【1-33】前線都市ファルエル 東大路 / 人のお守り
街は賑やかと言えば賑やかだった。
それは活気とは言い難いものだ。
住処を奪われた人々が今宵の屋根と当座の食事を求めて路上にたむろしている。
傷を負った家族のために薬を求めている。
ただ、なにしろファルエルはこんな街だ、街当局にも備えはあるし、人々もこんな時に助け合う心構えができている。事態の深刻さの割に混乱は限定的……ではあるのかも知れない。
人々の不安が風に乗って流れているかのような大通りを、シャラは心持ち早足で歩いていた。
焦燥に追い立てられるように。
ラウルはやってくる。
既にラウルは、勝手に変異体を喰らって回復するという掟破りをしているのだ。ラウルだけが連続で出撃していることを考えれば、ラウルが何らかのズルをしていることは誰でも想像が付くはず。その上、昨夜はおそらく独断で出撃して自分以外のドラゴンも消耗させ、変異体を犬死にさせた。
それだけの無茶をしていたとしても、ファルエルを陥落させたという戦果があれば、それで皆を黙らせられただろう。……戦果さえあれば。
このままではラウルは群れの中で完全に立場を失う。
偵察情報によれば、ラウルは群れの本拠地であるグィルズベイル山に戻ってすらいないようだ。街を落としもせず戻っていけるような状況ではない。
だからこそ、また仕掛けてくる。
それまでにラウルを退ける算段を付けなければならない。『魔封じ』という反則的な能力を身につけたラウルを……
「ドラゴン……
あんた、ドラゴンの人だろ? なあ……!」
急に呼びかけられ、シャラは立ち止まった。
近くでたむろしていた数人の若い男のうち一人が、剣呑な目つきでシャラに詰め寄ってくる。
「おいよせ、危ないぞお前!」
「この街を守ってくれるんじゃなかったのかよ!
マリアベル・グレイまで死んだってのは本当なのか!?」
シャラの喉に何かが引っかかった。
込み上げる何かがつっかえたように。もしくは首を絞められたように。
「……マリアベル・グレイは死にました。
命と引き換えに、襲い来るドラゴンに手傷を負わせ……撤退に追い込んだ……」
「じゃあお前は何なんだ!
あんな大口を叩いて……! また人が死んだじゃないか!
戦ったのは結局『ファルエルの魔女』だ! それさえ失って……! この街はどうなるんだ!」
「俺は……」
何も言い返せない。
何もできなかった。
自分にも何かができると思い始めていたのにこのざまだ。
守るべきものをシャラは守れなかった。
黙りこくるシャラを見て、男は拳を振るわせて叫ぶ。
「お前が! あいつらを呼んだんじゃないのか!?」
シャラの指先から体温が消えた。
昨夜のラウルに関しては違う、はずだ。
だけど少なくともガイレイに関してはそれは正しい。実質的には無根拠な言いがかりであったとしても。
唇を噛みしめることしか、シャラにはできなかった。
罪悪感、後ろめたさ、居たたまれなさ。叩けば埃が出る身の上だ。
そして、偏見を持たれて当然の異物なのだと突きつけられることは二重に苦しい。
弁解の言葉すらシャラは口にすることができなかった。
「やめろっ!」
そんなシャラの代わりに、咆えかかる者があった。
「なんだお前は!?」
「君、あの時の……」
シャラを庇うように割って入ったのは、シャラよりも更に小さな人影。
隻腕の少年。シャラが命を救った、ランドルフの息子だった。
「本当に悪者だったら、人助けなんかしないだろ!
オレはドラゴンの姉ちゃんに、命を助けられたんだ!
