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膨らむ腹と、蠢く胎


  *


 光の差し込まぬ地下の殺風景な部屋、そのコンクリートが剥き出しの四角い箱じみた空間。その中央で、女は四肢を投げ出して荒い息を吐いていた。


 低い天井から吊された薄ぼんやりとした申し訳程度の証明に照らされ、無機質な灰色の中にてらてらと濡れた白い肌が妖しく浮かぶ。


「──っ、はぁっ、くぅ、……は、ふ──」


 大量の脂汗が肌を流れ落ち、コンクリートの床に濃い灰色の染みがじわりじわり広がる。べっとりと濡れた長い髪が無造作に乱れ、汗で出来た濃淡と共に不可思議な文様めいた模様が描かれてゆく。


 痛々しい色を持つ苦悶の吐息は虚空に響き、それでも労りの言葉など返してくれる者など此処には存在しなかった。唯一この部屋で外界との繋がりを示唆している扉は少しも揺らぐ事は無く、その鋼鉄の鈍い色彩と相まって、壁と同じ程の意味しか持ち合わせてはいないのだ。


 そう、打ち捨てられた孤独を享受し、女はひたすらにそれに耐えていた。


 しかしながらそのような状況にも関わらず、女の頬は紅潮し、瞳には妖しい輝きが灯っている。それすらも、快楽であるかの如く。


 その証拠に女の呻きには、微かだが確かに──艶めいた甘美な響きが含まれ始めていた。


「は、……くぁ、ん、あぁあ──はあ、はあ、ぐぁあ──あ、あ、あぁああ」


 痛みを恍惚に替えながらゆるりのたうつその女の白い肌には幾つもの傷が浮き、片脚は腿から欠損している。そう、この部屋に打ち捨てられている存在は、あの例の片脚の女だ。


 しかし今、その痛々しいとも取れる姿にはさほどのインパクトを与える力は無い。何故ならば、それよりもより強烈な印象を見た者に打ち込むであろう変化が、女の身に今まさに起こっている所為だ。


 ……ぼこり、ぼこり。


 巨大な腹の膨らみが泡立つが如く不定形に歪み、異様な音を伴って体内を、内臓を圧迫する。


 ──そう、女の腹は膨らんでいた。およそ臨月の妊婦などをとうに超えたその大きさはもはや化け物じみており、複数の生き物が蠢くようにうねる表面の動きは、その異様な光景を更に加速させている。


 それと同時に、ごぼり、ごぼりと、股の間からは泡立ち白く濁った液体が、腹の動きに押されて流れ出し続けている。蠢きの緩急に合わせ、無意識の痙攣が身体を跳ねさせ、ぐちゃぐちゃの顔からは悲鳴と涎と、逆流し続けている胃液が飛び散った。


「ひ、ぁあああ──く、ひ、ひああ……ああぁわたしの、わたしの、──」


 焦点の合わない視線の先が宙を彷徨い、うわごとの如き言葉は薄闇に溶けて誰にも届かない。


 ぼこ、ぼこり、ぐぼ、ぼこり。


 その瞬間も、膨らんだ腹の表面は大きく小さく波打ち、静まる事無く動き続ける。せわしない蠢きは心なしか先程と比べて大きく、強さを増しているように見えた。


 非現実的な光景が永遠に続くかと思われた──そんな中、女に、或いは女の腹に、確かな変化が現れ始める。


 まるで多数の生き物が胎内で蠢いているかのようだった激しい動きが、少しずつ緩まっていくのだ。ぼこぼこと瘤が現れ波打っていた腹の表面の様子は次第と穏やかになり、それと比例して異様だった膨らみの大きさも、通常の妊婦ほどの範囲にみるみる縮まっていく。


 いつの間にか、股奥から噴き出る液体の色は、泡立つ白濁から月経めいた濁った血の色へと変化している。いや、本当に血液なのかも知れない。その証拠にどろどろと流れ続ける液体は粘り気を帯び、肉片らしきぐちゃりとした何かすらも一緒に溢れさせていたからだ。


 だがそれとは関係無く、女の呼吸は徐々に冷静で穏やかなものに落ち着いていく。時折動く肉割れだらけの腹の表面を愛おしそうに撫でながら、女はうっとりと涙で濡れるがまま微笑んでいた。


「ふう、……ああ、はあ、……ふう、──ふふ、ん、……は、ふふ……」


 その顔は安らかな聖母めいて。……先程まで異様な動きをしていた腹の中におよそまともな胎児が居るとは思えないものの、しかし女は陣痛を待ち焦がれる妊婦の如く、慈愛に満ちた表情をその面に貼り付かせていた。


 と同時に未だにごぼごぼと音を立て続ける股からは、血と共に腐れた異臭を放つ肉の塊や骨らしきものの欠片が押し出されており、それらが内を刺激する旅、女は甘い吐息を漏らす。


 聖と邪。その崇高と淫蕩の入り乱れた、矛盾する雰囲気──それこそが正に、女の複雑な性質を如実に表していると言えるのではないだろうか。


 鼓動すら密やかに。不気味な、凄絶な沈黙が、部屋に満ちていた。


  *


 ──突如、薄闇を絶叫が裂いた。


「いぎゃあぁあああ!? いだいっ、いだいぃいあああっ、あっあっあがあぁがあああぁあ!?」


 何が起こったのかも解らないままに、女の喉を獣じみた咆哮が押し開いた。


 幾ばくかの安息を堪能していた身体は突然の苦痛に引き攣り、強い痙攣が女の全身を震わせる。藻掻き踊る手足がびちゃりびちゃりとコンクリートに滴る汚水溜まりを跳ねさせ、どす黒い模様を床一面に広げていった。


 それは陣痛と呼ぶには余りにも鋭く激しい痛みだった。子宮が収縮し切迫感に筋肉が強張る通常の胎が絞られるようなそれとは明らかに異なる、しかしながら胎内の異物を排出する為の苦痛という意味では確かに陣痛と呼べなくもない、──まるで内側から子宮を引き千切り腹を裂き破ろうとしているかのような、そんな、痛み。


 血を吐く如きの絶叫を流し続ける女の、ともすれば少したるんでいた腹の皮は再びはち切れんばかりに伸ばされ、静脈と肉割れを一面に走らせている。内側からは何かが胎全体を押し広げ、何処かに出口は無いかと探る様子まで見て取れた。


「あぎゃあああ、だずげ、だれが、だずげ、あががあああ! いぎゃあああ、いだい、いだあああ、おごおおおおぉおっ!」


 濁音の多い汚い悲鳴に混じり、ぶつり、というその音が、確かに、聞こえた。


  *




お読み頂きありがとうございます!

本日は午後と夜の二話更新。今話はその更新一話目です。

例の片脚の女の腹から何が産まれるのか、お楽しみに、です。

それでは次回も乞うご期待、なのです!



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