【1-31】前線都市ファルエル 連ね鱗通り / 知らざるもの、知られざるもの
「何者だ、貴様」
「分からないの? 愚かね」
「……この気配。ふん、『魔力持ち』か」
ラウルは傲然と鼻を鳴らす。
「マリアベルさん、どうしてここに……」
シャラは頼もしく思うより不安だった。
ただでさえ彼女は体調が思わしくない。いや、仮に万全の状態であったとしても、彼女はあくまで『触媒無しで魔法が使える術師』というだけであって、戦力的には他の術師と変わらないはずなのだ。
強大なドラゴン相手に独りで立ち向かえるような超人ではないはずだった。
ラウルは下界の様子を見渡す。
大通りではラウルの引き込んだ魔物たちと、駆けつけた冒険者たちが熾烈な戦いを繰り広げていた。
魔法が炸裂するたびに重低音がする。
「出かけていた冒険者どもも戻って来たところか。なら丁度良い。
シャラ、俺はお前を侮らん。故に……」
黒曜石のようなラウルの目が、その刹那、奈落の如き無限の深度を見せたように思い、シャラは戦慄する。
「最初から切り札を使うとしよう。
……墜ちるぞ。ちゃんと着地しろよ」
ラウルが言うなり。
衝撃。
見えないのに『黒い』と感じさせる何かが、ラウルを中心に球状に放射された。
冷たい鎖で全身を縛り上げられたように錯覚し、次の瞬間、シャラは羽ばたけなくなっていた。
「え……」
重力に引っ張られ、シャラは落下した。
「えええええええ!? うべっ!?」
「シャラちゃん!」
驚いている暇も無く、シャラは建物の屋上に叩き付けられる。
足から不格好に着地し、前のめりに倒れる。常人であれば良くて足の骨が折れているところ、悪くすれば死んでいたかも分からない。シャラの場合は痛いだけで済んだけれど。
何故落下したのかと問うならば答えは明白。
シャラの背中から翼が消えたからだ。
「これは……!?」
「……まだこの距離が限界か」
翼を出そうとしても、身体の形が全く変わらない。
爪も尻尾も無理だ。試しに手をぶんぶん振ってみても、詰まっていた何かが出てくるわけでもない。
「お前たちの魂を縛った。魔力の収束を阻害して魔法を封じ、エーテル実体の形成も妨害する。
普通のドラゴンなら力を弱める程度だが……お前では爪すら出せまい、シャラ」
「……ガイレイの権能じゃないの……! 受け継いでいたの!?」
マリアベルが驚愕する。
対抗呪文によって相手の魔法を打ち消すとか、防御するとか、そういった手段によって魔法を防ぐやり方は無いでもない。
もしくは『封竜楔』がそうであるように、魔力を枯れ果てさせて結果的に魔法を使えなくするということもある。
だが魔法そのものを使えなくするなんて、しかもドラゴンの竜化すら妨害するなんて、普通ならあり得ないことだ。
しかし驚くと同時に同時にシャラは少し奇妙に思った。
マリアベルは何と言った? 彼女はこの力を知っているようだ。しかもガイレイのものであると。だがシャラは知らなかった。
群れのドラゴンが知らないことをファルエルの人族は知っていたのか? いや、そんな筈はない。
そもそもガイレイが魔封じの力なんてものを使えたのだとしたらファルエルはもっと早く陥落していたはずだ。
――何がどうなってる? マリアベルさんは何を知っているんだ?
