【1-41】前線都市ファルエル 東街壁 歩廊 / 二度目の正直
抜けるように青い空を、何かに追い立てられるように千切れ雲が流れていた。
前線都市ファルエルは、分厚く高い壁に囲われている。
その高さは約25メートル。成竜となったドラゴンの身長がだいたい20メートルちょっとなので、それに合わせたものとなっていた。
魔力で動く防衛兵器が並び、せわしなく兵が行き来する街壁上でシャラは、強化外骨格みたいに分厚い鎧を着た筋肉ダルマのドワーフと会っていた。
「防衛兵団長のムジェダ・ガリンダルだ。
我らの城にようこそ、ドラゴン君」
「……冒険者ギルドの地下で俺の参戦を拒否った人ですね。
あんだけ作戦について語れるんだから、そういう立場の人だろうとは思ってましたが」
「耳が良いことだ」
「ではあらためて。……グエルガ・ズア・シャラと言います。よろしくお願いします」
金属のインゴットみたいな手をムジェダは差し出す。シャラの手とは大きさも硬さも違いすぎた。
「俺が雇った冒険者は防衛兵団に預けます。それと……」
シャラは漆黒の鱗を重ねた状態で取りだし、トランプの札を持つみたいに扇状に開いた。
フィーラに貰った『お守り』だ。
「『魔封じ』除けの『お守り』です。
一つは俺が。あと二つは、必要だと思う方に持たせてください」
「これはありがたい」
二枚をムジェダに手渡して、シャラは残り一枚を手の中に握り込む。
……ランドセルとか服のポケットに入れるよりも、自分の手で持っている方がよほど確実で失いにくいだろうから。
「しかし、『黒の群れ』の戦闘能力はほぼ把握していたはずだが……ガイレイがこんな力を持っているなら、何故今まで使わなかったのだろうか。
ガイレイは自ら戦いに出る竜王ではなかったが、奴がこんな芸当を持っているなら、もっと早くこの街を落とすこともできたと思うが」
「分かりません。俺どころか、群れの中のどんなドラゴンにも秘密にしてたと思いますし」
ムジェダは丸太のような首をかしげる。
シャラがファルエルのお偉いさん方と関わった感想としては、彼らは想像以上に『黒の群れ』について把握していたという印象だ。
だからこそ、ここにきて降って湧いた謎をムジェダは余計に不可解に思っている様子だった。
「……まあ、その話は今はいい。
現状、グィルズベイル山付近の観測拠点からは何も確認できていない。ラウルはあれきり山に戻っていないからな。だが、山から少し北に寄った辺りの地域で魔物共が奇妙な動きを見せている。
……おそらく、ラウルが群れに帰れぬまま兵を集めているのだろう。今夜には向かってくると思われる」
ムジェダが指差す、平原地帯の遙か向こう。青空に突き刺さるように天嶮のグィルズベイル山が見える。
シャラにはよく分からないが富士山よりは高くて大きいはずの山だ。『黒の群れ』はここ百年ほどグィルズベイル山周辺と、山の自然洞窟を拡張した広大な洞穴を本拠地としている。
先の襲撃はラウルの独断専行だ。そして、その独断をお咎め無しにするだけの戦果は上げられなかった。
群れへ戻ることはできないのだろう。勝つまでは。
「奴はこちらの防御が手薄なところを選んで一点突破を狙ってくるはずだ。
そのため相手が狙って来た場所を後出しで防御する。ドラゴンを止めつつ『変異体』の頭数を減らして、戦闘続行不能に追い込めば勝ち……と言いたいところだが」
ムジェダは髭に埋もれた口元を獰猛に歪めた。
「相手には『魔封じ』なんて反則技があるし、こちらも既に手負いだからな。街の被害を減らすため、少し冒険してみようと思う。
わざわざ出て来たのだから、相応の活躍を期待するぞ」
「はい。……あいつの好きにはさせません」
シャラを使うのは『賭け』と言うほどハイリスクではないが、堅実とは言い難いトリッキーな戦いという評価になるのだろう。
それでも、一撃で竜王すら仕留めるブレスは決まればハイリターンだ。
ラウルをぶち抜けば、それで戦いは終わる。それを為さなければならなかった。
* * *
ドラゴンを含めた大半の魔物は夜目が利く。
対して人族は、暗い坑道に適応したドワーフなどならともかく、大抵明かりが無ければ何もできない。
そのため夜は人族にとって不利な時間であり、ドラゴンによる襲撃は夜になることが多かった。
そのせいで夜間は警戒も厳重であり、夜が明けて防衛兵団の気が緩んだところを奇襲してきた竜王もどこかにいたわけだが、それはそれとして。
夜も更けた頃、グィルズベイル山に近い拠点から次々に赤い≪信号弾≫が打ち上がり、夜空を彩った。
街壁上に立つシャラの背中を、街中で打ち鳴らされる鐘の音が乱打する。
月明かりを受けたシルエットが夜天を切り裂き向かってくるのを、シャラの目は捉えていた。
追随して空を飛ぶ魔物たちも、そして、それを追うように地を駆ける魔物たちも。
『ラウル!!』
シャラは≪念話≫の魔法で呼びかける。
ニュアンス的には、呼びかけると言うよりも怒鳴りつける。
『迎えに来たぞ、シャラ』
『回復が早いな……何を食って力を付けた。まさか、お前……』
予想はしていた。
群れの本拠地に戻っていないのは、ラウルだけでなく、ラウルと共に襲撃に参加したドラゴンもだ。
しかし多数のドラゴンを再度戦闘可能にするだけの餌を調達するのは難しいだろう。
そもそも一頭のドラゴンを回復させるだけの変異体すら確保するのは難しい。
群れの本拠地へ補充しに戻れば、連れ戻されて袋叩きにされるだろう。
さて、それではどうするか?
