した。


 一方、私は七宝を呼び寄せてその体に傷がないか確認する。幸いにも、結界が破れた拍子にダメージを受けたりといったことはなく、七宝の毛並みはいつも通りふさふさだった。


 クラスメイトのみんなは、私をあえて無視していると言うよりは、本当に視界に入っていないようだった。見えているのは悪妖によって害されかけた天条さんだけらしい。


 ――くっ、私は心配してもらえない……ハッ、これは普段からの人徳の差?!


 ぼっちを貫く私に、人徳などというものほど縁遠い言葉はないだろう。


 普段クラスメイトとかかわってこなかったくせに、こういうときだけなにかしらのコミュニケーションを要求するのは面の皮が厚いと言うのだ。それは、私が目指す「清楚女子」からは遠い欲求である。


 ――ぐぬぬ、「清楚女子」への道は遠い……。


 私は思わずその場で座り込み、うつむいた。


「護法、怪我したのか!?」


 びっくりして、顔を上げる。


 すぐ目の前に陸也がいたので、二度びっくりした。


「へ?」

「どこが痛いんだ?」


 事態を呑み込めず、間抜けな声を出す私を置いて、陸也は私の体に視線を走らせる。


 その眉間にはかすかにしわが寄っていて、至極真剣であることが伝わってきた。


 私は陸也の誤解を解こうと、あわてて否定した。


「ぜ、ぜんぜん大丈夫……ぅっ!」


 陸也の誤解をとくために右手を左右に振ったが、肩にわずかな痛みが走り、言葉が詰まった。


「大丈夫じゃないだろ」

「だ、大丈夫。怪我って言うか……身体強化の魔術を使った反動だと思うから……」

「そういうの、大丈夫って言わねえから」


 陸也はため息をついて立ち上がった。そして私に向かって手のひらを差し出す。


「立ち上がれるか?」

「さっき強化したの、右腕だけだから大丈夫」

「だから大丈夫じゃないんだって……」

「いや! 本当に大丈夫なんだって――」


 ……と、強く主張した先から頭がくらくらとしてきた。


 この感覚には覚えがある。


 魔力の使い過ぎだ。


 悪妖を確実に仕留められるほどの強力な身体強化をしようと、一度に多量の魔力を消費したがゆえの、一時的な――昏睡。


 一人前の魔術師であればいざ知らず、私はまだひよっこどころか卵である。ゆえに魔術の消費に体が慣れていない。


 そういったことがぐるんぐるんと頭を回っているうちに、私は陸也に向かって倒れ込み……その意識はブラックアウトした。



 *



 ……カラスの鳴き声に目を覚ませば、保健室のベッドの上だった。そして時間は放課後。いつもは私の足元にいたりいなかったりする七宝は、(くだ)の中に帰っていた。


 養護教諭から保護者に迎えに来てもらわなくても大丈夫かと言われたが、私の意識はスッキリハッキリとしていたので断った。


 ただ、身体強化の魔術をかけ、全力で投擲を行った右腕は、早くも筋肉痛を訴え始めている。


 普段から戦闘の授業などで体を動かしてはいるものの、それ以外では特にスポーツなどをしていないぐーたらオタクなので、これは致し方ないことだろう。


 寝ていたせいでぼさぼさになった髪を手ぐしで直しつつ、スクールバッグを回収するために自教室へと向かう。


 鍵がかかっていたら職員室に取り行かなければならないので、面倒だなあと思いつつ廊下を進む。


 教室のスライドドアは両方とも閉まっていたので、期待を持たずに扉に手をかける。


 呆気なく、するするとスライドドアが開いた先。教室内にはスマートフォンをいじっている男子生徒がひとりだけ残っていた。


 扉が開いた音で気づいたのだろう。男子生徒――陸也は顔を上げて私を見ると、少しだけ眉を下げた。


「起きた?」

「起きてなかったら教室まで来れないんですけど……」

「そりゃそうだな。で、今から帰るのか?」

