【1-42】前線都市ファルエル 上空 / 決戦・野望の傀儡竜
ラウルが接近してくると、彼が妙な姿をしていることが明らかになった。
まずシャラと、ドワーフなので夜目が利くムジェダが気付く。
「なんだ、あの格好は……」
魔力灯のサーチライトが向けられて、街壁上の兵たちもざわめいた。
ラウルは千切れたドラゴンの腕と足をスカートのように腰回りに巻き付け、ドラゴンの生首を二つ背中にぶら下げていた。
何かマントのようにたなびくものがあると思えば、それは皮膜の翼をもぎ取って穴を開け、鎖で連ねたものだ。
――インドとかにああいう神様居なかったっけ……?
その異様な有様にはシャラも圧倒された。
「触媒だ。仲間を殺してまるごと触媒にしやがったんだ」
ムジェダは吐き捨てるように呟いた。
ラウルと行動を共にしていた三頭のドラゴンは、おそらくラウルに殺されたのだろう。
そして、かさばる胴体はその場でラウルに食われて糧となり、残りの部位は魔力のストックとして持ってこられた……
地から空から無数の魔物が迫る中、まずラウルが開戦の狼煙とばかりに渾身のブレスを吐いた。
「うわっ!」
視界を埋め尽くす圧倒的な光の暴力にシャラは思わず身をすくめるが、そのブレスは外壁に触れることすら無く防がれる。
宙に光の壁が展開され、ブレスを遮ったのだ。
一端ラウルはブレスを止めて、街壁を睨み付ける。
その全身が闇より黒い燐光を放ったような気がした。
――あれが、来る……!
見えざる黒の波動がラウルから発せられて辺りを薙ぎ払った。
彼がガイレイから受け継いだという『魔封じ』の力だ。
術師が行動不能にされれば、それだけで大きく戦力を削がれる。たとえ防衛設備や物理攻撃担当者が健在でも効果的な反撃などできなくなる。
はずだが、シャラの手に入れた切り札がある。
――まずは魔法抜きで耐える作戦……!
とにかく、こっちが『魔封じ』を無効化できてることは悟らせずに戦って、ブレスの射程に入ってきたところで仕留める!
シャラはせいぜい悔しげな顔で夜空を睨んでやった。
ラウルがまずこちらの魔法を封じると、お供の魔物たちが天から地から一斉に迫ってくる。
変異体はほぼ居ない。ラウルが集められたのは普通の魔物ばかりであるようだが、個としては変異体に及ばずとも数が揃えば脅威となる。
地より迫るのはまず体長7メートルはある巨大な猪・凶乱猪。
まるで戦象のように防具を纏っていて、その巨体と突進力は恐ろしい。途中までは馬車ならぬ猪車で味方を引っ張ってきたようだが、矢の射程圏外でそれを切り離すと、防具にくっついた衝角を突き出し、後はまっすぐ街壁に突っ込んできた。
街壁がずんと揺れ、削れてヘコミができる。二度も崩されて応急処置したばかりの箇所を正確に狙われていた。数頭のクルーエルボアは訓練された動きで転回し、次の突進のために距離を取る。
続いてやってきたのは身長5メートルほどの一つ目の巨人、サイクロプスの兵たちだ。砦のような鎧を着て、人には決して持てない巨大な棍棒と盾を持った彼らが地を踏みしめて歩を進める。
壁上からは矢と、防衛兵器の魔法弾が雨あられと浴びせられるが、サイクロプスがそれに耐えているうちに空からの攻撃が始まった。
ヴィゾフニルや殺人鷹、碧眼鴉など鳥の魔物がイナゴの群れのような編隊飛行で突っ込んで来る。