変異体よりも効率の良い獲物がすぐそこに居るではないか。
戦いと『封竜楔』の影響で貯蔵魔力を使い切っていようが、完全エーテル実体の肉体を喰らえば、それを魔力に還元できる。
『余計な詮索だ。仮にそうだとしても、何故お前が、お前を捨てた連中を気にしなければならない?』
『別に! 仲間を食うとか、見下げ果てた野郎だと思っただけだ』
『悲しいな。俺はお前に随分尽くしてきたと思うんだが、こんなに嫌われてしまうとはね』
皮肉でも言うように、ラウルの思念は大げさに悲しんでみせる色が感じられた。
『もう後が無いな、お前……』
『……そうさ。我らが群れを存続させようと思ったら、もはや俺のみでファルエルを滅ぼし、残る者らを反撃部隊への備えとするより他に無い。
そしてそれは俺を族長として、新たな竜王として認めさせることにも通じる!』
『半分は自分が撒いた種じゃんか』
『どうとでも言うがいいさ。全ては結果だ』
この窮地においてもラウルが揺らいだ様子は無い。
諦めも焦りもせずに、ただ己の目的に向けて最善最短の手を打っているというように思われた。
逆に言えば、ラウルの行動は所詮それだけではあるのだが。
『……クソ兄貴。
お前に傷を負わせたマリアベル・グレイは、お前と親交があったエレナ・グレイだ。知ってたか?』
『何を言っている? そんなわけがなかろう』
『俺を女に変えたのは、本当にお前がガイレイにやらせたのか? ガイレイがそうするつもりだったんじゃないのか?』
『馬鹿を言え、あのクソジジイは元々、お前の力を封じた上で追放することを考えていたんだ。
だが『罰』の内容を俺に相談しに来たんでな、こうして少女に変えるよう吹き込んだのさ』
念話で問い詰めるシャラ。だがラウルの答えは前回顔を合わせたときと変わらない。
むしろ何故こんなワケが分からない事を聞くのかと、訝しむような思考がラウルから感じられた。
――どっちが本当のことを言っているんだ……?
フィーラの言葉は何もかもでまかせだったのか?
彼女が真実を語っていたなら、何故ラウルはそれと食い違うのか。
だがこうして、念話とはいえラウルと話をすることができて分かったことはある。
少なくともラウルは自分の言葉を誤魔化しや嘘だと思ってはいない。
シャラには、そう感じられた。
『こちらへ来い、シャラ。俺と共に戦え。俺であればお前の一芸、この世を平らげる武器として使える。
そして俺の妃として共に凱旋しよう。お前のそれは、群れの血に残すべき才覚だ。
理解しろ。お前の生きられる場所は、俺の傍らにしか無い!』
ラウルにとってシャラの疑問はどうでも良いらしく、関心はあくまでも自身の野望のことだ。
ただ、ラウルの計画の中に、シャラの居場所は確かにあった。
言ってみればそれは優先順位の問題であって、やはりラウルは彼なりにシャラを気に掛けていたのかも知れない。
無論、だからといってシャラがそれに乗ってやる義理は無い。シャラを支配して都合良く使おうとしている彼のやり方は、シャラにしてみればクソクラエだ。
『今まで世話になったよ。それは感謝してる。
だけど、それで……俺にはお前しか居ないだなんて思ってるなら、違う!
俺の大切なものは、俺が大切にしたいものは、ここにある!』
『俺を拒むのか?』
『願い下げだ! テメーは車とでも結婚してやがれ!!』
向こうからは見えない距離だろうが、シャラは夜空のシルエットに向かって親指を突き下げる。
ラウルは、特に怒りもせず。
『そうか。なら少しばかり手荒で原始的なやり方になるが、構わないな?』
不敵に呟くように、思念を送りつけてきた。




