【1-25】ソィエル平原西部 / 人族の例外
ガイレイの連れて来た魔物たちは、ファルエル近くの森の中に逃げ込み、なんとなく居着いているという情報だった。
天を舞う黒い影の編隊は、ちょうどそちらの方角から現れた。
冒険者たちは馬車を後方に下げ、黒い影を迎え撃つように一団となって草の海を進む。
「飛んでる奴ばっかりやん。めんどくさ」
「弓持ってる奴がそれ言う?」
「矢ぁ当てるの面倒やん」
「エルフがそれ言う?」
かったるそうなマイアレイアのぼやきにツッコミが入った。
双眼鏡など、遠くを見るアイテムを持つ者は各々がそれを構えて、向かってくる魔物たちを観察している。
「普通の魔物だったら他種族と連携することは少ないのですが揃って飛んできますねえ」
「ざっと見、光照鳥が三羽、事象蝶二匹、デカすぎるけど大蝙蝠だと思うもの、あのクソ派手なのはまさか鹿頭鳥のつもりか? 最後尾のデカイのはちょっと分かんねーな。風皇鷲じゃねーかとは思うが。
……全部『変異体』だ」
「ま、そりゃ『変異体』ですよね」
『変異体』とは、竜のエネルギーを浴び続けて通常の個体とは段違いの強さを身につけた特異な魔物だ。原種とは異なる容姿であることが多く、何か特殊な能力を持っている場合もある。
概して繁殖能力を持たない一世代限りの魔物だが、その代わり、一般の魔物とは桁違いの脅威となる。
そして、強い力を持つという事は、討伐に成功すればそれだけ多くの魔力資源を回収可能であるということも意味するのだ。
「報告があった中で、飛べる連中がみんな揃ってお出ましってとこか」
「サメは飛んでないか?」
「劣種竜も居るという報告でしたが姿が見えませんね」
「流石に劣種竜は別格だろ。飛んでるからって鳥や虫とお友だちになるとは思えねえな。森の中で昼寝でもしてんじゃねーの」
冒険者たちも緊張した様子だ。
言うまでもないがほとんどの人族は空を飛べない。そのため、空を飛べる魔物はドラゴンの側から見ても特殊で強力な手駒という扱いだ。
その『変異体』がこれだけの数、一気に襲いかかってくるのだから緊張も当然だろう。
「シャラちゃん、あの『変異体』の能力って分かる?」
少女剣士がシャラに問う。
「生憎、世話係でもなかったんで全部の『変異体』なんか把握してないですよ。兄貴だったら知ってたかもだけど」
「と言うかドラゴンが命令すれば従ってくれたりしないの?」
「いやー、あいつら弱いドラゴンはエサとしか思ってないんで……」
我ながら情けないとシャラは思ったが事実なので仕方ない。
「まず俺が惹き付ける。適当に集まってきたところで墜としてくれ」
ロボットと見分けが付かないくらい厳重に武装した男が、鎧をガチャガチャ言わせながら進み出て先頭に立った。
手にしているのは武器ではなく、両手でようやく抱えられるような白銀の大盾だ。
彼が冒険者ギルドに登録した職種は盾手。
味方の盾となることを自らの役割とする者だ。
「オラオラ、鳥頭ども! ここにエサが居るぜ! 俺様を食いに来てみやがれ!!」
演武をするように、彼は大盾を振りかざす。
盾手が使う盾は『ターゲット』とも呼ばれ、それ自体に込められた魔法的な作用と使い手の訓練された動作によって対峙する者の意識を惹き付ける効果がある。
わかりやすく言えば、思わず攻撃してしまうのだ。
人やドラゴンでも、その魔法的作用によって意識を惹き付けられる。まして知能の低い魔物なら格好の餌食だった。
空飛ぶ魔物たちは盾手の男目がけて徐々に高度を下げる。
フレスヴェルグの変異体だけが高空から慎重に様子をうかがっていた。
「もうちっと真ん中に寄らんかい!」
