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第七話 三.ハイツ一期一会へようこそ

 9月もあと数日で終わりを迎えようとしている。

 湿った南風は肌寒い空っ風へと移り変わり、風景も街並みも少しずつ秋めいてきた。

 ある晴れやかな日曜日の朝、「ハイツ一期一会」というアパートの管理人室に佇む一人の青年。彼は三カ月間の思い出を振り返り、管理日誌というタイトルのノートをそっと閉じる。

「こうやって見返してみると、いろんなことがあったんだな。」

 その青年の名前は一桑真人、このアパートの管理人である。

 ほんの数日前、真人は、先代の管理人だった彼の祖父の八戸居太郎から、正式に管理人を受け継いだ。これまで代行としてここで暮らしていた真人は、祖父からのタスキを快く受け取った形だ。

 祖父の居太郎はどうしたかというと、すぐ近所にある賃貸アパートで独り暮らしを始めた。とはいえ、盆栽いじりという名目で、ここまで足を運んでは真人にお説教を述べる毎日であった。

 いざ管理人となった真人だが、大学を目指す受験生であることに変わりはない。彼は目標とする大学のランクを落とし、管理人業務と受験勉強の両立を図るよう努めていた。

「さてと、これからお客さんが来ることだし、早めに庭掃除を終わらせておくか。」

 真人は気合とともに、澄み渡る青空の下へと出掛けていく。

 庭掃除用の箒を手にするなり、手慣れた手つきで玄関先の掃除を始める真人。鼻歌交じりの彼にとって、穏やかで優しい日差しの下はさぞ心地よかったであろう。

 真人が玄関先のゴミを片付けている最中、玄関のドアを開けて駆け出してきた住人が一人。彼女はプロサッカー選手として活躍する六平奈都美だ。いつものように、トレーニングウェアが似合っている。

「おはよー、マサ。」

「ああ、おはよう、奈都美。これから練習に行くの?」

 さわやかな表情で大きくうなづく奈都美。今日は朝早くから夕方まで、本拠地である千葉県でチーム全体練習に参加する予定だ。

 奈都美は今でも、アパートに居候する身であった。一時期は引っ越すことも考えた彼女だったが、もうその思いは薄らいでいた。それには、住人同士の触れ合いを優先する理由の他に、もう一つ大きな理由があった。

「奈都美。あの話だけど、どうするつもり?」

「うーん、本当こと言うと迷ってる。今のチームには、拾ってもらった恩もあるし。」

 奈都美は8月の試合での活躍が評価されて、敵対チームの東京多摩FCからスカウトされていた。一度退団した因縁のあるチームだけに断りたい気持ちもあるが、強豪チームで実力アップを望む彼女は、どうすべきか悩みに悩み抜いていた。

 つまりは、所属チームの本拠地が東京になれば、無理やり引っ越すこともなくなる、というわけだ。

「最終的には、今のチームと相談になるかな。どっちにしろ、あたしはがんばるだけだよ。」

 奈都美は前向きに明るく笑ってみせた。彼女は真人とハイタッチすると、ジョギングしながらアパートから疾走していく。そんな彼女の勇ましい姿に、いつも元気を分けてもらえる真人であった。

「・・・おはよぉぉ~。」

 次に玄関から姿を見せたのは、張り裂けんばかりに口を開けてあくびする四永潤だった。どういうわけか彼女は、こんな朝っぱらから、パッチリメイクに華やかなワンピースを着こなしている。

「おはよう、潤。あれ、こんな時間にどこに行くんだ?」

「ん~、あんた、もう忘れたのぉ?美容学校の願書申込みだよ。」

 頬を膨らませる潤に窘められて、真人は頭の片隅にあった記憶を呼び起こした。そういえば、日中の空いている時間を有効活用しようと、最寄駅付近にある美容学校に通うつもりだと、彼女が意気揚々と話していたことを。