しかし、そんなことをマリアベルに質しているような場合ではない。
「言い忘れていたが……お前は俺の求婚に対して拒否権は無いということだ、シャラ。
竜王を屠ったブレスがあれば、俺如きどうにでもできると思っていたか?」
マリアベルなど眼中にない様子で、ラウルはシャラに言う。
言われるまでもなくシャラも気付いている。
竜化できないだけではなく、ランドセルに入れてある触媒が、シャラの呼びかけに応えない。
魔法の一切を封じられるという事は、ブレスも使えないということだ。あれは肉体を用いた魔法のようなものだから。
はっと気が付いてシャラは、屋上から身を乗り出し下を見た。
相変わらず冒険者たちと魔物との戦いが続いているが……魔法が見えない。
どちらかと言えば優勢に見えた冒険者たちが、一気に崩れ始めていた。
「やっぱり、簡単に街壁が破られたのって……」
あの『魔封じ』のせいだろう。
攻撃、前衛への戦闘補助、傷の治療……
戦闘時の魔法の役割は多岐にわたる。
もしそれがすべてできなくなったとしたら戦力は半減、いや防衛兵団そのものが機能不全に陥りかねない。
「まあそこで見ていろ。この街は滅びる。そして俺はお前を連れ帰り、新たな竜王となる。
ふふ……竜王の妃とあらば、もはや群れの誰もお前をないがしろになどできんぞ、シャラ」
口元を歪め、ラウルは牙を剥いて嗤う。
別にそんなの嬉しくもなんともない、とシャラは思ったけれど、言葉にして言い返すことができなかった。拒否したところで何ができるというのか。
伸るか反るかの一撃すら使えないのでは、シャラは非戦闘員とさして変わらない。強大なドラゴンに対抗することなど、できるわけが……
「やはり、愚か。竜王とは成るものではなく、そこに在るもの。
ガイレイが死んだのであれば他の何者も第六竜王たり得ない……」
マリアベルが侮蔑の感情も露わに、ラウルを睨んで言った。
ラウルの瞼がピクリと痙攣した。
ハエにたかられた程度にはうるさそうだった。
「卑小な人間の分際でこの俺に説教を垂れるか、女。
『魔力持ち』に生まれたことで、我らと同じ高みに立ったとでも思い上がったか?
だが魔法の使えない貴様に何ができる」
「あら。この程度で私の魔法を封じたとでも?」
「……ハッタリを言うなら、せめて多少は説得力が生まれるよう取り繕うべきだったな」
一笑に付したようでいて、ラウルはほんの少し警戒している様子だった。
妙に自信満々なマリアベルの態度を見て、何か妙だとでも思ったか。
マリアベルはくるりとラウルに背を向け、シャラの手を取った。
シャラはぞっとした。マリアベルの手は温かくも冷たくもなかった。人形のそれのように。
「よく聞いて、シャラ。私はもう長くない」
「急に何を……」
「急でもないよ。分かってたんでしょ?
なら私は。生きてる間に有意義なことがしたい」
穏やかに、悪戯っぽく、マリアベルは微笑んだ。
言っていることの重さと釣り合わないほどに。
「シャラ。私はこれでも自分の人生には割と満足してるの。だから絶対に、私のことで自分を責めないでほしい。あなたに会えて良かったって思ってもいるしね」
「マリアベルさん?」
「私が死んだら悲しいって言ってくれて、救われたよ。
誰かに想われるってのは純粋に良いものだし……私が抱えてたものに答えを貰えた気がしたんだ」
そして彼女は手を振った。
「さよなら。この世界を…………いや、そんなの任せられても困っちゃうか。
この街をよろしく頼んだよ、シャラ」
「あ……」
マリアベルはもう振り返らない。
杖を構えて屋上の端に立ち、見下ろしてくるラウルと対峙する。
「なんだ? 女。
何をする気だ? 貴様如きに何かできるつもりか?」
「残念だけど、こうなったら減る一方だから、あんまりリソースに余裕は無くってね……」
背中しか見えないのに、何故かシャラは、今マリアベルがどんな顔をしているか分かった。
挑戦的に、獰猛に、彼女は笑っている。
「最短の時間と手数で、効率よくあんたを傷付けさせてもらうよ」
次の瞬間、詠唱すら無くマリアベルの姿が掻き消えた。
その直後。
閃光と轟音が辺りを薙ぎ払った。