それを! このバカ! バカバカバカ、何も考えてない大バカやろーっ!」
彼の怒りはただひたすらに、素朴で単純で真っ直ぐだった。
自分を助けてくれたシャラに恩を感じているという、ただそれだけのこと。
シャラが悪者ではないと信じているという、ただそれだけのこと。
彼の目に映ったシャラの姿は、責められるべきものではなかったから。
少年に怒鳴りつけられた男の顔が、怒りのあまり鬼のように歪む。
「知った口を……利くんじゃねえっ!!」
手が出た。
見境を無くした男の拳が。
全力の一撃が少年の横っ面目がけて。
刹那。
竜の腕が男の手を掴み取って寸止めにしていた。
「……俺を殴るならまだいい。だが、とち狂って無関係の子どもに手を出すというのなら、この場で引き裂く」
「ぐ…………!」
男はシャラを振りほどこうとするが、押そうが引こうがシャラは微動だにしない。
ドラゴンと人ではそもそも力の差がありすぎる。
「なあ、もう止せよ……みっともないぞ、こんなの」
「うるせえよ……!」
一緒に居た者たちが男を抑えに掛かる。その様子を見てシャラは手を離した。
「……済まん。こいつは目の前で女房子どもを殺されたんだ」
「ほら、行くぞ……二人に……ついててやらないと……」
「ちくしょう、ちくしょう……!」
誰に向けるともない悪態をつきながら男は去って行く。
その肩は微かに震えていた。
男たちが姿を消して、シャラはやっと溜息で肩の力を抜いた。
「……ごめん、ありがとう。助かった」
率直に感謝の意を述べるも、少年はまじまじと訝しげにシャラの顔色を伺う。
父親と同じ鋼色の髪をした彼は、冒険者の親玉たる父の薫陶を受けているのか、なかなか反骨心が強そうで小生意気な面構えだった。
「ドラゴンの姉ちゃん、こないだはえらそうだったけど今日はちがうな……」
「あー、ホラ……一応ドラゴンだから、外面とかそういうのあるし」
「『ありがとう』とか言わなくていいよ! あいつがバカだから悪いんだ!」
殴られかけた怒りもあるのか、少年は憤懣やるかたない様子で主張した。
シャラは苦笑する。
少年のそれもまた、言い過ぎなのだとは思う。シャラも負い目が無いわけではない。あの男の方にも事情が無いわけではない。
だけどそんなこと、少年には関係無い。少年にとってシャラはただのヒーローで、それもまた、きっと一面の真実ではあるのだった。
「腕の傷はどう? 退院できたの?」
「うん、ぜんぜん平気。病院もいっぱいだから、ちょっと元気になったらもう追い出されちまった。
それで……お礼しようと思って……」
少年は言いにくそうに、赤くなってちょっとうつむき、冒険者向けらしきベルトポーチから変なものを取り出した。
「これって……」
彼が掴み出したのは、黒い紙で折られた『鶴』だった。
「本当は、ドラゴンの形にできないかなって思ったんだけど……
むずかしくて、それで……黒い紙で、鳥をまねしたんだ。
ほら! 目をかいたらドラゴンっぽいだろ!?」
シャラが彼に手渡した『お守り』のまねっこ。
やや歪ながら確かに折り鶴だ。黒い紙で折って、顔の部分に白いインクでぽちっと目をかけば、まあ、翼があって長い首があるのだからドラゴンと言い張れないこともない。
「片腕でよく折ったな……」
「だろ? 苦労したんだぜ!」
「てか、折り方分かったの?」
「もらった鳥を元通り開いて、折り方を調べたんだ。
……あ、もしかしてダメだったか? すぐ元に戻したけど!」
「いや、多分大丈夫」
詳しくは知らないが多分大丈夫だろうとシャラは考えた。
もし『折り鶴を解体したら身体が黄緑色になる奇病で早死にする』みたいな言い伝えが日本のどこかにあったとしても、ここは異世界なのだから少年がそれを知らなければ無問題。
「こんなのでお礼になるかな……?」
「充分だよ。どういたしまして。えっと……」
名前を呼ぼうとして、そう言えばギルド支部長の息子とは聞いていたけど、まだ彼の名前を聞いていなかったことをシャラは思い出す。
「カノア。カノアだよ、オレ」
「そうか、カノア。俺の名前はもう知ってる?」
「知ってる、聞いた。グエルガ……だっけ?」
「そりゃ群れの名前だな。俺はシャラ」
少年の手を取ってシャラは握手をする。
手の感触に驚きでもしたかのように、カノア少年はぶるりと震えた。
「ありがとう、カノア。助かった」
「でもオレ、何もできなかったし……」
「違う、その事じゃなくてさ。本当に助かったんだよ。
このドラゴンの折り紙、財宝の山を貰うよりも嬉しい」
「お、おう……おう?」
カノアは首をかしげる。
「この街は俺が守る。あんなクソ野郎に滅ぼさせはしない」
シャラは『折りドラゴン』をしまい込み、決意も新たに歩み始めた。




