【1-29】前線都市ファルエル 上空 / 暴虐の竜太子
馬を失った馬車が、馬に牽かれる以上の速度で走っていた。
御者席に座った術師たちが光の魔法で行く手を照らし、夜闇を切り裂く。
ファルエルの外壁に掲げられた、篝火と魔力灯の照明が行く手に眩く輝く。
だが夜空をうっすらと赤く染めるのは何か。
「てか、なんでこの状況で食うとんねん!」
なお、ファルエルへの帰途を急ぐ馬車の中では、冒険者たちが全力で飯をかっ込んでいた。
スープの大鍋の中身が次々掬われ、巨大な焼き肉が切り分けられては誰かの腹に消えていく。
「魔力補給ですってば! これが無いと戦うときに困るんですから!」
「じゃあシャラはええ。他の連中はなして食うとんねん!」
「戦いの前の腹ごしらえだよ!」
「あんな美味い飯放り出して帰れるかよ!」
「お前らの飯が美味いから悪い!」
「さよか……」
「あ。照れた」
戦場に辿り着く前から馬車の中は戦場の様相を呈していた。
中落ちがたっぷり付いたヴィゾフニルのあばら骨を持ってかぶりつきながら、シャラは行く手の夜空を睨む。
「……何、やってんだよ、馬鹿兄貴……!」
赤く染まる空に黒い影が舞っていた。
* * *
街に近づいてくると、思っていたよりも状況が芳しくないのだと分かった。
「壁が、やられてる……」
誰かが言って、皆が息を呑む。
ファルエルを囲む堅牢な壁が、かち割られたように破られていた。
「こないだやられた場所だろ? まだ魔法で応急処置しただけだから脆いんだ」
「にしたって、こんな簡単に壁を突破されるのはおかしいだろ」
「んなこと言ったら、こないだだってな……」
「あの時はガイレイが居ただろ。もうガイレイは死んだってのに、そう簡単に壁を越えられるか?」
冒険者たちは訝しむ。
この点はシャラも同意だった。先日の戦いではガイレイ自ら出陣したうえ、シャラをビーコンに使ってテレポートしてくるという反則技で大暴れしたわけだが、だとしたら今はどうなっているのか。
確かに精鋭冒険者が街を離れていた状態だが、防衛兵団だけでも壁を守り切る戦力はあるはずだ。防衛設備による補助があれば戦力差を覆せるはず。
まして、ドラゴン側は魔力を消耗して動けない者が多いはずだし、重要な戦力である変異体をあれだけ倒したのだから、どうあがいても出せる戦力は減っているはず。
だが現に、ファルエルの壁は容易く破られていた。
警報が出てから大して間が無いのに、壁の外ではもう戦闘が起こっていない。戦場は市街に移っているのだ。
「……そろそろ俺は行きます」
「本当に大丈夫かよ、あんなボロボロになった後なのに」
「大丈夫ですよ、美味しいご飯も食べましたし」
本音は不安もあったが、そうも言っていられない。
シャラは馬無し馬車の御者席に立ち、夜天に舞う影を見上げる。
駄目になってしまった体操服の替わりにシャラが身に纏ったのは、着替えとして持ってきていた制服風セット。
上品な紫のジャンパースカートに、シャツの背中部分を爪で切り裂いて無理やり羽根穴を作った。
お腹側に背負ったランドセルには、冒険者たちから借り受けた人工触媒。
あまり沢山持って行ってしまっては心配だが、冒険者たちは先程倒した変異体から採取した生触媒を使うことにした。人工触媒はシャラに回して、ブレスを使えるようにとの判断だった。
「俺らもこの辺で降りっぞ。これ以上先は馬車で近づいても狙われるだけだ」
「じゃあ……お互い無事で!」
冒険者たちは馬車を飛び出して戦闘態勢になり、シャラは彼らの頭を飛び越えて飛翔した。
シャラの背中に皮膜の翼が現れ、力強く羽ばたく。
ジェットコースターさながらにシャラは飛翔した。スカートの裾と長い髪がはためいた。
