【1-28】ソィエル平原西部 / 野の宴
日も暮れかけた頃、草原には美味しそうな匂いが漂っていた。
冒険者たちは、保存の利く携帯食料だけで何日も野山を歩いたりする。
しかし、調理器具や材料を色々と持っていく余裕があるのなら、手の込んだ美味い料理を食べる方が良いのは当たり前だった。
今回は街から比較的近い場所へ集団での遠征なので、荷物を極限まで減らして身軽になるよりも、野外活動を適度に楽しむ方向性となっていた。なにしろ、肉がたんまり手に入ることは約束されているのだから。
「よう、もう傷はいいのか?」
「まだですけど、ちゃんと食べないと治るものも治りませんから」
馬車の中で休んでいたシャラがイモジャージ姿を現すと、夕食の準備をしていた冒険者たちが出迎える。
彼らは大きな焚き火、簡易竈、加熱ができるマジックアイテムなどで、倒した魔物の肉をその場で調理していた。
魔物から採取した素材の中でも、肉はちょっと価値が低い。すぐ腐るし、性質上、触媒として使いにくいのだ。結果的に肉はあくまで食用として消費されることが多かった。
持ち帰りきれない魔物の肉を食うのは冒険者たちのちょっとした楽しみだ。
しかし人族にとってはただの肉でも、魔力の詰まった肉はシャラにとって重要な糧だ。魔力の回復を飛躍的に早めることができる。
肉体の再生を早めるためにも魔力が必要だ。特に竜化状態の時に顕現する尻尾や翼など『エーテル実体』は魔力でできているようなもので、半端な回復魔法よりも変異体の肉を食べた方が効率よく回復する。
ドラゴンたちにとって変異体の肉は、稀少な霊薬のような扱いだったりする。
群れのドラゴンがどうしても魔力を急速に補給しなければならない時、群れが飼っている変異体を潰して喰うことはたまにあった。
もっとも、育てるにも時間が掛かるし重要な戦力である変異体を潰すのは緊急手段だけれど。
「主賓も来たし、そろそろ食い始めようぜ」
「んだな」
食前の祈りとか、『いただきます』とか、そういう習慣は特に無いようで。
冒険者たちはめいめい料理を取り分けて、荷物を入れていた木箱をテーブルにして食べ始めた。
丸めた寝袋に背中を預けて座ったシャラの分も用意される。
「ドラゴン的には生肉の方が良かったりする?」
ピンク髪ツインドリルの女ドワーフ戦士さんが聞いてくる。
「生でも食べられますけど、焼いて塩を振る方が好きです」
「なら良かった。『料理も鍛冶も根は同じ』と言ってね、豪快に炎を使う料理でドワーフに敵う者は居ないわよ」
軽く差し出されたのは、豪快な骨付き肉だ。
解体されたフレスヴェルグの肉が大きな焚き火で炙られている。
シャラに饗されたのは太もも部分だ。美しいキツネ色に焼け、浮いた脂が輝かしく滴っている。
さすがにこれを丸かじりするのは巨人でもなければ不可能、と言いたいところだが、まずは一口かじってみろと言わんばかりにドワーフさんは骨を持ってシャラに突きつける。
香ばしい湯気を立てる棍棒のような骨付き肉に、シャラは一口かぶりついてみた。
一見して美味しそうではあったが、外見のハードルを軽々飛び越えていくほどにジューシーだった。
「……すごい! 肉って焼き加減だけでこんな……いや、おかしいでしょこれ!」
「うふふふ……ドラゴンの舌すら満足させるなんて、私の腕も捨てたものじゃないわね」
驚嘆するシャラを見てドワーフさんは満足げだった。
ほっぺが落ちそうとはこの事だ。
『外はサクサクで中がモチモチ』なんて表現は、行列ができるパン屋で一斤丸ごと売ってる食パンとかに適用するべき褒め言葉だと思ったのだが、そうとしか言いようがない肉だった。
味付けはシンプルに塩と胡椒のみだが、きっとそれ以上の何かを足し合わせるのは無粋というもの。
表面は香ばしく、内側は脂の甘味をふんだんに湛え、『焼いた肉』という概念の極限の何たるかを存分に主張している。
「ちょい待ち! 土臭い炎で焼いただけの肉よりも、こっちの方がぜーったいに美味いはずや!」
ドワーフさんが大皿に肉を削ぎ始めたところで、スープ皿を持ったマイアレイアが割って入る。
「野草と肉のスープ……?」
うっすら濁った、湯気の立つスープが差し出された。具は魔物の肉と、数種類の野草だ。
ひとまずスプーンで一口掬い上げて飲んでみるシャラ。
「うわ……」
嘆息する。
野草は、見た目は青臭そうなのに全く臭みが無く、肉の味が染みていた。舌で噛み切れるくらいに柔らかい。
汁には肉の旨味と清涼感ある草の風味が溶け出していて、コンソメのような何かで味付けがされていた。ほのかにスパイシーで、それが具材の味を引き立てている。
味付けはありきたりに思えるのに、未知の食べ心地だった。
風味付けにハーブを利かせた料理が感覚としては近いだろうか?