鳥の魔物は鳥目であり、本来は夜間戦闘に向かないのだが、魔力の輝きが鳥たちの目にはあった。何らかの魔法的手段で夜間視力を確保しているのだ。
特に大きな魔物の背中には籠が結わえ付けてあって、そこには子ども程度の大きさをした醜い人型の魔物が……軽量で運びやすいゴブリンたちが搭乗していた。
「鳥が来るぞ! 撃ち落とせ!」
「下からも上がってくるぞ!」
鍵縄のようなものが街壁に引っかけられ、梯子が掛けられる。
ゴブリンやオークなど、人型の魔物たちが下からもよじ登ろうとしているのだ。
「仕方ない、障壁を再展開しろ!」
ムジェダの指示で光の壁が再び浮かび上がる。
物理的な遮断効果もある障壁を前に、鳥の群れは急旋回し、失敗した何羽かが悲鳴を上げて障壁に張り付いた。
相手が一端退いたところで障壁は消え、矢の嵐が浴びせられて数羽が射落とされる。
そこへラウルが再びブレスを放った。
膨大な熱量と圧力が押し寄せる。
間一髪、障壁が張られてブレスを遮った。辺りはブレスによって昼閒のように明るく照らされた。
良い感じに敵の攻撃を防げているようにも見えるが、実は話はそう簡単ではない。
――今、この街は魔力の循環ができてない。防衛兵器は手元にある触媒が尽きたら沈黙する……
やっぱり向こうは、シールドを張らせて一点集中攻撃でこっちの魔力を枯らす気だ。
事前に聞いた分析では、魔力の削り合いの我慢比べみたいな戦いになれば勝てるかどうかわからないとのこと。
そもそも、ドラゴンのブレスなんぞを魔法のバリアで防ぐのであれば、万一にも破られてはいけないのだから最大出力で展開することになる。魔力の消費は激しい。
ラウルがドラゴンの死体を魔力のストックとしてあれだけ持ってきている以上、厳しい戦いになるだろう。『封竜楔』による魔力消費がどの程度ラウルに効くか次第だ。
よじ登ってくる魔物は、矢と防衛兵器の射撃によってどうにか押し返している。仮に一部が壁の上に登ってきても即座に斬り伏せられる。
だが、魔法の援護が無い以上、戦士が壁の下に飛び込んでいって魔物を薙ぎ払って戻って来るというのは難しい。壁は『土木作業要員』に殴られっぱなしで、やがて穴が空くか崩される。
壁の中では今この瞬間も、障壁を稼働させるための人工触媒が機関に突っ込まれているところだろう。
ガイレイの骸はもちろん、シャラたちが倒した変異体やラウルが一昨日の戦いで連れてきた魔物など、魔力資源それ自体は潤沢。だが、それを設備の燃料として焼べられる人工触媒にする加工の時間は足りなかった。魔力資源があっても、そこから魔力を抽出して定着させる材料だって足りない。
止まらない地上の攻撃、しつこい空中からの攻撃、そしてラウルのブレス。
断続的に張られる障壁、合間を縫う反撃の射撃。普段は剣を持っている者でさえ、弓を手にして魔物を狙う。
死者は双方少ないながら、神経にヤスリを掛けているような息詰まる膠着状態だった。
しかも、このままではこちらが負ける。
「耐えろ! 耐えろ! あと少し耐えろ!」
檄を飛ばすムジェダ。
ラウルは徐々に近づいてきていた。
より効果的にブレスを浴びせ、こちらの備蓄魔力を削るためだ。
射撃の攻撃力と有効射程を確認しつつ距離を詰めてきている。
――飛んでいけるならこっちから射程に収められるけど、魔法を使えるって事はギリギリまで悟らせちゃダメだから……!
