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戻る空気と、地下深く


  *


 ──あれから幾らも掛からずに結界は壊れ、街は再び元通りとなった。結界内に居た『組織』の構成員も一般人も無事で、被害は最小限に抑えられた。


 そして結界内で一般人の振りをしていた何人かの『結社』の者も捕らえられたが、彼らは結界を起動させる役割のみを負っていたようだ。情報を得る為に尋問も行われたが、彼らは計画の全容については一切知らされていなかったらしく、大した成果を得る事は適わなかった。


 それら結社の構成員については、二度と結社に関わらないよう術式を埋め込む事を条件に、直ぐに解放される事となった。彼ら自身も捨て駒である事を理解しているらしく、さしたる抵抗も無く条件を受け入れ、表の世界へと帰っていった。


 ──結局、気を失ったままの『片脚の女』サカキ・サトコのみが、厳重に隔離される次第となったのだ。


  *


「で、ドーラちゃんの容態はどんななの?」


 医療フロアの休憩所でナユタが甘いカフェオレを啜りながら問うた。テーブルを挟んだ向かいには、気怠そうにソファーに背を預けたカラハが紫煙を吐いている。


「本人の意識もあるし、何より前回より回復が早いらしい。怪我が下腹部に集中してたおかげで、内臓の損傷も思ったより少なかったみてェでな。……まあ、小っこい先生にはまた凄っげェ怒られたけど」


「ああ、やっぱ怒られるのは怒られたんだ?」


「とは言えドーラ自身が強く弁護してくれたおかげで、前回程じゃなかったけどな」


 言いながらがりがりと頭を掻くカラハの様子に、ナユタはくすくすと笑いを漏らした。


「まあ不可抗力だしね。ドーラちゃん以外には殆ど負傷者も出なかったんでしょ? 結局二人であやかしも術者も倒しちゃったんだから、お手柄と言うか……大きな計画を未然に防いだとんでもない功労者だものね。流石にクレル先生と言えど、そう強くも怒れないよ」


 苦笑を零しながらカフェオレを飲むナユタに、違ェよ、とカラハはニヤリと笑いながら煙草を揉み消した。


「え、違うって、何が?」


 カラハの言葉に首を傾げるナユタの前に、不意に黒い毛玉が現れる。なーお、とそれは鳴きながらぺろりとナユタの手の甲を舐めた。わわ、と驚くナユタの様子に、カラハは次の煙草を咥えながらはははと笑う。


「二人じゃねェよ、カゲトラも一緒だ!」


 カラハの言葉を肯定するように、なおなお、と鳴きながらカゲトラがナユタの膝に飛び乗った。撫でろと言わんばかりにぐりぐりと頭を押し付けてくるカゲトラを抱き上げ、ナユタは目を細めてその毛並みをもっふもっふと思い切り撫でまわす。


「そっか、そうだよね。忘れててゴメンねカゲトラ、カゲトラも頑張ってよねえ」


 撫でられてゴロゴロと喉を鳴らすカゲトラの満足げな様子に、堪えきれずにカラハが噴き出す。つられてナユタも笑い出し、そして二人は声を上げて笑い転げた。見かねた医療スタッフに「静かに!」と注意を受けるまで、二人は腹筋が攣る程に笑い続けたのだった。


  *


 『組織』西支局本部の地下最下層、その最も奥深い場所。分厚い金属と強力な術式で作られた厳重な扉を幾つも潜った先に、そのフロアは存在した。


「──様子はどうだい、順調かな?」


 『第十四実験室』とプレートの掲げられた扉を開けて入って来た男に、室内にいた幾人かが軽く会釈をする。


「情報部長、お疲れ様です。ええ、今のところは滞り無く」


「成る程、それは良い事だ」


 情報部長と呼ばれた細面で痩せぎすの男が、口角を吊り上げ目を細める。カツカツと革靴の音を響かせ歩きながら、スーツをきっちりと着込んだその男はぐるりと部屋を見渡した。


 白いライトで照らされた無機質な部屋だった。左右の壁には幾つもの機械やモニターが設置され、白衣を着た人員がせわしなく映し出された数値をチェックし、或いはキーボードを操作している。機械から伸びたケーブルやチューブは全て、中央に据えられたベッドで眠る人物へと伸びていた。


 ベッドに横たわるのは全裸の女だ。片脚と片腕を失っている、全身傷だらけの女。それはこの度の事件を引き起こした実行犯である、『結社』の構成員、サカキ・サトコという術士だった。


 サカキ・サトコは術式で意識を奪われた上、身体はベルトで拘束されベッドの金具に固定されていた。また口許は酸素マスクで覆われ、全身にはケーブルやチューブが繋がれており、それらは壁の機械と接続されている。