「そうだよ。他のひとたちはもうみんな帰ったみたいだし」


 私はそう言いつつ、古風な教室内をぐるりと見回す。


 陸也は少し眉を上げた。スマートフォンを机の上に置いて、改めて私に視線を向ける。


「護法のお陰で怪我人が出なかったのに」

「え? ああ、授業のときのこと……」

「そう。……俺は魔術師界隈の空気感とかまだよくわかってないけど、ちょっと薄情じゃね? って思った」


 私は根っからの魔術師で、家は代々悪妖を討つことを生業としてきた。けれども陸也はそうじゃない、一般家庭の出身だ。


 ゆえに、私の扱いには思うところがあるのだろう。


 陸也のそんな言葉に戸惑いつつも、私はくすぐったい喜びを覚えた。


「ありがとう。でも、ちょっと失敗したなって思ってる」

「……なんで?」

「だって、ぜんぜん『おしとやかなお嬢様』って感じじゃないじゃん」

「……お前、まだそんなこと言ってんの?」


 一転、陸也は呆れた目で私を見た。それからおまけとばかりに短いため息までつく。


「……俺は、ああいうときになんもできないで守られてる『おしとやかなお嬢様』より、お前のほうがカッケーと思う」

「え、あ、ありがとう。褒めてくれるのはうれしいけど……」

「けど?」


 私は言葉に詰まった。


 陸也に「カッケー」と言われるのは正直うれしいが、私が目指しているのは「おしとやかなお嬢様」で「清楚女子」なのだ。


 たしかに、守られるだけの存在というのは私の性には合わないし、そもそも魔術師を目指すのであれば戦えなければお話にならない。


 けれども、やはり――私は、陸也に好かれたい。恋愛的な意味で。


 そういった複雑な感情を抱えたまま目線を泳がせれば、不意にバチッと陸也と目が合った。


 しかし後ろめたさから、私はすぐに目を伏せる。


「あのさ」


 黙り込んでしまった私と陸也のあいだに、しばし居心地の悪い沈黙が落ちる。


 それを破ったのは陸也のほうからだった。


「……護法は、『おしとやかなお嬢様』がいいとか言うヤツが好きなの?」

「え!?」


 私は思わずうつむきがちになっていた顔を上げる。


 陸也はひどく真剣な面持ちでこちらを見ていて、図星を指された私は一度に顔が熱くなるのを感じた。


 私の引っくり返った声を聞けば、動揺しているのは明らかだろうに、陸也は畳みかけるように問いかけを投げてくる。


「だから、天条さんのグループにわざわざ近づいたのか?」


 しかも妙に的確だから、私はなにも言い返せず、思わず唇を軽く噛むようにして黙ってしまう。


「……なあ、聞いてもいい?」

「あ、えっと……」

「そいつってさ、どういう立場のヤツ? ――婚約者、とか?」

「へ? えっ。こ、婚約者?! 婚約者なんていないよ! なんで?!」

「いや……魔術師の家系だと今でも未成年のうちから婚約してるとか多いって聞いたから……」

「いません!!!」


 たしかに陸也の言う通り、古くからの魔術師の家系の娘なんて、子孫を遺してナンボみたいなクソみたいな風潮はある。


 しかし我が家は妖を使役する家系ということもあり、縁組には常に苦労しながらも、どうにかこうにか続いてきたという一族だ。


 当然、私には婚約者なんてものはいないし、縁談という文字の最初の一画すら見たことがない。


 それを一生懸命陸也に伝えれば、「ふーん」と説明甲斐のない返事をされた。


「それじゃ、消去法」

「ん?」

「なあ、護法。もしかして……昨日の放課後の話、聞いてた?」


 私は一瞬心臓が止まったかと思った。


 実際には止まっていないわけだが、ドッと心臓から大きな音がして、それから一拍置いて拍動が速まったのがわかった。


 めちゃくちゃ顔が熱いし、腋とかから変な汗をかいているような感じがする。