 潤はまだモデルになる夢を追い求めている。そのためには、もっと女を磨く必要がある。彼女は夜のお仕事をこなしながら、美容学校でメイクやネイルも勉強するつもりなのだ。

「これからは、オレと同じで勉学に励むわけか。」

「そーいうことぉ!見違えるぐらいチャーミングになるよ。」

 次の瞬間、上目使いで真人のことを見つめる潤。彼女はニヤッと、朱色に染めた唇を吊り上げる。

「マサぁ、あたしに惚れちゃダメだからね?」

「惚れるかっ!」

 真人は絶妙なタイミングで、潤のおでこを叩いて見事なツッコミを入れた。傍目で見たら、そこらへんの漫才師も顔負けな二人の掛け合いである。

 とっとと行っちまえ!と言わんばかりに、真人に言葉の意味でお尻を叩かれた潤は、両手を高々と振りながらアパートから出掛けていった。浮かれるあまり、途中で事故に遭わないよう、彼は見送りながらそう願うのだった。

 それから数分も経たないうちに、またまた玄関から住人が外出しようと姿を見せた。今朝はどういうわけか、住人たちの行動が不審に思うぐらい早いように見受けられる。

「ハーイ、マサ。グッモーニン。」

 エネルギッシュな声を上げたのは三樹田ジュリーであった。薄茶色のトレーナーにスウェットパンツ姿というラフな格好で、近所をブラブラしてくると思わせるようないでたちだ。

「ジュリーさん、おはようございます。・・・あれ、ジュリーさんもお出掛けですか?」

 ジュリーはそうそうと首を縦に振って、これからジャズライブのリハーサルなのだと告げる。そのリハーサル会場が商店街にある楽器店ということもあり、彼女の身軽な服装もうなづけなくもない。

 ジャズバンド「ローリングサンダー」で活動するジュリーは、メリハリのある歌声と痩身のボディーラインが注目を浴び、ここ東京都内では名だたるボーカリストの一人となっていた。

 名の売れた他のバンドからも誘われたりするジュリーだったが、愛着のあるバンドから離れることはできないと、その都度きっぱりと断りを入れていた。それはきっと、今のバンドへの恩義や忠誠心もあるからだろう。

「わたし、リハ終わったら、そのままバイトに行くから。帰りは夕方頃になると思うヨ。」

「そのままって。・・・その格好のまま行くんですか?」

 キョトンとした顔でイエスと答えるジュリー。化粧や服装にあまりこだわらない、さっぱりした性格の彼女らしい一コマだった。

「マサ、あなたもヒマな時にお店にいらっしゃい。リーダーが会いたがってるからネ。」

「そうですね。今度ゆっくりコーヒーでもごちそうになりますと伝えておいてください。」

 ジュリーは発声練習をしながら、軽やかな足つきでリハーサルに向けて歩き出していく。その澄んだアカペラの歌声は、真人の心を魅了してしまうほどに艶やかな声であった。

「管理人、おはよう。」

 とうとう四人目の住人まで外出してしまうようだ。

 真人に声を掛けたのは、大きなサイズの封筒を腕に仕舞っている五浦あかりだ。黒を基調としたスーツから覗く白いブラウスがやけに映える。

 もうここで述べるまでもないが、あかりの向かう先は出版社。漫画家である彼女は、それなりに売れっ子作家になった今でも、自らの足で原稿を届けているのである。

「おはようございます、あかりさん。もしかして、それは新連載の”飛龍影のルポ”ですか?」

「ええ。連載が二本に増えてしまったから、出掛ける機会も増えて面倒よ。」

 悩ましげに眉をしかめるあかりだったが、その心情は嬉しかったに違いない。

 あかりが読み切りで描いた漫画だが、新しい読者層を獲得したということで、出版社側との話し合いの末、このほど連載することが正式に決まった。余力を持て余す彼女にしてみたら、嬉しい悲鳴といったところだ。

「連載が始まったら、ストーリーも含めてしっかり読んでちょうだいね。あなたは貴重な読者の一人なんだから。」

「わかってますよ。また意見とか注文とか、遠慮なく言わせてもらいますから覚悟してください。」

 生意気な口を叩く真人に、あかりは切れ長の目を細めて含み笑いを向ける。格闘家という裏稼業(?)を持つ彼女の気迫を前にして、彼は恐れるあまり身が凍りつきそうになっていた。

 午後までには帰宅すると真人に伝えるなり、あかりは颯爽と身を翻して闊歩していく。その小さいながらも威厳のある彼女の背中を見つめて、彼はいってらっしゃいと笑顔で手を振るのであった。

「住人のほとんどが出掛けちゃったか。うーん、困ったなぁ。」

 真人は箒を抱えたまま、アパートを背にして唸り声を上げる。果たして、彼が困っているのはなぜだろうか?