向かってくる魔物たち目がけてマイアレイアが、文字通りの矢継ぎ早でガトリングガンのように矢を射かけた。
あの小さなショートボウから撃ち出されているとは思えないほどの唸りを上げて矢が飛んでいく。
絶妙な角度と時間差で撃ち出された矢は、当たらなかった。
違う。避けさせた。
空飛ぶ魔物たちがマイアレイアの矢を回避して、一塊の団子のようになった。
やがて戦いの間合いに入る。
モルフォチョウのようなカオスバタフライの羽根に魔法陣が浮かび、魔法を打ち込んでくるかと思った、刹那。
「やれ、学者!」
「≪重力柱≫!」
ビン底眼鏡の女魔術師が杖を振ると、突っ込んできた魔物たちを包むように、円柱状の力場が発生した。
黒紫色の光を放つ空間は、内部の存在に強烈な重力をもたらす。
必然的にバランスを崩した魔物たちは無惨に地面へと突っ込んだ。
「フヒヒヒヒ! だいたい堕ちましたね」
「今や、いてもうたれ!」
地上戦担当の冒険者たちが一斉に魔物に襲いかかった。
撃墜された魔物の中では、ばた狂う三羽のヴィゾフニルが特に大きい。
鉄をも貫く蹴爪とクチバシ、そしてこれが変異体としての能力なのか、何故か羽ばたく度に衝撃と共に炎が舞う。
「飛ばせるな! 羽根を折れ!」
組み付いた冒険者たちが翼を集中攻撃して機動力を殺しに掛かる。
その合間を縫って、大人が手を広げたくらいの大きさをした化け物蝶が……運良くヴィゾフニルの影で攻撃を免れたカオスバタフライの変異体が、再びひらりと舞い飛ぶ。
「届く距離だ! ≪凍枷≫!」
壮年の魔術師が魔法を使う。
鮮やかな藍色のグラデーションを持つカオスバタフライの羽根が凍てつき、氷塊の枷に包まれた。
言うまでもなく蝶たちは落下する。
カオスバタフライは、端的に言うなら『ものすごく運が良い蝶』だ。
『偶然の出来事』を連鎖的に発生させ、事象を自分にとって都合が良い方向に操作するという、難解で驚異的な能力を持つ。単体での脅威度は低めだが、下手に関わると冒険の道具が運悪く壊れてしまったりするし、他の魔物と同時に襲ってくるとなると戦場を大混乱に陥れて脅威度が跳ね上がる。
こいつを倒そうと思ったら、可能な限り確実に当たる攻撃手段によって仕留めるのが定石だった。
「もらいっ!」
身動きが取れなくなったカオスバタフライの胴体を、双剣の戦士が一閃。
事象操作の力をろくに使う暇も無く、カオスバタフライは討伐された。
その間にヴィゾフニルも一羽が仕留められ、残る二羽もまともに飛べない状態にされていた。
乱闘の中から逃げ出して空へ駆け上がるのは、カラフルな極彩色の羽根を纏った、鹿の頭と足を持つ鳥。原種はこんな派手な外見ではないのだが、ペリュトーンという魔物だ。
今は実体を具現化させているが、本当は霊体系アンデッドであり、聖気を纏わぬ武器でトドメを刺すことはできない。
この魔物、本来であれば『生涯に一人だけ人を殺す』という性質を持つのだが、血が染みて馴染みきった赤黒の角を見るに、この変異体はそんな縛りをぶっちぎっているようだ。
ペリュトーンはスパークする紫電を自らの足跡代わりに残しつつ、ジグザグに空へと駆け上がろうとする。
「逃がすか!」
ピンク髪ツインドリルのドワーフの女戦士が、大斧の尻に付いていた鎖分銅を擲つ。
一直線に宙を駆けた鎖分銅はペリュトーンの後ろ足に絡み付き、上昇を止めた。
ペリュトーンは釣り針を引っかけられた魚のように空中で暴れ回る。
それと同時に雷光が宙を乱れ飛んだ。
放電によって鎖越しにダメージを与えようとした……らしいが、どうも対策がされているらしく根元のドワーフは無傷だ。
そして、地上からペリュトーンまでぴんと張られた鎖の上を電光石火、駆け上がる影がある。
流麗なシルエットの細身の剣を抜いた少女剣士だ。