心地よい草の香りが郷愁を掻き立てる。幻想の夏休み、太陽の下にどこまでも広がる草原を駆ける捏造記憶。
やたらと入っている肉も、よく煮込んだのか下ごしらえで一手間加えたのか、死にたての肉なのにホロホロの柔らかさだ。尖り気味の塩気と草の香りが肉にマッチしている。
「感動するほど美味い」
「せやろ?
草の味を知り尽くして、それを繊っ細に組み合わせんかったらこうはできひんのやで。
臭み抜きはエルフの秘伝や。あとは保存の利く携帯調味料を一欠片放り込んで出来上がりやな」
マイアレイアは得意げだ。
種族的に張り合う対象なのか何なのか、ドワーフとエルフの間に火花が散った。
両方の料理を食べたシャラの感想としては、甲乙付けがたい。いいや、どちらが優れているかなんて考えるのは無粋だろう。
――ご飯が美味しいのは……余計なこと考えなくていいからってのもあるかなあ。
ドネルケバブのように切り分けられた肉を口に運びつつ、シャラはしみじみと考えた。
群れに居るときは完全に穀潰し扱いで、飯を食うだけで嫌味を言われたものだ。テーブルマナー違反の指摘も明らかにシャラに対するものだけ厳しかった。
余計なことを何ひとつ気にせずがっつける飯のなんと美味いことか。
「美味しすぎて白いご飯が恋しい……」
元・日本人として考える事はとりあえずそれだった。
この世界にも一応米は存在するのだが、少なくともファルエルではメジャーな食べ物ではない模様。
群れに居る間は、魔物たちにどこかで作らせているらしくちょくちょく食べていたが、パン食の方が多かった。
毎日浴びるように米を食えた熱帯モンスーン気候の島国が懐かしい。
「……ところで皆さん、なんで食べるの止めてるんです?」
ふと気が付けば、皆がシャラの方を見ていた。
「シャラちゃんが幸せそうで可愛い」
皆を代表して少女剣士が、簡にして要を得る説明をして、輝くような笑顔で微笑み、続いて一同頷く。
「………………いや、待ってください。なんですかそれ」
「そのままの意味だけど?」
ものを食っているだけで可愛いと言われた経験は記憶の限り初めてだった。
まあ前世の両親などは、特に小さな頃などそんな風に思っていたのかも知れないが。
「食べにくいんですが……」
「大丈夫、気にしないで」
「しますよ!」
「大人気だな、シャラ」
ブツ切りの串焼き肉をかじりながらヴァルターが笑っていた。
「エルフとドワーフだけにやられてるわけにゃいかねえ、人間様の料理だって馬鹿にはできないぜ。明日の朝飯は俺がクドリー風鉄板焼きをごちそうしよう」
「クドリーっていうと……南方の料理ですか」
「ねえ、シャラちゃんはドラゴンの料理って何かできる?」
「えー……群れの生活じゃみんな召使いの魔物に料理させてたからなあ。
バタースコッチシナモンパイなら作れるけど、あれは別にドラゴンの料理じゃないし……」
異文化交流に今ひとつ混ざれないのが悔やまれる。
と言うかドラゴンが食べるものに、独特のものは大して無かった印象だ。
頭数が少ないせいか、ドラゴンの文化はあくまで人族の文化のマイナーチェンジという印象が漂う。
ちなみにドラゴンの食事は、人族と大して変わりない量で済む。
ドラゴン本来の巨躯は『魔力物質』とも言われる『完全エーテル実体』によって形成されるもので、だからこそ出したり引っ込めたりできる。この身体を形成するために必要なのは、タンパク質とかカルシウムではなくて魔力の摂取だ。そして基本的に魔力は、大気中にあまねく存在するものを取り込んで補給するのであって、緊急時を除けば食事による補給は行わない。