シャラはラウルを見上げつつ慎重に間合いを計った。
接近してくれば効率的に攻撃できるのはこちらも同じ事。
後はラウルがどの程度回避してくるか。同じ量の魔力を使うなら、効果範囲と威力は背反だ。
ラウルがもう一度、僅かに高度を下げたときだった。
「やれ、シャラ!」
ムジェダの合図でシャラは触媒に呼びかけた。
ランドセルの中に詰め込んだ大量の人工触媒が励起され、むせ返るほどの力の奔流となってシャラに流れ込む。
「………………ァァァ…………」
シャラの下顎から喉にかけてが漆黒の鱗に覆われた。
熱いものが、喉の奥に。
「…………ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!!」
ラウルのブレスを遥かに超える、天地の全てを塗り替えるかのような破滅的光量のブレスがシャラの口からほとばしり出た。
鼓膜が破れそうな、音として感じることが困難なほどの圧力。
全てを塵芥と為すかの如き一閃が。驚愕に目を見開くラウルに迫り。
見えない壁にぶち当たって、破壊の余波を撒き散らしながら斜めに逸れた。
「やっ……てねえ!?」
その瞬間、ラウルの腕の辺りが輝くのをシャラは見た。
腕輪だ。ドラゴンの体格に合わせて作られた腕輪がラウルの腕に嵌まっていて、それが輝くのをシャラは見た。
おそらく防御用のマジックアイテム。ブレスに反応して装備者の魔力を吸い上げ障壁を展開するもの。
『シャラ、お前……っ! どうやった!? どうやって『魔封じ』の力を防いだァ!!』
『誰が答えるかよ、クソ兄貴!』
頭が割れんばかりの音量でラウルの思念が叩き付けられる。
――くそっ! そうだよ、ここで念のため俺のブレスにまで備えとくのがクソ兄貴だよ!
だけど、まだ想定内だ!
「魔法解禁! 対空戦闘準備!」
ムジェダが声を張り上げ、指示を飛ばす。
もはや『お守り』の存在を隠している必要は無い。
「司令官さん、所感は!?」
「ブレスに特化した防御壁だ。防ぐんじゃなく、角度を付けて逸らすことで必要な魔力を節約してる」
「至近距離でぶちこめば行けますか?」
「おそらく」
シャラは、使用済みの触媒が詰まったランドセルを脱ぎ落とし、背中から翼を展開した。
「シャラちゃん、代わりの鞄!」
「徹底してランドセルかよありがとうございます!」
マイアレイアがおピンクなランドセルを投げ渡す。
こっちは未使用の触媒がたっぷり詰まっていた。
背中に背負ってしまうと翼の邪魔になるので、シャラはこれをお腹側に背負う。
ラウルは想定外の事態に一端離脱して様子を見ようとしたようだ。
だが、もはや遅い。射程内だ。
「鋼の線……?」
夜空に向かって投じられた投網のように、宙を走って銀の糸らしきものが展開される。
ミスリルを編み上げた銀線だ。それは空中で編み上がり、ラウルを中心とした球状の編み籠を形成した。
「≪天雷界牢≫!」
編み籠が完成した直後。
その全てが眩いばかりの稲光を帯びた。
「なに……」
「さぁあこれでもう逃げられませんよぉ! フヒヒヒヒヒヒ!!」
ビン底眼鏡の女魔術師が空飛ぶ箒に腰掛けて、片手には銀線を巻き付けた糸の錘みたいなもの、もう片方の手には指の間に触媒の瓶を挟んで持っていた。
彼女の手繰る銀線は雷の結界となりラウルを閉じ込めている。
「小癪な! この程度の妨害……」
「破らせるかよ!」
編み籠に小さな穴が空き、それをすり抜けてシャラとヴァルターが飛び込んだ。
穴はまたすぐに閉じ、スパークを散らせる閉鎖空間内で、ラウルとシャラ&ヴァルターは対峙する。
ヴァルターの鉄靴には羽根を象ったアクセサリーらしきものが付けられていて、ヴァルターはその力によって宙に足を着いている。≪空歩≫の効果があるマジックアイテムだ。
ヴァルターが着ているのは先日も見た鎧だけれど、担いでいる武器が違う。
ただでさえ大きなヴァルターの身長にも迫ろうかという刃渡りの、無骨で巨大な片刃剣。