先日の戦いとほぼ同じ景色。街の上を低空飛行しつつブレスによる攻撃で街を破壊するドラゴンたち。
数は四頭。うち三頭は、先日とは別のドラゴン。残る一頭は、先日と同じ顔。
防衛設備から高射される魔法弾が、地から天へ昇る流星のようにドラゴンを狙う。
明滅する光の壁がブレスを防いだり防げなかったりする。
悲鳴。悲鳴。悲鳴。
街は少しずつ壊れ続けていた。
「おい、こらああああっ!」
咆えるように叫びながらシャラは真っ直ぐ向かって行った。
ラウルの元へと。
シャラの声を聞き、漆黒の巨体が向きを変える。
嵐のような羽ばたきと共に、立ち泳ぎのようにラウルは滞空した。
「おお、シャラじゃないか! 居ないと思ったら街の外に出ていたんだな!」
戦いの只中とは思えないほど呑気な口調で、巨大なブラックドラゴンが会釈をした。
「何やってるんだよ! ガイレイは居なくなったんだ、なのにどうしてお前がこの街を襲ってるんだ!?」
「なんでって、そりゃ……俺がガイレイに代わって族長になろうと思ってな。
文句がある奴らを黙らせるのに『ファルエル陥落』ってのは丁度良い実績なんだ」
ラウルは平然と説明した。何を疑問に思っているのか分からないという調子で。
「人を使ってガイレイを倒す気だって……! そのためにマリアベルさんのお師匠……エレナ・グレイさんと協力してたって……」
「もうその必要も無いからな。ガイレイはお前に殺された。
それにだ、エレナ・グレイが手引きしたから俺はこの街に出入りできたわけだが、その成果は今まさに役に立っているのさ」
ラウルはゴツゴツした手で器用に、眼下を指差す。
地下のガスパイプが爆発でも起こしたみたいに、街の大通りに大穴が空いていた。
幾層もの構造物を貫いた大穴の下に空洞が見えた。
「『黒の群れ』はこの街と幾度も戦い、陣構えを概ね把握しているが……自ら街を調べることで俺は、下水道の一部に偽装した都市防衛用の魔力導管を探り当てた。
群れの連中はこんなものがあると思っていなかったし、街の連中も俺に露見しているとは思わなかったろう」
ラウルは得意げでさえあった。
あれが何なのかシャラにはよく分からなかったが、街を防衛するために何か重要な設備である事は察せる。
歯がみするより他に無かった。
こいつを街に引き入れたエレナ・グレイの判断が誤っていたことは明らかだ。
「何もかも……お前の計算通りってことかよ……」
「買いかぶりすぎだな。嬉しい計算違いもあった。
お前がまさか、今、ガイレイを倒してくれるとは思わなかったよ。お陰で予定が随分と早まった。
他は概ね俺の狙い通りさ。お前がそうして女に変えられていることもな。
……ああ、そうそう! この話をしなきゃならないんだった」
「なんだと!?」
ここで更に予想の斜め上を行くことを言われ、シャラはつんのめって墜落するかとさえ思った。
追放に際して掛けられた身体変容の呪い。
術者を倒しても解けないタイプの呪いであるらしく、未だにシャラは少女のままだ。
それはガイレイの忌々しい気まぐれ。唾棄すべき置き土産で、それ以上でもそれ以下でも無い。
はずだった。
少なくともシャラはそう思っていた。
「あのクソジジイの底意地の悪さは知っていたから、お前を雌に変えて追放するという『意地悪』を奴に吹き込み、焚き付けた。
お陰で奴は俺が望んだ通りの呪いを掛けてくれたんだ。愚かな老いぼれだったが、流石に魔法の腕前は古代龍の名に恥じんな。俺ですら理解が及ばぬ――」
「ま、待てよ。おい。お、お前が、俺を、こんな姿に、するよう……?
な、なんでだよ? どうしてそんな……」
話が見えないシャラの困惑を一笑に付し、漆黒の巨竜は傲然と言い放つ。
「俺の仔を産め、シャラ」
「…………はあああああああ!?」