 そしてその頭部に取り付けられているのは、──奇妙な形状の機器だ。


「……これが例のシステムかい」


 ケーブル類を踏まないよう慎重な足取りでベッドに近寄り、情報部長が呟きを漏らす。吊り気味の目がますます細められ、鋭い眼光がその装置を舐め回すように観察した。


 それは一見、細いコードが無造作に絡まったヘッドギアのように見えた。しかしじっくりと細部に目を凝らすほどに、それがおぞましい装置である事が理解出来る代物だ。


 絡まり合ったコード状の蔓は女の頭部を覆うように伸び、頭皮に直接根を下ろし、脈動するように薄く明滅を繰り返している。耳は更にびっしりと蔓で覆われ、穴から内部に蔓が侵入しているであろう事は想像に難くない。そして虚となっていた左の眼窩は、他と比べ物にならない量の蔓がひしめき隙間無くその穴を埋め尽くしていた。


 その側面から蔓を生やしているように見えるヘッドギアは、蔓の明滅に合わせて小さく駆動音を立てている。ヘッドギアの左の耳当てに設けられた接続部からは、複数あるケーブルの一本が一台のラップトップパソコンへと繋がっているのが見て取れた。


「──君が開発部の?」


 ヘッドギアとケーブルで繋がっているパソコンが置かれているのは、ベッドの直ぐ傍に据えられた小さく簡素なテーブルセットだった。そこに座りパソコンを弄るのは、まだ少年っぽさの残る顔立ちの小柄な青年だ。その横に立ち、開発部長は少し背をこごめ青年に声を書ける。


 迷彩柄の作業着とツバの長いワークキャップを身に着けた青年は、ゴーグル型の眼鏡に覆われた目をちらりと向けると、軽く頭を下げてぼそりと口を開いた。


「ちっス。開発部のムコウダ・ムサシマルっス」


「君が噂の新人君か。話は聞いているよ、デジタルと術式の融合に於いて君の右に出る者はいないとね」


「……買い被り過ぎっス。師匠の指導が良かっただけの話っスよ」


 ムサシマルはモニターを注視したまま表情を変える事無く、キーボード上の指を動かし続ける。情報部長はその態度を気にも留めず、穏やかに話を続けた。


「そう言えば、君の師匠は開発副部長のアラタ・ナユタ君だったか。ああ、彼も銃器と術式の融合とか、そういう新しい分野に長けていたね。……で、このシステムはアラタ君が?」


「実際に形にしたのは自分を含めたデジタル系の技術屋っスけど、元々のアイデアは師匠のっス。何でも学生時代に遭遇した敵で、人間に『種』を植えて操ったり一部の行動を制限したり洗脳したりって事をしてた奴がいたらしくて、そっからヒントを得たって言ってたっス」


「ほう。ではこれは、相手を操ったり洗脳したりするシステムなのかい?」


 情報部長の問いに、モニターの蒼白い光に照らされた顔が僅かにかぶりを振った。


「これは直接相手の脳をハッキングして、記憶を覗いたり書き換えたり出来るモノっス。植えられた蔦が物理的に読み取った脳のパルスを、装置でデジタルに変換して扱えるようにした代物っスね。勿論、逆にこちらから送ったデータで脳を上書きする事も可能っス」


 何でも無い事のように淡々と答えるムサシマルの様子に、情報部長は絶句した。──つまりは、ハッキングしたパソコンを操るかのように、他人の脳を弄る事の出来るシステムという訳だ。理解したその内容の非道さに、思わず息を飲む。


「人一人の記憶は膨大なんで解析に時間が掛かるし、どうしても混じってくるノイズを人の手で処理しなけりゃいけないから手間は掛かるっスけど、近い内にそっちにまとまった情報を渡せると思うんで……。とまあ、そんな感じっスかね」


 開発部長は女とパソコンを繋ぐケーブルを凝視し、ただ立ち尽くす。確かに情報部も厳しい尋問や時には拷問などの非道な手段を用いて情報を得て来た事実はあるものの、──これは何かが違う。無慈悲に、容赦無く、有無を言わせず、ただ淡々と、ヒトの全てを曝く行為。それは人格の、存在そのものの冒涜にも等しく──。


 そして沈黙が落ちる白々とした部屋の中、機械の駆動音とキーボードの鳴る音だけが、ただ静かに空間を満たすのだった。


  *




少し更新に時間が開いてしまいました、すみません。

後日談というか後片付けというか、そういうお話です。


前半は少しほっとして空気が緩む二人の話。

そして後半は、組織の闇の部分が垣間見えます。

登場した開発部の新人、ムコウダ・ムサシマル君はナユタの弟子にして、デジタルと術式を融合させる技術に優れたエンジニアです。

彼は他作品『摩天楼に舞うノスフェラトゥ』に登場しております。

ノスフェラトゥはこの作品の数年後の話で、彼はナユタのいとこと共にデスゲームに巻き込まれます。宜しければそちらも是非、読んでみて下さい。


それでは次回も乞うご期待、なのです!



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