相棒潰しと、平手打ち
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「──この、『相棒潰し』が……っ!」
憎悪と軽蔑の入り交じった罵倒が、吐き捨てるように投げ付けられ激しくカラハの鼓膜を打った。
無意識に握り締めた拳は強く固く震え、白んだ指の間に爪の食い込んだ傷から流れる血が鮮やかに滲む。その白い部屋の中で、カラハは罵倒されるがままにただ立ち尽くしていた。
何も言えずに拳を握るカラハの視線を真正面から受け止め、小柄な白衣の男──クレル医務室長は数十センチの身長差を物ともせず、下から真っ直ぐにカラハを睨み付ける。
「大体、あの娘が出向してから何日も経っちゃあいない。最短記録だな? えぇ?」
必死で繕おうとする表情が歪んでゆくのがカラハ自身にも判る、それ程までにクレルの言葉には強烈な毒が含まれていた。
──『相棒潰し』。
カラハは自分が影でそう呼ばれている事には薄々勘付いていた。知ってはいたものの、こうやって直接面と向かってその不名誉な異名で呼ばれる事は、流石に初めてだった。しかもこれは不本意ながらも事実に基付いた呼称だけに、強く否定も出来ないでいる。
自分にも身に覚えがある、それだけに──ただ奥歯を強く噛み締めるしか術が無かった。ギリ、ギリ、とつられて牙が鳴る。
「言葉も無いか。当然だ、反論なんて出来る立場じゃあないよな。これで何人目だ? 此処を出る前からきっちり数え上げてやろうか、えぇ? それとも何か、死人と死に損ないでハーレムでも作ろうってのか」
クレルの外見は男児のように幼く、しかし小妖精族の血を引く彼の年齢は優に百を超えると言われている。その子供じみたあどけなさを持つクレルの顔が、およそ似つかわしくない憎悪の表情に、隠そうとする気の無い嫌悪に左右非対称に歪む。
剥き出しの嫌忌から来る洪水の如き罵声に、しかしカラハは思い当たる節があり、後ろめたさに軽く目を伏せて呟いた。
「その、……クラムの、先生の妹の事は、俺も悪かったと思──」
パァン、と響いた軽い音が、カラハの言葉を途中で遮った。
音と同時に弾けるような衝撃が顔に走る。次いで、ジン、と頬を焦がす焼くような痛み。
クレルに平手打ちを食らわされたのだと気付いたのは、更に一泊置いてからだ。彼が飛び付くようにカラハの胸倉を引っ掴み頬を張ったのだと、カラハにぶら下がったままの彼の朱い眼が見えた瞬間に、ようやく悟った。
「……お前がっ、その名を呼ぶな……っ」
搾り出すような声には怨嗟の色が滲み出る。それはこれまでの毒じみた罵倒とは比べ物にならない程の、重みと圧を帯びている。胸元を掴む手から伝わる震えも、更にそれを裏付けていた。
「妹を、クラムを……お前が、あんな風にしたんだろうが……っ! クラムから全てを、幸せを、未来を、全部、全部! ……お前が……っ」
それは自らの内をも焦がすような憤怒、自分ごと相手をも焼き尽くす激情の業火。──燃え上がらんばかりに爛々と輝くクレルの瞳に射すくめられ、はっとカラハは己れの失言を悟る。
激しすぎる怒りの余り言葉を詰まらせたクレルと、何も言葉が見付からず奥歯を噛むカラハの間で、沈黙だけが張り詰めた。
──そんな中で不意に、静かな声がピリピリとした空気を削ぐ。
「……やめませんか、二人共。今はそんな場合じゃないでしょ」
ようやく何かを発しようと口を開きかけたカラハの心を読んだかのように、クレルとの間に誰かが言葉を割り込ませる。
──少し疲れたその声色にカラハが振り向くと、浅葱袴の男が立っていた。学生時代からの親友であり組織の西支局の開発副部長を務めるナユタだ。ナユタは眼鏡越しにその灰色を帯びた瞳で哀しげにクレルを見詰め、そっと言葉を零す。
「気持ちは分かりますけどね。でもカラハに八つ当たりしたところで、どうにかなる物でもないでしょうに」
溜息をつきながら微かに草履を鳴らしさかさかと歩み寄ったナユタが、カラハの胸倉にぶら下がったままのクレルを抱え下ろした。ばつが悪そうに眼を逸らすクレルの態度に、カラハも顔を背けながら胸元の乱れを整えた。
反論しなかったところを見るに、八つ当たりという自覚はあったようだ。ただ、カラハがあのまま口を開いていたらどうなったか、──恐らくただでは済まなかっただろう。
一時期カラハのパートナーだったクレルの妹クラムが今も目覚めず眠り続けているのは、確かに守り切れなかったカラハにも責任があるのだから。
「……悪かったな、つい」
「いや、こっちこそ……すんませんッした」
お互い目を合わせないままのぎこちない遣り取りに、ナユタは再び諦め混じりの溜息を漏らした。
「さ、話はこれぐらいで。……医務室長、ぼちぼち時間ですよ。副支局長から集合掛かってるの、そろそろ行かないと」
ああ、そうだっけか、とぼやくクレルの背を押しつつ、ナユタはカラハを振り返る。手持ち無沙汰に平手の痕など確かめているカラハに、穏やかに声を書けた。
「そういう事で、カラハ。小一時間ぐらいかな、ここ留守にするけれど頼めるかな? ドーラちゃんのこと看てて欲しいんだ。何かあったら遠慮無く内線くれていいから」
「──ああ、了解した」
開発副部長の顔で喋るナユタの言葉に、ようやく落ち着きを取り戻したカラハは、了承の意を示しながら彼の瞳を見遣る。ナユタもカラハに視線を合わせると、安心したように淡い笑顔で小さく頷いた。
「じゃ、行ってくるから」
ナユタに急かされて部屋を出る直前、閉まる扉の隙間からもう一度だけこちらを振り返るクレルの瞳が、カラハを刺した。
それはまだ収まりきらない怒りを内に秘め、熱の冷めない炭の如く──昏くも強い力で燻り続けている。
カラハはそれに気付かない降りをして、そっと、眼を逸らした。
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お読み頂きありがとうございます。
カラハの過去、組織を出た理由が垣間見える感じで。
クレル先生とカラハは昔はそんなに仲悪くはなかったのですが、まあ、色々あった様子です。いずれこの辺の事情も詳しく書く機会もあるかも知れません。
そんな訳で、次回はもっと前のカラハの過去話。
次回も乞うご期待、なのです!
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