翻って、人の姿は他の魔物と同じで、物質化した魔力と化学的物質の混成による『不純エーテル実体』で構成されている。これを維持するための栄養だけ摂取していれば事足りるのだった。
『要するに人の姿こそドラゴンの本体なのでは?』とシャラはちょっと思っているが、群れの中でそんなことを言うのは恐ろしくて口に出したことはなかった。
「と言うかエルフって肉食するんですね」
「エルフはな、増えすぎず減りすぎんよう、草も木の実も魚も獣も虫も適度に間引くように食うんや。そうやって森の一部になるんがエルフの生き方やねん」
「虫……」
シチューを見つめるシャラ。
プリプリの芋虫とかツヤツヤの甲虫は、幸いにも入っていなかった。
虫はまだ未知の領域だ。こんな世界で冒険者稼業をするのなら、そのうち必要に迫られて食べることになるとは思うが、可能な限り避けたいとは思った。
「エルフはですね農業をしないんですよ! なので実は世間で思われているほど穀物を含めた植物類は食べていないんです。ひょっとしたら肉の方が多く食べているかも知れません」
フォローなのか何なのかよく分からない無駄知識をビン底眼鏡さんがまくし立てる。
「ゆーてウチは大昔に森を出た『街エルフ』やから、あんまし関係ないねんけど」
「何か問題でも起こして追放されたの? それとも、森がドラゴンの領域に呑み込まれたの?」
嫌味返しとばかりにドワーフの女戦士が言うと、マイアレイアは首を振った。
「ちゃうねん。自分から森を出たんや。
森を出てもええ、それでも一緒に居たい思う人が居ったんや」
「それって……」
「一緒に旅とかしとってん。もう百年近く前の話や」
マイアレイアは優しい目でスープを見ていた。
それ以上彼女に何かを問うことは誰もできなかった。
薪の爆ぜる音がした。
「な、何や、みんなして急に静かになってもうて。ほら! 冷めんうちに食……」
マイアレイアが取り繕うように言いかけた、丁度その時だった。
ひるるるるるる、と口笛のような音が空から聞こえたのは。
皆一斉に、それを見た。
夜空に向かってどこからか飛んで行く火の玉を見た。
炎色反応のような真っ赤な光を放ちながら、それは空高く飛んで行き、夜空に大輪の花を咲かせた。
「え、花火?」
光からちょっと間があって、鼓膜に響く音が聞こえた。
誰がこんな場所で隅田川してるんだ、とか呑気に考えていたシャラをよそ目に、冒険者たちは騒然となる。
穏やかで暖かな食事時の空気は、たちまち剣のように冷たく鋭いものに変じていた。
「赤の≪信号弾≫!?」
「そんな!? だって……あんな大規模な襲撃の直後よ!? 疲労困憊してまともに動けないはずじゃ……」
「な、何事ですか……?」
「見張所からの警告の合図だ!
赤い色はドラゴンが出たときしか使わねえ!」
シャラ独りだけ付いて行けなかったが、赤い信号弾が何を意味するかは冒険者たちにとって常識であるようだった。
人族にとって……否、人族世界にとって何よりも警戒すべき事態。
ドラゴンの襲撃。
その警告を裏付けるかのように。
「……オオオオオオオオオ……!!」
竜の雄叫びが夜空に轟き、皆が竦み上がった。
もはや物理的な圧力を感じるほどの雄叫び。ただ音が大きいというだけではなく、その声を発した者の超常的な存在強度を知らしめる、この世の全てに威を示すかの如き咆哮だった。
だがドラゴンであるシャラだけは、その『声』を聞き分けていた。
「この鳴き声……! おい、嘘だろ! 何やってんだあいつ……!?」
それが聞き覚えのある声だと、聞き分けていた。