 困惑している真人の背後に迫る一つの影。ゆっくりと彼のそばに近づくその影は、突き立てた人差し指で、彼の背中を上から下にそーっとなぞった。

「うわぁぁ!?」

 真人はびっくりして、崩れ落ちそうになりながら甲高い悲鳴を上げた。

「あはは、驚かせてゴメンねー。」

 口元に手を宛てて微笑んでいる女性は、真人のリアクションが余程おもしろかったようだ。

 その女性こそ、五人目に顔を見せた最後の住人である二ヶ咲麗那。清潔感のあるYシャツとスキニーパンツ姿が、彼女のいじらしい笑顔と不思議とマッチしていた。

「麗那さんかぁ。意地悪が過ぎますよ、もう。」

「だって、アパートの前でボーっと立ってるんだもの。ちょっとばかりいじりたくなるでしょう?」

 そんな不条理なことを言われても、愛くるしいウインクをする麗那を許してしまう純真な真人だった。

 麗那はつい最近、盛大に執り行われたイベントを経て、待望のモデル復帰を果たした。それからというもの、朝も夜も多忙な私生活が彼女の日常に帰ってきた。

 それでも麗那は疲れを見せず、弱音を吐くこともない。今朝にように明るく振る舞い、真人や他の住人たちと触れ合うひと時を過ごす毎日を送っていた。

「ねぇ、これからアパートの入居希望者が見学に来るんだよね?」

 真人が話していた”お客さん”とは、麗那の言う入居希望者のことであった。

 その入居希望者とは、真人の祖父の居太郎の知り合いだという。詳細は不明だが、大学受験を控えた女子高校生とのことらしい。

「そこで、麗那さんにお願いがあるんです・・・。」

 丁度この話題が出たことを最良に思い、真人は悩んでいた事柄について麗那に相談することにした。

「その見学に立ち会ってもらえませんか?女性ばかりのアパートだから、住人の人にしか案内できない場所もありますし。」

 当惑する真人の気持ちを察してか、麗那はそのお願いを快く買って出てくれた。彼女自身も、入居希望者に少なからず興味が沸いていたのだろう。

 麗那はふと、住み慣れた「ハイツ一期一会」の正面へと向き直る。

 築10年以上経過したアパートは見た目も古く、壁にも黒ずみやひび割れがあってみすぼらしい。それでも、住人たちはここを出ていこうとはしない。

「今日来てくれる子、新しい仲間になってくれるかな。」

「どうでしょうかね。気に入ってくれるといいですけど。」

 麗那は感慨深そうに、思い入れのあるアパートから視線を離そうとはしなかった。

「わたしね。不思議だなぁって思ったの。」

 住人たちは皆、もともとは他人同士。仕事も違えば趣味も違い、夢も目標もまったく同じとは言えない。そんな他人同士が一緒に暮らして、仲良くなって、気付いた時には家族のように親しくなっていた。麗那は穏やかな表情で、心に感じていたことを口にしていた。

