【1-35】前線都市ファルエル グレイ家 封じられた書庫 / 遺された七つの希望
「その様子では、貴女は何も知らなかったのね」
「ちょっと……待ってください。じゃあ、その、マリアベルさん……じゃない、えっと、エレナさん?
何者なんですか?」
フィーラは、この答えをシャラに話してもいいか少しだけ考えたようだった。
「彼女は凱礼によって作られた『偽人』よ。
そもそも、『魔力持ち』の人族なんて存在するはずがないじゃない。
彼女は凱礼と繋がっていたからその魔力を借り受けることができたし、凱礼が生きている限り彼女も生き続ける」
「え……」
またもや衝撃的な情報がもたらされた。
いくつもの疑問が浮かんだが、まずシャラが考えたのはマリアベルのことだ。
「じゃあ、俺が……マリアベルさんを、殺した……?」
『守れなかった』ではなく『間接的に殺した』のだとしたら全く話が違ってくる。
もしフィーラが言う通り、マリアベルの命がガイレイと連動しているのだとしたら、ガイレイを殺すことはマリアベルを殺すこと。
マリアベルの別れの言葉が全て符合する。
彼女はもう自分に先が無いと分かったからあんな真似をした。そしてシャラには『私のことで自分を責めるな』と……
「待ちなさい、それだと貴女が凱礼を殺したように聞こえるのだけど」
フィーラは鋭く制するように問う。
「……そうです。俺がガイレイを殺しました。
でも、おかしいじゃないですか。マリアベルさんが師匠と同一人物で、それをガイレイが作ったなんて。
だってガイレイはこの街の敵で。マリアベルさんはそれと戦っていて……ラウルは、エレナさんを使ってガイレイを倒そうと、密かに……」
訥々とシャラは訴える。
フィーラは何ひとつ腑に落ちない様子でずっと首をかしげていた。
「そもそも貴女は、何も分かっていないのに何故ここに居るの」
「俺の居候先なんですよ、ここ。むしろあなたが住居不法侵入してる立場です」
「……よく分からないわね。もういいわ、最初から順番に話して」
悠然と艶然と傲然と命じて、フィーラは指を鳴らす。
冷たい風がシャラの全身を撫で上げた。
冷気に色を付けたような白いモヤが周囲に満ちて、ギシ、ガチ、と鳴りながら氷塊を生みだしていく。
緻密な装飾の氷の玉座が、まるで床から生えてくるかのように形成されて、フィーラはそれに腰掛けた。
そしてシャラたち三人は床から突き出した氷の剣や槍に全周包囲でホールドアップされる。
「ちなみに拒否権は無いわ」
「ですよね……」
女王の威厳を前に、シャラは膝を屈するより他に無かった。
* * *
シャラは群れを追放されて以降の全てを話した。
マリアベルとの出会い。
ガイレイを一撃で倒したブレス。
ラウルの本性と野望。
話が進むにつれてフィーラは、臓腑の奥底まで見通すような目をしてシャラを見るようになった。
何か、彼女ですら知らない謎がシャラの中に眠っているのだとでもいうように。
「ラウルが街を襲ってきた?
……でも、それは不自然ではない……わよね。本当のことを何も知らないか、知っていて背いたのか……」
彼女はラウルの名も知っている様子だったが、しかし彼が街を襲撃することには多少の違和感を覚えているようだ。
長考の末、フィーラは玉座から立ち上がる。
それと同時。シャン……と涼やかな音を立てて、彼女が座していた氷の玉座も、シャラたちに突きつけられていた氷の刃も全てが砕け散り、溶け落ちた水滴すら残さず輝きとなって消えた。
「一つ、教えておくわ。あなたが竜王を殺すほどのブレス能力を持っていることには、理由がある。
それは凱礼にとっては誤算だったようだけれど、誰かの計算の内ではあるはずよ」
「ラウルは……『無能なドラゴンは居ない』『無能ならそれと引き換えに何かの才能がある』って……
だから俺のブレスの力に気が付いたんだって言ってました」
「……ふぅん。間違った式でも正しい答えに辿り着くことはあるものなのね。
なら、やはりラウルは何も知らなかった……凱礼の操り人形に過ぎなかった……」
何かフィーラは一人(一頭?)で得心していた。
「あの……」
「貴女たちはこれからどうするの? ラウルと戦うの?」
「……そのつもり、ですが」
「それなら私は力を貸すわ」
「えっ?」
意外だった。
彼女の物言いは、むしろそれが当然の義務であるかのようで。
実験用のテーブルらしきものを調べたフィーラは、そこから何かを見つけ出して取り上げる。
漆黒の鱗だった。
「何でも良いから時を刻むための道具を持っていないかしら?」
「それって……こういうもんか?」
「充分よ」
「あ、ちょっと!」
マイアレイアが取り出した真鍮色の懐中時計を、フィーラはひょいと奪い取った。
三枚の鱗が宙に浮かび、フィーラはそこに懐中時計をかざす。
途端、懐中時計の針が逆回転を始めた。
火花が立ちそうな程の勢いで、文字通りの反時計回りに長針が動き、それに追随して短針も回転する。
それに連れて漆黒の鱗に変化が起こった。
シャラは息を呑む。
ただの鱗に気圧された。
世界が歪んで収束していくかのような『重さ』を感じる。それが三枚の鱗に集まっていく。
鱗はガイレイのブレスにも似た黒紫色の燐光を放ち、見ているだけで痺れが来るような力の気配を滾らせる。
「手を出しなさい」
「は、はい」
鱗はふわりと浮かんで、シャラの手の上に落ちた。
なんということもない小さな鱗なのに、それは鉄の文鎮みたいにずっしりとした重さを錯覚させた。
「これは……」
「凱礼がこの場を訪れた際に残していった鱗でしょうね。長い年月を経て風化していたけれど、それを戻して、固定したわ。
今、この鱗は凱礼の身体を鎧っていた時と同じだけの力を持っている。たとえラウルが凱礼の権能を引き継いだとしても、紛い物の権能如き、本来の持ち主である凱礼の鱗一枚で弾けるはずよ」
フィーラは懐中時計をマイアレイアに投げ返す。
マイアレイアはかなり怪訝な顔をして、返却された時計を観察していたが、それはもはや何の変哲も無い普通の懐中時計だった。
フィーラは、儚くもどこか凄みのある微笑みを浮かべる。
「思い上がった愚かなドラゴンを必ずや倒しなさい。野放しにしてはいけないわ」
「どうして……人のために戦う俺の、手助けを? 竜王であるあなたが……」
何が何だか分からない。
竜王は人族の敵で、この世界を全てドラゴンのものにするため戦っていて、それはフィーラもガイレイと同じであるはずなのに。
フィーラがシャラを見る目は、どこか悲しげだった。
「よく覚えておきなさい、おチビちゃん……私たちはね……」
彼女は背を向ける。
滝のような長髪が流れるようにたなびいた。
コツ、コツと靴音を立ててフィーラは去りゆく。
「世界を救おうとしたのよ」
喪われたものを愛おしむように悲しげな響きの一言を残して、彼女は消えた。
見えない扉に滑り込んだかのように、刹那。その姿を完全に消し去っていた。