まさに早業。
一瞬で五分割されたペリュトーンは、断面から骨灰のようなものを巻き上げながら地に落ちた。
だが少女剣士の着地を狙い、見えざる力が襲い来る。
キィィィィィィン……と耳をつんざく高周波の音が辺りに響き渡った。
「きゃっ!」
同時、不可視の暴力が深々と地を抉った。
少女剣士が全身に裂傷を負いながらも辛うじてそれを回避できたのは、熟練の技によるところだろう。
上空のジャイアントバットが吐き出した超音波だ。『超音波』なのだから本来人には聞こえないはずの音だが、破壊のエネルギーによって巻き起こされる余波が脳髄に響いてくる。
本来のジャイアントバットはザコと言ってもいい弱小モンスターで、超音波は普通のコウモリと同じように、周囲の様子を探るために使うのみ。
だがこの変異体は一撃必殺の威力を持つ超音波を吐き散らしていた。
大盾を持つ盾手が、地を巻き上げて迫り来る破壊の波に立ち塞がる。
盾の表面に青白い鱗光が閃き、プリント基板を思わせる幾何学的なラインが浮かび上がった。
バヂン、と何かが破裂するような音がして、破壊の波は止まった。
見えざる力は彼の前で弾かれ、背後の冒険者たちは守られたのだ。
盾の内側に仕込まれた機構から、使用済みの人工触媒カートリッジが白煙を上げながら排出される。
「耳痛え! ……っつーかこんなの、既にブレスだろ!」
ようやく三羽目のヴィゾフニルを仕留めたヴァルターが、耳を押さえながら空を睨んだ。
≪重力柱≫を免れていたジャイアントバットは、嘲るように飛び回っている。
「俺が行く、飛ばしてくれ!」
「行ってきなさい。≪空歩≫!」
胸元を大きく露出して、裾から脇の下までスリットが入ったセクシーローブの女魔術師が魔法を掛ける。
ヴァルターの身体が風に包まれ、彼は虚空を蹴って空へ踏み出した。
ジャイアントバットは大きく息を吸い込み、再び見えざる音波の暴嵐を吐き出す。
「当たるかよ!」
ヴァルターは、ジャイアントバットの身体の向きで狙いを読んだ。
パルクール的に立体三角飛びを連続で決め、背後に回り込みつつショートソードで一撃。
血塗れの刃がジャイアントバットを串刺しにして、その大口から突き出した。
「一丁上がりだ」
見えない階段を駆けるかのようにヴァルターは下りてくる。
「≪空歩≫で、ようあんだけ動けるな。ウチあんなん無理やで」
「慣れと訓練次第だぜ」
ヴァルターが剣を払うと、ジャイアントバットの死体は剣からすっぽ抜けて、他の魔物たちの死体の山の上に積み上がる。
シャラはそれを唖然として見ていた。
「どないしてん、シャラちゃん」
「……皆さんお強いなあと」
あっという間の出来事だった。
何かあれば自分も戦おうと思っていたシャラだが、何もしないうちにあれよあれよと魔物たちは数を減らしていた。
――指揮するドラゴンが居ないからってのもあるだろうけど……この規模の『変異体』の群れを平然と蹴散らせるのって充分に人外魔境なのでは?
竜気を浴びた魔物が変異体になるように、魔物と戦い続けた人族もその力を浴びて徐々に超常の力を付けていくのだという。
要するに『レベルアップ』ということだろうか。
しかし、翼すら持たない人の身でありながら空の魔物をこれ程容易く仕留めてしまうとは。
確かに人族はドラゴンに比べて遥かに卑小かも知れないが、こんな超人どもが存在しているのだから、滅ぼされずに戦い続けていられるのも当然だと言うべきかも知れない。
「サメは居なかったな」
「ああ。残るはあいつか……」
冒険者たちは空を見上げる。
ここまでの戦いには加わらず、じっと成り行きを見守っていた巨鳥が、悠然とこちらを見下ろしていた。