「それはきっと、このアパートが一期一会という名前だからだと思うんです。」

 人生に一度しか巡り合わない人、物、出来事といったことに最高のもてなしをする。真人もアパートを見つめて、一期一会という言葉の文意について触れる。

「その一度きりの出会いを大切にして、慰め合い、励まし合い、助け合えたからこそ、オレたちは大きな絆で結ばれたんじゃないでしょうか。」

 集いし者たちの心の触れ合いがこのアパートには存在したと、他人同士を干渉しない、ここ最近の無縁で疎遠な世相を風刺しつつ、真人はそんな胸のうちを明かしていた。

「あともう一つ、おもしろい偶然があるんですよ。」

「おもしろい偶然?」

 真人の思わせぶりな言い回しに、興味をそそられた麗那。彼はそのおもしろい偶然について語る。

「このアパートに集まった人たちの苗字に、偶然にも漢数字が入ってるんですよ。」

 真人の苗字である一桑を筆頭に、二ヶ咲、三樹田、四永、五浦、六平、さらに祖父である八戸。このアパートの敷居またいだ者はすべて、苗字に漢数字が一文字入っているのだ。

 それを聞かされた麗那は、まるでドラマの演出のような偶然に驚きを隠せない様子だった。

「・・・もしかすると、わたしたちは、そんなドラマチックなきっかけで、このアパートに導かれたのかな。」

「そうかも知れないですね。」

 真人と麗那は微笑ましい表情を向け合う。そして二人は、一期一会の言葉通りに、一度きりのあらゆるものを大切にしていこうと心に思うのであった。

「もし、ここにいるみんなが家族だとしたら、麗那さんはオレのお姉さんになりますね。」

 思わず住人たちとの家族構成を思い浮かべてしまう真人。

 お姉さんかぁ・・・と一言囁き、嘆息している麗那。彼女の横顔に、ほんの少しだけ寂しそうな表情が映る。

「年齢的にはそうだけど、ちょっぴり残念かな・・・。」

「・・・え?」

 その時、寄り添う二人の手がそっと触れ合った。お互いの温もりを感じ合い、確かめ合う二人。

 それぞれの熱い眼差しが重なる。揺れ動く瞳が、胸の鼓動を激しく高鳴らせる。止まらない衝動のままに、二人の手のひらがそっと握られていく、まさにその瞬間だった。

「あのぉ、すみませんけど?」

 後ろから呼びかけられたその声に、真人と麗那は咄嗟に手を引っ込めてしまった。

 二人が慌てて振り返ると、そこには、ワンレングスの黒髪を下ろしたお嬢様のような女の子が立っていた。その女の子は真ん丸な瞳で、顔を赤らめる二人のことを見つめている。

「・・・こちらは、ハイツ一期一会というアパートでよろしかったでしょうか?」

「は、はい、そうですけど?・・・あ、もしかして、入居希望者の?」

 その通りですと言って、小さく会釈したその女の子。落ち着いていて、高校生の割には控え目な印象を受ける。肌もぴちぴちに潤っており、フレッシュさを感じさせる顔立ちだった。

「お待ちしてました。オレは管理人の一桑です。こちらは、住人の二ヶ咲麗那さん。」

「こんにちは、二ヶ咲です。遠慮なくいろいろ聞いてくださいね。」

 気さくに飾らない姿勢で接する麗那を前にしてか、その女の子の緊張はわずかにほぐれていたようだ。

 アパート内を心行くまで見学してもらおうと、麗那を先頭に、真人はその女の子を玄関の方まで誘導していく。すると、なぜか女の子は途中で立ち止まり、アパートの全体像を食い入るように凝視していた。

 どうかしたの?と真人が尋ねると、その女の子は瞳を輝かせながらおもむろに口を開く。

「とても暖かみがあるアパートですね。・・・引き寄せられてしまうような、そんな不思議な雰囲気があります。わたくし、こちらにお世話になることを決意しました。」

 あまりにも潔く、その素早い決断力に呆気に取られる真人。見学ルートまで練りに練った彼にしたら、拍子抜けした格好となってしまった。

 真人はその直後、目の前の女の子が決心した理由を思い起こし、ある直感を抱いた。彼はそれを確かめようと、内心ドキドキしながら尋ねてみる。

「失礼ですけど、苗字だけでいいので、お名前を教えてもらえますか?」

 ぶしつけな問いかけに応じるように、その女の子は行儀よくペコリと頭を下ろした。

「申し遅れました。わたくし、漢数字の”七”、瀬戸の”瀬”と川で、七瀬川由依ななせがわゆいと申します。若輩者でご迷惑をお掛けすると思いますが、どうかよろしくお願いします。」

 これほどまでに素敵な偶然があるのだろうか。真人と麗那はニッコリ顔を見せ合って、導かれた新たな住人、いや家族に向けて、精一杯心を込めた歓迎の言葉を伝える。

「ようこそ、ハイツ一期一会へ!」

第七話、そしてこの物語本編はこれで終わりです。

次話「おまけシナリオ」をもって完結となります。

ご意見、ご感想など、お気軽にお寄せください。

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