 「否定しろ!」と私の脳は命令を出すが、私の舌はもつれたようになって上手く言葉を紡げない。


 呆然と突っ立ったまま陸也を見ることしかできず、「終わった……」という気持ちになった。


 陸也は、なにも言わない私を前にして、なぜか口元を覆うように右の手のひらを当てた。


「……自惚れていい?」


 陸也の頬が、夕暮れの赤い日差しに負けないくらい、赤くなっていた。


 私はまた「へ?!」と間抜けに引っくり返った声を出した。


 そして陸也の顔の赤さに釣られるようにして、私は顔全体どころか両の耳まで熱くなった。


「『乙女心がどう』とか言ってたじゃん? それって、俺が相手ってことでいい?」

「そ、そん……よ、よく私の言ったこと覚えてるね……?」

「当たり前じゃん。護法のこと好きだから、自然と覚えてるんだよ」

「すーッ!!!???」

「あはは、なにその反応」


 自分でもよくわからない返事をすれば、陸也は吹き出した。


 けれどもその頬はやっぱり赤いままだ。


「じゃ、ちょ、ちょっと待って! だって志藤(しどう)くんは『清楚女子』が好きなんでしょ?!」

「えーなんだっけ、俺、昨日『おしとやかな子』がいいって言ったんだっけ?」

「私の言ったことは覚えてるくせに、自分の発言は覚えてないの?!」

「だって、嘘だし」

「う」

「口からでまかせ。っていうか照れ隠し。それくらいわかれよ」

「無茶言うな!!!」


 私はほとんど叫ぶように言ったので、そのあとは肩を上下させ荒い呼吸をすることになった。


 そんな私を見る陸也の目は、いつになく意地悪く見えた。


「俺が『清楚女子が好み』とか言ったから、清楚女子になろうとしてたの?」

「うぐぐ……」

「でも俺たち両思いみたいだし。俺の好みは清楚女子じゃなくて護法だし。はい、じゃあ清楚女子チャレンジは終わりということで」

「ぐぐぐぐぐぐぐ……! ぐうーッ!!!」


 うれしい。けど、なんかまだ納得が行かない。


 そんな気持ちでうなっていれば、陸也がイスから立ち上がり、私の席に引っかけてあったスクールバッグを持ってくる。


「帰ろ。護法が『おしとやかなお嬢様』じゃなくても俺は好きだし、また漫画の話とかしたいし」

「う、ううううう」

「野生から戻ってきてー」

「やだ。恥ずかしすぎる……」

「恥ずかしがってる姿も可愛いなって思ってる」

「ううーッ!!!」


 私がまたうなり始めると、陸也は「あ、また戻った」となぜかうれしそうに言う。


 その余裕ぶりがなんだか悔しくて、ちょっと噛みついてやりたくなったが、混乱している私に的確な一撃などお見舞いできるはずもなく……。


「う、うう、う……じゃ、じゃあ今度好きなタイプについて聞かれたら、志藤くんは私の名前出してね!!!」

「普通に付き合ってるって言うよ」

「え?」

「え? 付き合ってくれないの?」

「……え、えーっと、私でよければ……」

「うん、護法じゃないとだめだからよろしくお願いします。あと下の名前で呼んでいい? 俺もそう呼んで欲しいし」

「あ、は、はい……」

「ありがと。これからよろしくな、八重(やえ)


 目まぐるしく展開が変わり、目を回す私を、やはり陸也はどこか悪戯っぽくも、気のせいでなければ多幸感に満ちた目で見やっているのだった。



 ……両思いになった帰り道。漫画の話から当然『あやリロ』の話になり、推しのキトラスが生死不明になるというショッキングな展開を思い出して落ち込む私を前に、陸也が若干あわてるといったやり取りはあった。


 だが二週間後、キトラスが生きていることが確定し、私は狂喜乱舞することになる。その際の陸也は、私の喜びっぷりにやや気圧されつつも、「仕方ないなあ」という顔をしていた。

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