彼の私有する対竜特効武器だ。
「まさに鉄塊! ドラゴンころす剣はこうでなくっちゃ!」
「そ、そうか? とにかく行くぜ!」
空を蹴りつけ、ヴァルターは突撃する。
「羽虫の如き人間め、空はドラゴンのものだ! 墜ちよ!!」
「やってみろ、デカブツ!」
向かってくるヴァルター目がけ、ラウルはさっと手を払う。
放出された魔力が宙に収束し、立て続けに爆発を起こした。
しかしゼロコンマの世界で魔法攻撃を察知したヴァルターは真上に足を着いて真下に跳躍し、そこからジグザグに三次元的に疾走し大剣の一撃をラウルの腹に見舞う。
「遅え!」
「ぐっ……貴様……」
浅くだが、腹甲が裂かれて血が散った。
「相手は一人じゃねーぞ、クソ兄貴!」
羽ばたき旋回するシャラが擦れ違いざまラウルの頬を引っ掻く。
鱗の鏡面が削れた程度だが、ラウルがシャラの方を振り仰いだときには、シャラはブレスの準備に入っていた。
「…………ァァァ…………」
「させるか!」
射線上から身を躱しつつ、シャラを捕らえるべく手を伸ばすラウル。
だがシャラのブレスはただのフェイントだ。ほとんど魔力を込めていないカスブレスを吹きつつシャラは飛び離れ、そこへ入れ替わりに、宙返りからの下方跳躍をしつつヴァルターが斬り下ろす。
「ぐあっ……!」
「悪いな、隙だらけなもんでついやっちまった。羽虫に負けてちゃ世話ねーな、羽根トカゲが!」
ラウルの掌が縦一文字に裂け、指が一本ちぎれ飛んでいた。
「おのれぇ!」
「ブレスが来ます!」
ラウルが大きく息を吸った。口の奥に眩い閃光がちらつく。
ドラゴンには窮屈であろう雷の檻の中を飛びながら狙うは……ヴァルターと、≪天雷界牢≫を行使する女魔術師の二枚抜きだ。
二人を直線上に収める位置から、鎌首もたげて、長い首をしならせ、ラウルはブレスを打ち出す。
「≪断流風瀑≫!」
ほぼ同時。
街壁上から防衛兵団の術師が風の魔法を使い、渦巻く風の障壁を生みだした。
ヴァルターの目の前に。
先程ラウルがシャラのブレスを防いだのとだいたい同じように、閃光のブレスはヴァルターの前で斜めに逸らされた。
軌道を変えられたブレスは雷の結界をぶち抜いて、虚しく地面をえぐり取る。
「おっと、修復修復ぅ」
ビン底女史の手にした錘から銀線が迸り、編み籠に穴が空いてしまった部分はすぐに塞がれた。
ぶっちゃけた話、いかに強力な魔法でもドラゴンを完全に捕まえるのは荷が重い。だが、『無視できない』『破ろうと思えば隙ができる』程度で充分だ。
風の盾に隠れてブレスをしのいだヴァルターは、ブレスを放つラウルの一瞬の隙を見逃さなかった。
「っしゃあ! おらよっと!」
「がっ……」
アクロバットな三角飛びでヴァルターはラウルの右翼の皮膜を切り裂く。
飛行不能とまではいかないが、バランスを崩させるには充分だった。
ラウルは背中から編み籠に突っ込んだ。
「グオオオオオオッ!」
編み籠が大きくたわんだ。
ミスリルの銀線はラウルを絡め取って電撃を浴びせる。
鱗の焦げるようなニオイがして、肉体の再生と魔法への抵抗のためラウルは魔力を絞り出される。
「今だ、やっちまえ!」
「地形とか変わっちゃったらごめんね!?」
シャラはランドセルに入っている全ての触媒を励起した。
羽ばたき、宙を駆け、急降下してラウルに肉薄する。
より近く、細く、鋭く!
防御など何の役にも立たない強烈な攻撃を!
「…………ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!!」
その一撃は大地を揺るがせた。
シャラがラウル目がけて撃ち込んだブレスは分厚い胸甲に覆われた腹部を蒸発させた。
そのままシャラが顎を振り上げると、ラウルを貫通して人工運河のように長大な焼け焦げのミゾを大地に作りながら、ラウルの頭部を微塵に吹き飛ばした。




